第5話お嬢様と老人5

 城に帰ったヘーリアンティアは、侍女に水を入れた桶を用意するよう頼んでから自室に入った。危険の有無を確かめるという名目でウェネーも付いて来るが、半ばは自分の好奇心を満たす為だろう。好奇心に忠実でなければ方術士は務まらない。

 ヘーリアンティアの部屋も父のゲルマニカ公に劣らず本が多い。街で買い求めたり書庫から気に入った物を持って来たりしている内に、部屋が本で埋め尽くされてしまったのだ。反面、子供が好みそうな玩具はあまり無い。そういった玩具遊びには今よりずっと幼い頃に興味を失ってしまった。

 読書机に無秩序に積まれた本の山を掻き分け場所を開けると、老人から貰った箱を丁寧に置く。この机は自室で本を読む時に使っている物だが、あまり整理が行き届いているとは言い難い。整理整頓が苦手というより、秩序立てて整理されていなくても気にならない性質なのだ。一度読んだ本の内容は概ね覚えてしまっている為、無造作に積んでいても何処にどの本があるか把握出来てしまう事も不精に拍車をかけている。

 だが、淑女として体裁が悪い上に本を傷めかねないので直そうと思っている悪癖の一つだった。本はまだまだ貴重品なのだ。もう亡くなった祖父の時代は活版印刷があまり普及しておらず、今より遥かに高価だったらしい。紙ではなく羊皮紙の本となると更に高い。その代わり、羊皮紙は条件さえ良ければ方術の保護なしに千年以上も保つ様だ。城の書庫の奥には気が遠くなるような昔の稀書が眠っている。

 思えば、祖父も本が好きだった。そして机ばかりか床まで本の山で埋め尽くしていた。一度祖父の部屋で遊んでいて、山を崩して城中大騒ぎになった記憶が有る。一つ倒すと四方の山が連鎖的に崩れてえらい目に遭ったのだ。あそこで死んでいれば冥利に尽きる死に方だったかもしれないが、流石にまだ早い。やはり整理整頓は大切という事だ。『綺麗にしていると神様がご褒美をくれる』という諺もある。まあ、本に夢中になるとそんな事を忘れて読み耽ってしまうので、我に返ったら机に本の山が出来ているのだが。


 部屋の整理は後でするとして、まずは箱の中身を確認しなければならない。『魔力遮断』などという大層な術式を刻んだ箱に入っているのだ。箱を開ける時、緊張で少し手が震えてしまう。箱の中には柔らかい綿が敷き詰められ、その中に埋まる様に半透明の水色の丸い玉が収まっている。直径がヘーリアンティアの親指程の大きさだ。

「水色の卵ですか。色だけで判断するならば水属性の幻獣とも考えられますね」

 ヘーリアンティアと頭を並べて覗き込んでいたウェネーが顎に手を当てて考え込む。

「竜とか凄い幻獣の卵だったらどうしましょう?

 ああ、東方の幻獣なのでしたね。見た事もない様な子かも知れませんよ。

胸が躍るとはまさにこの事ですね!」

 幻獣とは高度な知能を持ち、何がしかの魔力的な現象を操る存在の総称だ。場合によっては人間と共存可能な幻獣に対し、魔獣は迷宮より生まれ人類と敵対するしかない存在と定義付けられる。しかし、幻獣と魔獣、そして動物の区分は曖昧で学者達の論争の的となっていた。学問的な定義を考えなければ、世間では人間に敵対的な魔力をよく使う存在を包括して魔獣と呼ぶ。精霊や鬼などの意思の疎通が可能な存在も、敵対的であればそこに含める。

「そもそも竜は卵生なのですかね?

 確かに竜の卵を盗んだ盗賊の伝説なども有りますが」

 竜は最も有名で最も強大な最上位の幻獣だ。友好的な竜の力を借りて王になった者の伝承も有れば、一匹の竜を怒らせた為に滅んだ国の伝説さえ有る。天変地異を引き起こす程の力を持つという事だ。しかし、実際のところ人間の前に姿を現すことは滅多に無く、その生態は謎に包まれている。

「お嬢様、失礼致します。水を入れた桶をお持ち致しました」

 侍女が桶を持って来てくれる。ヘーリアンティアは早速卵を入れてみる事にした。落とさないよう、慎重に卵を掴む。滑らかな質感でひんやりとしている。まるで石の様でもあったが、それにしては軽い。だが、ゆっくりと水の中に入れると底まで沈んだ。そういえば、鳥の卵も新鮮なものは水に沈むのだった。その論法で言えば、この卵はまだ生きているという事だろうか。

