第5話
「こんばんは、優斗君」
「こんばんは、鈴木さん」
あの寂れた公園で解散した僕と猫達。メイちゃんと帰り道が一緒だった僕は、メイちゃんと共に帰路についていた。その途中で、買い物袋をさげた鈴木さんに出会う。
近所の鈴木さん。四十代にはとても見えない程に綺麗な鈴木さん。メイちゃんの飼い主でもあるこの女性に、僕は心を、クロは命を救われた。謂わば鈴木さんは僕とクロの恩人だ。
『ママニャーン。その買い物袋にマグロは入ってるかにゃー?』
飼い主でもあり家族でもある鈴木さんの足元にメイちゃんが駆け寄る。
「あら、メイと一緒だったの。相変わらず仲良しね」
『仲良しにゃん』
「はい、仲良しです」
優しい笑みを浮かべた鈴木さん。その場に屈んでは、メイの小さな頭を撫でている。
「クロちゃんは元気?」
「元気ですよ。とても、元気に育っています」
鈴木さんのおかげです。
この人には、感謝してもしきれない。
「良かった。元気そうで何より」
「はい、何よりです。──鈴木さん」
「ん?」
「……いえ。ありがとう、って、自然と口にしようとしたんですけど、そういえばありがとう禁止令を出されていたことを思い出しました」
「そうよ。優斗君、私と擦れ違う度に『あの時はありがとうございました』って言うんだもの。もう禁止よ禁止」
「それでも、ありがとうございました」
「こら、しつこい」
鈴木さんが笑う。
僕も笑う。
過度な感謝は却って相手に迷惑だろうが、それでもただ挨拶を交わして鈴木さんと擦れ違うことなんてできない。鈴木さんが困っていたら僕は全力でそれを解決する、何度でも。鈴木さんに対する感謝の念は、もう、十年もの付き合いになる。
「あれから十年も経ったのね」
鈴木さんも似たようなことを思ってたのか、屈んでいた姿勢から立ち上がり、僕を優しい目付きで見ていた。
「優斗君も、もう高校生か。何だか感慨深いわ」
「鈴木さん、僕が中学生になった時も同じことを言ってましたよ」
「あら、そうだったかしら」
また再び、お互いに笑いあう。
「優斗君は大学を目指してるの?」
「まだ進路は未定ですけど。一応、そのつもりです」
「そっか。じゃあ、優斗君が大学生、或いは社会人になったらまた同じ遣り取りをするのかしら」
「そうかもしれません」
「生きる楽しみが増えたわ」
きっと、未来におけるその遣り取りはとても素敵な場面だろう。僕と鈴木さんが互いに笑いあっている姿が容易に想像できた。
「僕はこれで失礼します」
「帰り、気をつけてね」
「ありがとうございます。ばいばい、メイちゃん」
『ばいばいにゃん、ユウニャン。また明日』
また明日。
鈴木さんには聞こえないよう、僕もそう、呟いた。
自分の部屋にて机に向かっていた僕は、課題を終えてから少しぼんやりとしていた。呆然と立ち尽くすかのように、何をするでもなく椅子の背凭れに身を委ねている。
考えていた。
思案の中心は、山本さんにある。
ここ最近、山本さんは家庭の事情で不機嫌だとキィは言っていた。キィが言っていたことをそのまま伝えたら、山本さんは適当なことを、と一蹴したのだ。それは些細な齟齬、気にかける必要はないかもしれないけれど、それでも考えてしまう。
キィは、僕に嘘をついていたのだろうか。家庭の事情とはまた異なる理由で、山本さんは不機嫌になっているのかもしれない。日に日に山本さんの不機嫌さは増す。このままでは山本さんの立場が危うい。
……不思議だ。
一人の人間の立場を、危うい、と考えるなんて、いままであっただろうか。僕は人間が嫌いではないけれども、あまり好きでもない。犬山さんや鈴木さんといった特別な人はいるけれども、それでも他人との関係なんてどうでも良かったはず。
だからこそ、不思議だ。あれだけ嫌われているというのに、どうして山本さんのことを僕が考えているのだろう。そう考えると何だか馬鹿らしくなって思考を放棄しようとした。
その試みは失敗する。頭から離れない、些細な齟齬。
『考えごとか』
「まあね」
布団の中からこっそりと顔を出す黒猫クロ。表情だけでお互い何を考えているか僕達には分かる。猫にだって表情はあるのだ。見分けが難しいけれども、クロとは十年の付き合いになる。
クロの丸い双眸は僕の表情から正確に心情を読む。
『悩みの原因は、やはり人間か』
