第9話 破壊とか浄化とか、私にとってはそんなものどうでもよかった

「いいかい? 裏世界から来た人間を排除せずに、精神的汚染だけを取り除く方法、それが『浄化』」


「……」


「そして、今君がしようとしているそれ、つまり魔法使いを肉体ごと滅殺してしまうこと、それが『破壊』。分かったかな?」


 目の前の黒髪ロングヘアの女は、海のように透き通った瞳をくりくりと動かしながらおどけた。私は、うんざりしながら目の前の男に光線を放った。


「ぐへへへへ、当たらねえぞ嬢ちゃん!」


 邪悪なオーラをまとい、血走った眼で運河を駆ける大男。私たちが感じ取った邪気は、この男だった。


「おそらく奴も裏世界から来たってことで間違いないはず。君と協力したいけれど――そういう態度じゃなさそうだね」


「私は――あの鳥にしか興味がないの。その行く手を阻むというなら――どんな敵も、殺す」


「コウ、か。昔の知り合いっていう意味では私も複雑だなぁ。でも彼が君の平和を破壊したことも事実だしね――たとえ、記憶が消されていたとしても」


 サファイアの髪から、ほのかに潮の香りがした。


「記憶? 記憶が消されているのは、ミヅキなんじゃないの?」


「まぁ色々とね……どちらにしろ、この男をどうにかしないと合流すら出来なさそうだ」


 大男は船乗りだった。身なりも体格もそれにふさわしい格好だったが、肝心の船がない。というのに、彼は運河の上に平然と足をつけている。


「あの男、何か魔法を使ってるの?」


「どうだろうね。魔法による一時的な肉体強化か、もともと持っている能力か、はたまた裏の力によって歪められた力か。あ、ちなみに私もあれぐらいだったらできるよ☆」


 そう言えばこの女、水属性だったわね……ウインクとかまじでウザいんですけど。


「俺は一流の船乗りだ! あの事故さえなければ、念願の船長に昇格するはずだった! なのに、なのに……」


 大男は、突然屈強な両腕をわなわなと震わせた。敏感にその感情を察知したサファイアが呟く。


「それが、あなたの夢――」


「俺の船は事故を起こした! 何もかも順調な航海だった! 世界中の資産家や賢人たちを乗せた豪華客船で、俺は昇格の日を心待ちにしていた! なのに、なのに……」


 その事故なら私も知っている。船の名は、《ネオス・コスモス新しい世界》。予定通り世界の島々を遊覧していた船は、突如訪れた嵐によって沈没、生還者は0。――だったはずだ。なのに。


「あなたは今こうして生きている。いや、裏世界へ介入したことで生まれ直したんだ。教えて、裏世界の機構を! あなたたちはどこで、異様な力を手に入れているの」


 サファイアが熱のこもった瞳で問い詰める。しかし大男はシラを切るだけだ。


「知りたきゃ俺を倒しな。まぁ、無理だろうが……」


 突然、大男の両手が光り始めた。魔法だ。


「人の心に渦巻く嵐よ、その大局によりて絶望の底へ叩きのめせ! 《バシス・スィアラ》!!」


 詠唱によって運河がざわめき、大きな竜巻が発生した。愚かにも、私はその時初めて気が付いたのだ。


 今ここには、私たち以外には――誰も、誰もいない。


 魔法による暴動が起きれば、誰だって騒ぎ出すはずだ。過疎化の進んだ田舎ならまだしも、ここは水の国のそれも中心部。これほどのことが起きて、誰も騒ぎ出さないなんて不自然すぎる。


 私は、今は亡き学校での教えを思い出していた。住民が消えてしまったかのようにしんとしているとき、それは戦時中などの非常時に混乱を避けるため一般市民の外出を禁止しているから――。


 そのような法の名を、たしか――。


「戒厳令」


「サファイア……」


「そんな不安そうな声を出さないでよ。事実、今この国では戒厳令が敷かれている。恐らく、光の国との事実上の戦争状態だからだろう」


「光の国と水の国が戦争!? そんなこと聞いてない! 光の国は、武力に頼らずに平和を実現してきた誇るべき国よ!」


「……君とミヅキは光の国の学校に通っていたんだったね。ミヅキは確か、闇の国出身だったはずだけど――。君にとっては辛いことだろう。でも現実を受け入れなきゃ」


 現実? 今この女は現実と言ったのか? 夢だの浄化だの、現実を見ていないのはそっちの方なのに!


