第7話 渡された地図には、何も書かれていなかった
「バウッ、バウッ!」
森をさらに進むと、グメイナが懸命に吠え始めた。
「近くに……いるのね?」
「バウッ!」
獲物を狙い続けるような鋭い目つきが、一瞬和らいだ気がする。グメイナだって、かつての飼い主を心配している。
ドォン、という爆音が耳をつんざいた。思わず耳を塞いでしまう。この先に、怪鳥がいる。
草木をかき分けた先は、熱気と煙、そして業火に包まれていた。2人の炎の能力者がやりあっているから、無理もない。だけど――戦況は、明らかだった。
ボロボロの身体で地面に這いつくばる男と、無傷で人を小馬鹿にした笑いを浮かべる怪鳥。
「ち、畜生――人の心にたぎりし復讐の炎、その絶対なる力で、眼前の炎を塗り替えろ!」
男がやっとの思いで片手をかざし、怪鳥の足元に向かって詠唱を唱える。男の右手から業火が放たれても、怪鳥は1ミリも動かない。
脚だけに命中したとは思えない爆音が、森に響いた。でも――。
「どうやら、そこまでらしいな」
「な、なぜ――」
怪鳥には当たっていなかった。男の背後で、彼の背中を笑うように怪鳥は言葉を続ける。
「月とすっぽん、って知ってるか?」
月。あの満月の夜、私たちは出会った。その日から、まだ長くはたっていない。けれど私には、瞳の奥に立つ黒い男が、あの時とはかけ離れて映った。それを示すかのように、私と彼の間に、炎の壁ができている。
「とどめだ!」
怪鳥が両手から、炎を放射した。その魔力は、男のものとはケタ違いだ。
「バウワウッ!」
「グメイナ!」
放射された炎に向かって、グメイナが駆け出した、これじゃあ、グメイナが殺されてしまう!
私の心配をよそに、グメイナは自発的にバリアを張って怪鳥の炎をしのいだ。そしてそのまま、怪鳥へ駆け寄る。
「バウワウッ! ハッハッハ……」
怪鳥のそばでしっぽを振るグメイナはとても嬉しそうだ。それとは対照的に、怪鳥は無表情のままグメイナの頭を撫でている。
「来たのか」
怪鳥が小さくつぶやいた。私はそれを、グメイナに向けられた言葉だと思い、立ちつくしていた。でも、怪鳥は私の眼をまっすぐ見て、もう一度言ったんだ。
「来たのか」
その表情は、どう考えても私を歓迎している風ではなかった。でもその反応は予想通り、今さら怯んだりしない。
「ええ」
できるだけ澄まして言ったつもりだったけれど、怪鳥にはどう映っただろう。
「グメイナが来たということは、お前がいるということだ。グメイナの今の所有者は――お前だからな、窃盗犯」
「また、窃盗犯呼ばわり?」
「何をしに来た」
私の言葉を無視して、怪鳥が核心に迫った。何を、しに来た? そう、怪鳥の態度と同じように、この質問だって、予想できたはずだ。「邪魔をするな」。そのメッセージに、私はどうこたえるつもりだったのだろう。
口をついて出たのは、彼を刺激しかねない言葉だった。
「また、殺すの?」
熱い炎が飛んでくるだろう、そう思った。だけど怪鳥は意外にも、小さくこうつぶやいただけだった。
「ああ」
数秒、いや、数分間の沈黙が流れた。爆弾魔は逃げようともがいていたが、グメイナの前足に背中を押さえつけられている。
怪鳥は、男に手を下そうとはしなかった。ただ静かに、燃え広がる炎を見つめていた。私は次にどうするべきか、決めかねていた。
「ひとつ、言っとくことがある」
先に沈黙を破ったのは、怪鳥の方だった。
「お前、さっきグメイナを喚んだとき、何かにすがる気持ちでいっぱいだったろ。だが扱いには気をつけな。グメイナはお前の、便利屋じゃない」
便利屋。そんなつもりでこの子を喚んだつもりはなかった。けれど、あの状況じゃそう取られても仕方がないのかもしれない。怪鳥なりの、グメイナを気遣った言葉のように思えた。
きっとその言葉の後ろには、クリスタさんとの絆があるのだろう。私の居場所は、そこにはなかった。
「わかった、気を付ける」
「なぁ」
怪鳥がもう一度、私に視線を向けた。
「お前は、俺がその挑発じみた説得で、こいつを殺さないとでも思っているのか」
私は、一瞬その言葉をどう受け取ればいいのかわからなかった。私はいつも優柔不断だ。ヒカリちゃんも、ずっとそう思っていただろう。私は試すように、言った。
「思うよ」
「フッ」
怪鳥が小さく笑った。
「クリスタにそっくりだ」
その瞬間、彼に言うべき言葉が分かった。そう、単純にこう言えば良かっただけなのに。
「帰ろう」
「帰る? クックック……」
声を押し殺して笑う怪鳥は、どこか苦しそうに見えた。
「俺には、帰る場所なんかない」
「旅を続けようよ。モックに会いに行った理由、分かってるんだよ? 《邪神》の封印、面倒だからモックに押し付けようとしたんでしょ? だめだよ、そんなんじゃ」
「ハン」
怪鳥が、少し笑った。私も、つられて笑った。その時、顔を伏せていた男が、大声で笑い始めた。
「はっはっは! この戦闘狂が、旅だと? どうせ目的地に着く前に、みんな殺されるに決まってる! この、野蛮な、バケモノが!」
「……」
言葉はなかった。でも一瞬で、怪鳥の表情が変わった。猟奇的なその顔は、殺すことに迷いがない。
「待って!」
私が叫んだのと同時に、炎の壁が厚くなった。私じゃ、どうやっても彼の心には届かないの?
俺じゃ――ダメなのか?
頭の中に、声が響いた。それは紛れもない、爆弾魔の声だった。
「な、なに――?」
俺は、一流の花火職人になりたい――夏場だけの、こんな手伝いじゃねえ、本格的な――なのに、どうして――。
「俺のことをバケモノと言ったな。テメエも一緒なんだよ、地獄へ落ちろ」
違う、この人は。
一瞬だけ、炎の壁に隙間ができた。それはまるで、私が彼に声を届けられる一瞬のチャンスのようだった。
「聞いて怪鳥! この人は最初から爆弾魔だったわけじゃない! この人は、本当は――」
「なぜそんなことがわかる?」
私の言葉を遮る、怪鳥のもっともな追及。
「私にもわからない――でも嘘じゃないの」
「フッ」
また、怪鳥が小さく、自嘲的に笑った。殺意のこもった腕を、止めてくれている。
「俺がすべてを焼き尽くす邪悪な能力――魔法少女には、そういう夢のある能力があってもいいかもな」
夢。そうだ、この人は。
「この人の夢は、一流の花火職人になること――」
「バウバウバウッ!」
突然、グメイナが激しく吠え始めた。その足元に、男の姿はない。
「消えた――?」
「ご名答。お嬢さん、よくできました」
今度は、背後から若い女の声。振り向くと、私より少し年上だろうか? 黒髪ロングヘアの少女が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「あなたは誰?」
「君の能力は、他人の夢がわかること。そして君の使命は、この地図を完成させることだ」
私の能力? 私の使命? 混乱をよそに、少女は私に白い大きな紙――大きな模造紙ぐらいのサイズ――を押し付けた。
「君は、この地図を完成させなきゃいけない」
地図? と言っても。
渡された地図には、何も書かれていなかった。
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