「僕の悩みの原因はいつだってそれだよ」
『そうだった』
「少しね、クラスメイトのことで悩んでた」
『少し、ではないだろうに』
クロが呆れた声で言う。
考え始めてからどれだけの時間が経ったのか、自分でも分からない。
『しかし、珍しい』
「僕が不快感を示してないこと?」
『そう。人間に対して、ユウは大抵、苛立っていた』
「そうだね、認めるよ。でもあれは、僕にも非があった」
幼稚園、小学校、中学校。
幼い頃から猫と会話をしていた僕は同級生の間で噂になっていた。好奇、若しくは嫌悪。人間の視線というものは何処までも冷たい。理不尽だったのだろうか、あれは。でも、理に適っていた気もする。だってそうだろう。猫と会話できる人間なんてのは、普通、いないのだから。
『でも、高校生になってから』
クロは言う。
『ユウは、怒ってない』
「そうだね。運が良いだけだよ」
『ラッキーにゃ?』
「そう、ラッキー。進級すれば、いつもの卑屈な自分に戻るかもしれない。いまのクラスが、たまたま、良いクラスだっただけだよ」
いまのクラスは、いままでで一番居心地が良い。それはきっと茜のおかげだろう。長谷部さんのおかげだろう。例え僕の過去を知っている山本さんの、怒りの矛先が僕に向けられたとしても、まだマシな方だ。
高校生になってから、呼吸が軽い。それだけで充分。
『ユウが卑屈なのは、いつものこと』
「素直だね、クロ」
『素直はいいこと』
「素直過ぎるのは愚かだよ」
掛け布団から顔だけ出していたクロの顔を見詰める。
「そういえば、クロ。帰りに鈴木さんと会った」
『ちゃんとお礼は言ったかにゃ?』
「しつこい、って言われたよ」
『そうか。私の分も含めて、ユウはお礼を言ってるのだから、しつこいくらいが丁度良い』
「相手の迷惑も考えなきゃ。僕達の、恩人なんだから」
『にゃ』
クロが一鳴きしてから、再び布団の中に潜り込む。それを見て、そろそろ僕も寝ようと決めた。
明日を迎える度に陰鬱とした時間を過ごしていた僕の日常は、いまはない。それはとても幸せなことだ。
変化なんてものはいらない。
現状を維持できれば僕は満足だ。
そう思っていたのに。
キィからは山本さんを嫌わないでほしいと言われた。嫌いになる筈がない。キィを家族として大切にしている人を。
そう、僕はキィを悲しませないために、山本さんを孤独から解放したいだけ。
きっと、そうなんだ。山本 雪という人間には大して興味がない。僕はキィの悲しむ表情を見たくないから。僕が不機嫌の原因を山本さんに尋ねたのも、それが尤もな理由というものだろう。
でも、何故だろうか。
その理由に、納得できないのは。
翌日。
山本さんは、学校を休んだ。
原因については分からない。担任の先生が休む生徒のことを話題に組み込むことはないというもの。
しかし、直感が告げていた。山本さんは風邪で休んだのではない、と。そんな気がした。あの寂れた公園にまで、息を切らしてキィを捜していた山本さん。体調の悪い人間が息を切らしてまで無理に走ることはないだろう。勿論、根拠なんてない。それだけ山本さんが必死だった可能性もある。結局のところ考えるだけ無駄だ。
昼休み。
いつも通り、茜、長谷部さん、僕を含めた三人は机を寄せて昼食を摂っていた。授業の内容や、グランの様子、茜が作った弁当の味を話題に僕達は会話を交わし、やがて長谷部さんが遠慮がちに一つの話題を切り出す。
「登校している時に、私、山本さんを見掛けたの」
僕の様子を窺いながら、委員長の長谷部さんが静かに話す。山本さんの話題を切り出すことに遠慮が見られたのは、僕に気を遣ってのことだろう。
「山本さん、学校に向かってたの?」
率先して、僕が促す。僕の疑問に、長谷部さんがかぶりを振る。
「制服じゃなかったわ。何をしてるの、って、声を掛けようとしたの。でも、その前に学校とは反対の道に走っていった。住宅街の通りで何かを探してるように辺りを見回してたみたいだけど。何か、大切なものでも落としたかのように」
「学校を休んでまで探し物って、何だろう。財布かな」
「うん、それが妥当だと思うけど」
茜の疑問に長谷部さんがそう答えた。
何だろう、妙な違和感がある。それは言葉では表現し難い。何せ違和感の正体が自分でも分からないのだから。
僕が黙っていると茜が首を僅かに傾げてから、僕の顔を覗き込むように見た。
