ジュエリー店員
夏の売場は戦場だ。国内外を問わない様々なジュエリーブランドの商品を扱う総合宝飾店では、常連客や一般客に加えて、都心に遊びに来た国内外からの旅行客の来店が多くなる。
それでも僕らは、日頃と同じ質の高い接客をしなければならない。
「すみません。ネックレスを、贈り物用に探しているんですけれど」
背後から声を掛けられ、僕は満面の笑みで「はい、いらっしゃいませ。お探しいたしましょう」と振り返った。
「お相手は、男性でしょうか? 女性ですか?」
「女性です。長い付き合いの友人の、誕生日プレゼントに、なにかジュエリーを買おうかと思って。でも、いざ来てみたら、種類がたくさんあって、どれが良いか迷ってしまって」
仕事帰りらしいそのお客は、ベージュのジャケットとスカートというシンプルなオフィスカジュアルの服装だ。その左手薬指にはシルバーのシンプルなリングがはめられている。
女性はおそらく二十代後半から三十代だろうかと僕は目星をつける。女性に年齢を尋ねるのは、仕事でも私生活でも、当然タブーだ。
「ご友人様はどういった方でしょう? 好きな色や、好みのものなど、ございますか」
「そうねえ、赤やピンクや、暖色系が好きかしらね。……あ、そうそう、そういえば、丸いものが昔から好きだったわ。丸みがあるものを見ると、可愛い、可愛い、ってなんでも言ってたのよ」
暖色で丸みのあるネックレス。女性の注文から想像を膨らませ、イメージを固めていく。「それでしたら、こちらへ」と女性を促して、フロアの一角へ、招く。
「こういったものはいかがでしょうか。大人の美しさの中にも可愛らしさを、というコンセプトでつくられたシリーズでして、普通のものよりも丸みのあるデザインが多くなっております」
「あら、とても可愛らしくて良いわね。金額も手頃で、ちょうど良い感じ。ありがとう、気に入ったわ」
女性は真っ先にルビーをあしらったネックレスを手に取った。心なしか、声も弾んでいるように聞こえる。ルビーのネックレスを手にしたまま、付近の商品を物色する女性に僕は「またなにかありましたら、お声かけください」と一礼して、フロアへ戻った。
それから幾度となく声を掛けられ、あるいは声を掛け、商品選びのアドバイスをした。海外からの旅客団体に英語で接客を行ったりもした。即決で「これにするわ」と買っていただけることもあったし、「他のももう少し見てみるよ」と言われることもあった。
僕はこの仕事を天職だと思っていた。
僕の薦めた商品を見て喜んでいただけることに、僕はなによりの幸福を感じる。たとえそれで僕が薦めたのと違うものを買われても、それはそれ、お客様が納得のいくものを買えたのであれば、構わない。お客様の探し物のお手伝いをすることが僕の仕事だからだ。
もちろん、バックヤードへ戻っての事務仕事も大切な仕事の一つだけれど。売場こそが、僕の主戦場だった。
「あの……すみません」
「はい、いかがいたしましたか?」
少し控えめな低音にも、僕は笑顔で応える。
うちのお店に来るのはなにも女性客だけではない。もちろん商品は女性向けのジュエリーが中心だけれど、ペアリングやマリッジリングも扱っているし、なによりプレゼントを探しにくる男性客はむしろお得意様だと言ってもいい。
「あー……、ちょっと、プレゼント用のものを、探したくて」
若い男性客は汗を拭いながら、ぎこちなくそう言った。
男性は女性以上に顔で年代を区別するのが難しい。けれど、彼は一目で二十代と分かる若さだった。童顔ではないが、肌の張りが、僕をはじめとする三十代のそれとは明らかに異なっていた。
男性は宝飾店に慣れていないようで、随分と視線が泳いでいた。そうした不慣れなお客は、若い人に多い。彼もその例に漏れず、といったふうだった。
「女性の方への贈り物でしょうか?」
あ、はい、と消え入りな声で男性はもごもごと答えた。
「どういったものをお探しでしょうか?」
「うーん。どういったのが、いいんですかね」