 私はいつだって、現実を見ている! 誰よりも!


「あなたに何が分かるというの!」


 気がついたら、私の脚は逆巻く渦に向かっていた。術者は渦の中心で息を巻いていることだろう。


 術者ごと、外側から光線で貫く!


「人の心に宿りし正義の光、今その鼓動を解き放ち未来を照らせ! 《デュカイ・エネージョ》!」


 拡散したエネルギー波が渦に向かって放たれる。だけど、獰猛な竜巻は私の光を弾いてしまった。


「そ、そんな……」


 まだ、力が足りないというの? これほど憎しみを蓄えても、私は強くない、と?


 もっとだ、もっと力を――。


 サファイアも、ミヅキも、コウも、《邪神》とやらも、全員を屈服させるほどの力――。


 私は、杖を強く握りしめた。


「人の心に宿りし母なる海、その穏やかなる波で暴徒を鎮めよ――《メーテール・タラッサ》」


 サファイアの詠唱で、竜巻は一瞬にして沈黙した。内部から大男が現れ、溶けるように消えていった竜巻の名残が雨のように降り注いだ。


「な、い、今何をした! お、俺の魔法が――」


「はっ!」


 サファイアは一瞬で男に詰め寄り、水の剣を出現させて男の首筋に当てがった。


「残念だけど、私の水の方がずっとずっと深くて蒼い。降伏するんだ、そうすれば苦しまずに夢を追える」


 脅迫――。これじゃどっちが裏の手か分からない。私の思考を読んだのか、サファイアは悪びれもせず言った。


「時間がないんだ。どうやら妹がこっちに来たみたいでね! ほっとけないの。浄化はミヅキにしかできない、探してきてくれる?」


 私はお役御免、ってわけ? このまま易々と引き下がるもんですか。私だって、私だって――。


「い、嫌だ! 俺は諦めねえぞ! この力で、俺は――俺の夢を奪った世界に復讐する!」


「そんなの逆恨みだよ!」


 そうだ。逆恨みなんてよくない、恨むなら、「敵」を恨め。


「人の心を照らす船よ! 未だ沈まぬ想いを抱え浮上せよ! 《ファンタズマ・キーマ》!」


 水面に浮上した、サファイアも巻き込んだ巨大な魔方陣――。来る!


「え、な、なに!?」


 大男とサファイアの身体が浮き上がる。現れたのは、巨大な――。


「幽霊船……」


「わわ、すごいね。やばめの力がビンビン来てるよ……。悪寒が止まらないくらいに」


「お前たちはもう終わりだ!」


 大男が腕を振り上げると、サファイアが船から落ちた。魔力が働いたんだろう。サファイア自身は水に飛び込むことなんて何ともないはずだけど、あの男、このまま突っ込んでくるつもりだ。


「ぷはっ! や、やば!」


 珍しくサファイアが焦っている。私があいつを、倒す!


 確かに船は大きい。だけれど術者はこの距離からでも見えるくらい無防備に船上で勝ち誇っているだけだ。あの男だけを狙い撃ちすれば――。勝てる!


「ヒカリ! まだいたの!? 逃げて! ミヅキを――!」


 ミヅキがなんだ。私はミヅキも超える。あなたも、あの鳥も。そして私は、二度と戻ってこない過去を、清算する――。


 あの鳥を、殺す!


「人の心に宿りし欺瞞の光、今その真なる姿を解き放ち、眼前の闇を殲滅せよ! 《デュカイ・アフティオス》!」


「欺瞞――? って、だめだよ! 殺してしまえば、浄化は――!」


 破壊とか浄化とか、私にとってはそんなものどうでもよかった。


「ば、馬鹿な!」


 私の杖から、黒の雷撃が走った。それは一直線に、男の心臓を貫いた。


「ごあっ……」


 男は、そのまま運河に落ち、それと同時に巨大な幽霊船も消えた。


 なんか、すっきりした。


「ヒカリ――君は……」


 陸に上がったサファイアが口を開いた。その黒髪は、ボタボタと涙のような水滴を垂らした。


「何?」


 私が視線を向けた時だった。


「ヒカリ、およびサファイアだな。戒厳令下での外出、魔法の使用、そして殺人の罪で確保する」


 ああ、何もかもうまくいかない。

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