第6話お嬢様と老人6

 ヘーリアンティアの日常にお玉杓子の世話が加わった。

 餌をやり、水を変え、天気の良い日は桶ごと外に出して太陽の光を浴びせる。彼女としても生き物を一から育てるのは初めてなので、餌の虫を捕まえる苦労さえ新鮮な気分で楽んでやることが出来た。自分の使い魔にする予定の幻獣となれば尚の事である。

 それに自分の取って来た餌を喜んで食べるお玉杓子は可愛らしく、生き物を飼う事を趣味にする者の気持ちもよく分かった。下の兄も面白がって色んな物を持って来ては食べさせている。意外だったのは上の兄で、どうも蛙が苦手らしい。その事を下の兄にからかわれてまた一騒動起こしていた。

 ヘーリアンティアとしては、こんなに愛らしいお玉杓子を気味悪がるのも不思議な話だったが、まあ、人の嗜好というのはそういうものなのだろう。それに自分で育てている分愛着や贔屓目も有る。

 そうして日々を過ごす内に、お玉杓子も大きくなる。

 初め、親指程だったお玉杓子も、季節が変わる頃には倍程の大きさになっていた。これ位まで育てば庭の池で飼う事も出来るかとも思ったが、止めておいた。池に放してある魚に食べられたり、逆に魚を食べ尽くしたりされても困る。それに、外では野鳥に襲われるかもしれない。

 その頃にはヘーリアンティアも『魔力視』を習得していた。感覚を掴むのにかなり時間が掛かったと感じたが、これでも相当に早かったらしい。ウェネーでさえ習得するのに半年ほど掛かったそうだ。兎も角、それによって世話をするためにウェネーの手を煩わせる必要も無くなった。

 勉強の方も順調に必要な事を学べていると言ってよい様だ。ただし、父との約束である城に有る本を全て読むというのは当分先になりそうだ。ヘーリアンティアの読む量も相当なものだったが、ゲルマニア公が新たに手に入れてくる本がそれ以上に多いのだ。

 本好きというものは、例え読む予定が無くても、気になった本は取りあえず手元に置いておきたいものだが、それにしても度が過ぎる量だった。おそらく、ヘーリアンティアと離れ難い彼の気持ちの表れなのだろう。申し訳なく思いながらも、色んな本が読めるというのは嬉しい事だった。

 本に囲まれた生活というのは素晴らしいものだ。


 そうして本に埋もれながら過ごす内に季節が巡り、冬がやって来ようとしていた。この地方の冬は長く厳しい。無事冬を乗り切るために領内の民も準備に追われ、街は騒然とした空気に包まれる。

 農夫達は収穫した作物を日持ちするよう加工し、家畜を潰して塩漬けや燻製するのに忙しい。街を歩けば家の軒先で野菜や果物を日干ししているのもよく見られる光景だ。同様に漁師や狩人も家の前で獲物を吊るし、干している。全て冬に備えての保存食だ。とは言え、いかに日持ちするよう加工しても、長い冬の間にはどうしても傷んでくる。腐りかけた塩漬け肉など食べられた物ではないし、運が悪ければ中毒を起こして身体を壊す為、方術士に手間賃を払って保存性を高める方術を掛けて貰う必要がある。そういう訳で、冬に入る前は市井の方術士にとっても稼ぎ時だ。

 商人達も忙しい。冬は物流が滞るため、身軽な行商人などは南を目指して移動を始める者も多い。道すがらも商売する事を目論み徒歩で移動する逞しい者も居れば、商売仲間と費用を出し合って方術士に転移させてもらう者も居る。一方、店持ちの商人はそういう訳にもいかない為、在庫を捌いて冬を乗り切るだけの財貨を得る事に必死になる。

 冒険者達も人の出入りが多くなるこの時期、護衛や安全確保の為の討伐に忙しい。熊等の冬眠前の大型獣による危険が大きい時期でもあるのだ。また、冬というのは冒険者にとっても拠点を移すか、この地に留まるかの選択を強いる季節でもある。

