第4話
此処は寂れた公園。夕陽によって遊具は橙色に染められ、そこから細長い影ができていた。ベンチに腰をおろす僕が足元の地面を見詰めれば、昨日と同じ猫四匹の影に加え、もう一匹増えている。
近所の田中さん家の猫、マンチカンのレオちゃん。性別は雄だ。雪のように真っ白な毛、丸い顔。短足がマンチカンの特徴で、その歩行もどこか風変わりでとても愛らしい。そのマンチカンのレオちゃんは現在、その小さな体躯を利用して僕の肩に腰をおろしていた。
他の猫たちはいつもと同じ定位置だ。僕の膝に幼馴染の茜の家族、スコティッシュフォールドのスコちゃん。右に鈴木さん家の猫、メインクーンのメイちゃん。左側には長谷部さん家の猫、キジトラのグラン。足元には山本さん家の猫、三毛猫のキィ。
『人生疲れたにゃ』
青年の声でそんなことをぼそりと呟いたレオ。
「どうしたの?」
『何か疲れたにゃ』
「そうなの?」
『にゃ』
「何かあったの?」
『何も』
「そっか」
『路傍の石ころになりたいにゃ』
レオはいつもどこかネガティブだ。声からして生きていることに疲れたという感じが滲み出ている。その態度も他の猫とは違い、何か無気力だ。
原因はいつも分からない。
『おい、レオ』
とても渋い声で、僕の左側に座っていた長谷部さん家の猫、キジトラのグランがレオに声をかけた。
『生きてることに疲れたなんて、そんにゃ悲しいことを言うにゃよ!』
何か叫び出した。
しかしレオはグランの言葉に無反応だ。僕の肩から動く様子は一切見られない。それでも構わずグランは再び叫び出す。
『もっと魂燃やせよ! そうすれば、レオもきっと生きる気力が、』
『魂燃やしたら寿命が縮むだろうが、馬鹿。少し考えて発言しろにゃ』
グランはその言葉にショックを受けたようで、何故か仰向けになった。『夕陽……まぶしい……』と、何か渋い声で呟いてる。
レオは結構な毒舌だ。一部始終を見ていた鈴木さん家の猫、メイちゃんが、そんなレオに声をかけた。
『レオニャン、ちょっと酷いにゃ。もう少し言い方が、』
『黙れぶりっ子。デカい図体してぶりっ子してんじゃねぇよ』
メイが仰向けになった。『メイは……胴長にゃ……』とか、そんなことを弱々しい声で呟いている。一部始終を眺めていたのか分からないけれど、足元にいたキィが『わん』と鳴き声をあげた。
『ついに自分が猫かどうかも分からない馬鹿が出てきたにゃ。動物病院行け』
キィは仰向けになった。『……わ……ん……』と、とてもか細い声で呟いている。三匹の猫が仰向けになっている様は、何だか異様な光景だった。
『レオの毒舌は本日も冴えてるにゃ』
足を前に投げ出して座っているスコちゃんがそう言った。
本日もスコちゃんはおじさんだ。
顔をあげれば、ここ音木町を取り囲むように連なっている山が見えた。橙に染まった山は小火が起きているように見え、宛ら燃えているようだ。僕はこの町が好きだった。どこか幻想的な、何かから取り残されたかのような音木町の町並みが、空気が、雰囲気が、僕は好きだ。
『優斗』
スコちゃんに呼ばれたので「どうしたの」と返事を寄越す。
『犬山さんと、優斗が昨日話してたこと』
「うん」
『優斗、人間があまり好きじゃない、って』
「言ったね」
『本当に、そうにゃ?』
「嫌いではないけどね。好きでもないよ」
『でも、犬山さんは特別にゃ』
「犬山さんはね」
犬山さんは特別だ。
僕と似たような立場にある犬山さん。犬と会話ができるという能力を持ちながら、犬山さんにそういった噂は走っていない。犬山さんはとても上手に、社会に溶け込んでいる。そのことが僕には羨ましかった。そんな犬山さんに僕は憧れ、いつの間にか、異性として彼女を意識していた。
それは、初恋だ。
『茜は、特別ではないにゃ?』
いきなりスコちゃんにそんなことを訊かれた。
「茜は特別だよ」
幼い頃、茜だけが僕に接する態度を変えなかった。猫と会話ができる。そんなことを訴えていた僕でも、茜の態度は普段と変わらないものだった。中学生になってから会話の数は減ったものの、高校生になってから沢山の会話を交わしている。
