第6話 黒い輝き、それは過去を見出すためのチケットだった


☆☆


「フ……剣だけでここまでやるとはな、腐っても最高位の魔法使いか。見くびっていたよ」


 私と侵入者の闘いは続いていた。奴は刀で、私は剣で応戦する。奴の刀にまとう煌々とした炎は、私の凍てつく氷を溶かしてしまいそうなほど熱気に包まれている。


「あなたもね……」


「なぜそれほどの力をもってして高みの見物を決め込んでいる? ここは退屈だろう」


 彼女は、私を揶揄しにやってきたのだ。高みの見物――それは事実だった。


「あなたには関係のないことよ」


「いいや、それは違うね! 言っただろ? 私にも理想がある、と。それを実現するために必要なもの、知っているはずだ。《力》だよ。圧倒的な《力》こそが、欲望を実現させる唯一の道!」


「私はそうは思わない」


「フ……そうやって利口なふりをしながら、ずっと臆していればいいさ! お前はあの時からずっと、他人任せのまま成長していない」


「……!」


「現実は非情さ――逃げてばかりでは、何も掴むことはできない」


 彼女の刀が、信念そのもののように燃え上がった。


 やられる――。そう思ったけれど、急速に炎は弱まり、彼女は刀を鞘に収めた。


「……ひどい顔だ。お前は内心、恐怖に怯えているんだろう? そうやって安全な場所から、世界の成り行きを見物していればいい。私たちが掴む世界を」


「……」


「……だが、お前が手塩にかけたミヅキという小娘、気にならないわけじゃない。――私も下界に降りよう」


「や、やめて! あ、あの子はまだ……」


 私の制止を、彼女の眼光が遮る。あの瞳の奥の炎――私には、あれほどまでの信念、いや、執念があっただろうか?


「まだ、なんだ? 未熟とでも言いたいのか? だが奴は、すでに最高位の召喚獣を従えている。いいライバルになりそうだよ。お前より、ずっとな」


 彼女はそう言い残すと、塔から飛び降りてすぐに見えなくなってしまった。


「所詮みなしご」


 強風が、彼女のつぶやきを運んでくる。彼女はあくまで偵察に来ただけ――その彼女の前で、私はラルを派遣してしまった。すべて、奴らの思う壺――。


「ミヅキ、ラル……」


 私のつぶやきは、あまりにも弱々しい。


 これから、どうすればいいのだろう。下界に降りる、だけど私はまだミヅキに顔向けができなかった。


 私の犯した罪、それが消えることはない。



☆☆


 「うらあっ!!」


 コウが火炎玉を何度も浴びせる。ほぼ直立したままの蟲使いは、小さく呻いているけれど手ごたえはなさそうだった。


「おい女、行くぜ」


 コウがぶっきらぼうに呼んだのは、メアリだ。メアリは火炎玉の土煙で視界が悪い中、しなやかな足取りで剣を携え蟲使いのところへ向かっていく。


「はああああっ!」


メアリの黒い背中が土煙の中に消えていった。そして、次の瞬間に聞こえたのは。


「なっ……きゃああああっ!」


 鋭い、悲鳴だった。


「メアリ、大丈夫!?」


 私は急いでメアリのところへ駆け寄る。土煙が晴れた時、そこに広がる光景は――。


「グオオオオオオオッ!」


 巨大化した蟲使いと、跪くメアリだった。


「あの野郎、さらに図体がでかくなってやがるな」


 その理由は明白だった。蟲使いのお腹から出現する蛇の数が、増えている。


「力を抑えていたのか」


「ち、違います……」


「メアリ!」


 腕を抑えて痛みに耐えるメアリの真横に座りこむ。深く咬まれたのだろう、濁った色の血が滴り落ちた。


「すぐに手当てしなきゃ……」


「私のことは気になさらないでください……それよりあの男、我々の攻撃に呼応して《力》を増殖させています」


「え、それって……」


 私が理解するより早く、コウが的確な判断を下す。――とても、冷酷に。


「下がれ女。その傷じゃ足手まといになるだけだ」


「ちょっとコウ! そんな言い方ないでしょ!?」


「いいのです。事実ですから――。それより、後はお任せしましたよ、マスター」


「え? でも私は――」


 召喚魔法しか、使えない。


 私の心の声を瞬時に読み取ったメアリは、弱々しい笑みを崩さないまま私に告げた。


「大丈夫です、マスター。これを覚えておいてください。『私の魔法は、あなたが私に授けてくれたもの』なのです。つまり――」


 元々、私の魔法?


