第十話

 「醍醐寺のお花見。京の大伽藍での花見とは、また、格別なものよな」

 盃を傾けながら、チラチラと舞い降りてくる桜の花びらに見惚れている家康である。


 (秀吉公の栄華、ここに極まれり、というところか)

 (あの者は?)

 ふと、桜の精のような美々しい青年が 陽射しの中を浮かぶように歩んでくるのが見えた。

 側近が、そっと囁く。

「あれが、昨今、流行りの傾奇(カブキ)者という輩で」

「こんな場所にまで 入り込むとはのう、どちらか武家の子息なのだろうか」

 そこまで洩らし、家康はふと、秀頼君を取り替えた者のことを思い出した。

「もしや……??あやつを、これへ呼べ」

 側近に命じた。


 若者は桜の枝を持って、真っ赤な毛氈(もうせん)の手前にやってきて、銀色の刺繍の袴の膝を折った。

 「司馬伊織と申しまする。駿河の大殿さまに、これを」

 頭を垂れたまま、桜の枝を差し出す。

 家来がそれを受けとり、膝でにじり寄って、家康に手渡した。

「司馬?はてな?まあ、カブキ者ゆえ、本名ではないのだろう。苦しゅうない。顔を上げよ」

 若者が 顔をあげると、稲妻のような鋭い視線が飛んできて、家康は思わず射すくめられた。

(このわしを、ヘビの前のカエルにするとは、こやつ、いったい?)

 家康は人ばらいをした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

寺の境内の奥まった一角、誰も来ない。家康と伊織のふたりきりだ。

「司馬伊織とやら。その方、途轍もないことをやらかしたと、耳にしたが」

「これは さすがに 駿河の大殿。このことでございまするな」

 伊織は 背後に隠し持っていた、もう一本の桜の枝を取り出した。

 そして大きく息を吹きかけた。

 桜の花が 一瞬に吹き飛んだ。

「もろい桜と 頑強な桜。たとえば、枝ではなく、幹から咲く桜。桜にもいろいろあれど、天下人の桜はもろくては話になりませぬ」

「それゆえ、天下人の赤子を、幹から咲く桜に置き換えたというのか」

「ご名答」伊織は ニヤリと笑った。「簡単に散ってしまう桜が 跡継ぎでは、またもや、乱世に後戻りしますゆえ」

 どうして お主がそれを。誰かに頼まれたのか?」

「某(それがし)、ひとりの一存でございます。な~に、深い考えなど何もござらぬ。世の中をひと騒ぎ、させてみたいだけのこと」

 スッと立ち上がり、壁の向こうで待っている踊り女たちのところへ去っていく。


「世の中をひと騒ぎじゃと?これが 白日の下にさらされれば、一族、打ち首という大罪じゃと、分かっておるのじゃろうか。市井を踊って、騒がせるのと、訳が違うのじゃ。あの者、正気か」

 家康は ただちに側近に、忍びを呼ぶよう命じた。



 伊織の後について踊る女たちの一団から、ひとりの女が 横笛を吹きながら、背後から近づいた。

「あんたは 本当は、世の中を騒がそうなんて思っちゃいない。本物と偽物とが、無事に育つか、気にかけている」

「ナギサ、子どもと逢わせてやろうか?」

 女の首に後ろから手を回し、大きな手のひらで頭を抱き込んだ。

「要らぬ。あの子が 無事に育っていると聞くだけでよい」

 その顔に、母親の資格などない、と 哀し気に書いてある。

 気丈なナギサは、伊織の手からすり抜け、踊りの群れの中に戻っていった。

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