第9話お嬢様と老人9

 城に帰ったら大騒ぎだった。期せずして全員満身創痍の大立ち回りになったのだから当然である。

 父には無言で抱きしめられ、上の兄には泣かれた。おっとりした母だけが動じず、「お転婆ねえ」などと呑気に笑った。ヘーリアンティアもつられて笑ったが、父はそれでは済まなかった。傷が癒えるまで外出を禁じられた。

「獲物が大物過ぎるのも問題って事だ。

 しばらく狩りは懲り懲りだな」

 父にたっぷりと絞られた兄が頭を掻いた。

 

 戦いから数日の後、『冬狂鬼』の遺骸の回収が完了したという報告を受けて皆で検分する事になった。遺骸はゲルマニカ家直属の方術研究室に集めてあるという。

ヘーリアンティアは、ウェネーとスクァーマを伴って真っ先に出かける事にする。数日しか謹慎していないが、寝台で横になる日々に早くも退屈を感じていたのだ。

「お嬢様、もう少し大人しく寝ていても良さそうなものではないでしょうか?」

 ウェネーがやや呆れた様な顔で言う。

「治療してくれた医者の方はもう大丈夫だと言っていましたよ。

 むしろ、前より調子が良い気さえします」

「俺にも経験が有る。実戦を知り世界が違って見えているのだろう。

 確かに、戦う者の顔をするようになった。めでたい事だ」

 分厚い毛皮の外套の上から、首飾りの形の耐寒用魔導器をぶら下げているスクァーマが言う。非常な厚着だが、蜥蜴族は寒さで動きが鈍る。彼にとっては当然の装備なのだろう。

「そうですか?

 叙事詩などではそういう表現を見受けますが、自分ではよく分らないですね」

 ヘーリアンティアが大仰な包帯の巻かれた頬を撫でる。左腕も動かすのに支障はない。成長期である事も手伝って傷は残らないらしいが、絶対に包帯を取らない様に侍医から懇願されている。ゲルマニカの息女に傷を残しては彼の立場が危うい。ヘーリアンティアはここ数日、自分の身よりもむしろ侍医を気遣って生活していると言えた。

「もう左手も完治に近いのですから、治療方術というのは凄いものです。学ぶのが楽しみですね」

「お嬢の力では大して深くは刺さらなかっただろうからな。

 誰であれ、あえて自分を傷付けるのは躊躇うものだ」

「確かに、思い切り振り降ろしたつもりでも、あまり深く刺さりませんでしたね。

 覚悟を決めたつもりでも躊躇いが有ったのかも知れません。

 それに人間の体という物は存外に丈夫でした。

 いつか自分の血を利用しなければならない様な状況に置かれた時には、上手く斬らないと駄目ですね」

 ウェネーが嘆かわしいと言わんばかりに眉間に手を当てて首を振る。

「お嬢様は本当に成長が速いと言いますか、順応性が高いですね。

 少し前まで有った子供らしい幼さや甘さを捨ててしまった様に見えます。

 まるで一端の戦士です。

 ですが、ここは強調しておきますよ。

 くれぐれも、もう少し淑女らしい物言いをして下さい」

 

 研究室に入ると大勢の騎士や方術士に出迎えられる。彼らに案内されて奥に向かう。『冬狂鬼』の遺骸は研究室の広間の大きな机に載せられていた。おそらくこうやって魔獣からの戦利品を検める為の机なのだろう。分厚い木材を加工した非常に頑丈そうな代物だ。

 机に載せられているのは白い枯れ木の様な両腕と白濁した両目、幾らかの牙とまちまちな大きさの破片だ。破片は全部合わせれば相当な重量があるだろう。命を賭して戦った強敵の為にしばし黙祷する。

「ほう、大戦果だな。

 これだけ残っているという事は相当に年経た奴だったのだろう。

 お嬢達の苦戦も頷ける」

「物の本によれば、強力な魔獣であればある程、死んだ後に残る部分が多いとか」

 腕を組むスクァーマに聞いてみる。こういった事は経験豊富な者に聞くに限る。何しろ、冒険者は魔獣を倒してその素材を売って生きている様なものだ。

「理屈はよく分らんが、俺の経験ではそうだな。

 弱い『子鬼』を倒しても精々小さな牙程度の素材しか残らん。

 反対に身体が丸ごと残った大物もいたが、数十人で囲んでやっと倒した始末だった。

 あの時は皆が惜しげもなく魔導器と秘薬を使ったから、危険の割には大した稼ぎにならなかった。割に合わない戦いだったな。冒険者ならば獲物はよく選べという事だ。

 戦利品の中には血やら内臓やらの処理をしないと痛む物もあるからな、己の小隊の適性を見極めないとただ働きになりかねないぞ。

 冒険者として最もやってはならないのがただ働きだ。

 どんなに腕が立とうと、ただで働く冒険者は下の下だ」

「肝に銘じます」

 神妙に頷いてから気が付いたが、ウェネーを始めとした皆が微妙な視線を向けている。少し下世話な話をし過ぎた様だ。

「今回の戦利品の価値は如何程でしょうか?

