第8話 その女は、何かに取り憑かれたかのように男の名を呼び続けた

「あなたのこと、知ってるわ」


 女は、冷笑を浮かべた少女を目の前にして口を開いた。ワープの魔方陣は封じられているというのに、その表情にはまだ余裕が窺える。


「8年前、たった6歳だというのに《邪神》の封印に手を貸した最高位の魔法使い――エメラルディ。通称、ラル」


 名前を言い当てられた蒼い髪の少女――ラルは、澄ました顔をしたまま言った。


「名前が売れてて光栄、です。ただ――悪人に憶えられたいとは思いませんね。私たちの神聖な世界を穢す、裏の使者」


「なんて傲慢な小娘。『神聖』、ですって? 自分の正しさを信じて疑わない横柄な態度は、あなたたちが恵まれているが故よ」


 ラルは女の言葉を拒絶するかのように手を前に振りかざした。


「御託はいい、です。あなたの逃げ道は封じられた――おとなしく投降し、裏世界の情報を渡しなさい。首謀者は誰? その巨大な魔法力は、おそらく自然発生的なものじゃない。どこから?」


「ふ、フフ……アハハ……」


 女の高笑いが、狭い路地に不気味に響いた。


「むしろ好都合よ。あなたのような獲物が現れてくれて。花屋さんは、お客がいなきゃ成り立たない」


「獲物……? いったい何の」


 その瞬間、女の後ろにそびえ立ったクリスタルが突然大きな音を立てて決壊した。


「!?」


 馬鹿な。氷の能力者じゃなくても、あの子の絶大さぐらいは分かる。さっきラルは、一瞬にして完璧な強度で魔方陣を封じたはずだ。なのにあの女は、それも一瞬で取り壊してしまった。くそう、こいつらどういう力をしてやがんだ――。


「私の、氷が」


 ラルは口をあんぐりと開けたまま呆けている。けれどその原因を一瞬で掴み取り、俺に報告した。


「氷の破片から植物――それも腐敗したもの――の力を感じます。あの女、私の完璧な造形に余計なものを植え付けたようですね」


 氷の上に花を咲かせたというのか。あいつ、周りが森でなくても力を使えるのか!


「――おそらくあなたの読み通りです。ただ、彼女単体ではそれは実現不可能。なぜなら彼女はすでに存在しているものを腐らせるからです。元となる『種』がなければ、力は発揮できない」


「それが『客』――俺たちってことか!」


「私たちは『獲物』――裏世界の者なんかに出し抜かれるなんて、不覚です」


「表の世界が清く輝くほど、裏の世界は深く沈んでいく――それが力になるのよ」


 女の不気味な笑みと共に、両手から腐敗したツタが放たれた。なんて速さだ。


「ラル!」


「くっ!」


 ラルの小さな両手にまっすぐ巻き付いたツルは、動きを簡単に封じ込めてしまう。あの女、ラルの魔法源が手だったことを見逃してはいなかったのか。


「多くの魔法使いは手を出力の場所に指定する。これであなたは氷を出せない」


 勝ち誇った顔で笑う女。あいつの手もラルと繋がって身動きできないが、あの女は手が使えなくても花を咲かせることができる。それにあのツタ――ラルの魔法力を吸収する類のものだ。攻撃と防御を同時にこなしている。


「……」


 ラルは力強い瞳で女を睨みつけただけだった。それって、図星ってことかよ? このままじゃやばい、よな?


「人の心を癒す植物よ、今はその優しき姿を捨て、怒りの代弁者となれ! 《ツェクリエイト》!」


 俺は斧を握り、ツタを切断しようと走り出した。だが。


「人の心に咲きし慈しみの花よ、その怨念で黒く華やかな終焉をもたらせ! 《メランフレシア》!」


詠唱――。その瞬間、俺の右手の斧は黒い花に覆われ、そのまま沈黙してしまった。


「くっ」


 それだけじゃない。この女、俺の腕まで封じ込めやがった。これじゃ別の詠唱でチェンソーを出すこともできない。


「これで、全部おしまいよ。力の差が、分かっていただけたかしら? 私はに会わなくちゃいけない。こんなところで油を売っている暇はないの」


 そう言うと、女は自分の口でツタを噛みちぎった。充分に吸い取ったということなのか、ラルはぐったりとしたまま膝から崩れ落ちた。


「ラル!」


 駆け寄って身体に触れると、恐ろしく熱い。


「おい、大丈夫か、ラル! おい!」


「くっ……こんなやつなんかに、こんなやつなんかに――」


 くそ、何が援護だ。俺は黙って後ろで見ていただけ。何もできやしない。何も――。


 俺の意識に、黒い翼がよぎった。


 このままじゃ、あの男に追いつけっこなんか――。


 女が改めてワープの魔方陣を生成する。これじゃ振り出しどころか状況は悪化してる。逃がしてしまうのか――。


「あんなやつなんかに、負けるはずはない、です!」


 隣で大きな声を張り上げたのは、ラルだ。一瞬にして、自分の身体の何倍も大きな魔方陣を展開する。


「ラル――」


 張りつめた冷気が、俺すらも襲う。こいつ、意地になって許容量以上のパワーを出しやがった!


