第九話

 三月、秀吉は 京の醍醐寺にて花見を催す。

 それは ただの花見ではなく、豊臣家の規模と権勢、豊かさを世にしめすための催しだった。

 桜の花は満開、晴れあがった青空の下、栄華を極めている太政大臣が、家臣や臣下の大名、側室、数十人をも伴い、大々的に行ったものである。


 物々しい警護の武士たちは、甲冑をつけて寺の外を固めた。


 晩年の秀吉、幾多の戦いを乗り越え、挙句、朝鮮出兵までし、血族の多くを犠牲にした上での栄であるが、小柄な男は老いてよけい小柄になり、きらびやかな着物の中に埋もれている感じがした。

 しゃがれた声ばかりが大きい。

 やたら「秀頼、秀頼」と呼ばわって、孫を手元から離さぬ爺さまの様子である。

 咲き誇る桜を見上げる眼は 皺深く、眼孔は落ちくぼんでいる。

 疲れた表情にも見えたが、花の宴での酒は美味しそうに味わっていた。


(殿下もお歳を召された)

 淀どのは側室たちに取り巻かれながら、秀頼を膝の上に乗せている秀吉を見て、ため息をついた。

 先般、秀頼と名を改め、五歳になった元の捨丸は、頬のところで髪をそろえた利発そうな男の子に成長して元気に走り回っている。


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 伴ってきた楽人たちが笛や太鼓など打ち興じている間に、新たな楽音が流れてきた。

 雅な曲ではなく、庶民の好むものだ。


「なんでしょう、この音曲……」

「どなたか 踊りながら、こちらへ来られるわ」

 侍女たちが ざわつく。


「これは、松囃子の「海道下」の一節ではないか。あんなにひょうきんに、飛び跳ねて」

 踊りながら近づいてくる長身の男がひとり。

 眼に鮮やかな 小袖を着て、髷(マゲ)を高く結い―― 飛び上がるたびに黒髪が流れるように宙を舞い―――


「なんて、浪々としたお声でしょう」

「なんて軽やかな足どりでしょう」

「なんと申しましても奇抜ないでたち。猿楽役者のような」

 侍女たちばかりか、お小姓まで視線を釘づけにされている。

「あれは……」

 淀も顔を上げた。

(ニセのお捨を 連れてきた傾奇(カブキ)者ではないか。確か、名は……)

 若者は、唄って踊りながら不意に大きく飛び上がると、今を盛りと咲いている桜を、花びらにかんばせを近寄せてから、一枝、ポキリと手折った。

 そして、側室のひとりに近寄り、空色の袖の上に乗せて献上した。


 側室は 突然のことに 眼を白黒させている。

「一番、美しゅう咲く花は 美しい女性(にょしょう)に」

 熱く濃い黒い瞳に見つめられて、側室は、ぼうっとしたまま、受け取った。


(なにゆえ、わらわではなく、その女に)


 一部始終を見ていた淀どのの手から盃が落ちた。

 伊織は、ちらりと淀どのの方に一瞥を送り、くるりと身を翻す。

(あの傾奇(カブキ)者…… わらわを無視しやるのか?)

 淀どのの高い誇りが そのようなことを許さない。


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