「お嬢様、内在魔力を透明なまま水に溶かすのです。下手に魔力に方向性を与えると卵に悪影響が出かねません」

 水に手を入れ、言われたとおりに力を放出する。緊張で額に汗が浮かぶ。力に方向性を与えず、ひたすら無心に、無心に。

「そこまでです。

 あまり魔力を放出すると身体に毒ですよ」

 はっとなる。確かに体が少し気だるかった。

『三層水術 魔力視』

 ウェネーが方陣を描く。基本的に人間は微細な魔力を目視出来ない。これは人の目で魔力を余さず視る為の方術だ。ウェネーの碧眼が青い光を帯びる。

「ふむ、魔力は良く満ちています。後はこの状態を維持すれば卵は孵ると思われます。

 私も偶に見に来ますので、定期的に掻き混ぜ、魔力を溶かす事にしましょうか」

「宜しくお願いします。この子の名前も考えなきゃいけませんね」

ウェネーが苦笑する。

「幾らなんでも気が早いでしょう。……それはさて置き、お嬢様にお願いが有るのですが」

 不意に見たこともない位真剣な表情になる。

「このウェネー、教会で方術を学んだばかりの小娘を、栄え有るゲルマニカ家の姫君の教育係に抜擢して頂いた恩、片時も忘れた事は御座いません。

 自分如きが才に溢れたお嬢様に、方術を御教えする事の畏れ多さと誉れに身を震わせる毎日です。

 ここで敢えて、お嬢様にお聞きしたい。

 私はお嬢様にとって良き教師で在れたでしょうか?」

「ええ?

 急にどうしたのですか?

 ウェネーは物知りで優しいし、お姉様みたいに思っていますよ」

「ああ、お嬢様!

 非才のこの身に過分のお言葉、感激で言葉もありません!」

 ウェネーが顔を伏せる。長い金髪に顔が隠れる。

「ならば、ならば是非お願いしたい事が有るのです!」

 がっしりと両肩を掴まれ、ヘーリアンティアは思わず、うひゃあ、と間の抜けた声を上げる。

「あの箱をお貸し下さい!

 『魔力遮断』を研究する機会を私に与えて下さい!

 今を逃せば今度はいつ出来るか!

 いえ、現物を手に取る事など今後一生出来ないでしょう!

 是非に!」

 方術士とは、つまりこういった人種だった。その意味でヘーリアンティアはまだまだ甘いと言える。結局ウェネーは、ヘーリアンティアの心証と引き換えに研究の機会を得た。


 こうして、卵の入った水桶に魔力を通す事がヘーリアンティアの日課の一つとなった。数日の間は特に変化が見られなかった。定期的にウェネーが方術で見てくれてはいるが、変化が無いというのは正直な話、不安ではある。

 ウェネーの見解を疑う訳でないのは勿論だが、彼女にしても見たことが無い卵だと言っている。何か見落としがあっても不思議ではない。頼みの綱のウェネーはあの日以来部屋に引き篭もり、夜を徹して研究に明け暮れているらしい。見る度に酷くなる目の隈を心配して何か言っても生返事しか返って来ない。どうにも不安だった。ヘーリアンティアとしても空き時間を見繕って書庫やゲルマニカ公の部屋の文献を漁ってみたが、幻獣の卵を人工的に孵化させる理論と実践例についての理解は深まっても、では今この状態を維持して卵が孵るのかは分からなかった。