 全体の収支としては持ち出しになるのではないですか?

 それなりの触媒や秘薬を消費しましたし、武具も痛んだでしょう?」

 さらりと話題を変える。ゲルマニカ軍の後方担当騎士が淡々と答える。

「戦利品の検分が完全には終わっていない故、正確にはお答え出来ませんが、所感を申上げましょう。

 この『冬狂鬼』の遺骸に籠った力は相当なものです。

 私などでは見た事もない階位の個体だったのでしょう。

 記録を辿っても稀な階位、数十年から百年に一度の災厄を引き起こしかねない怪物だったのかも知れません。

 魔導器や秘薬に仕立てれば、良い値が付く事は間違いありませんな」

「こんな魔獣が徘徊しているとはな……」

「『水晶山脈』から迷い出たのか?

 要所に配した物見は何をしているのか」

「いや、知られていない迷宮の入り口が在るやも知れぬ」

 騎士達が騒然とする。街の鼻先にこんな魔獣が現れたのだから当然だろう。

「騎士に相当する実力者九人で戦って危うい勝利なのだ、『騎士級』は越えていよう。

 『男爵級』、あるいは『子爵級』に近い魔獣だったのかもな」

「『冬狂鬼』は、基本は『騎士級』ですよね?」

「魔獣は齢を重ねる程に強くなる。偶にこうして階位を越える化け物がいるのさ。

 観察しても見極めが難しい事も多いからな、冒険者にとっては危険な存在だ。

現にお嬢達も思わぬ苦戦を強いられただろう?

 実力の有る冒険者は、こういった連中に殺される事が多い」

「魔力の多寡や挙動で判断出来ないのですか?」

「出来る事もあるし、出来ない事もある。出来ても戦わざるを得ない局面だってある。今回の様にな。

 可能な限り準備をして、慎重に立ち回るしかないな」

「後は、運ですか」

 スクァーマが驚いた風にヘーリアンティアを見つめる。

「奥深い事を言うようになったな。

 そうだ、やる事をやれば生き死になんざ、運の問題でもある。

 生死を分かつ天秤には、いつだって訳の分らない物が紛れ込む。人間には操りようのない物がな。

 それを味方に付けた人間は強い。逆に、つきに見放されてはどんな戦いでも不覚を取りかねない。戦場にはそんな物がうんざりする程に転がっている」

「私が今回生き残ったのも、単なる運だと思います」

「俺が今生きているのだってそうさ。誇れよ、運の良さは得難い力だ」

 後方担当騎士が憂鬱そうな声を出す。

「姫様が御健在な事は真に幸運なのですが、装備はそうもいきませんでしたな。

 消費した触媒と魔導器もさることながら、前衛で戦われた御三方の武具の破損が激し過ぎます。

 特にエクエス卿の防具はもう使い物になりません。高度な方陣が刻まれた逸品だった為、大損害です。

 『冬狂鬼』の素材を加工して売って、なんとか差引零と言ったところでしょうか。今は職人達への手配やらで大わらわですよ」

 軍の物資を担当する彼らにとって、被った損害は当然頭の痛い問題だ。帳尻は合う様だが、その為の手配は手間の掛かる事だろう。憂鬱にもなろうというものか。

「ご苦労をお掛けしますが、宜しくお願いしますね」

「いえ、これも職務故に。

 むしろ、最小限の損害で済んだと言えるでしょう。人が死ぬのが最も金を食いますからな。

 発見から即追撃した判断も素晴らしい。これ程の個体に悪天候を利して街を襲撃されれば、今頃私は寝込んでいたかもしれません。

 物的にも人的にも、考えるだに恐ろしい損失が上がった事でしょう」

 流石に後方担当は数字で物事を考えるものだ。一端の騎士を新たに育てるには膨大な費用と時間が掛かる。彼らからすれば、安く済む作戦が良い作戦なのだろう。

「その物の言い方はどうにかならんのか?

