◆9

* * *


 パリィン、と空気にガラスの割れた音が響いた。

 幼いルチルは花瓶を落とした当の本人に、そっと目をやる。


「あなた……死にたいの?」


『死』という言葉は、小さくてふっくらとした可愛い口から出るにはあまりにも軽々しく発された。


「も、うしわけございません……!」


 必死に謝るメイドの声は震えている。

 彼女の生はルチルの一言にかかっていた。

 そんな立場に、自分は居るのだ。


 そう思うとなんだか馬鹿らしくて楽しくて、「ふふ」と声に出して笑ってしまう。


 背後には、鋭い爪と牙をを持つ、自分だけの従者。

 それらは『殺せ』と命じれば一つの命を簡単に消せる力を持っている。

 既にいくつかの命が切り裂かれた。


「……どうしようかしら。ねぇ、ウル。あなたはどう? 殺したい? 殺したくない?」


 振り向けば、そこにあるのは憎しみに彩られた二つの金色。

 メイドが「ひぃ」と声をあげる。白と黒の混じった毛が、見る間に逆立ってまるで針金のようになった。


「……俺は、人殺しの化け物になりたくない」


 低く響く声は拒絶を示した。


「どっちにしろ、あなた化け物じゃない」


「……あんたのほうが、十分化け物だ」


 主人に向けられるにはあまりにもな言葉に、ルチルは嬉しそうに微笑み、メイドへと向き直った。


「あなた、もう帰っていいわよ」


すぐにでも逃げ出したいのを堪えながら恐る恐る閉じられたドアを見て、ルチルは「ねぇ」と呟いた。


「初めて言葉で逆らったわね」


「反逆罪で殺すか?」


「しないわよ、あたしあなたに逆らってほしくって色々してるのに。それに、あたしが誰かを殺すのに罪や理由なんていらないわ」

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