 冒険者というものは己の力量にあった迷宮に潜り、十分な経験を積んだ後に更なる難易度の迷宮に向かう事を繰り返す。寒さと不便に耐えてこの地の迷宮に潜り続けるか、新たな迷宮を求めて移動するかという問題が持ち上がるのだ。この地方出身で冬に親しんだ者や、慣れた迷宮に潜る事による安全性を重視する者はこの地に留まり、南方出身者や寒さに弱い種族の者の中には移動する事を選択する者も現れる。この機会にこの地の迷宮に見切りをつけ、飛躍を目論む者だって存在する。

結果として冒険者の小隊は集合離散を繰返す事になる。それに付随した揉め事や、不慣れな小隊による死傷事件も多い。混乱の種には事欠かない季節なのだ。


 統治する側のゲルマニカ家も慌しい。

 秋の収穫から納められた税が広大な領地から集まるし、人の出入りが激しい事は様々な事件事故が多い事を意味し、官吏達の気が休まる暇が無い。豊作の年はそれでもましで、凶作の年など飢餓対策に走り回る羽目になる。

城でもゲルマニカ公は、この時期寝る暇も惜しんで働いていた。その後継者たる上の兄も執務に忙しく、領の騎士団に所属する下の兄も部下を率いて慌しく方々を回っていた。

 ヘーリアンティアも何年か前から、この時期には父の執務室で簡単な書類仕事を手伝っている。皆が忙しくしている中で自分だけ好きな事をしているのも申し訳無いし、本来ヘーリアンティアが受けた教育がこういった仕事をする為のものなのだ。無論、重要な書類の決裁などは出来ないが、書類の分別や誤字の確認などやることは幾らでも有るのだ。

「いやはや、ヘーリはこういう書類仕事も苦にならないんだね。

 気が変わったらずっと家に居ても良いんだよ。僕の秘書をしてくれると嬉しいな」

 少しやつれて見えるゲルマニカ公も、ヘーリアンティアが仕事を手伝っている間は上機嫌だ。筆頭執事ケッラーリウスの話では、温和なゲルマニカ公も流石にこの時期は神経を尖らせ、侍従や官吏を恐れさせているらしい。執務室を訪れた者は皆、ヘーリアンティアの姿を見つけると露骨に安堵した表情になった。


 その日も朝から執務室に詰めていたヘーリアンティアが、作業に一区切りを付けたのは太陽も頂点を過ぎた後だった。

「はぁ」

 背伸びをして固まった身体を解す。朝から座りっ放しだった為、身体を伸ばすのが気持ち良い。昼食も書類を退けて同じ机で軽い物を摘んだので、立ち上がる事すら久しぶりに感じられる。この時期は家族が皆忙しく、昼食に集まる事も難しいので、それぞれが仕事場で食事を取っているのだ。ゲルマニア公など、いつも書類片手にパンに乾酪、野菜、腸詰を挟んだ物を齧っている。この国有数の大貴族とも思えない姿だが、それを指摘すると「理に適っているだろう?」などと何食わぬ顔をする。こんな風に、ゲルマニア公には体面より実質を重んじる所があった。

 彼の影響か、官吏達にも同じ様な物を仕事の片手間に食べる者が多い。そうして皆食べているのを見ていると、やけにそのパンの挟み物が美味しそう見えてくる。ヘーリアンティアも食べてみたいのだが、「淑女である君は真似してはいけない」などと言って食べさせてくれない。しかし、駄目だと言われればますます欲しくなるのが人間というもので、目下の所父の隙を覗って食べる機会を狙っていた。

「ヘーリ、疲れただろう?