 姫様は民の為に、我が身に刃を突き立ててまで戦われた。

 その覚悟を金勘定で測るなど、不愉快極まりない」

 年配の騎士が顔を顰めながら言う。

「その民を守る防衛体制を維持する為に金が掛かるのですよ。

 卿もまさか、畑で貨幣が収穫出来るとは思っていますまい?」

 後方担当騎士が無表情で言う。年配の騎士の顔に赤みが差す。

「姫様の御前なれど言わせてもらおう。

 金で心意気は買えぬ。信念無き剣は山賊どもの山刀と変わらぬ」

「そこまでです。

 信念もお金も両方必要な事は自明でしょう?

 お互いの立場を思い遣って下さいね」

 微笑むヘーリアンティアに二人の騎士は頭を下げる。しかし、両者納得はしていなさそうだ。信念と共に前線に立つ者と日々数字に煩わされる者の意識の差は、容易に埋まる事はないのだろう。組織の運営は難しい。父が渋い顔で頭を掻き毟るのも尤もだ。

「まあ、金に換算できない成果というものも有る。

 お嬢は初陣を生き延び、難戦を制するという経験を積んだ。経験は時に宝石に勝る価値を持つ。

 初陣で戦場の風に当てられるのも、難戦で泥に塗れるのも得難い経験だ。そのまま死ぬ奴の方が多いのだからな。今回はそれでよかろう。

 手持ちの資源に気を配りながら戦う事は追々学べばよい」

 スクァーマが取り成す様に言う。相変わらず男前である。

「どれ、記念に戦利品を貰っておけ。生涯一度の初陣だからな。

 俺達の部族は初陣で仕留めた獲物の欠片を加工して、肌身離さず身に付ける。

 初心忘れるべからず、という程度の意味だがな。

 これ程の獲物を初陣で仕留める者はそう居ない。まずは誇ってもよかろうさ」

 後方担当騎士が怜悧な視線を向ける。

「公費で落ちるのでありますれば」


 長い冬が終わり春の気配が感じられる頃になると、冬眠するように家に篭って居た人々も外に出て街は活気を取り戻し始める。冬の間は閉められていた露店も再び開かれ、色とりどりの野菜や果物が店頭に並ぶ。中にはこの地方で取れない品物も見られ、商人達が交易を再開し人と物の行き来が始まった事を窺わせる。この時期は冬の間に食べられなかった新鮮な野菜を体が求めるのか、市場は買い物客で賑わい、威勢の良い客引きの声が其処彼処で聞かれる。厳しい冬を越えて浮ついた空気が街に満ちていた。

 そんな街の片隅で老人の露店もひっそりと開かれていた。指で押すだけで崩れそうな店構えには相変わらず客足一つ無い。春の喜びを歌う喧騒も何処吹く風で、老人はパイプを燻らせている。

 ヘーリアンティアは老人の無事な姿を見て涙を流しそうになったが、老人は飄々としたものだった。

「お久しぶりです!

 無事冬を越せた様で安心しました」

「おお、お嬢さんか。見ない内に雰囲気が変わったな?

 さては、男でも出来たか?」

 老人の下品な冗談すらも懐かしい。

「そんな訳はないでしょう?

 私は未知を求めて冒険者に成るのですからね。

 実は、冬の間に魔獣と交戦しまして。何だか、その後に会う人皆に同じような事を言われます」

 老人が眩しそうに目を細める。

「若いからな、一つの経験が血肉になる。方術士は特にそうさ。

 お嬢さんにとって今は、一瞬毎に強くなる黄金の時だ。

 まあ座ってこれを飲みなさい。香草を煮出した茶だが、身体に良い」

 そう言って銅の鍋で沸かしていた茶を白い陶器の杯に入れてくれる。非常に薄く、独特の文様が描かれた異国の茶杯だ。

「ありがとうございます、頂きますね。

 それにしても、またこんな高価な器でお茶を飲んで」

 おそらくここらで買えば同じ重さの金銀と同じ値段がするだろう。これ程薄く白く陶器を焼成する事が技術的に困難なのだ。方術を使えば不可能ではないが、全く量産は効かない。

 更に言えば、極まった趣味人は方術を用いて焼いた白磁を紛い物と断じ、決してその存在を認めない。彼らは神秘の東方から流れて来た白磁の由来と、遥かな旅路をも含めて愛するのだろう。何事も凝り始めるとあれやこれや言いたくなるものだ。

「東方ではそう高い物でもなかったのだがな。

 話に聞けば、更に東の方から船一杯に積んで運んで来るらしかった。

 ここらの貴族どもに見せたら引っくり返るぞ」

 老人の変わらない調子にヘーリアンティアは微笑んだ。少し顔色が悪い気もするが、冬の間は保存食が中心になる為仕方がない部分も有る。新鮮な食物を食べる内に体調も上を向くだろう。

「何でも、絹の国では市井の人間でもこれで茶を飲むそうだ。

 安価で大量に作る技が有るのだろう。製法を学んで来れば一財産築けそうだな」

 老人はそう言って茶杯を呷る。ヘーリアンティアも飲んでみたが、乾燥させた物では出せない生の香草の風味が口に広がった。春の味わいだ。

「インディアスで買ったという事ですよね?