幼馴染の如月 茜。
そんな茜に僕はとても感謝をしていた。
『それなら、いいにゃ』
どこか満足げにスコちゃんが言った。スコちゃんはたまに茜に関することを僕に尋ねる。昨日もそうだった。こうした質問の意図は分からないけれども、そう何度も尋ねられてしまうと、恥ずかしいことに少しだけ勘違いしてしまう。
茜が僕に好意を寄せているのではないかと。そんな自惚れに等しい考えが、たまに、浮かんでしまう。
『そういえば、優斗』
スコちゃんがまたもや声をかけてきた。
「ん?」
『昨日、テレビ番組で、このネコちゃんが飼いたい特集がやってたにゃ』
仰向けになっていた三匹の猫がその言葉で躯を起こす。
『お、俺は何位にゃ。キジトラの中でも、この縞模様には自信があるにゃ!』
「それは関係ないよ、グラン」
飼いたいランキングで、個別的に選ばれる猫はいないだろう。
『ふっ、にゃっ、にゃっ』
変な笑い声をあげたのはメインクーンのメイちゃん。
『メインクーンの人気は不動にゃん。私を崇めるにゃ』
自信満々に言うメイちゃん。クリーム色の尻尾を左右にゆっくりと振っている。
『わんっ!』
キィがその鳴き声しかあげなくなってしまったことについて、キャッツは誰も触れない。僕も触れなかった。
肩に載っているマンチカンのレオが欠伸にも似た鳴き声をあげる。この話題にレオは興味がなさそうだ。
「順位はどうだったの?」
猫達が気になっているであろう、その順位をスコちゃんに訊いてみた。スコちゃんは二足で立ち上がり、僕の膝の上で堂々と宣言する。
『第一位はスコティッシュフォールド、つまり僕にゃ』
スコちゃんの宣言に面食らうキャッツ。
『にゃん……だと……』
『くっ、やはりあの折れ耳は強力にゃ……!』
『くぅーん』
誇らしそうに、人間のように二足で立つスコちゃんを前に、三匹のリアクションは様々だ。
僕の肩に乗るレオは無反応だけれども。
『このメンバーに当てはまる猫の順位を発表するにゃ。次に人気だったのは四位のマンチカン。つまりレオにゃ』
『にゃにぃ!? レオが俺を差し置いて四位だと!? くっ、人間どもめ! 見せ掛けに騙されておるにゃ!』
『人間は心ではなく外見が全て。いま、メイは悟ったにゃ。くそったれにゃ』
『ばうわう』
マンチカンが四位だという事実が気にくわないのか、三匹のリアクションはスコちゃんの時に比べて、不満が言葉から滲み出ていた。
そんな三匹の反応を鼻で笑うレオ。
『ま、妥当なところにゃ。精々、十位以内に入ってることを祈ってろ、負け猫ども』
『にゃんたる悔しさ! にゃんたる屈辱にゃ!』
『人間はいつだって流行に逆らえない生き物。短足ブームなんてくそったれにゃ』
『わんわんっ』
レオの挑発的な態度に乗せられる三匹。
見ていて和むなぁ。
スコちゃんが二足で立つことに疲れを感じたのか、人間らしい姿勢で再び僕の膝に腰をおろす。
『発表にゃ。次は八位のメインクーン、つまりメイにゃ』
『馬鹿にゃ!』
グランとキィが反論の声をあげる前に逸早く反応したメイちゃん。
『私が、私が八位……メインクーンの人気は、そこまで地に堕ちたのかにゃ……』
『おいおい、ぶりっ子ぉ』
どこか嬉しそうな青年の声で、僕の肩で腰をおろすレオは言う。
『後ろから数えた方が早いにゃ。デカイ図体しておきながら、順位はそこそこ。人間さんも、お前の体重の重さに呆れたに違いないにゃ。無様。にゃはは』
メイちゃんが仰向けに倒れた。猫が転がってお腹を見せるのは人間との信頼の証ともいうが、あれは『まいった』のポーズだろう。『……メイも……流行の一部……』みたいなことを、とても小さな声で呟いてる。
『ちょ、ちょっと待つにゃ!』
あからさまに狼狽を見せているグランが僕の膝に前足をかけて、スコちゃんに訴えかける。
『ま、まだ俺が発表されていないにゃ。き、キジトラは何位にゃ! ま、まさか。圏外にゃんてことは……』
『わん……』
不安を滲ませた声色でグランとキィが焦っていた。
『落ち着くにゃ』
スコちゃんは人間らしい姿勢のまま、少年の声で告げた。