 気晴らしにお使いを頼まれてくれないかい?」

 ゲルマニカ公が書類から目を離さずに言う。周りの官吏達も忙しく動き回り、彼の机の前には書類が山と積まれている。処理してもまったく減った気がしない。いや、減っても新たに持って来られるので実際に山の高さは変わっていないのだ。

手伝っているだけのヘーリアンティアですらうんざりするような光景だが、精力的に働く父に倦んだ様子は見られない。それどころか、ヘーリアンティアの集中が切れる頃合には必ずこうして声を掛けてくれる。ここらが、当代のゲルマニア公は名君だ、と讃えられる所以なのだろう。

「この書状をテーサウルス商会まで届けてほしい。

 その後はしばらく街を見て回ったらいいよ。後で街の様子を教えて欲しい」

「分かりました。

 有難うございます」

 気を遣ってくれたのが分かる。集中を欠いた状態で失敗してもいけないので、素直に従う事にする。

「僕の代理だからね、一応騎士を連れて行きなさい。

 エクエス」

「はっ」

 父の後ろで彫像のように控えていた近衛騎士の一人が小気味良い声を上げる。

 近衛騎士は騎士の中から選抜され、優れた実力と最高の信頼がなければなれない。その中でも当主の背中を任されるこの人物は、剣も方術も申し分のない実力者である事に加え、礼儀作法から教養に至るまでの厳しい教育を受けている。護衛としてはこれ以上ない人物だろう。

「よろしくお願いしますね」

「命に代えましても」

 笑顔を向けると、騎士は黒光りする鎧を纏った胸に手を置き一礼する。ご婦人方が騒ぎそうな優雅な仕草だが、同時に精悍さも感じるのは動きが力強く活力に満ちているからだろう。

 ヘーリアンティアは厚手の外套を侍女に用意してもらうと、近衛騎士と彼の部下数人を連れて馬車で商業区に向かった。


 商業区は多種多様な人間でごった返していた。

 旅支度を整えた鎧姿の冒険者と背負い袋を担いだ行商人風の男が連れ立って歩いているかと思えば、根菜を大きな籠に入れて背負った農夫が忙しく通り抜けて行く。馬車もいつも以上に行き交っているように見える。皆冬支度に追われているのだろう。

 秋の終わり、街は今年最後の活気に溢れ、独特の緊張感に包まれている。冬が来てしまえば大抵の人間は家に篭もって過ごすし、この地を離れる者も多い為、街は眠りについたような静寂に包まれる。こういった喧騒も今日で見納めかもしれない。ヘーリアンティアは年最後の慌しさと言ってよいこの時期の街の空気が好きだった。

 テーサウルス商会は街でも屈指の歴史と規模を誇る商会だ。その本店は大きく立派な石造りの建物で、よく手入れされた清潔さと年月を重ねた風格が感じられる。店に出入りするのも身なりの良い人間ばかりで、客筋に恵まれた商売をしている事が窺える。

 馬車を停め騎士を先触れに出すと、まもなく会頭自ら大勢の使用人を引き連れ出迎えてくれた。

「姫様、よくお越し下さいました。

 お父上の名代をこなされるとは、ご立派な事ですな。愚かな息子にも見習ってもらいたいもので御座います。

 いやはやしかし、ゲルマニカの花と讃えられる姫様にお越し頂けるとは、なんという幸運で御座いましょう。

 冬も近いこの季節に、我が商会にだけ可憐な花が咲き誇った様なものですな」

 テーサウルス商会会頭は恰幅のよい初老の牛族の男だ。牛族特有の鋭い角の生えた頭に如才ない笑顔を浮かべ、揉み手せんばかりの勢いで歓迎してくれる。体格の良い者が多い牛族の中でも珍しく、背が低く太った姿は逞しいというより愛嬌が有る印象だ。おそらく、そういった印象さえ計算に入れて立ち振る舞っているのだろう。

「とんでもありません。

 名高いテーサウルスの継嗣殿と比べられては、非才の身としましては赤面するばかりです」

「姫様にそこまでご謙遜されましては、私共も立つ瀬が御座いませんな」

「いえ、日々未熟を噛み締めて居りますよ。

 ところで、お出迎え感謝致しますが、お忙しい事でしょう?