 今日こそはインディアスに着くまでの冒険を話してもらいますよ」

 老人に再会できた喜びに春の陽気が加わり、ヘーリアンティアは上機嫌だ。腰を据えて老人の話を聞く姿勢を取る。

「年を取ると話が長くなるからな、まあ気長に聞きなさい。

 確か、砂漠の民の国でギルガメッシュの時代の遺跡を探している所まで話したのだったか?」

 老人も微笑むとパイプを咥えて若き日の冒険譚を語り始めた。

 それは数々の困難を越え、強大な魔獣を仲間と共に打倒する勇敢で向こう見ずな若者の物語だ。

 彼の傍らには常に博識な方術士が在り、ともすれば先走りがちな若者を支えて冒険を成功に導く。若者の剣が魔獣を斬り払い、方術士の術が敵を打つ。この二人ならばどんな困難も乗り越えてしまうに違いない。他の仲間も一癖有る強者揃いだ。

未知を走破する冒険者の栄光の物語にヘーリアンティアは時を忘れて聞き入った。


 ヘーリアンティアが『転移』を成功させたのは、その年の夏も終わろうかという時期だった。

「参りましたね、こんなに早く習得されるとは。

 正直に言いまして、お嬢様でも二年三年は掛かると思っていました」

 ウェネーが少し呆れたように言う。

「良い教師に恵まれましたからね。

 生徒としてウェネーの顔に泥を塗る訳にはいきませんから頑張りました」

 ヘーリアンティアがそう言って笑う。精密な操作と大きな魔力を必要とする術式を打った直後で全身から力が抜ける様な感覚が有るが、それよりも達成感のほうが大きかった。

 ここはゲルマニカ領南部の街で、ヘーリアンティアの住む街から歩けば二週間は掛かる。街道周辺は冒険者や騎士団が魔獣を討伐して安全を確保しているが、それでも時に強大な魔獣が現れ通行不能になる事が有る。地上は未だ魔獣と人類の勢力圏が入り乱れているのだ。その意味でもこの方術は単純な数値以上の利便性が有ると言える。

「失礼ながら職務により誰何させて頂きたく。

 ヘーリアンティア姫と方術士ウェネー殿であられましょうか?」

 全身鎧を着た騎士が兜を脱いで略式の礼法を取る。ゲルマニカ公が手を回して転移門を使う旨は通達されているのだ。

「はい、このお方が畏れ多くもゲルマニカ公が長女であらせられるヘーリアンティア様で御座います。

 私は方術士ウェネー。ヘーリアンティア様の方術教師を任されて居ります」

 転移門を守っていた騎士達が素早く平伏する。流石に転移門を守る騎士達はこの街の顔とも呼べるだけはあり、一糸乱れぬ洗練された動きだ。その中で全身鎧の騎士が代表して言葉を発する。相当に年配な顔立ちから見るに、彼が責任者なのだろう。

「職務中につき略式で失礼致します。

 ようこそおいで下さいました。ゲルマニカの花と讃えられる姫様に拝謁賜り光栄の極みに御座います。

 どうやら『転移』の方術を成功させたご様子。その御歳で『転移』を行使されるなど、我らゲルマニカの騎士一同、他領の者に鼻が高いとしたもので御座います」

「有難うございます。

 皆様の見事な対応、しかと拝見致しました。皆様こそがゲルマニカの誇りだと私は確信します。

 お仕事を邪魔するのは本位ではありません。どうか職務にお戻り下さい」

 ヘーリアンティアも見事な礼法を持って応じ、全身鎧の騎士に書状を渡す。

「こちらが父の書状で御座います」

「確かに頂戴致しました。さ、こちらへどうぞ。

 さぞやお疲れの事でしょう。茶を用意させますので是非お休みになって下さい」


 ヘーリアンティアとウェネーは老騎士に付き従って転移門を離れた。転移門は成人男性の二倍以上の高さがあり、横幅も人が五人並んだ程も有る大きな物だ。非常に滑らかで美しい石造りに複雑な方陣が刻まれている。千年以上存在しているのに傷一つ付いた様子が無いのは、強力な『保存』の方術が掛かっている事に加え、最精鋭の騎士達に守られている為だろう。

