第十一話
醍醐の花見が催された年の夏、床に伏せった秀吉が衰弱し、ついに身罷った。
百姓の子として産まれ、雑兵からやがて織田信長に召しかかえられ、信長横死によって、自らが天下人となった波乱万丈の人生だった。
秀吉の死は当面、伏せられ、水面下で多くの人々が動き、大坂城や武将たちの間では、落ち着かぬ夏であった。
さんざん、参議が開かれ、亡き秀吉が秀頼後見を頼まれていた家康が実質、政治の実権を握ることとなった。
秀頼、まだ五歳。
母親の淀どのと共に、まだ大坂城にある。
その年の晩秋、京の嵯峨野の小さな庵に、訪ね人があった。
慶春尼(けいしゅんに)は、深い赤、黄色、茶色の落ち葉を踏みしめ、供の尼と男の子を連れて、出かけようとしていた。
そこへ、大柄な武者が柴垣の向こうに待ち受けていた。
「おお、これは」
慶春尼(けいしゅんに)は、日傘の下で、やや、シワのある優しい目元をほころばせた。
「伊織どの、久しゅうございますな」
「慶春尼(けいしゅんに)さまも、ご健勝なご様子で何より」
落ち葉の上に、くくり袴のまま、跪いた。
「ほんにますます、父上様に似てこられましたなあ。血は争えぬもの」
尼は 年輪を着た笑顔をくゆらせる。決して贅沢な衣ではないが、清々しいなりをしている。
「お預かりしたお子も、ほれ、このように大きゅうなりましたぞ」
供の尼の後ろで恥ずかしがっていた男の子が 顔をのぞかせる。
ナギサの赤ん坊とすり替えた、天下人の跡継ぎになるはずだった、本物の秀頼である。
「赤ん坊の時は弱い子でしたが、こうして立派に育っておる。人の健やかさとは不可解なもの」
「尼どのが、大坂のゆかりの子の名として、坂丸と名付けてくださいましたな」
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藤色の日傘を共の尼に預けて、慶春尼は伊織と坂丸を交互に見つめた。
「淀どのは たいそう焦っておられたのじゃな。最初のお子を亡くされ、気が動転して次の子も虚弱だと判ると、ご自分の子と他人の子を取り替えよう、などと」
改めて伊織に向き直ると、尼は、
「時に、大坂の若君の実の母は息災であるか」
ナギサのことである。
「ああ、あれは、乱世を生き抜いてきた、したたかな女でございますゆえ。今も、各地を飛び回り、京や大阪に戻ってきたりしておりまする」
「そのうち、ここへ連れてきて下さい。一度、逢うてみたい」
尼は 静かに日傘を広げた。
「これは、お出かけのところ、お時間をとらせました」
伊織は男の子のそばにかがんで、頭にポンと手を置いた。
「なるほど、母君に似て、利発そうじゃ。良い子にして、尼どのの言うことをよく聞くのじゃぞ、坂丸」
「そなたは?」
どんぐり眼を ころころさせて、坂丸が問う。
「伊織じゃ。よろしゅうな。また来よう」
そしてまた、かなり冷たくなった秋風と共に、元来た竹林に囲まれた道を去っていった。
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