探求の水、野望の光

第1話 コウは張り切っていた、それしか方法はなかった

「ここが……水の国の王宮……」


 私たちの周りを、黒いメイルを身に着けた騎士たちが取り囲んでいる。両手は後ろで組まされ、水の縄で拘束されている。フレイミストルと名乗った騎士は――サルビアを連れてどこかへ行ってしまった。


 間違いない、あの騎士は、サルビアの夢の中に出てきた恋する相手――。テイスなはずだ。なのに彼はサルビアの必死の呼びかけに答えなかった。どうしてだろう。


 何か、陰謀めいたものが渦巻いている気がした。


「入れ」


 誘導されたのは、水の国イードルの王宮、その大広間だった。もちろん、歓迎されているわけではない。私たちは、罪人として捕まったのだ。傍らでは、小さな女の子が荒い息で朦朧としている。


「大丈夫?」


「ミヅキ……会いたかった、です……」


 この子もまた、私のことを知っている。私は、何も知らないというのに。ひとえにそれは、私が記憶を失っているからだった。少しずつ、そのことには慣れ始めていた。自分の順応性に、少し寂しさすら覚える。


「……クリスタの2番目の妹だ。……俺もちゃんと覚えてはいねえが……こいつもワープしてきたのか?」


「三姉妹ってこと? クリスタさんやサファイアは、このことを知っているのかな」


「……知ってるさ」


 サルビアが描いたワープの魔方陣が、突然床に現れた。でもその色は、深い蒼。


「――サファイア!」


「……イア」


 少女が呻いた。その声は意気消沈していて、ともすればサファイアをなじるようなものだった。


「……ラル。怒らないで。お姉ちゃんがしっかりしていなくて、ごめんね」


 サファイアの沈んだ表情は、初めて見たかもしれない。それほど、状況は悪かった。


 サファイアの隣に、ヒカリちゃんはいなかった。モックは合流してからずっと黙り込んでいる。嫌な予感はしていたけれど、口に出す気は起きなかった。


 水の国イードルの兵士たちは、サファイアの登場に少し驚いていたようだが、特にこれといった反応は見せなかった。黒いメイルのせいで、表情を読み取ることはできない。


「……貴様らは戒厳令下で魔法を使い、国民を脅かした。これから法務長官による裁きが待っている」


「……俺たちだって危険に晒されてたんだ。……やらなきゃやられてた」


 モックが口を開いた。その口調は牙をむいた自然のように厳かで、それでいて静かだった。


「問答無用! 貴様らのせいで光の国との戦争が激化するのだぞ」


「戦争……?」


 私がその言葉を口に出した瞬間、奥の扉から青い装束の男が現れた。


「……そこまで。ここから先の説明は私がしよう。下がりなさい」


「アクエリア法務長官! し、しかしお1人では……!」


「よい」


 有無を言わさない眼力だった。フードの下から覗く白髪が、経験と知恵を感じさせる。右手には長い杖を携えており、その上の方にきれいな水晶が光っていた。


「……で、では我らはこれで。……貴様ら、不貞を働こうものならその場で打ち首だぞ」


 兵士たちは引き下がった。でも拘束のせいで、私たちはその場を動けなかった。


 アクエリアと呼ばれた長官は2、3歩前に進んだ。その老いた足はおぼつかないように見えたが、それ自体がどこか不自然だった。


「気づいてる? 老いたふりは演技だ。あのじいさん、まだピンピンしてるよ。あの杖――武具だ。あっちはいつでも戦闘態勢ってわけだ」


 サファイアの耳打ち。握った拳に、少し水の力を感じた。言ったそばからサファイアは、この男とやり合うつもりだろうか。


「さて」


 アクエリアは、サファイアの思惑にも気がついているだろう。


「……まずは自己紹介といこうか。私の名前はアクエリア・ゴボス。御年70になる。もう長いこと――この立場から国を、反逆者を見てきた。君たちのことについても、多少の理解はあるつもりだ。しかし――独りよがりな見解は常に身を滅ぼす。君たちのことを教えてくれないか? 名前と年齢を」


 身辺調査だ。偽名を考えたが、隠したところでいずればれてしまう気がした。


「……モック。小さい頃から森にいたんで、歳ははっきりとはわかりませんが、こいつらと似たようなものなはずです」


「君はきこりだね? 肉体も、魔法もよく磨き上げられている」


 そのセリフにモックはまごついた。この男――なんでもお見通しなのか。


「そう怖い顔をしないでくれ。君は?」


 アクエリアは私を指名した。


「……ミヅキです。私もはっきりとは年齢を知りません。記憶を、失っていますから。でも、16と聞きました」


 そう言えば、誰から聞いたんだろう? いつ?