 なんと言っても転移門は人類の生命線なのだ。流通、軍事、情報伝達の全てが少なからずこの門に依存している。その為、転移する者に課せられる制限も多い。免税特権を持って居ない者は使用税を取られ、過去に犯罪行為を犯した者は使用を許されず、国内でも領が違えば身元を証明する手続きが必要になる。国を跨いだ『転移』は更に厳しく、仮に『転移』による犯罪行為が発覚した場合は外交問題にも発展する。歴史を紐解けば転移した者が起こした犯罪行為で戦争に発展した例すら有るのだ。今回は領内での転移で、領主の娘という立場が有った為書状一つで済んだが、本来はそんな簡単なものではない。

 配属される騎士達も極めて高い戦闘能力に加えて、表情を読み取る訓練や『鑑定』などの情報を探る方術を身に付けている。それに加えて近隣諸国の言語、法律にも精通する事が求められ、貴顕を相手取る機会が有るので礼儀作法も必要になる。騎士としての出世の終着が近衛か転移門の衛士かと言われる所以である。

 門の周辺に目をやれば、ここが巨大な建造物の中だという事が分かる。古風な様式から察するにローマ時代の遺跡をそのまま利用しているのだろう。ヘーリアンティアの住む街に在る門も同じ造りで、砦並みの防御が為されている。忙しく動き始めた重装備の騎士達の中を進むと、立派な本棚一杯に並べられた書物が目に付く。おそらく各国の法律書や辞書だ。彼らの職務の多様性と複雑さが窺える。


 老騎士は門の有る大きな広間を出て、貴賓室に案内してくれた。すぐさま侍従が茶と菓子を運んでくる。貴族の相手も手馴れているのだろう、そつのない優雅な動きだ。

「方術を使えば体が甘みを欲すると言いますからな、甘い茶をお出ししております。

 御口に合えば良いのですが」

 口に含んでみると茶の風味に加えて牛の乳と蜂蜜の香りが広がる。これは確かに方術を使った後に良さそうだった。

「なるほど、美味しいですね」

 ヘーリアンティアが微笑むと、騎士も厳しい顔に安心した様な笑顔を浮かべた。いつもの事とは言え緊張させているのだろう。なるべく気を使わせないように、気さくな調子で話し掛ける。

「ポルタス卿は転移門を守られて長いのですか?」

 老騎士が驚いた顔をする。

「私の名前を覚えておいでなのですか?」

「勿論です。二年前にここを案内して頂きましたよね?」

「光栄の至りで御座います」

 老騎士が深く頭を下げる。長いお辞儀の後、老騎士は考える素振りを見せながら話し始める。

「転移門を守る任を私が初めて仰せつかったのが髭も生え揃わない時分になります。

 その間に結婚し、子供が出来ていつの間にやら孫にまで恵まれましたからな。考えれば随分長くなります」

「お若くして抜擢されたのですね。

 さぞ優秀で鳴らされた事でしょう?」

 老騎士は真面目な顔で答える。

「幸運に恵まれての事です。

 今まで大過無くやってこられたのも部下達の働きが有ってこそ。

 お恥ずかしい限りですが、最近は体の衰えを痛感しいつ引退するかを思案しておりました」

「ご謙遜を。

 鍛え上げた見事な動きをされているのが私にでも分かりますよ」

「いえ、今日姫様が『転移』を成功されるのを見て心が決まりました。

 近く引退しようと考えます」

 ヘーリアンティアが目を見開く。

「理由を伺っても?」

 老騎士が懐かしむ様に語り始める。

「姫様がお産まれになって、もう十年以上も経つのですな。

 ゲルマニカ中がお祭り騒ぎになったのを昨日の様に思い出せますぞ。

 お披露目には私も馳せ参じましたが、ゲルマニカ公も奥様も若様方も大変な喜ばれ様でした。

 私が始めてお話ししたのは、二年前に護衛を連れてお忍びでこの街を散策なされた時になりますな」

 ヘーリアンティアが赤面する。あの頃は道の先に、山の向こうに何が在るのか気になって仕方がなかった。無理を言って色んな街に連れて行ってもらったものだ。そして今もその想いは変わらず、世界の姿を見る為冒険者に成ろうとしている。

「お恥ずかしい限りです。あの頃から我が侭を言って皆様の手を煩わせてばかりですね」

「とんでもありません。騎士達にも市井の人間にも気さくに声を掛けて頂き、我ら一同その聡明さに舌を巻いたものでございます。

 覚えておいででしょうか? 