「どうしたの、優斗。急に黙って」
「ん、ごめん。少し考えごとしてた」
「山本さんのこと?」
「違うよ」
適当に言葉を返す。平手打ちをされた僕が山本さんのことについて悩むのは、おかしな話だと思ったので、本意を隠すことにした。
茜は「そっか」と呟いてから、一口サイズのハンバーグを口に運ぶ。茜に倣い、僕も食事を再開した。
茜は幼馴染だ。その縁は長いけれども、ずっと一緒にいたわけではなかった。だから僕が何を思っているのか、クロのように表情だけで察することは勿論できない。──人間よりも猫との信頼関係が強いことを示すみたいで、軽く自己嫌悪。
人間はあまり好きではない。
当然、その中には僕という人間も含まれていた。
そうして僕は誰に誘われるでもなく、橙色に染められた、どこか神秘的なこの寂れた公園のベンチに足を運ぶ。まるでこの公園に寄ることが、僕には義務付けられているみたいだ。無論、そんなことはない。学校とは違い、僕は好きで此処に通っているのだ。
ベンチに近寄れば、五匹の小さな影が目に映る。どうやら猫達は何かを話し合っている様子だ。近寄っても、一匹たりとも僕に視線を寄越さない。人の気配に敏感な猫達が僕の存在に気付かないのは珍しいことだ。自然と忍び足で、ベンチに近寄る。
『時間の問題……』
『飼い主にバレたのは……』
『優斗も不審に思って……』
『そもそも、わん、という語尾に無理が……』
『…………』
「何を話してるの?」
声をかけてみたら、猫達が五匹同時に飛び上がった。
『にゃにゃ!? ゆ、優斗! いつからそこにいたにゃ!?』
「いまさっきだよ、スコちゃん」
『メイ、びっくりしたにゃ』
『心臓が一回停まったぜ』
『そのまま停まってれば良かったにゃ』
『……わ、わんっ』
驚いた様子の五匹は僕を見上げていた。尻尾も逆立っている。
『ゆ、優斗。とりあえず、膝にゃ、膝。座るにゃ』
何かを誤魔化すようにスコちゃんが二足で立ち、僕の膝を請求していた。一体どうしたのだろう。その動揺が、僕には分からない。
『僕が不審に思っている』と、グランは渋い声で言っていた。一体それが何のことを指すのか。考えている僕に、レオが声を掛けてきた。
『優斗』
「どうしたの? レオ」
『とりあえず、座るにゃ。肩、貸してにゃ』
その要望に応え、僕は腰を掛ける。ベンチに座った途端にスコちゃんが人間らしい姿勢で足を前に投げ出して僕の膝に座り込み、次いで、見事な跳躍で僕の肩に腰をおろすレオ。
視線を地面におろせば猫五匹の影と人間一人の影。先程の、猫達の会話について触れようとした時、僕にとっての見慣れた影に、また一人の人間が加わる。顔をあげれば予想通り、犬山さんが其処にいた。
「こんばんは、優斗」
「こんばんは、犬山さん」
「隣り、いいかい」
「どうぞ」
またもや先程の会話を誤魔化すように、猫達の囃し立てる声を僕は無視して、犬山さんに視線を向けた。
僕は、僕の意志で犬山さんに逢うことがない。だけど、犬山さんはこうして僕の前に現れる。それが無性に嬉しい。
やっぱり好きなんだな、と自覚する。
「猫と会話をしていたのかい」
「はい」
「そうか」
犬山さんは黙る。何かを思案しているようだ。
横顔を一瞥する。
可愛い、というよりも、綺麗という言葉が犬山さんには似合う。そんな気恥ずかしいことを思った。
『横顔を盗み見たにゃ』
『視線がやらしい。メイはユウニャンに失望したにゃ』
『ふっ、優斗もこうして一歩ずつ大人へと成長していく。──フレー、フレー、ゆ・う・と!』
『盗み見るとかあめぇよ。ほら、優斗。おっぱいでも揉むにゃ』
『わんわんぉー』
……このやろー。
僕の気持ちを知ってか囃し立てるキャッツ。犬山さんが猫の連続とした鳴き声を聴いてから「からかわれてるな、優斗」と笑った。
本当にこの人は、犬だけではなく、猫の声も聞こえているのではないか。どうしても勘繰ってしまうよ。
「特別は、他にも見つかったかい」
犬山さんは、前会った時に話していた話題をここで切り出す。他、というのは、一文字で猫を指すのだろう。猫以外にも特別を見付けられたのか。犬山さんは僕にそう訊いているのだ。
「家族とか、幼馴染みとか、近所の人や、クラスメイトとか。そういった人達が、僕の特別だと思います」