「何も変化が無いのが不安だと?」

 ウェネーが覇気の無い声で言う。隈はいよいよ酷くなり、目は眠たげに細められ、糸の様になっている。 

「そうですよ。文献によれば卵が孵る時期には物凄い種族差が有る様ですけれど、果たしてこのまま魔力を込め続けて卵が孵るか不安です。

 折角貰ったのに失敗したら、この子にもおじいさんにも申し訳ないじゃないですか」

 ヘーリアンティアが珍しく落ち着かない調子で言う。

「ふむ、『魔力視』の方術で見たところ、卵はお嬢様の放出した魔力を吸い続けてはいますが……。

 確かに、先例を鑑みても魔力を吸っているから必ず孵る、とも限らない様ですね。

 魔力を吸わせる事数十年、一向に卵が孵らず、遂にはどんな幻獣の卵なのか恐ろしくなって卵を封印した方術士の笑い話を思い出します」

「全然笑えません」

 ははは、と眠そうに笑うウェネーを、ヘーリアンティアはじっとりとした目で見る。

「土の『物質調査』の方術で内部を調べるという選択肢も無いではありませんが……、まあ、止めた方が無難でしょうね。

 あれは術式の性質上、魔力を通して内部構造を探る方術です。

 今の段階で別の人間が魔力を通す事により生じる影響が見えません」

「私にも『魔力視』が使えれば、少しは不安も紛れるかもしれませんが……」

 付け焼刃ながらなんとか習得してみようと頑張っているのだが、これが難しかった。そもそも、方術の術式というものはそう短期間に習得出来るものではない。

「水術士たる者、『魔力視』は必修の方術ではありますが、焦る事はありません。

 視る方術というものは難しいのですよ。

 平均的な人間が見る事の出来るものというのは、実はとても少ない。周りの景色が精々です。

 魔力も方陣を描くまでに収束すれば見えますが、要素の形で散らばるものはほとんど見えないでしょう?

 一方で、適正の有る者は産まれた時から魔力や遠方の景色、死者の姿や人の感情が見えます。稀に過去や未来、別の世界が見えてしまう者まで居ます。

 言ってみれば、そういった者の目を方術で擬似的に再現するのですが、初めの内は視たいものに焦点が合わない。

 無理に視ようとすれば目を悪くしますし、変なものに焦点を合わせたら最悪……、後は分かりますね?」

 ウェネーが睡眠不足により焦点の合っていない目でヘーリアンティアの顔を覗き込む。生気のない不気味さに思わず腰が引ける。

「……よく方術の教本に載っている、不用意に深遠を覗いて精神に異常を来す者の話ですか?

 あれは師の指導の元、正しい方法論で修練を積まねば某かの事故が起きる、という寓意ではないのですか?」

「……まあ、お嬢様がもう少し大きくなったら教えて差し上げます。

 薄皮一枚隔てた向こうの世界を、ね。

 今は私の言う事を聞いて、良い子にして待つ事です。でないと、思い知る事になるでしょう。

 人間、いつだって後悔した時にはもう手遅れだという事を……」

 結局、終始気味悪い笑いを貼り付けたままウェネーは部屋を出て行った。ふらふらと頭を揺らした実に眠そうな歩き方だった。扉が閉まり、部屋に一人取り残された後も、ヘーリアンティアは呆然と扉を見つめ続けた。

「子供を怪談で脅すなんて、何という大人気のなさ……」

 あれは自分を信じて待てというウェネー一流の表現なのだろう。そうに違いない。

 更に言えば落ち着きを失った自分の気を逸らす為の話術という言い方も出来るかもしれない。そう思いたい。

 ふと窓の方を見る。見てしまう。

 夕方気まぐれに窓掛けを開けたまま放っておいたせいで、硝子越しに闇の中浮かぶ月が見える。今夜の月はやけに赤く見えた。

「これは所謂、精神状態によって物の見え方が違ってくると云う状態だよね。

 怯えて見れば岩も魔獣に、影も亡霊になるという」

 怖くない。あんな話に怯えてないと自分に言い聞かせる。しかし、冷静に考えるとあの本にもこの本にも書庫のあの棚にあったあの本にも、『何か』を視てしまった者の話は載っていた。……こんな事まで覚えている自分の記憶力が恨めしい。

「……有名な話なのかな」

 或いは、色んな本に載るほどに、方術を学ぶ過程で『よく』起こる事象なのか。見てはならない『何か』を見てしまうというのは……。

 ――薄皮一枚隔てた世界を、ね。

 首を勢い良く振って頭に浮かんだ言葉を追い払う。

「今日はもう寝よう。寝てしまおう」

 そして誓おう。あんな怪談で子供を怯えさせる様な、大人気ない大人に成らない事を。

 ヘーリアンティアは窓掛けを力任せに閉め、寝台に滑り込み布団を被る。彼女が背を向けた闇の中、蝙蝠のような羽を持つ小さな影が、赤い月を横切って消えた。


 そういったあれこれが有りつつ、また数日が過ぎた。

 その間卵にこれといった変化は見られず、ヘーリアンティアはもどかしさのあまり髪を掻き毟りそうになり、ウェネーは相変わらず寝不足だった。そうしたある日。

「ああっ!」

 朝、寝起きの日課となっている卵の確認をしたヘーリアンティアは、思わず大きな声を出してしまった。

「お、お嬢様? どうかされましたか?」

 身繕いの世話をしてくれる侍女が心配そうに聞いてくる。

「尻尾が生えてる!」

「は、尻尾ですか?」

 桶の中の卵には確かに尻尾が生えていた。より正確に言えば、丸かった卵が楕円になり、一方の端が尻尾状に尖り出している。

 待ちかねて転げ回りそうになった変化が遂に現れた。長らくやきもきさせられた分、踊り出したいような心持だ。居ても立っても居られず、寝間着のままにウェネーの部屋に駆けると、扉を叩くのもそこそこに部屋に押し入る。無用心な事に鍵は掛かっていなかった。