「その通り。コウさんは少々乱暴ですが、もう勝利への道が見えているはず。どうか、お2人で協力してくださいまし」


 あの時の、ように。


「いつっ!」


「メ、メアリ! 傷が……」


「簡易的な手当てさえすれば問題ありません。マスターにもう1度だけ確認とヒントを」


「え……」


 さすがだ。メアリは自分が追い込まれていても、冷静さと希望を捨てていない。私の方が、慌てふためいている。


「我々が目指すのは裏世界の《力》に支配された能力者の《浄化》。そのためには対象者に魔法の照射が5秒以上必要です」


 5秒。その隙を見出せなければ、目的は失敗に終わる。


「私たちはそのために蟲使いを弱らせようとしましたが、中途半端な攻撃は逆効果。ならば有効だと思われるのは、増えた蛇ごと一掃することです」


「蛇を、一掃――」


「しかし蛇とて黙って見ていてくれるはずがない。蛇への攻撃役と蛇からの防御役、成功には2役が必要です」


「それを私とコウでやるってこと?」


 メアリは、大きくうなずいた。


「ええ。一掃できるほどの魔力は、そう何度も捻出できるものではありません。チャンスは、1度きり」


「1度きり……」


 大きく、つばを飲み込む音がした。私は、怯えているのだろうか。


「……プレッシャーをかけるようなことをお伝えして申し訳ありません。でも、あなたは最高位の魔法使い。きっと、いえ、必ず、成し遂げられます」


「メアリ、言ったよね? メアリの魔法は元々私のものだって。いったい誰が、メアリに魔法を移したの? 私? それとも他の人?」


 メアリは過去を反芻するかのように眼を閉じた。


「……マスター。あなたの洞察力は依然として鋭い。しかし今は目の前の敵に集中すべきです」


「そ、そうだよね。わかった」


「マスター。我々の使う闇の具現化能力は、現実と仮想の区別を曖昧にする混沌の魔法です。あるところにそれはなく、ないところにそれはある」


 そう言うと、メアリはどこからともなく黒い包帯を出現させた。


「メアリ、それ、どこから……」


「……グメイナに介抱を頼みます。あの子もまた、とても賢いですから」


 メアリは質問には答えず、にっこりと笑った。



☆☆


「……で、なんで俺が防御役なんだ?」


「メアリの言う通り、私にもできるかどうか試したいの」


「ケッ、いつまで経ってもお遊び気分から抜けてねぇようだな。この邪気は『試す』なんていう悠長なことができるタチのもんじゃねぇ」


「大丈夫だよ。コウが、護ってくれるでしょ?」


「な……! ……ガキ、俺はお前を仲間と思っちゃいねぇぞ」


「私は、思ってるよ」


 コウは、面食らったという顔をして、自嘲的に嗤った。


「……お前の友人、教師――全てを殺めた殺人鬼でもか?」


 私の方が言葉に詰まってしまう。コウはすべて分かっているんだ。これからどんなことをしても、例えば《邪神》を倒したとしても、自身の罪が消えることがない、ということを。


「分かってるなら、ヒカリに何か言ったら」


「……なんだ? 俺に謝れってのか? 謝りたいとも思わねえし、謝って済む話じゃねえさ」


 確信を持った強い語調で、コウは重い口を開いた。


「あの女は、いつか俺を殺しにやってくる。だがそれでいい。それこそが、俺の望んだ終わりかもしれない」


「そ、それって――」


「グオオオオオオオ!!」


 蟲使いの叫び声で、私たちは現実に引き戻された。


「さぁ、小娘。お前はこの邪悪に立ち向かえるか?」


「蛇を、抑えていて」


 私は幾ばくかの恐怖を携えながら、1歩前に踏み出した。


 あるところにそれはなく、ないところにそれはある。


 それは、信頼も――邪心も、同じ?


