女子高生
「ただいまぁ」
「あ、お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「つむぎちゃんのお姉ちゃん! おじゃましてます!」
家に帰ると、とたとたと軽い足音と共に二人のちびっ子が玄関でお出迎えをしてくれた。もう一度ただいま、と声を掛け、二人の頭を撫でる。子供の体温はあたたかくて、冬の寒さが吹き飛ぶようだ。
「お婆ちゃんは?」
「お庭で盆栽してる」
「そっか、じゃあ、なにかして遊ぼっか。なにがいい?」
そう尋ねると、二人は「はい!」「はい!」と手を目いっぱい挙げて思い思いの遊びを口にした。あたしは小学校の先生になったみたい、と思ってくすくすと笑った。
「昨日はつむぎのおままごとしてあげたから、今日はすみれちゃんの、本読みね」
すみれちゃんは妹のつむぎの友達で、母親と二人暮らしの子だ。女手一つで子供を育てるために、母親の真里さんは毎晩帰りが遅い。あたしの家は三世帯同居で元保育士のお婆ちゃんがいつも家にいてくれるから、つむぎと仲が良いこともあり、すみれちゃんをうちで度々面倒を見ている。
つむぎは「そっかぁ。順番だもんね」と行儀よく譲った。良い子に育ったな、なんて、親みたいなことを思う。実際、十も年の離れた妹に抱く感情は、姉妹というより親子としての感情に近いのかもしれなかった。
自室へ向かうあたしの後ろを、二人がちょこちょことついてくるのが可愛らしい。部屋に入れると、二人は一目散に本棚に向かった。
「お姉ちゃん、今日はどれを読むの?」
「わたし、お姫さまのお話がいい!」
あたしの部屋には大きな本棚が置かれている。そこには絵本や児童書など、およそ高校生が読むには相応しくない、子供向けの本がずらりと並んでいる。
「んーじゃあ、今日はこれにしようかな。四人の女の子がね、一つのお城のお姫様になるのよ」
「えー、四人もお姫さまがいるの? それって変だよ!」
変かどうかは読んでみてからね、とあたしは二人をなだめて、本棚から児童書を一冊取り出す。二人はローテーブルの前に置かれたクッションにちょこんと座って、あたしが読み聞かせを始めるのを待つ。
あたしは本の表紙に描かれた可愛らしい四人のお姫様の絵を二人に見せて、それから本を開いた。
それは国を失った四人の少女が、一つのお城で互いに協力しながら苦難を乗り越えていく物語だった。少女たちはそれぞれの欠点を補い合い、時には衝突したり、離れ離れになったりしながらも、仲間を信じ、相談を重ねながら、真のお城の主として成長していく。
あたしはそれを一文、一文丁寧に読んで二人に聞かせた。
「……はい、おしまい」
この本は本来小学校中学年から高学年向けの児童書だったので、多少難しい言葉は噛み砕いて読んだつもりだけれど、それでも二人にはまだ早かったかもしれない、と思う。
「どうだった?」
「おもしろかった!」
「お姫さま、強くてかわいかった! 一番はね、魔女のお姫さまが好きだったなあ。優しくって、可愛いかったの」
「わたしはねえ、騎士のお姫さま! お姫さまなのに、王子さまみたいで、かっこよかったあ」
けれど純粋な彼女たちにはあたしの不安などどこ吹く風で、きゃっきゃと本の感想を言い合った。あたしはほっと胸を撫でおろす。
「喜んでもらえて、良かった。あたしはねえ、うふふ、四人とも、大好きなの。これは一巻で、まだ、続きがあるのよ。聞きたい?」
二人は声をそろえて「もちろん!」と答えた。
時計を見ると六時を回っていた。二冊目を読み始めたら、二人は途中でお腹が空いてしまうだろう。
「その前に、先に、ご飯にしよっか。なにかつくってくるね」
「はぁい。他の本、読んでてもいい?」
「うん、どうぞ」
大喜びで本棚に飛びつく二人を見て、カレールウが戸棚に残っていたはずだなと思って、あたしは二人を残し台所へ向かった。
カレーの良い香りにつられてあたしの部屋から二人が顔を出す。「もうすぐできるよ」と声をかけようとして、インターホンが鳴る。
「真里さんかな?」
制服にエプロンをかけた姿のまま、三人で玄関へ出ると、予想通り、仕事帰りの真里さんがそこには立っていた。
「お母さん! お帰りなさい!」
「真里さん、お疲れ様です」
「こんばんは、あかりちゃん。いつもいつも、ありがとうねえ」
いの一番に、すみれちゃんが真里さんに抱きついた。真里さんも嬉しそうにすみれちゃんの頭を撫でる。その光景が羨ましいのか、つむぎがあたしの後ろで、ぎゅ、とあたしのプリーツスカートの裾を掴んだ。
