春
寒さがピークを越えて、徐々に春に向かう。それは多くの高校三年生にとって、受験のシーズンでもある。当然、生徒だけでなく、教師にとっても一年の山場だ。
「敦志くん。久しぶり」
「真里さん。うん、久しぶり」
そんな多忙な日々の合間を縫って、俺はデートに来ていた。
彼女である真里さんの花屋はお彼岸の季節、さらにはその先の母の日に向けて、下準備の時期だった。繁忙期ではないので比較的休みが取りやすいというから、俺の都合に合わせて、有給を取ってもらったのだった。
「仕事、大変なんでしょう。大丈夫? 疲れてない?」
真里さんはすぐに気を遣う。真里さんは若い頃に前夫と死別し、たった一人で娘を養ってきた。そのために、なにをしていても周囲の人々に迷惑をかけているんじゃないかとすぐに人を気遣う癖がついてしまったらしかった。
「大丈夫だよ。俺は担任持ってるわけじゃないし、それに今日は公休日だから。それよりも、真里さんの方が、忙しいでしょう。すみれちゃんのこともあるのに」
「うーん、まあ、忙しいことには、忙しいけどね。結構、なんとかなってるわ。すみれと仲のいいお友達がいて、そこのお姉さんがとても良くしてくれているの。将来、小学校の先生になるんだって」
「へえ、小学校の先生かあ。もしそうなったら、俺と同業になるな」
こうして丸一日時間をとってゆっくりとデートをするのは数カ月ぶりで、俺たちは散歩しながら互いに近況を話し合った。真里さんの着ているコートの下、シックなワンピースの胸元に、マリーゴールドをモチーフにしたオレンジ色のブローチが見えて、俺は顔がにやけるのを隠せなかった。
「あ、そうそう。このブローチね、いつも職場のエプロンにつけてるんだけど、お客さんからの評判が、すごく良いのよ」
俺の視線に気づいて、真里さんがコートをめくりブローチを見せてくる。
「本当。なら、良かった。ジュエリーなんて買ったことなくて、買いに言ったとき、すごく苦労して選んだんだ。男の店員さんが親切にしてくれて、手伝ってくれたんだよ」
あの日あのお店で、あの店員に会っていなかったら。こんなにも堂々と、真里さんの横を歩くことは、できなかったかもしれない。プレゼント選びだけではなく、自信のなかった俺の心を救ってくれたのは、確かにあの日の、彼の言葉だったのだと思う。
俺たちにはまだ、たくさんの障壁がある。俺はまだ「ペーペー」で、力不足かもしれない。それでも俺は、この隣の笑顔を守りたいと、幸せそうに笑う真里さんに笑顔を返した。
卒業式を目前に、あたしは十八歳になった。
十八という数字は、なんだかとてもすごい数字のように思える。
十八番とか。野球のエースナンバーとか。元素の周期表は十八族までで区切られてる。それは十八区切りで、似た性質の元素が現れるからだって、だから十八っていう数字は、神秘的で、特別なものなんだって話してたのは、ペーちゃんだった。
十八歳になれば、車の免許が取れるし。男子だったら、エロ本が買えるし、結婚もできるようになる。女子は、結婚は十六だけど。十八歳は、いろんなことが許される。それはなんだか、大人になったんだって、気持ちにさせる。
「結婚かあ」
考えたことなかった、なんてのは嘘だった。あたしの彼氏は一回り以上も年上で、大人の人だ。ペーちゃんには、二十九だなんて鯖を読んだけど、本当は三十三だ。三十代って言えば真里さんも多分、三十代で、小学生の子供がいてもおかしくない年齢だった。そういうことを、ふと考えることは、何度かあった。
「遅れてごめん、あかり」
取りとめのないことをぼんやりと考えていたら、空から声が降ってきた。顔を上げると、息を切らした、拓くんの顔があった。
「おそーい。凍えて、死んじゃうよ」
ごめんって、と拓くんは何度も謝った。あたしは全然、怒ってなんていなかった。拓くんが忙しいのは十分分かっていて、それでも無理を言ったのは、あたしの方だったから。
「なにか、奢るから。晩ご飯に食べたいもの、なにかある?」
「んー、じゃあ、オムライスがいい。あそこ、なんだっけ、新しくできたとこのさ、東口のお店」
遅刻なんてしてもしなくても、拓くんはいつも、デート代を全部奢ってくれる。あたしがどんなに頼んでも、あたしに一円だって出させてくれない。「僕の方が大人だから」なんて、ずるい、と思う。
だって、あたしは一生、拓くんの年齢を超えることなんてできないのに。
ずるいと思うから、あたしはその仕返しに、いつもわがままを言う。精一杯、子供になってやる、と思う。でもそんなわがままさえも拓くんは受け入れてくれるから、あたしは拓くんのことが好きなんだって、思う。
「……あかり、今日、香水してる? なんだか、甘い匂いがする」
「え? ううん、してないよ。香水」
石鹸やシャンプーの種類も変えていないし。そんな、匂いがつくようなものなんて、と思った、けれど。
「……あ。お花だ」
思い至る。そういえば一昨日、真里さんから約束の花束をもらったのだった。桃の花や、バラ、トルコキキョウといったピンク色でまとめた素敵な花束だった。今はそれをリビングと自室の花瓶にそれぞれ入れて飾っている。
その花の香りが、移ったらしかった。
「お祝いに、お花をもらったの。良い匂い、するでしょ?」
カーディガンの袖を持ち上げ、拓くんの顔に近づける。うん、良い匂いだと、拓くんは微笑んだ。
「今日はあかりの誕生日祝いなんだから。食べたいものも、行きたいとこも、なんでもわがまま言って」
「じゃあ、ケーキ食べたい。あと、西口のイルミネーション見て、東口の水族館行って、オムライス食べる」
「はいはい。承知しました」
十八歳になっても、あたしは全然、大人になんてなれない。妹のつむぎみたいに、小学生みたいに、わがままをせがむ子供だけれど。それでも、大人の拓くんに釣り合わないだなんて、もう、思わない。
年の差なんて、関係ない。あたしと拓くん、一対一の、たった一つの関係なんだから。
あたしは拓くんの腕を取って自分の元に引き寄せた。拓くんに、この桃の香りが移ってしまうといい。
そうしてあたしたちは、寄り添ったまま、ケーキを食べるために歩き出す。
End.
恋愛連鎖 三砂理子@短編書き @misago65
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