 ウェネーはいつもの外套姿のまま机に突っ伏している。おそらく研究中に睡魔に負けたのだろう。若干の罪悪感と復讐心のままに、力一杯肩を揺すって起こす。

「ウェネー!」

「……いや、構成としては八層もいかないとは思う……」

「ウェネー起きて下さい!

尻尾が生えたのですよ!」

「んん、……お嬢さま?

 ……何ですか、そんな格好で……。……些か、はしたないですよ」

 ウェネーは目を擦ると大きく伸びをする。机に突いていた額が赤くなっている。髪も乱れ放題で、口元には涎の跡さえある。淑女としては問題だらけの姿だが、今は瑣末な事だ。ウェネーを引っ張って自室に向かう。


「……確かに、変態しつつあるようですね」

 ウェネーが顎に手を当てるいつもの姿勢を取る。

 歩いている内に目が覚めてきたのか、ここ最近見た中でも最も晴れやかな表情をしている。ただし、涎と髪はそのままではある。おそらく、先ほどの居眠りも久しぶりの睡眠だったのだろう。

「これは、このまま魔力を注ぎ続ければ良いという事でしょうか?」

「そうですね、一旦変態が始まれば変化は目で見て分かります。

 今まで以上に魔力量には気を配る必要は有るでしょうが、順調に行けばいずれ孵るでしょうね」

「やった! 

 この子は魚なのですかね、蛙や井守の可能性も有りますかね?

 水の中で孵るのだから蜥蜴じゃあないかな?

 いやでも水竜の可能性だって有りますね。名前も考えないといけないし、ああ、けど、先ずはおじいさんに報告に行きましょうか」

 はしゃぐヘーリアンティアにウェネーが苦笑する。

「お嬢様、落ち着いて下さい。変態し始めてから孵るまでの期間にもかなり種族差があります。

 ここは『魔力視』の訓練も兼ねてじっくり見守るとしましょう。

 差し当たりは身繕いを済ませましょうか。

 寝巻きで歩き回っていた事をケッラーリウス殿に知られれば、大目玉を喰いますよ」


 こうしてヘーリアンティアは落ち着きを取り戻し、ウェネーも知的好奇心をある程度満足させたのか、眠そうな様子を見せることも徐々に減っていった。無論卵の変化は注意深く見守っているが、それも日々の楽しみの一つと言って良いものとなった。

 そして一月程がたった朝。

「なるほど、確かにお玉杓子ですね」

 朝目覚めると、桶の卵は変態を終え、水色のお玉杓子になって元気に泳ぎ回っていた。お玉杓子といっても種によって形は様々だが、これは細長い流線型で魚の一種にも見える。ずんぐりしたものと比べれば優雅な姿と言ってよかった。

「可愛いでしょう!」

 ヘーリアンティアは満面の笑みで桶に指を入れている。お玉杓子が寄って来て、指をつつくのが面白いのだ。

「蛙の卵でしたか。

 まあ、蛙の幻獣であれば、取り扱いに注意すればそう危険も無いでしょう。

差し当たりは餌が問題ですね。一度ご老人を訪ねて詳しい話を聞きましょうか。ああ、お嬢様。この子は大丈夫でしたが、これからは不用意に蛙に手を伸ばしてはいけませんよ。

 ご存知だとは思いますが、蛙の中には強烈な毒を持つものもいます。特に幻獣ともなると、どんな能力を持っているか分かったものではありません」

ウェネーが、毒の有無を方術で調べながら諭す。

「むむ、そうですね……。これからは気を付けます」

「なんと言いますか、お嬢様は知識も良識もあるのに、好奇心の赴くまま衝動的に行動する傾向が有りますね。

 非常に方術士らしい気性とも言えますが」

「う、耳が痛いです……」

 あまりにヘーリアンティアの本質を貫く言葉だ。取り繕い様がない。

「冒険者を志す方術士など皆そんなものですから、一概に否定はしませんがね。

 しかし、人を人足らしめるのはあくまで理性と論理だという事を忘れないで下さい」

「はい、肝に銘じます」

 神妙に頷いておく。しかし、つい先日まで欲望のままに研究を全てに優先させていたウェネーが言っても、説得力はいま一つではあった。 

 