 丁度姫様がいらっしゃった時、他国の爵位持ちと揉めていましたのを見事に裁定して下さった」

「はい、我が領で禁止されている薬を持ち込んだ貴族の方とお話しましたね。

 しかし、ここは父の領なのですから当然の事ですよ」

 老騎士が首を振る。

「いえ、あの御年にして堂々たる立ち振る舞いと見事な法知識でした。

 正直に申しまして、ゲルマニカ公の御息女とは言え、幼子に助けられる我が身の勉強不足を思い汗が止まりませんでした。

 あれほど冷や汗をかいたのは若かりし頃先輩騎士に鍛えられていた時分以来でしたな。

 あの時は後ろの方術士殿に連れられて『転移』された姫様が、もうご自分で『転移』される。背も随分伸びられた」

 老騎士が感極まった様に手で顔を覆う。

「……御立派に成られました。

 そうこう言っている内に御結婚され、この領を出られるのでしょうな。

 姫様に御目通り叶うのもこれが最後かもしれません。

 今日お会いできて、本当に良かった」

 確かに、理由は違えどもこの領を出ようとしている事に違いはなかった。区切りも付いたのでゲルマニカ公に話をしてみるつもりはある。老騎士と会うのもこれが最後になるかもしれない。

「あんなに小さかった姫様が、もう旅立っても可笑しくない年齢に成られる。

時が経つのは本当に早い。

 私も気が付けばこの年です。後進に道を譲っても良い頃合でしょう」

 実直な老騎士がもう一度深く頭を下げる。

「姫様はどうか、何処にいらしても誇り高く、皆を照らす光で在られますように」

ヘーリアンティアは老騎士の言葉を受け止め、言葉に込められた想いに目を閉じる。老騎士が経た歳月の重みを噛み締める。目を開き、厳かに胸に手を当て、毅然とした様で言い放つ。

「このヘーリアンティア=ユリウス=ゲルマニカ、卿の言葉、確かに受け取りました。

 如何なる時も、卿が守ったゲルマニカの名に恥じぬ自分で在る事を誓いましょう」

 老騎士が震える声を絞り出す。 

「有難う御座います。砂を噛んだ事も有りますが、報われました。

 我が来し方を支えた全てに感謝を。

 栄光の大ゲルマニカに無限の繁栄を。

 姫様の道に幸多からん事を」 


 ヘーリアンティアはウェネーの『転移』で城下街に戻って来た。『転移』の性質上短時間に連続して使用できないのだ。連続で使用すると位置情報が混乱する為、『転移』の精度が下がると言われている。転移門に頼っても危険は有るという事なので大事を取った。ヘーリアンティアとしても石の中に転移するのは御免こうむりたい。

 それに今回の『転移』は触媒の力を借りて行ったもので、完全に術式を物にした訳ではなかった。もう少し力が付けば触媒無しでやれそうな感覚は有るが、少し先の話になるだろう。差し当たりはウェネーの知る門を教えてもらわなければならないが、その前に少し休みたい。六層方術は流石に少し体に堪えた。

 城に戻ったヘーリアンティアはウェネーと別れ自室の扉を開いた。瞬間、何かが顔に飛び付いて来る。

「ふぁ!?」

 思わず間の抜けた声を上げる。刺客? この恐ろしく厳重な警備を誇るゲルマニカの城に? 裏切りか?

 確かに貴族である以上、自分が死んで喜ぶ人間もごまんといるだろうが、いや、そもそも――。

「お嬢様!」

 侍女が鋭い声を上げヘーリアンティアの肩を掴む。右手には何処に隠していたのか大振りの短剣を握っている。ゲルマニカの奥向きを任される彼女達は高度な戦闘訓練も受けている。並みの戦士など瞬く間に捻じ伏せる技を持つが故の瞬間的な対応だ。しかし、

「大丈夫。驚いただけです」

 ヘーリアンティアは飛び付いて来たものを両手で抱えて言う。綺麗な青色の体にヘーリアンティアの掌ほどの大きさ。まだ長い尻尾が揺れているのが可愛らしい。言うまでもなくヘキだ。

「ヘキちゃん、水の外に出たくなったのですか?」

 ヘーリアンティアが抱えたヘキの顔を覗き込むと、ヘキは返事をする様に頬を膨らませて鳴き声を上げる。

 確かにここ最近は足も長くしっかりしてきて姿も蛙らしくなり、いつ外に出ても不思議ではなかったが、それにしてもこんなに早いとは思わなかった。

「その子はお嬢様の幻獣ですか?