「大きな魔方陣を張ったって、こけおどしにもならないわ。あなたの力のほとんどは、私が吸いつくしてしまったもの」


「ふー、ふー」


 ラルの息が荒い。それは体調不良のせいなのか、興奮しきっているからなのか分からなかった。


「人の心に棲みし凍てつく氷、その閉ざされた未来を拓き、過去を遺産とし凍結せよ! 《バゴウノン・ギガンナ》!」


「で、でかい……」


 魔方陣から出現したのは、巨大な氷の巨人だった。顔から胴体に至るまで、すべてが長方形の白で造形されている。意志をもたないくりぬかれた瞳からは、溢れた冷気が吹きこぼれている。


「な……」


「私を舐めないこと、です。私は天上界で、お姉様と共に血も涙も凍る特訓を続けてきました。あなたが吸った魔法力は、氷山の一角――」


「氷山――」


「これで――終わりです!」


 巨人の固い拳が、女の真上から襲いかかる。まともにくらえば押しつぶされて死んでしまう。俺は、別に女に死んでほしいわけではなかった。慌てて制止する。


「待てラル、やりすぎだ!」


「き、きゃあああああああああっ!!」


「そこまでだ!」


 その瞬間、怒号と共にラルの巨人は一瞬にして燃えて消えた。その熱すぎる炎は、嫌でもあいつの炎を思い起こさせた。


「炎の、能力者――? 馬鹿な、ぐっ」


 ラルはそのまま倒れ、消えた魔方陣と共に気を失った。


「あ、あんたは何者なんだ――?」


 声が震えている。みっともない。だけど、その男は畏怖するに値する絶大な魔法力の持ち主だった。ラルと同等、いや、それ以上かもしれない。くそ、森の外ではこんな強い奴らがうじゃうじゃいるのかよ――。


「我が名は水の国王立騎士団特務派遣士フレイミストル。現在この国は光の国との膠着状態にあることを知っておろう。無闇に魔法を多用することは、あちらにあらぬ誤解を招くこととなる」


 王立騎士団――? 各国の精鋭の騎士たちが属する、王国直属組織の騎士団か! 青いメイルで全身が覆われていて表情は見えないが、全身から溢れるエネルギーを感じる。


「あ、すまねえ、俺たちこの女のワープ魔法で突如飛ばされちまって、そんな事情知らずに――」


 俺が言い終わる前に、男が黒剣を俺の首筋に向けた。


「ひっ」


「一週間前より、一般市民は外出を禁じられているはずだ。貴様、怪しいな。光の者か?」


「だ、だから知らねえって!」


 俺が必死に弁解すると、後ろの同じ格好をした騎士2人が、フレイミストルに耳打ちした。


「植物の能力者だと? 私と同じ特務派遣士、か? だが同胞でそのような登録はなかった。やはり光の手の者か!」


 空気がざわつき、3人まとめて寄ってきた。


「わわ、待て、待ってくれ!」


「捕らえろ! 光のスパイだ!」


国王フロストルさまに連絡を! 均衡は破られた!」


「貴様、誰の指示でここへやってきた? 魔法で何をしていたのだ!」


「だ、だから違うって――」


「……イス」


 混乱する状況をもろともせず叫んだのは、黒い女の方だった。


「テイス――テイスよね!? 私よ、サルビアよ、憶えているでしょう、テイス!」


 フレイミストルと名乗った騎士が、一瞬語気を弱めた。


「サルビア……?」


「そうよ、私よ、サルビアよ! よかった、元気にしていたのね、会いたかったわ、ああ、テイス、テイス――」


 なんだこの変わりようは。知り合い、なのか? だが男の方は、また冷徹な声に戻った。


「男1人と女2人。地下牢へ連行しろ。他に、仲間は?」


「……いない」


 とっさに嘘をついたが、なんてバッドタイミングなのだろう。カラスは不吉な動物というが、この場合はがっちり当てはまっていた。


 上空から、コウとミヅキがやってきたのだ。


「いた、モック!」


「ば、馬鹿! おめえら!」


「どういう状況だ、これは?」


「それはこちらのセリフだ。貴様、怪鳥だな?」


 フレイミストルとコウが向かい合った。2人の熱気が、さっきまでのラルの冷気を吹き飛ばした。


「モック、この人誰?」


「――俺たち、捕まったんだ。この女と一緒にな」


「サルビア!」


 ミヅキは驚いた声を出したが、驚いたのはこっちの方だ。あの女は


「テイス、テイス! なぜ私を無視するの? フレイミストルなんて偽名なんでしょう? ねえ、テイス!」


 その女は、何かに取り憑かれたかのように男の名を呼び続けた。


「まさか光の国が怪鳥なんていう殺戮兵器を雇っていたなんてな」


「コウは殺戮兵器なんかじゃありません!」


「……問答無用。貴様らもついてきてもらおう」


 コウが奴らの要求を素直に聞くはずがなかった。けれど、騎士も一歩も引かない。


「誰が貴様の言うことなんか聞くか」


「聞かぬなら、ここで滅するだけだ」


「上等だ」


「やめてコウ! サファイアさんとヒカリちゃんを探さなきゃ!」


 ミヅキが最悪の名を口にした。ばっか野郎!


「サファイア、ヒカリ――それも仲間か」


「あ――」


「探せ!」


 フレイミストルがそう告げると、後ろの2人が一瞬で消えた。こいつら、魔方陣も張らずにワープを――。


「さて、素直に従わなければ、サファイアとヒカリと名乗る者を殺すぞ」


 ハッタリじゃない。こいつ、本気だ。


「何ィ?」


「挑発に乗るなコウ!」


 乗ったら最後、


 ヒカリが、殺される――!


「イア……? どこに、いるの――?」


 朦朧としているラルが、口を開いた。イアって、サファイアのことか?


 まったくあの2人は、どこにいやがるんだ!

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