果たしていま挙げたものは犬山さんが求めていた答えなのだろうか。
「そうか。それは良いことだ」
犬山さんはそう返事をした。
他者と一線を引いた特別な存在。僕にとって犬山さんがそうだ。特別は沢山作った方がいい、と犬山さんは言った。それでも僕は、現状維持で満足できれば、それでいいと思っていたんだ。
そう思っていたのに、僕は。
「でも最近、それだけでは満足できない自分が、何処かにいたりします」
横から風が、吹いた。
犬山さんの長い黒髪が、揺れる。
「一体何をすれば、満足するというんだい、君は」
「それが、分からないです」
「分からないのに、満足していないことを君は理解している。なら、答えは近いよ、優斗」
「そうなんでしょうか。そういえば、犬山さんの、」
「ん?」
「犬山さんの特別とは、一体、何でしょう」
「私が特別だと感じているものは、君と似たり寄ったりだな。犬に、家族や友人、それに、」
そこで犬山さんが、僕に微笑む。
悪戯な、笑み。
「桐山 優斗」
「…………」
『顔、赤くなってるにゃ』
『ユウニャン、わかりやすいにゃ』
『優斗、デレデレにゃ』
『童貞丸出しにゃ』
『ばうわう』
うるさい、キャッツ。
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ、どういたしまして」
意識してしまう自分が恥ずかしい。動揺を隠すために話題を変えよう。
「私は、犬と会話ができる不可思議なこの力を、特別だと思っている」
僕から話を切り出そうとしたら、犬山さんに先を越された。
犬山さんは犬と会話ができる。
生まれつき備わったそれを、犬山さんは特別だと表現した。
「最初は、嫌っていた」
「その力を、ですか」
「ああ。犬と会話ができる、なんて、他の人にはできなかったから。自分だけが違う世界を生きているみたいで、小さい頃、怯えたものさ」
ここまで踏み込んだ話を、犬山さんがするのは多分、久しぶりだ。
僕と犬山さんの価値観は決定的に違う。自分だけが違う世界を生きているなんて、僕は考えたことがない。ただ、幼かった僕は誰かに信じてもらおうと訴えていただけ。人目を憚らず猫と会話を繰り返しては、日々を過ごしていた。
「時々、考えたよ。この会話ができる力があるから、私は、犬を特別だと感じているのではないか、って。もし私が、何の力も持ちあわせていない只の人間だったら、犬に興味を持たなかったのではないか、ともね」
でも、と、犬山さんは言う。
「そんなことを考えていても、犬の隣りに腰掛ければ、私はやっぱり犬が好きなんだなと気付く」
犬山さんはそう言って微かに笑った。一緒にいると落ち着くんだよ、と、そう付け加えて。
「そんなに考えてたんですね、犬山さんは」
僕がこの猫と会話ができる現象を、そんなに深いところまで考えたことが嘗てあっただろうか。実際そういった考え方が犬山さんと僕の違いというものだろう。犬山さんは犬と会話ができても、幼い頃にその力に怯えを感じていたためか、犬に喋りかけることはあまりなかったのかもしれない。だからこそ犬山さんは社会に溶け込み、馴染んでいる。
犬山さんとは違い、他者が持ち得ない特別な力を恐れるどころか、僕は見せつけていた。
なんて、愚か。
「君は、猫と会話ができる」
犬山さんが言ったその言葉に、疑念はない。
「優斗は、この力についてあまり考えないのかい」
「考えますよ。……嫌になったことは、多分、ありました。いま、忘れかけてましたけど」
「君にもあったか」
「はい。きっと僕達以外にも、動物と会話ができる人がいたなら、一度はこの力を嫌うかもしれません」
「そうだろうな。例えば私は、犬と会話ができる、ではなく、虫と会話ができるようになっていたら、嫌いになっていただろうね」
「それは僕も嫌いになってましたよ。蟻を踏み潰せば、悲鳴が聞こえるような毎日を送るのは」
それは地獄以外の 何物でもない。
「私たちが聴こえているものが、犬や猫の声で良かった」
「……そうですね」
本当に。
周囲の猫たちを見る。もし明日、猫達の声が聴こえなくなっていたら僕は狂ってしまう。それはきっと、僕にとっての地獄。
「とりとめのない会話になってしまったな。私はそろそろ帰るよ、優斗」
「ねぇ、犬山さん」
「どうした?」