「そうか、無事に孵ったか」

 朝食を食べた後、いつもの3人で老人の露店を訪ねると、老人は例によって退屈そうにパイプを噴かしていた。朝の内から訪ねた事は無かった為、店を出しているか心配だったが杞憂だった様だ。

「ええ、元気に泳いでいますよ。

 あ、これはお土産です」

 道すがら屋台で買った鳥の串焼きを渡す。持ち帰る者には追加料金で大きな葉に包んでくれるので、持ち運びに便利だったのだ。この街の様な大きな都市では、およそありとあらゆるものを扱う屋台が在る。食べ物や酒類は勿論、賭博屋台や女性を乗せたいかがわしい車さえも存在する。これは川岸に停泊する船でも同じだ。無論、悪質なものは巡回の兵士が黙っていない。

 とは言うものの、ヘーリアンティアも賭博屋台には何度か行った事が有る。善悪は兎も角、下の兄が偶に連れて行ってくれたのだ。兄は賭け事が好きな癖にてんで弱く、屋台の店主は兄を見ると百年に一度の恋人とでも再会したかの様な、今にも抱きしめんばかりの笑顔でもてなしてくれたものだ。怒涛の勢いで褒めそやされながら所持金を吐き出す兄は実に残念だったが、その場に満ちるいかがわしい空気は実に面白かった。帰り道、とぼとぼと歩く兄にまた連れて行ってと強請ったものだ。

「おお、すまんな。昼に頂くよ。

 で、聞きたいのは餌の事かね」

 老人が煙を噴いて言う。

「はい、東方の幻獣だと言うお話ですし、何か特別な物を与えなければならないのかと。 ここらで手に入るものなら良いのですが」

 ヘーリアンティアが心配そうに言う。卵を孵す事に夢中になっていたが、冷静に考えれば餌の問題は大きい。東方の物しか食べないなどと言われたら、食費は凄まじい事になるだろう。

「それなら心配はいらん。あれは悪食でな、口に入る物なら何でも食ってしまうよ。

 ああ、一番喜ぶのは昆虫の生餌だったな。小さな虫を取って水に放り込んでごらん。

 きっと喜んで食べる」

「そうですか、安心しました。

 東方の香辛料しか食べないなどと言われたら、どうしようかと思いました。

 餌代で豪邸が建ってしまいます」

 安堵して冗談めかせるヘーリアンティアに続けて、ウェネーが訊ねる。

「随分お詳しいですね。ご老人もあの幻獣を育てていたのですか?」

「わしには幻獣を育てるほどの魔力はない。姉さんなら見れば分ろう?

 前に話した仲間の方術士が使い魔にしておったのさ」

 老人が笑う。仲間を語る時、老人の顔には懐かしい大切なものを想う色が浮かぶ。

「東方で冒険者をやっていた頃に偶然二つ手に入れたのさ。

 一つは仲間が面白がって育ててな、そのまま使い魔にしていた。

 もう一つはわしが持っておったのだが、卵のままでは蛙もつまらんだろうからな。

 お嬢さんが水属性だと聞いて丁度良いと思ったのさ。あいつも水属性の幻獣だからな」

「東方へ辿り着くほどの方術士が使い魔にしていたのですか。強力な幻獣なのですね。

……私の言う事を聞いてくれるでしょうか?」

 老人の笑みが意地の悪いものになる。

「世界の果てを見ようとする冒険者が、蛙一匹従えられずにどうする。

 精進することだ」

「俺は詳しく知らんのだが、幻獣を使役するというのは難しいのか?」

 黙って聞いていたスクァーマが口を開く。

「内在魔力の量や質、操る幻獣の階位にもよりますが、簡単な事ではありません。

 身の丈に合わない幻獣を操ろうとして破滅した方術士は枚挙に暇がない程です。

 しかし、お嬢様は卵から育てる事が出来ますからね。

 卵の段階から自分の魔力で育てれば、凶暴な幻獣でも術者には大人しい事が多い様です。

 どうも親か家族に近いものと認識する様ですね。

 勿論、言う事を聞くかどうかはまた別の問題ですが」

「まあ、何だってやってみればいいのだ。

 考えて分からないならやってみる。それが冒険者というものさ。

 それに、理屈ではないがお嬢さんなら大丈夫だろう。わしはそう思うよ」

 老人はそう締めくくった。

 

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