「……行きます!」


 もう喉が枯れてしまっているのではないだろうかと思うほど張り叫んでいる蟲使いを前に、私は駆け出した。正面から突き出た蛇たちが私を睨んでいる。その敵意に満ちた瞳に、臆してしまう。だけど私の不安を拭い去るように、黒い翼が私の視界を覆った。


「言いつけ通り抑えといてやる。しくじるなよ」


「うんっ!」


 コウは蛇を身体全体で抑えつけた。このまま突っ込んでいけば、コウごと突き刺してしまうことになる。コウの大きな背中を回避して、上から蛇を斬りおとすことが重要だ。


 コウの高い身長を超えてジャンプするなんて、通常の身体能力では不可能だ。実現させるには、魔法を使うしかない。


 召喚術以外の、魔法――。


 大丈夫、できる! 私には、翼がある!


 コウみたいな、大きくて黒い、どこまでも翔べる翼が――。


 私は大地を蹴り上げ、無重力の空間に飛び出した。そしてその瞬間、私の背中に黒く、大きな翼が出現した。


「なんて美しい――」


「やった、成功だ!」


 バサリ、と大きな音をはためかせ震える翼。だけどほとんど重さを感じない。


「翼――俺と同じ、黒の翼か――」


 第一段階は成功した。次は、剣。あの蛇を一刀両断できる、メアリの強くて頼もしい剣――。


 魔法よ、私に応えて!


 次の瞬間には、私の右手にイメージ通りの剣が携えられていた。これも、ほとんど重さを感じない。でも、確かにそこにあった。


 いける!


 そのまま、蛇に向かって剣を振り下ろす。コウはうらぁ、と大きな声で叫び、無理やり蛇の頭を引っ張って動きを止めた。


狙うは、コウの白い手首の先。



☆☆


「俺は、人じゃない」



☆☆


 コウと初めて会ったあの満月の夜、コウはそう言った。だけど今の私は、彼のなかに人間らしさがあることを知っている。あの白い手は、紛れもなく人間のものだ。


 そんなこと、最初から気づいていたのに。


 私たちなら、どこまでも翔べる。


 コウは、私の仲間だ。


「はああああああっ!」


 ズン、と重い音がして、蛇の断末魔と共に蛇の頭は崩れ落ちた。だけど。


「斬り込みが甘い! すぐに再生するぞ!」


 コウの指摘は的確だった。中途半端な攻撃を受けて、蛇はさらにその数を増やそうと邪気を増す。


「グウウウウウウウッ!」


 蛇使いも、苦しそうに悶えるけれどまだ諦めてはいなかった。やられる――。いや、まだ左手が残されている!


「私は、あなたの心を浄化してみせる! そして――過去を見つけてみせるよ。コウやクリスタさん、メアリとの、大切な記憶」


 ないところに、それはある――。きっとある。今は、そう信じていたい。


「だから、私はこんなところでは止まれない!」


 左手に、今度は確かな感触があった。剣が重い。だけど。


「消えてええええええええええっ!!」


「マスターの二段攻撃……! あの一瞬で、状況を冷静に分析し再生のいとまを与えなかったというのですか……」


「バウッ!」


 今度こそ、蛇たちは完全に一刀両断された。


「グオオオオオオオオオオッ!」


 蟲使いは蛇を斬られた反動で、仰向けに倒れ込んだ。


「ヘッ、少しはやるじゃねえか」


 コウがニヒルな笑みを浮かべた。私は言葉なく微笑み、蟲使いの前に立つ。役目を終えた翼はすうっと消えた。


 まだだ、まだやるべきことが残されている。


 この人の心を――開いてみせる!

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