「いえ、好きでやってることですから。あ、良かったら、上がってください。今ちょうど、カレーができたんですよ」
和室で休んでいたお婆ちゃんを呼びに行くと後で食べると言われたので、両親の分とお婆ちゃんの分を残して、四人で食卓を囲んだ。
「あかりちゃんのつくるご飯は、いつも美味しいわね」
「うん! おいしい!」
「ありがとうございます。口に合って、良かった」
両親が共働きの我が家で、これだけの人数で一緒にご飯を食べるというのは珍しいことだ。いつもはあたしとつむぎの二人か、あるいは口数の多くないお婆ちゃんとの三人で食べるくらいだった。だからあたしは、真里さんとすみれちゃんが家に来てくれて、一緒に夕御飯を食べてくれることがとても嬉しいのだった。
「あかりちゃんは高校生なのに、すみれの面倒からご飯まで、本当にごめんなさいね。大変でしょう?」
「いえ、そんなことないですよ。あたし、もう推薦で進路決まってるんで。小学校の教員免許が取れるとこ、行くんです」
「お姉ちゃんはつむぎの担任になってくれるんだよ! ねー?」
そうだね、なれるといいんだけどね、とあたしは苦笑した。つむぎは今小学校一年生だから、あたしが四年で大学を出て、教師になれれば、同じ学校に配属される可能性はゼロではないかもしれない。推薦の合格が決まった日、そういう話をつむぎに話したら、もうつむぎの中では『お姉ちゃんがつむぎの学校の先生になる!』ということになってしまったらしかった。机上論的ではあるけれど、今はまあ、そういうことにしておこう、と思っている。
「あら、そうなの。おめでとう。今度なにか、お祝いを持ってくるわ。お花は好き?」
「え、いいんですか。嬉しい! あたし、花なら桃の花が好きなんです。ほら、名前が百瀬っていうから。漢字は、違いますけど。お花屋さんって、桃の花は置いてますか?」
真里さんはお花屋さんで働いている。あたしやつむぎも何度か行ったことがあるけれど、お花の素敵な匂いがして、大都会の中心にあるお店だというのに、微塵もそんなふうには思えない可愛らしいお店だった。
あのお店の香りが家に充満することを考えたら、それだけで幸せな気持ちになった。
「そうね、桃の花は、二月の終わりから三月には入荷してるわ。でもそれまで待たせるのも悪いし、プリザーブドフラワーで良ければ、来週には持って来られるのだけど、どうかしら」
「ううん、あたし、あのお店のお花の香りが好きだから。もちろん、花自体も好きですけど。せっかく真里さんのお店のお花がもらえるなら、遅くなっても、生花がいいんです」
それに、とあたしは付け加える。
「プリザーブドフラワーのギフト、実はもう一つ、持ってるんです。進路の決まったお祝いに、いただいたんですよ」
せっかくお祝いしてくれると言っているのに、わがままが過ぎたかな、と真里さんの顔色をうかがう。すると真里さんは、先程より一層、目を輝かせ素敵な笑顔を浮かべていた。
「うふふ、贈り物にお花だなんて、とても素敵だわ。あかりちゃん、帰りにそのお花、見せてもらえる?」
「はい、もちろん、いいですよ」
あたしの自慢の、桃の花だ。きっと真里さんにも、気に入ってもらえるはずだった。
夕食が終わると、つむぎとすみれちゃんが読み聞かせの続きをせがんできた。本来ならばもう夜遅いのですみれちゃんを帰さないといけないのだけれど、その日は金曜日ということもあって、ちょうど仕事から戻ってきた母に許可をもらい、すみれちゃんはうちにお泊まりすることになった。
真里さんとすみれちゃんは一旦家に戻り、お泊まりセットを持ってまたやってきた。
「本当にもう、なにからなにまで、すみません」
「困ったときは、お互い様ですから。つむぎにとっても、あんなに仲のいいお友達ができて、私としても嬉しいんですよ。いつも家を空けてばかりで、寂しい思いをさせてたと思いますから」
「あたしも、二人を見てると、頑張って先生になろうって思えるんですよ。あたしのモチベーションのためにも、これからも、うちに遊びにきてください」
真里さんは何度も何度も頭を下げながら、すみれちゃんをうちに預けて帰っていった。
「さ、読み聞かせの前に、寝る準備が先だよ。歯磨きしてお風呂に入って、パジャマに着替えられたら、続きを読んであげる」
夜になってもまだまだ元気に「はぁい!」と返事をする二人に、あたしはぐっと気合いを入れた。
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