3(Hyde)

「だぁれが殺人鬼だ?誰が?」


 ぐったりとした卓也から、彼の血で真っ赤に染まった腕を引き抜いた男は、その場に崩れ落ちた彼の身体を踏みつけながら、不満そうにつぶやく。


「二つ訂正しとくぞ、えさぁ。俺は偉大なご主人様にを受けた夜の貴族、『吸血鬼』だ。そして、お前らはオレ達の『餌』。だからこれは『食事』であって『殺人』ではなぁい。・・・って、聞こえてねぇか」


 ぼうっと開かれた卓也の眼から光がなくなっている事を確認した男は、つまらなそうに立ち上がると、自分の掌を汚すドロッとした赤黒い液体を、ためらいなくしゃぶる。

 それを口の中で咀嚼そしゃくし味わうが、すぐに顔をしかめ、汚らしい声と共に吐き出した。


「まっずぅぅ!?お前の血どうなってんだ?これまでで最っ低だ!おえぇ」


 傍若無人に卓也の血を吐き捨てると、吸血鬼は仕返しとばかりに、彼のわき腹を蹴りつけた。


ったくガスッ昨日のガスッ女子高生がガスッ最っ高だった分ガスッ落差で気分最悪だガスッっ!!。ああ、口直しにもう一狩りいかねぇと。だが、繁華街の裏路地すら、人通り減っちまったしなぁ」


 日光という加護が西に消え、通り魔への警戒から人気ひとけの絶えた公園内を見渡しながら、男ははぁっとため息をついた。

 すると突然、園内に第三者の声が響いた。


「・・・それなら、私の血はいかがかな?」

 

 吸血鬼が振り返ると、一人の女が公園の入り口から、こちらへと歩み寄ってくる。

 赤いドレスに身を包み、それとは不釣り合いなクーラーボックスを肩から下げた、20代に見える女性。その金色の長い髪は幽かな夜風にたなびき、蒼い両眼はまっすぐに男を見据えている。この場の惨状を、気に留めていない様子だ。星明りも頼りないほどの暗がりを進む彼女だが、吸血鬼の眼はその全容をはっきりと捉えていた。

 男は喉の渇きが込み上げてくるのを抑えつつ、女に向かって問いかける。


「お嬢さん、自殺志願者か?俺が言うのもなんだが、まともな人間はこんな状況で、平然としていられねぇはずだが?」

「半分正解で半分間違いだ、夜の貴族殿。私は自殺志願者ではないが、マトモとも程遠い。『連合ネクサス』の代理人、と言って解るかな?」


 代理人と名乗った女だったが、身分証のたぐいを見せるそぶりはない。

 吸血鬼も初耳らしく、首を傾げいぶかしむ。


「ああ?・・・ねくさす?聞いたことねぇな」


 すると女性は、それを予想していたように、かぶりを振った。


「やれやれ、どうやら君のご主人はむせきに・・・もとい自主学習を推奨する御仁らしいな。我々『連合』は、簡単に言えば異形のモノたちの互助会だ。吸血鬼の場合は、合法的な血液の提供を行っている」


 男勝りな口調で語られた代理人の言葉に、吸血鬼はにやりと笑う。


「へぇ、血をくれるのか。じゃあ今すぐもらおうかな、代理人さんよぉ」


 そう言って吸血鬼は近づいていく。代理人はその場を動かず、クーラーボックスをそっと地面に置くだけ。

 しかし、彼女との距離が1メートル程というところまで来た時、吸血鬼の動きがふと止まる。


「・・・おい、ねぇちゃん。なんの冗談だ?それは」


 苛立たし気な声で威圧しながら、吸血鬼は代理人がこちらに掲げたソレを指さす。

 彼女が差し出した手には、赤い液体の入ったポリ塩化ビニル製の袋が握られている。地面に置かれたクーラーボックスから取り出されたものだ。


「言っただろう?合法的に血を提供する、と。善意の献血で集められ、公的機関が供給している吸血鬼専用のだ。直接飲むのもいいが、私としては本来の用法である血管からの輸血をおすすめ・・・」

「ふっざけんなぁ!!」


 スパン・・・ビチャッ!


 激昂げきこうした吸血鬼が払った手刀により、血液パックは切断され、赤黒い中身がレンガ張りの地面を汚す。


「だぁれがそんな病人みてぇなマネするっつったよ?俺は夜の貴族様だぞ!血ぃ寄越すんなら、てめぇのを寄越せヤァ」


 振り払った腕を今度は目の前の女へと突き出す。

 常人の視力では、書き消えたように見える速さで繰り出されたそれは、男の遠く後方で倒れ伏す卓也と同じように、彼女の腹を突き抜ける。はずだった。

 しかし代理人は、ため息と共にそれを難なく避ける。


「はぁ、まったく。ドコのアホウだ?こんな無能に血を分けたのは・・・」


  そして、ついでにクーラーボックスのベルトを拾い肩にかけ直すと、吸血鬼に背を向けて立ち去ろうとする。


「おい待て!どこに行く!?夜の貴族である俺様をコケにしといて、生きて帰れると思ってんのか!?」


 突きが空振りし前のめりに倒れ込んだ吸血鬼は、体を起こしながら叫ぶ。

 すると代理人は、面倒臭げに振り返り、心の底から不快なのだという視線を、吸血鬼にぶつける。

 その瞬間、時間が止まったように吸血鬼が硬直する。再び突き出そうと耳の後ろで構えていた手刀はブルブルと震え、背中には冷や汗がにじんだ。

 

「貴様が夜の貴族?笑わせるな、下賤げせん。目の前にいるのが同胞・・・いやこの言葉は不適切か。どんな存在かも察せられない無能の分際で、調子に乗るな!」

「そ、その目は・・・!?」


 こちらを射抜くその眼の変化に、吸血鬼はおののく。

 サファイアのようだった瞳は、己と同じ真紅に染まっていた。

 さらに・・・


「痛っつぅ。成りたてで背伸びしてる素人、と楽に観てたが、下手くそに抉られるってのも、きついなぁ」


 背後から届いた、もう聞こえるはずがないと思っていた声に、吸血鬼の瞳が、限界まで見開かされる。


「ま、まさか・・・なんで」

「はっ、ばっちり聞こえてたぜ、てめぇの自信満々な弁論」


 無理やり首を動かし振り返ると、外灯の明かりと暗がりの境目で、ゆらりと人影が起き上がるところだった。

 そしてソレから、吸血鬼の口調を真似た声が漏れる。


「だが二つ訂正だ、殺人鬼ぃ。昔はともかく、今はって決まりがあって、勝手な吸血は禁止されてる。それやって死なせたら殺人になるんだよ。だからてめぇはやっぱり、『殺人鬼』だ。んでもって、も『餌』じゃねぇ。そんな犯罪者を狩る、てめぇら悪人どもの『天敵』だ」


 紅い瞳で吸血鬼を睨みながら、倒れた自分に吐かれたセリフを真似た卓也。その口元からは鋭く伸びた犬歯が覗き、その双眸そうぼうは代理人の女と同じく真紅に染まっていた。

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