第3話


「優斗。高校の方はどうなの。うまくやってる?」

「それなりにね」

「勉強の方はどうなの」

「先生の教え方が凄い丁寧で、分かりやすいよ。多分、問題ない」

「彼女はできた?」

「まだ」

「さっさと一人や二人、作っちゃいなさいよ」

「二人は駄目でしょ」

 居間で母さんと他愛ない会話を交わしながら、家族三人食事のテーブルについていた。

「優斗、顔立ちは可愛いんだから」

「親補正が入ってるよ、それ」

「性格はひねくれてるけど」

「一言余計」

「それでも私達の息子なんだから女の子の一人や二人、ねぇ、お父さん」

「駄目だよ、母さん。優斗は誠実な子だ」

 俺の息子だからな、と口にしてからお茶を飲む父さんに母さんが「最近ホステスに行ったくせに」と聞こえるように呟いた。

 そこで噎せる父さん。

「だからあれは上司の付き合いだと何度も言っただろう!」

「こういう大人になっては駄目よ、優斗」

「母さん! 私が愛しているのは母さんだけだ!」

「なんて安っぽい言葉。でも、そんな安っぽい言葉でも、少しだけときめいてしまうのは何故かしら」

「母さん……!」

「ごちそうさまでした」

 とても付き合ってられない。

 食器を片付けてから直ぐに、二階にある自分の部屋へと足を運ぶ。部屋の扉を開ける。窓から月の光が射し込む室内、暗闇の中で煌めく金色の瞳が僕を見据えていた。電気を点ければ、窓辺に黒猫が一匹。

 名前はクロ。

 桐山家の一員、桐山クロだ。

『一階が騒がしい』

 鳴き声をあげたクロ。猫の中でもクロとの付き合いが一番長い。

 僕にとってクロは掛け替えのない家族だ。

「母さんたちが、またコントを始めたんだよ」

『夫婦の仲が睦まじいのは良いことだ』

「そうかも。でも、息子の前であれはやめてほしいかな。少し恥ずかしい」

『ユウ』

「ん?」

『こっち』

 クロが手招きする。窓際に置かれたベットに両の膝をつき、クロに身を寄せた。

『ほら、星が綺麗』

「本当だ。相変わらず星が沢山出てる」

『田舎だから』

「そうだね」

『でも、ここは良いところだ』

「うん」

『ユウ』

「ん?」

『ありがとう』

「何だよ急に」

『ユウには、とても感謝してる。ユウがいなければ、私は、此処にいなかった』

「…………」

『だから、ありがとう、ユウ』

「ありがとうは、僕の方だよ、クロ。クロがいたから、僕は、辛いことも耐えられた」

『…………』

「僕は一人じゃない。それを教えてくれたのは、クロ、お前なんだ。だから、ありがとう、クロ」

『やめろ、照れるにゃ』

「先に言い出したのはクロだろ」

『そうだったな。にゃあ、ユウ』

「どうした」

『星が、綺麗にゃ』

「そうだね。とても、綺麗だ」

 クロと共に、二階の窓から夜空を眺めた。無数に浮かぶ星。

 昔、人間は死んだら何になるのかという僕の疑問に、誰かがお星様になると答えた。猫も死んだらお星様になるのだろうか、と、幼少ながらに変な疑問を持ち続けていた僕。

 一年で、約十万匹以上の猫が死ぬ。

 窓から見える星は確かに綺麗だ。

 でも、それはどこか切なくて。

 少しだけ、悲しかった。


 幼い頃、猫と会話ができる自分は特別なのだと思っていた。

 猫の声は僕にしか聞こえない。自分にしか持ち得ないその特別な力に、僕は優越感に浸っていた。僕にしかできないことをみんなに証明し、桐山 優斗は特別であることを、僕は認めてほしかったんだ。

 子供だった僕は周囲の視線というものを気にしなかった。いまになってそれがどれだけ愚かなことかが分かる。猫と会話ができる特別な力。それは嘘ではないのに、嘘だと断言されては、僕は皆に距離をとられた。現実は自分の想像通りにはいかない。そんな当たり前のことを僕は知った。

 それでも僕は、皆に距離をとられても猫と会話をしていた。もしかしたらその行為は一種の現実逃避かもしれない。人目を憚らず猫と会話することが、避けられている原因の一つには違いなかった。でも猫と喋ることをやめるなんて無理だ。僕にとってそれは人間と会話をするな、と言われているようなもの。

 人には価値観というものがある。僕にとって人間と猫の立場は平等だった。だから僕は誰かに命令をされたとしても、決して猫からは距離をとらない。例え人間から距離をとられたとしても、猫に接する態度は変わらない。