俺、こういうのに疎くて。と苦笑する男性客に、僕はここが腕の見せ所だ、と思う。こういう人に最高のサポートをすることが、僕の役目だ。
「そうですね、男性から女性へのプレゼントで多いのは、一番はリングですかね。次にネックレスで、他にはイヤリングやブレスレット、ブローチも取り扱っておりますが、先の二つに比べると人によって好みが大きく異なったり、使用する場面が限定されたりと贈り物としては少し、難易度が高いかと思います。あとはご予算等によって、同じネックレスやリングでもデザインも様々になります。……お相手の方は、仕事等の事情で、なにかつけられないジュエリーなどはありますか?」
「仕事の事情ですか。ううん、そうだなあ。ちょっと、指先につけるようなものは、避けた方がいいのかもしれないです。……じゃあ、ネックレスを、探したいんですが」
それから男性客は、いくつかの希望を挙げていった。相手は年上の女性なので、三十代半ばの女性に相応のデザインのものを。好みの色はオレンジ。花が好きなので、そういったモチーフがあれば。
話をしていくにつれ、彼は徐々に店の雰囲気にも慣れてきたようだった。
「三十代半ばというと、僕と同年代くらいですね」
「え? 店員さん、三十代なんですか? てっきり俺と同年代かと思っていました」
ふとした世間話のつもりが、男性は驚いているようだった。
お世辞かとも思ったが、彼の表情は素直そのもので、僕は「ありがとうございます」と頭を下げる。
「じゃあ、店員さん、俺の代わりに選んでくださいよ。俺みたいに年の離れたのより、同年代の店員さんの方が、感性の合うものを選べるんじゃないですか」
「それは違いますよ」
冗談交じりに笑う彼に、僕は即答していた。無意識に語気が強くなり、しまった、と思った。
「すみません。でも、本当に、それは違いますよ」
お客様に説教まがいの行為をするだなんて、大変非礼な振る舞いだった。上司にばれたらきつく叱られるかもしれない。彼が店にクレームを一つつけるだけで、僕の立場は危うくなるだろう。
それでも、言わずにはいられなかった。
「流行のデザインならお教えできます。人気の商品もお見せいたします。万人受けするであろうジュエリーをお選びすることも、お客様が望むのであれば、ご提案しましょう。……けれど、たった一人に喜んでいただくためのお品物は、僕はご案内することができません」
どんなに流行に詳しくても。どんなにセンスが良くても。僕はあくまでプレゼント選びのお手伝いをするだけ。
「大切な方への贈り物は、その方を大切にしていらっしゃる、お客様にしか、選べませんよ」
言いたいことを全て言い切って、僕は失礼なことを言って申し訳ありません、と頭を下げた。これが彼の逆鱗に触れてしまったのであれば、それは仕方のないことだと思った。
「……顔、上げてくださいよ」
男性の声は優しかった。そっと頭を起こすと、彼は微笑を浮かべていた。
「店員さんの言うとおりでした。俺、馬鹿でしたね。彼女との年齢のことばっか気にして、せっかく勇気出して買いにきたのに、無駄にするとこでした」
僕の熱意は無事、彼に届いたようだった。一筋の汗が僕の首もとを伝い、僕が無意識に緊張していたことを教えてくれた。
「一対一の関係だ、なんて、生徒には偉そうに言ってたことなのに、自分のこととなると、てんで駄目ですね、ほんと」
ははは、と乾いた笑い。自嘲ぎみに呟いたその言葉は独り言のようでもあり、僕はなにを返すこともできずにただ彼の次の言葉を待った。
それから彼は腕組みをしてしばし考え込んで、
「……花の、ブローチってありますか? できれば、あんまり派手すぎなくて、普段着につけても違和感のないような、可愛めのやつとか」
と尋ねてきた。
僕はもちろん、笑顔で答える。
「ええ、それでしたら、こちらへ!」
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