立ち上がりかけた犬山さんに声をかけた。犬山さんに言いたいことは、二つ。
二つの内、差し障りのないほうを選ぶ。
「また、特別なものが見つかったら、報告します」
「ああ、楽しみにしてるよ」
犬山さんは立ち上がって、僕に背中を向け、緩慢に歩き出す。
……ねえ、犬山さん。
僕達が互いに猫や犬と会話ができなければ、こうして話すことも、最初から出逢うこともなかったのでしょうか。
言えなかった。もし、そんな言葉をかけていたら、犬山さんはどんな反応を僕に示すだろうか。
『何もなかったにゃ、平行線にゃ』
『平行線は、交わらないにゃ』
『まだ間に合うにゃ! 男を見せろ、魂を燃やすにゃぁぁああ!』
『お前が燃えろ』
『わん』
「……はぁ」
思わず溜息。この猫達は僕をからかうことを好む傾向が、いましがた見られた。そのことを注意しようとしたところで、有耶無耶にされていたことを思い出す。
「そういえばさっき、何か隠してたよね」
跳び跳ねる一同。
分かりやすいのはお互い様らしい。
『な、なんのことかにゃ』
「声が震えてるよ、スコちゃん」
『わ、私も何のことか分からないにゃ』
「声が裏返ってるよ、メイちゃん」
『ゆ、優斗が何を言っているのか、さっぱりにょ』
「グラン。語尾が変」
『人類滅ぶにゃ』
「急にどうしたの、レオ」
『わん』
「その語尾ははやりません」
まったく。
猫達が僕に何かを隠しているのは間違いない。でも、一体何を隠しているのだろうか。犬山さんの背中を見送りながら、考えてみたけれども、答えは浮かばない。
無理に訊く必要もないかな、と、諦めにも等しい考えを浮かべたところで、犬山さんと入れ違うかたちで公園の出入り口に見慣れた人影が。僕の膝に座るスコちゃんが姿勢を崩し「まずいにゃ」と呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
見慣れた人影は僕が座るベンチに近付き、息を切らしている。昨日と似たような光景だ。違うところがあるとすれば、制服ではなく、私服といったところか。
僕の目の前に立つのは、本日学校を休んだ山本さんだった。
山本さんの様子は、どこかおかしい。なんていうのだろう、切羽詰まっているような、そんな必死さが山本さんからは滲み出ていた。
「……いないの」
息を整えることもなく、山本さんは言葉を発した。寂れた公園で、夕陽を背に、山本さんは何かに縋るような目付きで僕に言う。
「キィが、いないの」
意味が、分からなかった。
理解しようとしても、できないだろう。それともただ単に山本さんは目が悪いのだろうか。キィが僕の足元にいることに気づいていないのかもしれない。
「……どういうこと? キィならここに、」
「その子はキィじゃないの!」
山本さんが不機嫌を顕に、叫ぶように声をあげた。
だから、意味が分からないよ、山本さん。
キィを見た。キィは、わん、ではなく、気まずさを顕に『にゃあ』と鳴いた。他の猫達も同様に、気まずいのか、先程から無言だ。
「やっぱり猫と会話ができるなんて嘘じゃない、この法螺吹き」
山本さんは足元にいるキィを見詰めていた。
「その子はね、キィの双子のミケ。キィじゃないのよ!」
山本さんの言葉が伴う衝撃は、何か重いもので横から頭を殴られたかのように強く、痛みを伴うものだった。
長谷部さんの言葉が蘇る。何かを探してるように辺りを見回してたみたいだけど、と、長谷部さんは言った。何か、大切なものでも落としたかのように、とも。辺りを見回してから、という表現のあとに、大切なものでも落としたかのように、という表現が続いたから僕は違和感を感じていたんだ。もし落とした財布を捜すとしたら、辺りを見回す、なんて表現は使わないのではないだろうか。落ちた財布を見付けたいのであれば、視線は周囲にではなく、地面に固定される筈。
住宅街の通りで山本さんが辺りを見回したのは、塀の上に猫がいるかどうかを確認していたのではないか。大切なものでも落としたかのように視線を彷徨わせたのは、猫が歩いている姿をその目に確認したかったのでは。
疑問の答えに興味はない。俯いた猫達に構わず、山本さんの視線を気にすることなく、僕は言う。
「どういうことか教えて」
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