操縦

 フィルムを回す。


 男が頭を抱えてペンを止める。


 少年が夢を見る。

 

 廊下を歩く。



 色彩の渦――




 教師が考え事をしていた。

 人気のない廊下を歩きながら、一人職員室へと向かう。

 そろそろ試験の問題を作らなくては。初老に入ろうかという男性教師は、頭の中で問題用紙を作り上げる。大問一つにつき何問出題するか、配点はそれぞれどのくらいか……といったことまで彼には容易に想像できた。必ず出題しなければならない基本的な問題 から、勉強をしているか確認する為の――ざっくり言ってしまえば、平均を上げない為の――応用問題まで、彼の中には浮かび上がる。が……試験とは関係のないあれこれ――例えばクラスについて、例えば職員内の問題について、例えば家庭についてのことまで――彼が悩んでいる事が次々と浮かんでは、消えた。そうして音楽室を通り過ぎたところで、彼はふと足を止めた。


「……」

 どうしてか、中に入ろうという考えが浮かんだ。今までと同じように、その思考は彼の脳内で広がり、そして今までと違って消えずに留まる。

 教師は、ピアノを弾くのが趣味だった。どんな時でも、それを弾く事でリラックスでき、嫌なことも全て忘れられる。たまに、音楽室の鍵がかかっていないか確認するついでにこっそりと、まるで悪戯をする子供のようにぽろんと鍵盤を叩いたり、一曲弾いたりするのだった。

 リヒナーの『ジプシーの踊り』が頭の中で流れ出した。彼が初めてのピアノの発表会で弾いた曲だ。教師はドアノブへと手を伸ばした――鍵はかかっていない。頭の中で、曲はだんだんと速くなっていく。そのまま、吸い寄せられるように、彼は中へと入っていった。

 廊下よりも静まり返った、無人の教室。壁にかかった有名な音楽家の人物画には見向きもせず……彼らを有名にした楽器へと、教師は一直線に向かう。部活の顧問である彼は、ピアノの鍵を持っていた。だが、裏ポケットに伸ばしかけた手をはたと止める。

 何か――奇妙な感覚が教師を襲った。それはあまりにも唐突で、馬鹿馬鹿しいものではあったが……。寒気が走る。


 なぜ、自分はここにいるのだろう、と……。確かに私は自分の足でここまで来た。ピアノを弾く為に……。だが、自分の『意思』で、ここまで来ただろうか? 今まで試験について、クラスについて考えていたのに、そちらの方がよほど重要なのに、一体どうしてピアノの事が頭に浮かんだのだろう。それは、音楽室を通り過ぎたからというだけの理由では、決してない……ピアノが好きだからという理由からだけでもない……まるで、何かに操られたかのような……。いや、そんなことよりも私がしなくてはならないのは、職員室に戻って試け


 腹部に激痛が走った。初め、何が起こったのか分からなかったが、どうやら刃物で刺されたらしいことに気づいた時には、もう教師はうつ伏せに倒れていた。運命さだめ――なぜか、そんな言葉が脳裏をよぎる。勢いよく凶器は抜かれ、再び、今度は正確に心臓を貫いた。教師は、相手を確認することなどできるはずもなく、絶命した。混乱しながら、色彩の渦の中――




 担任の絶叫は、うるさかったが耳障りではなかった。むしろ心地よい。彼にとっての音楽であった。少年は新品のバタフライナイフを再び引き抜いた。血は拭わない。

 少年は、ゲームが好きだった。バーチャル世界の中で、人は誰しも殺人鬼になれる。当たり前のように、無心で、人を殺める事ができるし、勿論罪にも問われない。だが現実は違う。ルールが存在し、それに従わなければならない。ゲーム内にもルールはあるといえばあるのだが、そんなものは少しイジってしまえば簡単にないものにできる。少年は退屈していた。味気ない、この世の中にうんざりしていた。あの敵を追うときの緊張感、強い武器を使用するときの優越感、『こちら』では感じることのできないものだ。いつもいつも、液晶画面と向かい合い、ゲームの腕は上がり成績は下がる一方だった。

 少年はゲームを取り上げられた。

 唯一の自分の得意なものを奪われて、自分の居場所を追い出されて、彼は、いよいよ我慢ならなくなった。次の試験で平均点以下ならば、ゲームは返ってこない――なら、試験そのものが、、、、、、、、なくなってしまえばいいのだ。少年を心配していつも声を掛ける担任は、彼にとって邪魔者以外の何物でもなかった。

「テスト頑張ろうな」。何も分かっていない担任に腹が立った。そうして、彼はゲームと同じ、あの感覚を味わおうと――。

 凶器をしまおうともせずに少年は音楽室を後にして廊下を歩く。先ほどは、担任の後をついて行っていた。教師は考え事に没頭している様子で、全く少年には気づいていなかった。少年は微笑して、だがそれは一瞬で消える。

