第4話 彼の炎は、業火と呼ぶにふさわしいほど熱く、冷たかった

☆☆


 ラルが魔方陣を展開する。凍てつく力を象徴するような、冷たい魔方陣。その紋様は――雪の結晶は、何物をも寄せ付けない孤高の強さがあった。


 だけど、ラルの心は燃えている。なぜなら、この子は憶えているから。とは違い、自身が口にした言葉を、憶えているから。


 だから、希望を捨てない。


「よくやったわ、ラル」


「お姉さま!」


 ラルは私に気が付くと、駆け寄って笑みを浮かべた。その小さな頭を、撫でてやる。このまま安息の時が続けばいいけれど、残念ながら奴はまだ、倒れてはくれない。


 「エメラルディ――クリスタ」


「こ、こいつ、まだ!」


 ラルが身構える。でも、これ以上ラルに無理をさせるわけにはいかなかった。私はラルを制止して、1歩前に出る。


「お、お姉様!」


「大丈夫よ、心配しないで」


 「……通して、もらうわ」


 普通なら、すでに闘う力は残っていないはずだ。なのに、彼女の炎は消えることを知らない。もしこの世界に魔法がないとしたら、私たちは闘わずに済んだのだろうか?


 魔法がある世界と、ない世界。


 どちらが、幸せだろうか。


「なぜ、あなたはそこまで頑張るの」


「決まっているでしょう? 私たちにも、理想がある」


「理想――それが、だとしても?」


 彼女が大剣を支えに立ち上がり、そしてまた構えた。


「余裕ぶった表情、好きじゃないわ。散り散りに燃やしてあげる」


余裕、か。そんなもの全くないのに、と心の中で笑う。ゆらめく炎は、彼のものと似ていた。


ああ、本当に懐かしい。待ち受ける暗黒のことなど知らずに、馬鹿をやっていたあの頃。私たちは、彼女に心奪われていた。


悪を盗む、彼女の笑顔に。



☆☆



 「さぁ、いくぜ!」


 コウが蟲使いに突進する。鳥の脚で駆け出すのでも、黒い翼で飛ぶのでもなかった。彼はただ、頭を低くしてロケットのように前方へ飛び出したのだった。


「ひいいっ!」


 力の差を理解している蟲使いは、一目散にコウに背を向け逃げ出した。けれど、元々肥満体質の彼が、人間を超えた存在に速さでかなうはずがなかった。コウは下卑た笑みを浮かべながら、火炎玉を右手で丸めて転がしている。


「ま、待って!」


 私のかけた声は、すでに遠くなった黒い背中には届かない。せめてヒカリちゃんのように杖に乗って飛べれば追い付けたのだけど、残念ながら私にはそれすらできない。このままだと、コウが蟲使いの命を燃やし尽くしてしまうことは明らかだった。あの獲物を追うような残酷な眼、あれは、私たちの学校を襲った時の血走った目と同じだった。



☆☆


 「『魔法殺しの怪鳥』!! みんな殺されちゃった!!」


「ヒカリちゃん、後ろ――」


「え――」


「お前か?」



☆☆


 ヒカリちゃんは、「どうしてミヅキは、みんなを殺した怪鳥についていってるの」と私に訊いた。きっとヒカリちゃんは、鈍感な私なんかより、コウの本性を知っているのだろう。当たり前の話だ、ヒカリちゃんは、みんなが殺される瞬間を目の当たりにしているのだから。


 だからヒカリちゃんにしてみれば、一緒に行動すること自体おかしな話だと思っているはずだ。あの炎が、熱すぎて冷たいあの炎が、どれだけの命を奪ったか知っているから。


 私も、気心を全部許したわけじゃない。もちろんコウは危険な人物だし、信用ならない。それでも私は、私の過去を知るクリスタさんの元カレだというあの半人と、旅を共にするって決めたんだ。大丈夫、殺されないし、殺させない。私には、グメイナがついてる。


 「グメイナ、コウとあの人を捕まえて」


蟲の拘束が解けたグメイナは元気いっぱいに返事をした。すぐに駆け出し、コウに追いつこうとする。でも、私の指示を出すのが遅かったせいで、コウはすでに、彼に火炎玉を――。


「くらいな!」


 大きく右に振りかざした腕は、真正面の彼の背中を捉えず、その右側を流れる大きな河川へと落ちていった。外した? シュウウと消沈していく魔法とは裏腹に、コウの声は興奮して高まっていく。