「……あなたたちのことは知っていますよ。その意味で、多少理解があると言ったのです。あなたとその男、そしてそのお嬢さん2人は、8年前に《邪神》を封印した立役者だったはずだ」


「ご存じなんですか」


 おかしい。クリスタさんは全世界の人から記憶を消したと言ったはずなのに。


「……私が記憶を戻したんだよ。アクエリア法務長官には恩があるし、今後の協力もしてほしいからね」


 口を開いたのは、サファイアだった。


「8年経って、私は16になりました。ラルは14に。お久しぶりです、法務長官」


 記憶を、戻した――? そういえば、クリスタさんと初めて話した時――。



☆☆


「そんなことはべつにどうでもいいから、話の続き、するわよ? あなたは記憶を失ってしまったの。自分の名前と、あなたのお母さんの顔だけは私が復元したけれど、それ以外はだめだった――。ごめんなさい」


「えっ、クリスタさんが私の記憶を!?」


「全世界の人から記憶を消したと言ったでしょう? その逆もできるのよ。といっても、私は消す方専門だから、戻す方はほんの少しだけだった」



☆☆



 クリスタさんは「消す方専門」と言った。じゃあ、「戻す方専門」が妹のサファイアなの? サファイアの魔法があれば、私の記憶は――。


「……黒髪の君。君には当時名がなかった。水属性ということもあり、この国で引き取ろうという案も出ていたことを覚えているね?」


 アクエリアが、サファイアに声をかけた。この2人は、知り合い――。


「はい、きっとラルだって覚えているはずです。だけど私たちは《邪神》を止めなければならなかった。それに」


 サファイアは、他者を隔絶するかのように強く言い放った。


「――当時、私たちは自分たちしか信用できませんでした」


「サファイア……」


 アクエリアは、静かに眼を閉じた。怒っているようでも、悲しんでいるようでもなかった。


「今も、なのだろう? 仕方のないことだ。時に平民は過酷な運命を強いられる」


「平民?」


 サファイアが眉を吊り上げる。


「それは私たちがであることを知っての発言ですか、法務長官」


「……単なる言葉の綾だ。さて、君からの自己紹介がまだだが?」


 アクエリア法務長官が、コウに視線を向けた。コウは黙って首を掻いている。


「……8年前、《邪神》の封印時に前線に立ち闘った怪鳥――君には名があったはずだ、コウ」


 コウが、前線に? クリスタさんはその記憶を、なぜ本人からも消してしまったのだろう。


「知らねえな。あんまり女をいじめんなよ」


 コウからそんな言葉が出るなんて思わなかった。コウは確実に、クリスタさん一家をひいきしている。


「……すまない。しかし君たちの処分は執り行わなければならない。君たちが発端で始まってしまった戦争は、もはや止められないだろう。それは我々水の国イードルの問題だ。どうか、これ以上暴れないでくれ。君たちを、戦争が終結するまで禁固に処す」


「それはどうかな、じいさん」


 大広間に響き渡る声。アクエリアと同じ扉から現れたのは、眼鏡をかけ白衣を着た若い男だった。


「……サーナー。職務中は法務長官と呼べと言ったろ」


「まぁまぁいいじゃないか、じいさん。彼らを閉じ込めておくなんてもったいないよ。圧倒的強さを誇る怪鳥だっているんだ。その戦闘力を活用すべきだ」


「サーナー……お前はまだまだ青い。強さがすべてではないのだよ」


「説教なら後でいくらでも聞くさ。ただ僕は、怪鳥のデータを取りたいだけだ」


 怪鳥の、コウの、データ――。それは、とても無機質に響いた。


「特にあの炎の特務派遣士は信用できない。こいつらが不利なうちに手駒にすべきだ」


 冷徹な物言いだ。所詮、私たちは捕虜なのか。


「決定は揺るがん。サーナー、お前は持ち場に戻れ」


「やだね。この子たちは戦争について何も知らない。背景を説明してあげるべきだと思うけど?」


「牢屋の前でも構わんだろう。私からの話は以上だ」


 アクエリアが指を鳴らすと、待機していた兵士がぞろぞろとやってきた。禁固刑か。殺されずに済んだのは嬉しいけれど、これじゃあ何もできない。


 だったら、考えられることは1つ。


 自分が野蛮になってしまったような気がして嫌だけれど、今回ばかりはコウと意見が一致しそうだ。


 牢屋の中になんて、いられない。


「連行する。ついて来い」


 コウの低い声が私の耳に届いた。


「脱獄だ、脱獄。おりこうさんでいられるわけねぇよなぁ?」


 コウは張り切っていた、それしか方法はなかった。

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