タイトル:もうダメみたいです

緊急事態を知らせるサイレンが、けたたましく研究室に響いています。の実権はに握られてしまったし、私たちにできることは、もう何もないようです。


 そうだ、遺書代わりに私たちの博士のことをここに書き記しておくことにしましょう。博士は私にとって、ともに不可能を可能にできる仲間でもありましたし、何でも相談できる無二の親友のようでもありました。そして、なにより、誰よりも頼りになる大先輩だったのです。


 たった一つだけ、彼の欠点を挙げるとすれば――異世界の開拓という、前人未到の奇跡を成し遂げようとしていたからかもしれませんが――彼は、危険な匂いを好む人でした。そう、あの満月の夜も――。



☆☆


 「博士! 魔法石のダイヤがありません!」


「くっ、予告状通りに現れたか……怪盗・フルムーン!」


「あっ、いました! 教会の上です!」


 動体視力の優れた研究員の一人が、罰当たりにも教会の上で黒いマントをはためかせている怪盗を見つけました。その右手には、見まがうはずもありません、大きな魔法石が握られています。


 「聞け、諸君! 私は満月の夜に現れる怪盗・フルムーン! 予告通り、この魔法石のダイヤモンドはいただくぞ! ハッハッハ!」


 甲高い声はよく聞こえるけれど、肝心の顔はマスクによって隠されていました。そのまま私たちに背を向け去ろうとする怪盗に、博士が声を張り上げました。


「待て! それはを創るのに必要な、大切なものなんだ! 君に渡すわけにはいかない! 返しなさい!」


怪盗は無言で、次の建物へと飛び移りました。もちろん、普通の人間じゃそんなことはできません。あの人は、魔法使いでした。


 「くそっ」


対して、魔法が一つも使えない博士が、怪盗を追いかけようと窓から飛び降りました。研究所は、そこらの高層ビルを悠々と超える高さの一角にあります。私が何もしなければ、博士はあっけなく転落死していたでしょう。


「博士!」


 私はとっさに水魔法で巨大なサーフボードを具現化して博士を受け止めました。


「あ、ありがとう……」


「操作はは私が遠隔で行います! とにかく行ってください! どうしても、魔法石を取り返したいんでしょう?」


「ああ、理想郷ユートピアのために……」


 体勢を立て直し、凛々しい顔でそうつぶやいた博士の顔は、満月の夜にとても映えていました。月の光と相反するように黒く輝く、あの怪盗と同じように。



☆☆


 怪盗を見つけるのに、さほど時間はかからなかった。なぜかって? 怪盗は、律儀にも僕が見晴らしのいい建物の屋上に到達するまで待っていてくれたのだから。


 「なぜ、待っていてくれたんだい」


「ここからなら、満月がよく見える」


そこは、今は使われていない古びたラジオ塔だった。


「寒いな」


やけに親しげに、怪盗が言った。僕は返事に困り、空中に立ちつくすしかなかった。


 「それ、返してくれないかな」


数秒の沈黙の後、僕は意を決して口を開いた。その返答は意外なものだった。


「どうして?」


「どうして――って……さっきの僕の話、聞こえなかったかい? それは新しい世界を創るための――」


?」


 食い気味に怪盗が質問した。夜風が、怪盗の仮面の上の髪を揺らした。彼女が女性であることを、僕は今更ながらに気が付いたのだった。


 「新しい世界など創って、お偉い科学者様はどうするつもりだ? 異次元へ逃避行でもするつもりなのか?」


「ち、違う! 僕たち研究チームの目的は、この世界では叶えられない夢、希望、幸福を叶えられる世界を創りだすことだ! 決して否定的な意味合いじゃない!」


「……」


 彼女は黙っている。僕は、話を続けるしかなかった。


 「考えても見てくれ、この6つの属性と国に分かれた野蛮な星は、魔法力と暴力がすべてを支配している。僕たちのような知的な集団が束になったところで、魔法が使えなければ世捨て人だ。こんな、魔力至上主義の世界においては、万人が幸せになることなんて不可能だ! だから僕たちは――」


?」


 また、話を遮られた。彼女は自嘲的な笑みを口端にうかべている。


 「たとえ別の世界を創っても、そこが別の形で権力者に支配されるだけ――私たちはこの腐った世界で生きていくしかないのよ」


「なぜ、そう決めつける?」


 突然、暗雲がたちこめ、雷鳴がとどろいた。上空は危険だった。


 「一旦地上に降りよう、ね?」


「ねぇ、なぜ私が怪盗なんてしていると思う? 私はね――」


 その瞬間、彼女を青白い雷が襲った。一瞬、彼女はこの世の人ではないかのように白く、美しく見えたが、次の瞬間には、彼女は緩やかに夜空から突き放されていった。


 白い仮面とダイアモンドが、ひらひらと落ちてゆく。


「危ないっ!」


 リンダがサーフボードを操作してくれたらしい。素早く彼女の落下点に先回りし、彼女を抱き留めることに成功した。もちろん、ダイアモンドも。


「だ、大丈夫かいっ!?」


 驚くべきことに、そこには――僕より少し若い――20代前半ぐらいだろうか?――美しい顔の女性の姿があった。


「どこにいても――私は幸せになれない――」


彼女は顔をそむけ泣き始めた。僕の言葉は、僕の思考を飛び越えて、勝手に紡がれていた。


 「僕と、結婚しよう」


「え?」


彼女が、こちらを向いた。目を腫らした顔すら、この世のものではないかのように美しい。


 「君がどこにいても幸せになれないというなら――僕が君を幸せにする。それでいいだろう?」


「なに、それ」


 彼女は、静かに笑った。夜空に浮かぶ僕たちを、暗雲の去った満月が、見下ろしていた。



☆☆


 「落ち着いた?」


僕は、研究室に彼女を呼んだ。暖かなココアを飲みながら、柔らかな表情をしている。


「さっきの話、本当?」


彼女が僕を見据えて、訊いた。肝心なところで臆病者だな、僕は。言葉を濁してしまった。


「ふふ」


 彼女はさして落胆したようでもなかった。窓からのぞく満月を見て、彼女は言った。


「月がきれいですね」


「君、名前は?」


「ミカ」


 その名は、彼女によく似合っている。なぜだかわからないけれど、そう思った。



☆☆


 この話はすべて、後で博士からお聞きしたことです。まったく、天下の大怪盗と大恋愛を繰り広げるなんて、とても博士らしいですね。


 さて――あちらから、足音が聞こえてきました。もうダメみたいです。博士、みんな、今まで本当にありがとうございました。


 ああ――あの小さな女の子たちは、今でも元気かしら。

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