 用件を済ませてしまいましょうか?」

「おお、御気を使って頂き勿体無い限りですな!」

 会頭は完璧な笑顔を浮かべて頷くと、使用人を持ち場に戻して自ら案内してくれる。ヘーリアンティアとしても、曲がりなりにもゲルマニア公の使いで来た以上社交辞令は欠かせない。余所行きの笑顔を作り、優雅な仕草で付き従う。


 用件自体は大したものではない。別段ヘーリアンティアが来なくても構わない様なものだ。ゲルマニア公も理由を作ってヘーリアンティアを街に出してくれただけで、大袈裟な政治的思惑が有る訳もないだろう。しかし、テーサウルス商会の歓迎振りは熱の入ったものだった。振舞われた茶も砂糖菓子も最高級の物で、ヘーリアンティアが好きそうだと珍しい舶来品も披露してくれた。彼らの立場としては、領主の姫君自らが使いに来てくれたのだから歓待するのは当然の事だ。商人として、ヘーリアンティアの機嫌を窺って損はないという判断も有るのだろう。領主の一族との太い繋がりを見せつければ箔と信頼は勝手にやって来る。利に聡くなければ商人などやっていられる筈がない。

 何度も引き止める会頭に礼を言って、テーサウルス商会を辞した頃には日も傾きかけていた。しかし外に出てもまだまだ人通りは多く、市井の者が冬を乗り切る大変さを考えさせられる。

「やはり、市井の方々が冬を越えるのは苦労されるのでしょうね」

 近衛騎士エクエスに問うてみる。行きに馬車の中で話したところ、エクエスはこの街の農夫の次男坊として生まれたらしい。食べる為に兵士になり、幾つかの経験を経て一念発起し騎士を目指したという。その後夢中で食らい付いて行く内、気が付いたら近衛にまで上り詰めていたそうだ。

 騎士になるのは大半が貴族子弟や裕福な家に産まれた者だ。身元の確かな者が信頼という点で優遇されるのは確かだが、ゲルマニカにおいては誰にでも騎士になる道は開けている。それでも市井の中から騎士が誕生する事が稀なのは、ひとえに要求される能力の高さ故だ。武芸で一流の水準に達しながら方術までも修めるのは、幼い頃から専門の訓練を受けても難しい。学問でも武術でも基礎教養を持つ者達に囲まれた中で騎士に選ばれ、更には近衛にまで登り詰めるのは尋常ではない困難が有った事だろう。寝る暇もない程に勉強と修練を重ねたに違いない。尊敬に値する人物である。

 ヘーリアンティアはこうして人の話を聞くのが好きだった。どんな人間の半生だって、それは波乱と葛藤、栄光と挫折の物語だ。聞けば興味深い事は山程ある。そうして聞いて来た数多くの物語の中でも、エクエスのものはずば抜けて凄まじい。常人には困難な障害を越えたという点で一種の英雄譚といってもよい。全く、世の中には様々な人間がいるものである。

「仰る通り、貧しい者が冬を越えるのは大仕事です。

 自分などは幼い頃、冬の間は硬くて不味いパンと薄い汁物を食べた記憶しかありませんな。

 しかし、この地の民はまだ恵まれております。公の治世により、貧しいとは言え飢えるほどの事はないのですから。

 隣の国では戦争で土地が荒れ、飢えて死ぬ者も多いと聞きます」

「この時代にまだ飢えて死ぬなんて、悲しいですね」


 かつて古のローマは方術を研究、体系付ける事で栄華を極め、巨大な版図を築き上げた。記録に残るその技術は凄まじく、船は空を駆けて遥か遠方と交易を結び、都市と都市を一瞬で行き来する転移門によってあらゆる物が流通し、民は奴隷階級に至るまで飢える事を知らなかったと云う。迷宮も精強な軍団兵に根こそぎ走破され、大きく数を減らした。ローマの全盛期、彼らは間違いなく地上の支配者だった。

