4(Hyde)
数時間前 卓也が喫茶店を出てしばらく後
『ラグーナポリス』商業エリア
魔族と人間の共存、魔術と科学の融合を目指して創設された地域、魔族特区。そこは、人類のさらなる可能性を模索する場であると同時に、底なしの利益を秘めた市場でもあった。
魔族を新たな顧客と捉え、もしくは魔術を応用した新たな商品開発を狙った各業界は、積極的に進出。近畿地方の魔族特区である『ラグーナポリス』もその例に漏れず、商業エリアは国内外の有名ブランドが、見本市の如く立ち並んでいる。
そんな大御所たちが軒を連ねる大通りの一角、テニスコート2面分の敷地に構えられているのが、『易占奇術』だ。『易占』をそのまま『えきせん』、『奇術』をひねって『トリック』と読むこの場所は、4階建てのビルの内、2階層分にゲームセンターとスポーツジム、カラオケボックスを突っ込んだ娯楽施設。その知名度は
その為、春休みという束の間の青春を謳歌する若人たちで、店内は賑わっている。
しかし、今回目を向けるべきはそんな青春の1ページではなく、その最奥部。サービスカウンターの脇から伸びる、L字の通路の先。普通の客なら気づかないエレベーターでのみ訪れることができる場所だ。
表向きは、従業員の控室や景品その他の倉庫という事になっている3階フロアの一角に、古い行燈が目印としておかれた部屋がある。
かつては闇に生きた怪異たちが公の存在になった現在でも、なお起こる奇怪な事件、それを解決してくれる相談所、『占い処 暁-アカツキ-』である。
そして現在、『占い処』の主人である異邦人2人は、とある夫婦を来客として中央のテーブルに迎えていた。
「どうか、お願いします。娘の、シズクの無念をどうか・・・」
夫と
やや大げさに見えるその仕草を向ける相手は、彼女らとは祖父母と孫ほども歳が離れていそうな、白いワンピース姿の少女。アジア系の顔立ちだが、目元が隠れる長さの髪は濃い茶色で、その隙間からは灰色の瞳が覗いている。
彼女は夫婦が差し出した、大勢の福沢諭吉が顔をのぞかせている封筒を、困った様子でしばらく見つめると、助けを
少女より10歳ほど年上と思われる、長い金髪に蒼い瞳を持った赤いドレスの女性は、その意を汲み取ると頷き返し、卓上の封筒を丁重に押し返す。
「お気持ちはお察ししますが、これはお戻しください、ご両人。こういったご依頼は、我々ではなく警察へされた方がよろしい」
「そんな!?『魔物』の被害者なら必ず助けてくれる、そう聞いてわざわざ足を運んできたのにっ!」
ハンカチを握りつぶし、夫人は青筋が浮いた顔を見せつける。その目元に、涙の跡は見られない。
やはり芝居だったか、と内心で呆れながらも、赤いドレスの女性、
「我々が助力できるのは、あくまでも『民事』で解決できる案件です。今回のような、警察が捜査をしている『刑事』の事件は、お引き受けできま・・・」
「もう良いわ!あなた達に頼もうとした私が馬鹿だった!」
夫人はヒステリックに叫ぶと、
「魔物の分際で、人間のマネなんかしてんじゃないわよ!!」
入口のところで振り返り、そう捨て台詞を吐いて出て行った夫人に、店主2人はポカンとした顔で、互いに顔を見合わせる。
「・・・妻が、申し訳ない事を。私の仕事の都合で、娘と3人でこの街に越してきたのですが・・・」
「お気持ち、お察しします」
少女が同情の声をかけると、夫はそそくさと『占い処』を去った。
ちゃっかり、札束入りの封筒を懐に入れて・・・。
「「はぁ・・・」」
来客が去り、戸が閉まったのを見届けた2人は、やれやれと体の力を抜いた。
すると、それから数秒もせぬ間に、再び入口の戸が開けられる。入ってきたのは、なぜか左頬を腫らした卓也だった。
「・・・今すれ違った2人組が、メールにあった『依頼人』かな?やけに足早だったけど」
喫茶店に居た時とは、がらりと雰囲気が変わっている彼は、保冷剤をキッチンペーパーで巻いた即席の
それに答えたのは、白の少女、新井ミカだった。
「ううん、刑事案件だったから断った。『魔物』呼ばわりされちゃったけどね」
『魔物』、その単語を聞いた卓也は、びくりと肩を震わせ、踵を返そうとする。
だが、即座に赤の女性、新井ララがソレを制する。
「まてまてまて!怒るのは判るが反射で動くな!!ミカは
「・・・・」
その言葉で、卓也は『非常口のポーズ』で数秒固まった後、渋々ながら来客用ソファに腰を落ち着かせた。
「まだそういう連中が残ってんのか?人間ってくっだらねぇ事を、いつまでも引きずるよなぁ」
他人ごとのように言う卓也を、ララは諫めようとする。
「お前だって元人間・・・ああ、お前は最初からこっち側だったか」
「珍しいわね、あなたが昼間から出てくるなんて。その左頬の所為?『ハイド』ちゃん」
ミカが患部を指さしながら問うと、