 何か――奇妙な感覚が少年を襲った。それはあまりにも唐突で、馬鹿馬鹿しいものではあったが……。寒気が走る。


 なぜ、これほどまでに上手くいったのだろう、と……。確かにオレは計画を立てて教師を殺した。試験をしたくないが為に……だが、自分の『予想通り』だっただろうか? 担任が人気のない廊下を歩いているときに殺害しようとは思った。だが音楽室に入るなどということまでは考えてはいなかった。それは確かにオレにとってはラッキーだった。防音設備の完璧な我が校自慢の部屋だ。そこでどんなに大声を出そうと、気付かれることはない。それに、ゲーム以外何をするにも躊躇ばかりしてしまうのに、どうして躊躇わずに人を殺せただろう。まるで、何かにとりつ憑かれたかのような……。いや、そんな事よりもオレはこの快感を味わ


「あっ」

 小さな声がして、そちらの方を見れば、クラスメイトの女子生徒が怯えた顔をして後退あとずさりをしていた。だが少年には逃がす気はなかった。

 倒れた少女の身体を見下ろし、壁に反響して耳に余韻を残している悲鳴を何度もリピートさせながら、少年は笑った。声を上げて――もう何もかもどうでもよくなった。誰に見つかろうと、自分がどうなろうと。目まぐるしく周囲が回転する……色彩の渦の中――




 少年は飛び起きて汗を拭った。

 自分がベッドに寝ていることに気付いて、溜め息をつく。夢だったようだ。

 最近、このような夢を見る事が多かった。今度控えている受験のせいだろうか。それとも――嫌な考えが頭をよぎる。

 悪意をもった誰かが見せているのでないのだから、これは、自分の本性なのではなかろうか。殺人鬼となって人を殺めるという魅惑的な犯罪を、不思議な快楽を、体験したいという思いが夢となって直接自分自身に訴えかけているのだろうか。自分で封印した多くのゲームたちには、ここ数ヶ月触れていない……。


 その時突然、少年の部屋が音もなくガラガラと崩れはじめた。天井も、壁も、床も、崩壊する。少年の思考も崩れていく。全てが、消えていく。色彩の渦の中――




 作家が紙を丸めて、床に放った。有り得ない。今のは、夢オチじゃあないか……そんなの、どこの時代の誰が喜ぶというんだ。

 今年中に一作仕上げるなどと、無茶なことを言うんじゃなかった。頭を抱え、ペン先を咥える。

 この先、少年をどう動かしていけばいい……少女を殺害し、逃亡するか? いや、それは有り得ない……今度は自分のクラスに行って殺人を犯すか? そうだ、その方がいいに決まっている。

 新しい原稿用紙にペン先がつくかつかないかの所で、彼はぴたりと手を止めた。

 自分は、一体何が書きたいんだろうか……。そもそも自分はこのような人殺しだとか現代っ子の悩みだとかそういうものはうまく書けたためしがないのに。そもそも少年がゲームが好きで、殺人を実行してしまうという筋書きから考え直したほうがいいような気がする。こんなのは、あまりにも安直なアイデアだ。もしかすると、誰かが自分の頭をのっとって、こんなヘンテコリンな物語を書いているのではないか……。いや、そんな事よりも自分は続きを書か


 色彩の渦――




 映画監督が映像を止めて立ち上がった。

 その傍らで、一緒に映画のワンシーンを視聴していた青年は、首を傾げた。よくこんなものが映画化できたな……夢オチよりもひどい……殺人の云々の話ではあるものの、全ては作家のペンによって書かれる、それこそフィクションだ。真面目な話なのかふざけた話なのか分からない。

 いや、しかし――ふと青年はある考えに辿り着く。寒気が走る。

 嘘の世界の登場人物たちは、それぞれ意思を持っていて、それでいて自分のいる世界こそが正しいと思い込んでいた……。俺がいるこの場は現実などではなく、虚実であり偽物であり、どこかに本物がいるのではないか。そうして時にはクシャッと丸めてなかったことにされてしまうのでは……。今俺も誰かに操縦されているのではなかろうか。だとすれば――。

 気が付けば監督が青年の肩を叩いていた。


「考え事かい、新人」

「あ、すみません」

「いやいや、君は本当に困った奴だな。またどうせくだらんことをだらだら真面目に悩んでいたんだろう。君のその癖はなんとかしなくちゃいけないな」

 自分が困った癖の持ち主であるという『設定』を誰かに持たされているのだとしたら……。そこで青年は、頭を振った。

 そんなの、出来過ぎている。

 俺は俺だ。自分の意思を持っている。そんなこと、ありえない。そうして青年は、持ち場に戻った。



 色彩の渦――

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