 心臓が止まるかと思いました……」

 侍女が大きく息を吐く。気の毒にも、顔からは血の気が引いて蒼白になっている。

 ヘーリアンティアに何か有れば確実に彼女もただでは済まない。城の中とはいえ少し無用心だったかもしれない。侍女達の心労の為にももう少し気を配って生活した方が良さそうだ。

「心配させて御免なさい。刺客なら死んでいましたね。

 これを教訓にもっと気を張るようにします」

 侍女が泣き笑いの様な表情を浮かべる。

「勿体無い御言葉です。

 しかし、今回は幸運でした。場合によっては幻獣殿を斬り捨てていた可能性が有ります」

 その言葉を聞いてぞっとする。ヘキには不用意に飛び跳ねないように言い聞かせないとならないだろう。


「遂に水から出ましたか。

 しかし、こうして正面から見ますと何と言いますか、間抜け、もとい愛嬌の有る姿ですね」

 ウェネーがヘキを両手で持ち、正面から観察しながら言う。

 お玉杓子の頃はしなやかな流線を描いていた体型は、真ん丸い胴体に手足と尻尾が付いた姿に変わっている。円らで大きい真っ黒な目と顎が球形の胴体からひょこりと伸び、首らしき部分が殆どない。絵に描くなら、丸い円に目と口を描いて手足を継ぎ足すだけで済みそうだ。南の海に住むというある種の丸い河豚に手足が付いた様な格好にも見える。指で弾けば転がって行きそうですらある。実に愛らしい姿だ。

「扉を開けた途端に飛び付いて来て、仕方がない子なのですよ」

 ヘーリアンティアが笑み崩れた顔で言う。

「愛情は目を曇らせると言いますか、お嬢様はだらしない男性の世話を嬉々として焼く典型に見えますね。変な男に捕まらないよう、注意した方が良いかと。

 さて置き、使い魔の話ですね」

「はい、この子を使い魔にする事は可能ですか?」

「そうですね……」

 ウェネーがヘキを手渡すと、ヘーリアンティアの掌から頭の上に飛び移る。どうやら其処が収まり良い様で、そのまま動かなくなる。

「お嬢様は使い魔の契約についてどの程度ご存知でしょうか?」

 ヘーリアンティアが顎に手を当てる。ウェネーの考え事をする時の癖だが、いつの頃からかヘーリアンティアも無意識にやってしまうようになっていた。俗に師弟は似るというが、その通りである。

「魔力と食事などの世話を対価に、術者の為に働いてもらうのですよね。

魔力の繋がりが出来る為、使い魔にはある程度の知能が芽生え、術者は使い魔の知覚を共有できる。

 反面、自分の一部とも言える存在になる為、使い魔が死ぬと術者も痛手を受けるとか。

 力量が低ければ制御に苦労するらしいですが、高位の術者は完全に動きを制御して支配出来る様ですね」

 ヘーリアンティアはここ暫く方術の文献も相当数読み込んでいた。当然そこには使い魔に関する物も含まれる。

「その通りです。猫やら鳥やらの場合には文字通り支配する事を目指します。

 動物にはかなり知能が高いものもいますが、所詮人間には及びようがない。

 使い魔の作成と維持にはそれなりの対価が必要ですからね。外を勝手に出歩いて大型獣に仕留められるようでは話になりません。

 では幻獣の場合にはどうか?」

 ウェネーが試す様にヘーリアンティアを見る。最近ウェネーはこうしてヘーリアンティアに発言を促すことが増えた。一人立ちが近い弟子の力量を見極めようとしているのだろう。

「文献によれば、高位の幻獣を支配する事は不可能という記述が多いですね。

 彼らは人より遥かに魔力の扱いに長ける為、気に入らなければ自分で術式を打ち消してしまうとありました。

 対等の契約を交わして高位の術式を用いれば使い魔にする事自体は可能な様ですが、今度は制御に苦労する事になる。何しろ対等な立場ですから、あくまでお願いしか出来ません。