 しかし、内外の要因からローマが崩壊すると状況は一変する。分裂した支配地は争い合い、また異民族の侵入で疲弊し、高度な技術を失伝していった。結果、かつての繁栄により膨れあがった人口に食糧生産が追いつかなくなり、凄まじい飢餓が起こって人口が激減し、それが技術の流出に拍車を掛けた。

 崩壊から数百年も経つ頃には、廃墟と化したローマの遺跡を取り込んで新たな迷宮が生まれ、迷宮から溢れた魔獣が大地を闊歩していた。人々は迷宮により分断された大地の上で魔獣に怯えるという、ローマ以前の暮らしに逆戻りしたのだ。『暗黒の時代』と呼ばれる時期である。

 それから更に数百年経った今、多くの汗と血を代償に、人はようやくかつての英知を取り戻しつつある。しかし、迷宮という人類全ての敵を前にしてさえ、人間同士争い合い、破滅に向かって堕ちて行く人の性に変わりはなかった。


「人はどうして戦争なんかするのでしょうね」

 ヘーリアンティアは老人の露店のござに座り込んで言った。いつ来ても客足一つないこの露店に通う内、いつの頃からか老人の隣に座って話をするのが普通になっていた。日も落ちかけたこの時間になっても老人の周りは暖かい。気温を操作する高度な魔道器を持っているそうだ。

「藪から棒に何を言うのだ?」

 老人がよく磨かれた木製のパイプから紫煙を噴き出して言う。このパイプは世話になっている礼にヘーリアンティアが贈った物だ。大切に使ってくれている様で嬉しい。

「隣の国では戦争で土地が荒れているという話を聞きまして。

 迷宮という目前の敵を差し置いてまで、争う意味があるのかと考えていました」

迷宮というものは放って置けば徐々に成長してより強力な魔獣を放つようになる。手出し出来ない程に成長した迷宮の周辺は魔境と化し、人間の生存圏を大幅に削り取る。こんな事は子供でも知っている話だ。

「意味が有るからやり合ってるんだろうよ。

 傍から見たら馬鹿馬鹿しい理由でも、当人同士には譲れないものなんだろうさ。

喧嘩なんてそんなものだ」

「でも、迷宮を放置して政治闘争を繰り返した結果、育った迷宮に国を滅ぼされた例は歴史上枚挙に暇がないのですよ。

 理性的に考えれば、まずは団結して迷宮に当たるのが最善でしょう?」

「はっ」

 老人が呆れた風に鼻で笑う。

「お嬢さんは賢いのだろうが、肝心な事が分かっちゃいない。

 人間は阿呆なのさ。だから同じ失敗を繰り返すし、後悔しても何日か寝たら忘れちまう。

 不相応な権力を握ったら、有頂天に振りかざして辺り一面を灰に変える。

 阿呆な自分に気が付くのは、いつだって取り返しがつかなくなってからだ」

 そう言ってパイプを灰皿に打ちつける。

「むぅ、随分厭世的な事を言いますね。

 確かに人間は同じ失敗を繰り返す事もあります。

 でも、人間は過去、様々な苦難を知恵と勇気で乗り越えて来ました。

 私は、人間には過ちを糧に未来を目指す力があると信じたいですね」

 拳を握って力説するヘーリアンティアを横目に、老人は我関せずと新しい煙草の葉を用意する。

「甘ったるい理想を語る女は嫌いじゃないがな。

 死ぬ前に過ちを正す事が出来なければ無意味さ。

 忘れるなよ、冒険者ってのは魔獣の顎に身体を突っ込んで胃の中の宝を漁る生き方だ。

 弱い奴は教訓を得る間もなく頭を砕かれ死んじまう」

 こうして冒険者を語る時、老人の眼光は鋭くなり、口調も幾分荒々しいものに変わる。

 おそらく若かりし頃の彼は、こんな荒っぽい話し方をする人間だったのだろう。ヘーリアンティアが冒険者になると話してから知った一面だった。そして、話の合間にこんな風に冒険者の心構えや在り方を聞かせてくれるようになった。