『日本猫は十位。つまり三毛猫とキジトラは日本猫だから、キィとグランは十位にゃ』
『にゃん……だと……?』
『……わ、ん……』
絶望に陥ったとでもいうように尻尾と顔が項垂れているキィとグラン。そんな二匹を慰めようと、僕は声を掛けようとしたら、レオが快活に笑い出す。
『お前ら二匹が日本猫で統一されてることに、思わず笑ってしまったにゃ。良かったにゃあ、圏外じゃなくて。このどべ』
もはやお決まりのように、グランとキィが同時に仰向けに倒れる。
「こら、言い過ぎだよ、レオ」
『ごめんにゃ、優斗』
「謝るのは僕じゃなくて、グランとキィとメイちゃん」
『嫌にゃ』
素直だなー。
『いいにゃ、優斗』
掠れた渋い声。
震えながら、グランが躯を起こす。
『敵から情けを受けるのは一生の恥。孰れキジトラが栄光を取り戻すにゃ』
『俺はお前のことを敵とすら思ってにゃいけどな。そもそも最初からキジトラに栄光なんてないだろ、どべ』
レオの毒舌を前にグランが倒れた。
もうお馴染みのパターンと化していた。
「こら、レオ」
『ごめんにゃ、優斗』
僕に頬擦りするレオ。
だから謝るのは僕じゃないのに。溜息を吐いてから、僕は微笑む。
こうした猫との遣り取りも、猫同士の遣り取りを耳にするのも、もう十年以上は経った。当たり前のように猫と会話をしている僕は、明日も明後日も何十年先も、こうして猫と会話を交わす。
何十年も先。
そう考えると、時折、切ない気持ちになる。猫の寿命は当然ながら人間よりも短い。十年も経てば、僕の周りにいる猫は皆、寿命を迎えてしまうのだろうか。もしかしたら明日、車に轢かれて死んでしまうかもしれない。僕も、猫も。
夕陽に染められた公園を見渡す。
とても、切ない。
そうして顔をあげていた僕の視界に、人影が映る。
視線を、感じた。公園の出入り口に立つその人影は小走りで僕が座るベンチに駆け寄ってきた。
「キィ!」
その声には聞き覚えがある。夕陽に染められた江ノ比高等学校の制服。
クラスメイトの山本さんだ。山本さんは息を切らしながら、僕と猫が占領しているベンチを睨む。
『修羅場にゃ』
スコちゃんが少年の声で言う。
『ユウニャン、他の女にも手を出していたのかにゃ。メイ、目眩がするにゃ』
メイちゃんがふらふらと躯を揺らしてから、また倒れた。
『キジトラ……栄光……キジトラ……』
グランは相変わらず落ち込んでいる様子。
『何か、嫌な空気にゃ』
僕の肩に乗るレオは、耳元で囁くように言った。
『くぅーん』
僕の足元にいるキィは、何やら困った様子だ。山本さんは息を切らしながら僕を睨む。学校で見た時と何ら変わりのない敵意にも似た感情をその瞳に宿す山本さん。
僕達は再び対峙していた。
「あんた、私が言ったことを覚えてないの?」
「覚えてるよ」
忘れてはいない。
キィに近寄らないで、と、目の前にいるクラスメイトは僕に言った。
「山本さん、覚えてる?」
「何を」
「山本さんの話を受け容れるつもりはない。僕は、そう言ったんだ」
不穏な空気が二人の間に流れる。『修羅場にゃ』『女は怖いにゃん』『キジ……トラ……』『面倒な女にゃ』と猫が鳴き声をあげたため、山本さんがちょっと驚く。
「あんたなに。野良猫に餌付けでもしてんの?」
「法律に触れることは基本しないよ。みんな飼い猫。僕の膝に座ってるのは、ほら、茜の家族だよ」
「如月さんの? ──あ、折れ耳。うそ、スコティッシュフォールド飼ってるんだ」
少しばかり目を輝かせて「可愛い」という山本さんは、不意に僕の視線に気付いてから、わざとらしい咳払いをした。
そんな山本さんに構わず僕は紹介を続ける。
「こっちは長谷部さんが飼ってるキジトラのグラン。近所の鈴木さんが飼ってるメインクーンのメイちゃんと、僕の肩に載ってるのはマンチカンのレオ」
「委員長も飼ってたんだ。それよりもメインクーンとマンチカン、実際に目の前で見るのは初めてかも」
『スコの野郎と俺の扱いの差が酷いにゃ』
渋い声で不満を洩らすグラン。最近、レオよりもネガティブな気がする。
「メインクーンって実際に見たら大きい。マンチカンはやっぱり短足なんだ。へぇ、かわ、」