 それでも知能の高い種の場合は交渉次第で何とかなりますが、知能の低い種は気まぐれに動く為、非常に制御し難いとか」

「そうですね、なまじ力が有る分知能の低い幻獣は手に負えません。

 そこで質問なのですが、蛙というのは知能の高い生き物ですか?」

 ウェネーがヘーリアンティアの頭の上でくつろぐヘキに目をやる。怪訝な眼差しだ。

「幻獣の力や知能は姿では計れません。ヘキちゃんはとても賢いのですよ!」

 ヘーリアンティアが手を握り締め、力を込めて言う。

「ヘキちゃん右手を上げて」

 ヘキがのたりと右前足を上げる。

「右手を下げて左手を上げて。左手を下げて口を開けて」

 ヘキはのたのたとヘーリアンティアの指示に従う。不恰好ながらに忠実な姿だ。ウェネーが意外そうに目を見開く。

「驚きました。間抜けな顔の割りには随分と利口ですね。

 しかもお嬢様の言う事を良く聞いている。

 ヘキ、右手を上げなさい」

 試しにウェネーが指示を出してみると、ヘキはぷいと顔を横に背ける。間抜けと連呼した事を怒っているかの様だった。ウェネーがますます感心した顔になる。

「これは凄い。我々の言葉をかなりの程度理解している様に見えますね。

 頭の良い部類の犬など比較にならない程の知能です。

 流石は幻獣と言ったところですね」

 ヘーリアンティアが我が事の様に得意げに笑う。

「どうです、とっても賢いでしょう? 

 後、間抜けじゃなくて愛嬌が有ると言って下さい。ね、ヘキちゃん」

「ぼぇー」

 ヘキが同意する様に鳴く。ウェネーが非常に微妙そうな顔になる。

「鳴き声までまぬ、愛らしいですね。

 それはさて置き、確かにこれなら使い魔の契約を交わす事も可能でしょうか。

 私は方陣や触媒の準備を始めますから、お嬢様はその子に話しかけてどの程度まで言葉を理解しているのか観察して下さい。

 出来ればこの本に載っている使い魔に守らせるべき事項を言い聞かせたほうが良いですね。その子はまだ赤ん坊と同じで白紙の状態なのです。意図せず人に危害を加える事も有り得ます。

 使い魔の失態は主人の失態、厳しく躾けないといけませんよ」

「はい、肝に銘じます」

 素直に頷くヘーリアンティアを見て、ウェネーは微笑んだ。

「『転移』を修めて幻獣を使い魔にする。お嬢様もいよいよ一人立ちですね。

 おそらく今後弟子を取る事が有っても、貴女ほどの才能に出会う事はないでしょう。

 貴女は自慢の弟子でした。以降も研鑽を忘れないように」

「ウェネー……」

 穏やかなウェネーの言葉に胸が一杯になる。思い返せば初めて出会った日から若くて優しいウェネーに随分と甘えてしまったものだ。お忍びで探索に出かける時も、いつも彼女が着いて来てくれた。

 方術のみならずどんな質問にも素晴らしい回答を与えてくれたし、分からない事は一緒に考えてくれた。姉が居たらきっとこんな感覚なのだろう。だが、自分は彼女の弟子なのだ。最後位はきっちりとしなければならない。

 ヘーリアンティアは杖を手に取り、儀礼的な構えを取った。頭の上のヘキも主人を察してか神妙な顔を作る。

「不肖の身に今までのご教授、真に感謝致します。

 貴女の教えを胸に見聞を広める旅をして参ります。

 偉大なる先達である貴女が、更なる英知の深遠に到達する事を確信しております。

……師匠」

 ウェネーは重々しく頷くと、杖を手に構えを取る。

「我が弟子ヘーリアンティアよ。

 若く才多き貴女にはこれからも様々な試練が訪れるでしょう。しかし、学ぶ事に倦んではなりません。朝も夜も無く学び、泥を啜っても学び続けるのです。

 世界は一瞬ごとにその在り様を変えて行きます。立ち止まっている時間など有る筈がない。

 我が元を旅立たんとする若き方術士よ。

 その瞳に世界の全てを映し、遥かな英知の深遠を目指しなさい」

 それは方術士流の別れの儀式だった。杖を手にしたヘーリアンティアは一端の方術士の空気を纏っている。それを見るウェネーの真剣な瞳が揺れた。

「杖が馴染んでおられる。あんなに小さかった子がいつの間にやら立派な方術士に成ってしまわれた」

 ウェネーがヘーリアンティアを抱き寄せる。初めて出会った頃には胸の位置にあったヘーリアンティアの頭が、もうさほどウェネーと変わらない。ヘーリアンティアがウェネーの肩に顔を寄せると、秘薬と古書の入り混じった匂いがする。方術士の匂いだ。

「師匠……」

 気が付けば、ウェネーの瞳に涙が浮かんでいた。

「……妹を送り出す姉というものはこんな心境なのですかね。

 本当は方術も二の次でよいのです。

 ただ、貴女が息災で在る事だけを望みます」

 ウェネーの言葉に涙が出そうになる。ヘーリアンティアは必死で堪えて言葉を搾り出す。

「お元気で、……姉様」

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大冒険時代 光陣のヘーリアンティア @nekuro

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