「深浦、大丈夫?」

「ごめん……目が、痛くて」

「は?」

「コンタクト。初めてでちょっと痛かったんだけど、新田くんと今日デートするために頑張ったんだ。だけどやっぱり痛くて……ごめんね、かえって迷惑かけちゃった」

「いや、別に迷惑とか思ってな……」

「――――――最低」


 隣の席から明らかに敵意のこもった声が聞こえた。

 昭久にだけ聞こえるように呟いた声の主は、隣のテーブルを拭いているアルバイトの女の子。

 どうやら深浦の言った「初めて」とか「痛かったけど新田とデートするために頑張った」とかいう言葉から彼女は大きな思い違いをしたようだ。


「新田くん?」


 見ず知らずのアルバイトの子とはいえ、女の子から敵意を向けられたことなど昭久は生まれてこのかた一度もない。

 昭久はアルバイトの彼女がテーブルを拭きながらこちらの様子を窺っているのを確認すると、涙の止まらない深浦の手を取った。


「深浦、お前が今日のためにすごく頑張ってるのはわかってるから。泣くほど痛かったのに、ほんとごめん。それに、俺やっぱり深浦をひとりにしておくのは心配だ。だからこれからは俺が深浦のことを守るから」

「新田くん……」

「俺、中高とちょっとヤンチャしてて、こう見えても強いから。だから安心して」

「…………うん」


 昭久に握られた手を見ながら、深浦が嬉しそうに頷く。


(これでどうだ?)


 昭久が隣のテーブルをちらりと見た。

 周りの声が気になるのもあるが、今深浦へ言ったことは昭久の本心だ。

 深浦が今日のために女装までしてくれた(頑張ってコンタクトレンズまで)こともだし、深浦がひとりでふらふらしているのは色んな意味ですごく危険だ。


 アルバイトの彼女は深浦のことを気のどくそうに見やり、そして昭久のことを睨みつけると、その場から離れた。

 昭久の肩から力が抜ける。


(あー、もう。なんだこれ、俺、なにやってんだ)

 

「新田くん」

「うん?」

「あの……手」

「あ、ごめん。つい握っちゃった。ごめんな」


 そう言って手を離す昭久に、深浦が首を横に振る。


「ううん。さっき男の人に絡まれてた時に、新田くんが僕のことを俺のだって言ってくれた時も嬉しかったけど、今も守るって言ってくれてすごく嬉しい」

「深浦」


 昭久が深浦の目元に溜まっている涙を親指でそっと拭った。

 男にしては小さめのぷるんとした深浦の唇が昭久の目に留まる。


「深浦……」


 深浦は男だ。そして昭久は女の子が大好きだ。

 だから目の前にある深浦のピンク色の唇に触れたいと思ってしまうのも、それが薄く開いているのが昭久のことを誘っているように見えてしまうのも気のせいだ。


「新田くん」


 違う、これは気の迷いなのだと心の中でわかってはいても体は正直で、昭久は深浦の唇に吸い寄せられるように顔を近づけた。


「これが友情なんだね」

「ん?」


 昭久の動きが止まる。 閉じた目を開くと、至近距離に涙目のまま嬉しそうに微笑む深浦の顔があった。


「僕、今まで親しい友達とかいなかったから、新田くんにそうやって思ってもらえてすごく嬉しい」

「………………」

「新田くん、どうかした? コンタクトがちょっとずれちゃったみたいだけと、そんなに近づかなくてもちゃんと見えるよ?」


 大丈夫だよ。と、首を傾げる深浦。

 邪気のない無垢な笑顔を向けられて、昭久の全身から力が抜けた。


「どうしたの、大丈夫?」


 テーブルに突っ伏す昭久のことを深浦が心配そうに覗き込む。


「…………大丈夫」


 昭久は何となくわかった。どうして、今まで深浦が無事でいたのかが。

 あんな何も疑っていない無垢な目で見つめられたら、よほどの悪党でないかぎり、心の中に良心の欠片でも残っている人間ならおいそれと深浦に手出しはできないだろう。


「新田くん?」

「俺……今、ちょっと自分の心の声を聞いてるところ」


 深浦が男だとわかっていながらうっかり手を出しそうになったこと。そして深浦からの友達宣言に思った以上にダメージを受けている自分。


 何となく深浦の顔を見ることができない。

 なのに、深浦から心配されると嬉しくて。


 昭久は歴代の彼女らの顔を思い出しながら、女の子大好きなはずの自分が一体どうしてしまったのかと、ぐるぐると自問自答を繰り返した。

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