またもや僕の視線を気にしてか、素直な気持ちを取り消す山本さん。その反応は少しばかり恥ずかしがっているようにも見えた。
「そ、そんなことはどうでもいいの。はっ、猫に沢山囲まれて自分の嘘をみんなに認めてもらいたいわけ? 猫と意志疎通ができるからこんなに集まってるんだって証明したいんでしょ。馬鹿みたい」
『にゃんだ急に。嫌な女にゃ』
『ユウニャン、メイはこの女はおすすめしないにゃ。この女を選ぶくらいならメイを、』
『そうだぜ、優斗。キジトラを蔑ろにする奴は総じて悪い人間にゃ』
『にゃーにゃーにゃーにゃー、うるさいにゃ』
「うわっ」
猫が一斉に鳴き始めたので、山本さんが再び驚いた。僕に悪態をついた直後に、猫に鳴き声をあげられているのだから、驚くのも無理はない。山本さんは目を見開いて、ベンチに座る僕を見下ろす。
「……何か、あんたを擁護するように猫たちが鳴き出したんだけど。偶然よね、うん」
山本さんが一人納得したところで、その場に屈み、僕の足元にいるキィを手招きする。
「キィ、おいで。帰るよ。こんな奴に近付いちゃ駄目なんだから」
その言葉に再び鳴き出す猫四匹。
山本さんがまたもや驚き、呆然とする。
「……こうしてみてると、あんたって本当に──いや、何でもない」
馬鹿馬鹿しい、有り得ないと呟いてから、山本さんは再びキィを手招きした。
僕もキィを促す。
「ほら、呼んでるよ」
『わん』
鳴き声を一度あげたキィが山本さんに駆け寄り、その胸に飛び込む。キィを両腕に収めてから立ち上がり、僕を睨む山本さん。
「不自然よね、本当に。何でそんなに沢山の猫がなついているのか。あんた、やっぱり餌付け、」
「してないよ」
いまのままでは何を言っても、信用してもらうことは無理に等しいだろう。山本さんが踵を返す前に僕は、話題を切り出そうとしたけれども、その前に山本さんが僅かに視線をさげ、
「ほほ」
「ん?」
「まだ、痛いの」
「そんなことないよ」
「……ごめん」
山本さんが「やり過ぎた」と、か細い声で呟いた。風に掻き消されても仕方のない、とても小さな声。それでも僕にはちゃんと届いていた。
「気にしなくていいよ」
僕は山本さんに言う。
そうしたら、山本さんが自嘲気味に笑った。
「最初から、気にしてなんかない。この法螺吹き」
そんな言葉を言い残してから、山本さんが踵を返した途端に僕は彼女の背中に向かって呼び掛ける。
「山本さん」
「……なに?」
振り向いた山本さん。腕の中に収まったキィを大切に抱えながら、山本さんは僕と向き合う。
「山本さんは、最近、不機嫌だ」
「……それが?」
「どうして、不機嫌なのかな」
今日の昼休み、山本さんとの騒動が終わってから長谷部さんに言われたこと。山本さんがいまの自分を変えない限り、いまの山本さんを受け容れてくれる人はいない。
山本さんはいま孤独と化している。山本さんが不機嫌なのは、キィの言っていた家庭の事情というものだろう。
「あんたに、関係ないでしょ」
不機嫌な口調で言葉を返す山本さん。
「そうだね。でも、山本さんが不機嫌だと、」
キィを見て。
僕は言う。
「キィが、悲しむよ」
「…………」
山本さんが口を噤む。
この沈黙が何を意味するのか。考えてみても答えは見付からない。やがて山本さんはまた、得意の自嘲的な笑みを意図的に浮かべる。
「……やっぱり嘘つきね、桐山 優斗は。猫と会話ができるなら、そのくらい知ってるでしょ」
「家庭の、事情かな」
「適当なこと言わないでよ、法螺吹き」
山本さんが再び踵を返す。僕はもう彼女を呼び止めるような真似はしなかった。キィの言っていたことをそのまま伝えたつもりだったが、適当なこと、と山本さんは言う。
些細な齟齬。それに対する解答を得られないまま、それでも日は静かに沈む。
「僕達も、帰ろっか」
それぞれの家族を心配させないためにも、日が暮れない内に。
僕と猫達も、帰宅するとしよう。
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