 だから。

「……いま、なんて言った?」

「ごめん、山本さん」

 山本さんを前にしても、僕は自分の意志を曲げない。

「キィに近寄るなって話、僕には無理だよ」

 1─Aの教室。

 昼食時、僕と茜と長谷部さんの三人で昼食を摂っていた頃にまたもや山本さんに釘を刺された僕。

 うちの猫に近寄らないでほしい。

 それは昨日と似たような光景だ。

 けれども、山本さんの不機嫌さはいつにも増して露骨で、いつも以上に酷かった。それは僕に接する態度だけではなく、山本さんに喋りかけた人間全員にあてられた、怒りに近い感情。

 いま、その怒りの矛先は僕に向けられていた。

「何をいまさら反抗するわけ? キィは私の家族よ。あんたとは無関係だわ」

「そうかもしれない」

「そうかもしれない、じゃない。実際にそうなの。キィとあんたは無関係よ。なのに、あんたいま何て言った? 僕には無理? 馬鹿じゃないの」

 僕が使用している机に両の掌をつけた山本さん。その山本さんの怒声はクラスメイト、若しくは他の同級生、上級生の視線を集めていた。

 茜や長谷部さんが「落ち着いて」と宥めるように言っても、山本さんは「黙って」と言う。

 僕を睨む山本さん。

「あんたに断る権利なんてない。この法螺吹き。私の猫に近寄るな」

「ごめん。何度でも言うけど」

 僕は山本さんから、視線を逸らさない。

「キィに近寄るなって話を、僕は受け容れられない」

 そう告げた直後、頬に痛みが走った。茜が一秒にも満たない小さな悲鳴をあげる。委員長の長谷部さんが山本さんに怒鳴った。

 山本さんに平手打ちをされた。だが、その程度の痛みで、僕は彼女から視線を逸らすつもりはない。山本さんは僅かに呼吸のリズムを乱し、少しだけ肩が震えていた。

「あんた、何様のつもり! キィと友達? 家族なの? 妄想を現実に持ち込むな!」

「山本さん、やめて!」

 茜が立ち上がる。茜が何か行動を起こす前に僕は制止の意を込めて声をかけた。

「いいよ、茜。大丈夫だから」

「でも」

「大丈夫。山本さんは悪くない」

 この場合、明らかに非があるのは僕の方だ。自分の家族を、変な噂が纏わりつく男に近寄らせたくないと山本さんは言っているだけ。

 でも僕はキィとの繋がりを、誰にも否定させるつもりはない。例え家族の山本さんを前にしてもだ。とても身勝手な言い分だということは充分に承知している。だから、僕には謝ることしかできない。

「ごめん、山本さん」

「あんたねぇ……!」

 山本さんが手を振り上げた時、廊下から先生の声が聞こえた。おそらく騒ぎを聞き付けたのだろう。山本さんは、いつの間にか自分が周囲の視線を集めていたことに気付かなかったようだ。

 周囲を見回してから僕に一瞥を寄越す山本さん。辺りを気にしてか何も言葉を発することはない。でも、山本さんは不機嫌だった。態度を隠すつもりはないらしい。

 これ以上の言い合いは不毛だと察したのか、辺りの視線に構わず山本さんは自分の席に戻った。茜と長谷部さんが僕を見遣る。その視線に向け「大丈夫だよ」と答えた。

 辺りが僕達に目を向けなくなった頃、茜と長谷部さんには経緯を話すことにした。山本さんが不機嫌なのは、家庭の事情だということを。そして、山本さんの態度に勘違いしている人にも、そのことを教えてあげてほしいと僕は二人にお願いした。

「分かったわ。でも」

 長谷部さんは言う。

「山本さんがいまの自分を変えない限り、いまの山本さんを受け容れてくれる人は多分、いないと思う」

 長谷部さんが山本さんに視線を移し、そう言葉にした。山本さんは昨日と同じで変わらず一人だ。山本さんの不機嫌な態度を察した友人たちは、いまは距離をとることが賢明だと判断したのだろう。

 山本さんに喋りかける人を、僕は今日、あまり目にしていない。

 不意に、横から袖を引っ張られる感触。

「優斗」

 僕の袖を摘まむように持ち、引っ張っていたのは茜だ。

「ん?」

「頬、赤く腫れてる。保健室行こ」

「大丈夫だよ」

 茜に微笑む。

 頬に痛みはない。それにあれはキィを大切にしている山本さんの思いが、行為に出ただけだ。

『ゆーと』

 キィの言葉が蘇る。

『ゆっきーのこと、嫌いにならないでほしいわん』

 嫌いにならないよ、キィ。嫌いになる筈がない。君のことを家族だと、山本さんは言ったんだ。君のことを大切にしている。あの遣り取りだけでもそれが充分に伝わった。そんな人のことを、僕が嫌いになるわけがない。

 それにしても、と、思い出し笑いを堪える。

 やはりあの語尾は、似合わないよ、キィ。




 

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