「分かりました、肝に命じます」

「ああ、死んだら終わりだからな。生きてりゃ何とかなるものさ。

 お嬢さんだって、男も知らずに死んではつまらんだろう」

 急に下世話な話を振られて赤面してしまう。

「……突然そんな事を言われても困ります。

 それに家の事情もありますし、こう、慎重に相手を選ばなければいけないと言うか……」

「これだから箱入り娘は。

 良い男が出来れば駆け落ちでも何でもすれば宜しい。

 女は黙って男に付いて行く。後は男が何とかする。世の中昔からそうなのさ」

 老人は飄々とした調子を取り戻して言う。一方、ヘーリアンティアは動揺を隠せない。

「駆け落ちなんて簡単に言いますけど、大事件ですよ。

 確かに物語にはよく出てきますし、身分差を乗り越えて結ばれる二人なんてお話としては美しいですけれど、あれって冷静に考えたら随分と無責任じゃないですか?」

「阿呆、冷静に考えられないから思いつめて駆け落ちするんだろうが。

 ま、お子様に男女の機微の話は早かったな。

お嬢さんは童話でも読んでいるがよいさ」

 老人が意地の悪い顔で言い、ヘーリアンティアが頬を膨らませる。

「そこまで言うからには、さぞ若かりし頃は女性のお尻を追いかけていたのでしょうね」

「ああ、勿論だとも。

 若い頃は、お嬢さんみたいな口の達者な女の小煩い唇をふさいで押し倒す事に情熱を傾けたものだ。

 覚えておけよ、わしみたいな碌で無しにはあんたみたいな良い所の娘さんが美味しそうに見えてしかたないんだ。

 ……ああ、お嬢さん、そろそろ帰った方がよいな。また親父殿に叱られるぞ」

 老人は最後まで下世話な事を言って話を締め括った。気が付けば随分薄暗くなっている。また話に夢中になってしまった様だ。

「むぅ、ご忠告感謝します。おじいさんみたいに悪ぶった男性には注意することにしますよ。

……今年お話出来るのもこれで最後かもしれません。お体に気を付けてお過ごし下さいね」

「……そうだな。歳は取りたくないものだ」

 老人との付き合いも長くなっている。最近、老人が話の合間に具合悪そうにする瞬間がある事にヘーリアンティアは気付いていた。

「そうだお嬢さん、これをやるよ。昔迷宮で手に入れた水晶だ。

 それなりに魔力を吸い込んでいるから、方術士なら役に立つだろう。

 冒険者になったら使えばよい」

 幻獣の卵を貰って以来、老人は他にも冒険者が使うような道具を譲ってくれる様になっていた。どれも店で買えば非常に高価な物で、ヘーリアンティアの小遣いでは到底払いようがない物ばかりだったが、老人は対価を受け取ってくれない。せめてもの気持ちにと小遣いを貯めて彼に送ったパイプも相当な値打ちの名品だが、釣り合いは全く取れていない。

「その、いつもお気持ちは嬉しいのですが、こんな高価な物を頂く訳には……。

 命懸けで手に入れた大切な物なのでしょう?」

 くれる物はみな老人が冒険で手に入れたという物ばかりだ。老人の生きた証と言っても、大げさではない。

「よいんだ、もうわしには必要がない。お嬢さんが使うべきだ。

それに、大切なのは物じゃない。

 これを手に入れる為に仲間と共に駆け抜けた、遥かなる冒険の日々の記憶だ」

そう言ってヘーリアンティアに水晶を持たせる老人は、まるで一つずつ己の身の回りを整理しているかの様だった。こうして話を出来る時間も、そう長くは残っていないと感じてしまう。

「ありがとうございます! 大切にしますね。

 年が明けたらまたお話しましょう。約束ですよ!」

 不吉な考えを振り払う様に、殊更に明るくヘーリアンティアは言う。

「ああ、お嬢さんもな」

 夕日を浴びて赤く染まった裏路地で、老人はいつもの調子で煙草を燻らせた。


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