「どこぞの叔母上様が、『ジキル』を休日出勤させやがった所為でもあるけどな。こっちに上がろうとしたら、一階の隅の方・・・ほら、新しくプリクラの台置いた辺りで、カツアゲをやらかしている連中を見つけちまったんだよ。で、お客様対応係なジキルは、当然それを止めに入り、カツアゲ犯の一人のヘッタクソなアッパーで、俺様ちゃんが起こされちまったって訳だ」
「この店でそんな事をするとは、島外からの旅行客か?・・・で、その哀れな不良たちは今?」
「地下一階のフィットネスクラブだろうよ。俺様ちゃんが
それを聞いた2人は、連れていかれた不良たちのその後を想像し、そっと祈りをささげる。
「かわいそうに、この店で暴れたばかりに・・・」
「あ、あとでアルムさんに電話しておくわね。お店に警察が来ない程度に加減しておいてって」
「放ってても大丈夫な気がするけどなぁ。・・・って、俺様ちゃんの事は、もうどうでも良いから」
再び体を起こしたハイドは、氷嚢をポイッとくず籠へ投げ入れる。その頬は、最初から腫れてなどいなかったように、完治していた。
「さっさと本題に入ろうぜ。呼び戻した理由は、さっきの夫婦だろ?喪服だったって事は、最近、街の方でオイタしてる殺人鬼に絡んで、か?」
「ああ、喫茶店で新聞に目を通したか?昨日の夜、夫妻の一人娘であるシズク嬢が、4番目の被害者となったんだ。17歳、4月で高校3年になる予定だった」
「17歳の女子高生、ね。最初が不良グループの
ドブの中の汚泥を見ているような目つきで、ハイドは呟く。
まったくだ、とララは彼に同意しながら、独自に調べていた内容がまとまったファイルを、戸棚から取り出す。
「犯行は夜遅くである事。全員が身体を貫かれて殺されている事。現場に残った血液の量がやけに少ない事。この3つが共通点だ」
「夜に活動して、人間の体を貫通できる力があって、血を食らう者。吸血鬼だな」
「それも成り立てで、かつ単独で行動している、ね。『親』が一緒に行動してるなら、血の接種方法をきちんと教えて、連続殺人なんて起こるはずないもの」
「独りでやってるなら、犯人は自分の痕跡を完全に消せないはずだろ。警察はどこまで追い詰めているんだ?」
「既に身元の特定はできているようだな。情報屋によれば、私服の刑事たちが、この男の行方を聞いて回っている」
ララは一枚の写真を、卓上に置いた。
そこに写っているのは、髪を緑と赤で染めピアスを顔にむやみやたらと付けた、チンピラの見本のような男だ。
背景がなく真正面を向いていることから、何かの証明写真として撮られたものらしい。
「名前は――――。25歳、島外にて喧嘩や軽犯罪で複数の前科あり。最近特区に渡ってきたみたいだな。最初の被害者と、グループの主導権について争っていた事、犯行現場がすべてこいつの活動範囲内という事から、警察は確保に奔走している」
「だが捕まっちゃいねぇ。警察にだって対魔族用のチームがあるはずだろ?ジンノの旦那は何してんだか」
「向こうは人間だった頃からの札付きだからな。警察の動きをうまく察知してかわしているのだろう。だが、遺族にはそんなことは関係ない。しびれを切らして、我々『法の外に居る者』を頼ってきた」
「でも、私たちはやっぱり刑事事件には関われない。下手を打てば私たちが捕まるし、ジンさんにも迷惑掛かっちゃう」
懇意にしている警察官の顔を思い浮かべながら、ミカは残念そうにかぶりを振った。
闇に生きる者たちに人間の法が適用される。それは彼らの悪行を罰する機会を増やしたが、同時に懲戒する側にも厳しい制限を課す結果となったのである。
すると、ハイドがある提案を持ち掛ける。
「だったら、正当防衛、って事ならどうだ?」
「正当防衛?・・・囮を使うつもりか」
意図を察したララにハイドは頷くと、ミカの方を向いて説明する。
「お
「・・・
目の前の
「私がついている。安心してくれ、姉さん。それに、この甥っ子は既に一度、体に穴をあけている。2度目だからすぐに復活するさ」
「ちっ、昔の事を掘り返すなよ。というか、やったのはあんただろうが、叔母上様よぉ!」
若干イラついた声で、ララを睨むハイド。その両眼は日本人とは・・いや人間からも程遠い、真紅の光を宿していた。
「うん?今から予行練習でもしたいのか?相手は所詮素人だからなぁ、私と違って、無駄に痛いかもしれないからなぁ」
売られた喧嘩を買うように、手刀を作りながら威圧的に立ち上がるララ。サファイアのようだったその
「もう、2人とも!喧嘩は外でやりなさい!」
そして、テーブルに飛び乗り、2人の間に割って入ったミカも。
「この部屋の家具、高かったんだから!壊したらお仕置きよ!」
妹と息子を交互に牽制するその幼い瞳は、2人よりもはるかに強く、紅に輝いていた。
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