第2話 最短無血

 訓練場を一人の男が訪れた。

 歳の頃なら三十前後、黒を基調とした帝国軍騎士団の制服に身を包んでいる。


「クロード! サイオウ・クロードはいるか!」


 騎士の登場に気付いた訓練生たちが何事かと静まり返っていたのもあり、呼ばわる声は訓練場の隅々にまで届いたことだろう。当然、サイオウにも。


「ここだ、ここにいる」


 訓練場の片隅、標的用として丸太に着せた甲冑に向けて剣を構えていたサイオウは、構えを崩さなまいままぶっきらぼうに応えた。眼光鋭く標的の甲冑を見据えていた目元にチラリと不快を現す感情が浮かぶ。そのまま読み取れば「いいところで邪魔をするなよ」とでも考えていそうな表情だ。

 サイオウの声はけして大きなものではなかったのが、不思議と良く通り騎士の耳にも届いていた。「そこか」と呟きサイオウへと歩み寄る騎士を避けるように訓練生が道をあける。彼らの顔には畏怖と疑念が浮かんでいた。

 騎士は帝国軍内の上級職だ。そしてサイオウは一般兵の、それも平兵士。本来であれば呼ばれたサイオウこそが騎士のもとに馳せ参じるべきであるのに、サイオウは動かず、当の騎士は気にした様子も無く歩みを進めている。これはいったいどうしたことなのかと、見る者に目を疑わせる光景なのである。


「相変わらずだな」


 構えを崩さず、視線さえも動かそうとしないサイオウの傍らに立ち、騎士は声をかけた。声に平兵士の無礼を咎める色は無く、それどころかいくらかの笑みを含んでさえいた。ここに至り、ようやくサイオウは構えを解いた。溜め息交じりに。


「悪いなサントス。今日は夜勤だ。飲みには行けないぜ」


 ようやく正面から騎士に向き合い、サイオウは言う。騎士――サントスに向ける視線に先ほどまでの鋭さはなく、古い友人に向ける気安さに満ちていた。こうなるとそこそこに整った顔立ちと相まってなかなかに魅力的となる。


「今日は誘いに来たわけじゃない。別の用件だ」


 騎士サントスは苦笑交じりに答える。先ほどのサイオウの言もまた一般兵が騎士に対するに相応しい言葉づかいではあり得ないのだが、それは全く気にしていなかった。


 騎士サントス・リューマとサイオウは旧知の間柄だ。歳は同じ、帝国軍では同期、そして同じ時期に訓練場に通っていた。共に酒好きという共通点があり、その当時から親しくしていた。付き合いは四年目でサントスがトーナメント優勝をもって騎士に抜擢された後も続いており、以後も折を見ては街の酒場に繰り出す仲なのである。

 故に一般兵と騎士という身分の違いは二人の間では問題にならないのだった。


「別のと言うと、騎士団絡みか」


 サントスが纏う騎士団の制服を一瞥してサイオウが問う。


「そうだ」


 一つ頷いたサントスはポケットから一枚の金属プレートを取り出してサイオウに渡した。


「お前の入団が正式に決まった。二週間後だ」

「ふん……あまり気は進まんのだが」

「なに? 気がすすまないだと?」


 予想外の反応にサントスは目を剥いた。

 騎士である。帝国軍内では上級職だ。一般兵のサイオウにとっては昇進であり栄達である。入団決定の報せを聞いて小躍りして喜べとまでは言わないが、だからと言って難色を示すのはどうしたことなのか。自身が騎士であるサントスにとっては理解のできない反応であった。

 そしてサイオウが述べた「気が進まない」理由を聞き、唖然とさせられる。


「騎士になったらここに来る時間が減ってしまうからなあ……」

「お……おいおい、トーナメントの優勝者が何を言っているんだ? しかも最短と無血のおまけ付きだぞ? 実際俺は遅すぎたと思っている。本当なら俺よりも先に騎士になれる腕前だったのに、トーナメントにも参加せずに訓練三昧。今やお前の腕前は騎士団でもトップクラスだろうに。この上訓練してどうしようと言うんだ」

「トーナメントに参加したのは、まあ腕試しみたいなものだ。剣術の訓練に一区切りつける意味で十四年間の成果を試してみた」


 そうして一週間前、サイオウは訓練場のトーナメントに優勝した。

 しかしただ優勝したのではない。初戦から決勝戦まで全ての試合において、ただの一合も打ち合わず、また相手に一切の怪我を負わせないという最短無血の記録付きだ。生半可な実力差で達成するのは不可能な偉業である。

 現役の騎士がトーナメントに紛れ込んで同じことが出来るかとなれば、これは難しいと言わざるを得ない。だから、やってのけたサイオウならば騎士団でもトップクラスであろうとのサントスの言は大袈裟でもなんでもなかった。

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