「ビビったか? さぁ、次だ!」


 わざとだ。コウは彼の恐怖を煽るために、わざと攻撃を外した。


「ひぃ、許してくれぇぇっ!」


「謝ったって許さねぇさ。貴様は俺の大事な相棒を傷つけた。死罪でも軽いくれぇだ」


「し、死――」


 遠くて2人の表情は見えない。だけど、顔面蒼白な蟲使いの顔が浮かぶ。間違いない、コウは彼をいたぶって殺すつもりだ。


 確かに彼はグメイナを傷つけた。だけど、無暗な殺生は止めてほしかった。ヒカリちゃんに、また怒られるだろうか。


「はあああああああああ……!!」


 もったいぶって火炎玉を錬成している間に、後ろからグメイナがコウのお尻に噛みついた。


「痛ってぇ! グメイナ! 何しやがるっ!」


「グルルルル……」


 唸るグメイナ。普段は反抗心なんて見せないグメイナが主人に抗う理由を、彼はすぐに見つけ出す。


「テメェか」


「……」


 私は黙って、コウに駆け寄る。その隙に、蟲使いは住宅地の角を曲がっていなくなってしまった。


「……殺しは良くないよ」


私の声はか細い。もっと自信をもって言えばいいのに、コウの出で立ちに気圧されてうまく言えない。


「……呑気な奴だ。グメイナは便利屋じゃない。そう言ったはずだが?」


「……また、繰り返すの?」


 コウはめんどくさそうに頭を掻いた。


「繰り返してるのはそっちだろ。最初の爆弾魔も、植物使いも、今の蟲使いも、みんな逃がしちまったのはどこの誰だ? さっさとケリをつけねえから、敵の数ばかり増えるんだろうが」


 コウの言っていることは正しかった。だけど。


「彼らが私たちを襲うのにはなにか理由がある。私はそれを止めなきゃならない。それは私にしかできないことだから。だって、そうでなきゃ私の頭の中に響く彼らの夢の説明がつかない!」


「夢見てんのはテメェだろ。子供の正義ごっこには付き合ってられねぇんだ。俺は行くぞ。ついてこい、グメイナ」


 グメイナは、さっき私にしたように元気に吠え、コウの後ろについて駆けていった。グメイナは従順な犬なのだろう。今はコウも私も主人と思っているから、2人の言うことを聞いてしまうのだ。


 先に言ったもん勝ち。そういうこと?


「でも……」


 ここで逃げ出すわけにはいかない。


「よし」


 拳を握りしめ、グメイナのあとを追った。


 私が追い付いた頃には、もうコウがとどめを刺すところだった。コウの中心を、炎の渦が燃え盛っていた。怯える蟲使いに馬乗りになり、興奮しきった顔で叫んでいる。


「終わりだ、クズ野郎!」


「コウ、だめっ!」


「バウアウッ!!」


 グメイナも吠えたが、コウを包む薄い炎のバリアがグメイナをも寄せ付けない。だめだ、もう――。


 やっぱりコウは、ただの愉快犯なの?


 「私に、他の魔法が使えたらっ――!」


 無力だ。私はコウの狂気にも、グメイナの懸命さにも、ヒカリちゃんの悲しみにも、寄り添うことができない。私はただ、こうやって指を咥えてみているしか――。


 「いいえ」


 突然、私の中に声が響いた。高い、透き通った声。


「だっ、誰!?」


「あなたは唯一無二の最高位の魔法使いです、マスター。私を、召喚してください」


「しょ、召喚!? で、でも、私は魔法なんて――」


「……思い出して。私に名前を付けてくれたのは、あなたです」


「私が、名前を――?」


 声の主が、笑った気がした。私はその実体のない柔らかな笑みを、知っている。


 杖が、輝き始めた。


「な、なんだ……」


 コウがこちらを見る。私に注意が逸れ、攻撃の手が止まっている。今だ、今なら、コウを止められる。


 ――あなたの力を貸して。


「人の心に棲みつきし闇、その悪を盗み取る矛盾した娘、今その姿現し、迷える人々に確かな夢を見せよ!」


描いた魔方陣から、黒い光と共に女の子が浮き上がってくる。私は、知っている。あなたの、名前は――。


「やっとお会いできましたね、マスター」


「そうだね、ブラッディ・メアリ」


 メアリは私に微笑みかけ、黒いドレスを翻して、コウに向き直った。その声は、生真面目なものに変わる。


「ご命令を、マスター」


「コウも蟲使いの人も、誰も傷つけないでこの場を収めたい。知恵を貸して」


クク、とメアリは意味深に笑った。


「本当に残念なことです。あなたが記憶を失っていなければ、意気揚々としてあの魔法を使っていたはずですよ」


「あの魔法?」


「あなたには力がある。邪悪な心を取り除き、夢を与える力が」


 夢を――。


「見ていてくださいマスター。私に存在理由いのちを与えてくれた、愛しい大泥棒マスター



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