「深浦。俺、そろそろ帰るね」


 昭久と深浦の二人が一緒にいたところでお世辞にも会話が弾むとはいえない。だけど、昭久は深浦といるだけでどこかくすぐったいような、なんとも言えない幸せな気持ちになる。


 本当はもう少し深浦と一緒にいたかったが、今日のところは最後に深浦の嬉しそうな顔を見られただけで昭久は満足だった。


(それに深浦も早く女の子の服を着替えてしまいたいだろうし)


「あ、あの……新田くん、ちょっと待って」


 そのまま帰ろうとする昭久を深浦が引き留めた。

 どうかしたのかと立ち止まる昭久をよそに、深浦がバッグの中から何やら細長いケースを取り出した。


「深浦?」

「ごめん。新田くんが帰る前に……最後にちゃんと顔が見たくて」


 細長いケースの中に入っていたのはいつもの野暮ったいデザインの眼鏡で、今の深浦の格好には全くといっていいほど似合っていない。


「え? 深浦、コンタクトしてたんじゃなかったのか?」

「うん。最初はコンタクトレンズをしてたんだけど、どうしても目が痛くなっちゃって。途中で外したんだ」


 いつもの眼鏡をかけて深浦が微笑む。


「それならそうと言えばいいのに。見えなくて大変だっただろ? ごめんな」

「大丈夫。それに、眼鏡がない方がいいって前に新田くんが言ってくれたし」

「深浦」

「あっ、変な意味じゃなくてね、僕もそう言われてちょっと嬉しかったというか」


 わたわたと慌てて言う深浦は、すっかり日が暮れてしまった所でもわかるくらい顔が赤くなっている。

 そんな深浦は野暮ったい眼鏡をかけていてもとても可愛くて、気がつくと昭久は深浦のことをぎゅっと抱きしめていた。


「にっ、新田くん!?」


 突然のことに昭久の腕の中で硬くなる体は、確かに昭久と同じ男のものだ。

 だがそんなことなど問題ないくらいに深浦のことが愛しい。

 はっきりとそう思った昭久は、深浦から体を離すと真っ赤になっている目の前の顔を見つめた。

 どうしたらいいのかわからないのだろう、深浦はぎゅっと目を閉じている。


「深浦。目を瞑ってたら俺の顔、見えないよ」


 昭久はわざと顔を近づけて囁いた。

 鼻先が触れそうな距離に、深浦の顔がますます赤くなる。


「そっ……そ、そんな無理っ!」

「深浦、先に謝っておくね。ごめん」

「――――へ?」


 ふいに昭久から謝られ、一体何のことだろうと深浦が薄目を開けた。


「えっ、新田くん!?」

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