05
有意義な時間は速く過ぎていく。
19世紀フランスの哲学者ポール・ジャネーは主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価される、という現象を著書の中で述べているが、どうやら今の俺にも当てはまるらしい。
自室での決意から疾風のごとく過ぎ去り、水曜日。
スポーツウェアを着て野球道具一式を担いだ俺は、再び有栖川学園の門の前まで来ていた。
入って直ぐ横の警備員に事情を話すと「来賓者」用の首下がりを頂く。
前回は漆や清美に無理矢理連れていかれた関係で疎かになっていたが、過ぎたことなので気にしてもしょうがない。
「……さぁ行きますわよ!!」
「はい、お嬢様」
スタジアムへ続く道を歩いていると校舎の方向から声高なお嬢様声と、起伏のない声が聞こえてくる。
静寂の後、聞き覚えのある乾いた音が耳元を掠める。
投球練習でもしているのだろうか。
女子硬式野球部に高飛車お嬢様キャラはいなかったし、少々気になるな。
練習開始まで時間有るし音がした方向へ進み壁沿いを辿る。
すると、校舎と校舎の間にある通路に影が見える。
これ以上体を出すと相手に見られそうなので、右斜め前に有る草むらを盾に座り、視線だけをキャッチャーらしき背中の方へ向ける。
別に疚しい気持ちは無いが、変なトラブルに巻き込まれるのは勘弁だ。
「……ちっこいのと……メイド?」
視線の先には胸の前でグローブを抱えるように持つワンコみたいな髪型の少女と、運動には不向きなフリフリフリルのメイド服を着た女がピッチング練習をしているようだ。
髪型は似ているが、メイドの方が穂先のうねりが大きい感じだな。
「……っ……」
左足を軸足に右足をメイド側へ伸ばし腰を低くしたお嬢様は、メイドが構える先を見定める。
なるほど、ノーワインドアップか。
二の腕を上げるような素振りが無いことからそう判断する。
主にランナーが出てから投球動作を早める為に行うことが多い、ノーワインドアップ。セットポジションと言ってもいい。
一般的にセットだと球威が落ちると言われているが、人によってはリリースポイントが安定しよりコントロールが増す人もいる。
あのお嬢様がセットの理由、俺は見逃さなかった。
「……ナックル」
左のサイドハンドからリリースする瞬間、親指と小指でボールをはさみ残りの指で押し出すように投球された瞬間にそう判断した
やまなりの軌道を描いたボールは微かに右へ左へ、まるで木の葉が舞散るようなブレ球はメイドの影に収まる。
「……完璧だ」
経験者の俺がみても、完璧なナックルボールだ。
複雑な持ち方からも想像できると思うが、特有の握りに耐える柔軟性、握力、そして大きな手のひらが必要だ。
更にボールに回転を与えず18.44m先のストライクゾーンへ投げるのは想像以上に難しい。
並大抵の努力ではないな。
「流石です。お嬢様」
「ふんっ! 当然ですわ」
いや、当然ではないぞ。
と俺の突っ込みを知るよしも無い二人は淡々とピッチング練習を続ける。
興味津々の俺はボールの軌道を瞳で追う。
「……何してやがりますか。変態」
ん? 何だ?
トゲトゲしい声に反射的に振り向くと、白のエナメルバックを斜めに掛けた制服姿の黒髪の美少女が目を細めていた。
「うっ、漆?」
「漆じゃねぇーです。漆様です」
と様付けを強要しているのは有栖川のエース、鏡 漆だ。
「そんな事よりこそこそと何してやがるか聞いているです」
「ちょっと気になる奴を見つけてな。あいつ、知っているか」
顔の横で指し示すと漆はゲスの極みを睨み殺すようにギロリ、と睨んだ後、俺の横にしゃがむ。
「……有栖川 アクル。一年のくせに生意気に生徒会長をやっている理事長の娘じゃねーですか」
お前も十分生意気だが。
漆が歯ぎしりを立て苛立ちを示す態度から、どうやら気に障るようなことが有るらしい。
「そんなに有名なのか?」
「生徒会長を知らない奴がいるですか」
てめぇーは馬鹿ですか、と目で訴えるような蔑んだ視線を向ける。
正直、中高の会長など全く記憶に無いが、お嬢様学校独特の階級社会では常識らしい。
「それより……見たか、あいつのボール」
「ナックルですか。小賢しい変化球を使いやがります」
漆とは対照的なスタイルだからな。
「あいつ、野球部じゃないだろ? シニアチームに所属していたとか無いか」
「さぁ、知るよしもねぇーです」
つまり、あのナックルはオリジナルか。
まぁ、握り方はインターネットで公開されていると思うし、練習自体は容易に行えるだろう。
「……それより、何で漆がこそこそとしていねぇーといけねぇーですか」
「まぁ、雰囲気的にな」
「ふーん、へぇー……」
作意的な微笑に嫌な予感がする。
絶好の遊び道具を手にした子供のように頬角を上げた漆は目の前の枝をつかむ。
「これ動かしたら面白いことになりそうです」
「おいっ、お前は俺を刑務所送りにするつもりか」
「ふふっ、変態の手錠はこの漆様が握っているです。いいざまです」
「このっ……」
漆の挑発にまんまと乗った俺は漆の手首を掴む。
「……っ! アクルお嬢様」
刹那、しめた顔の漆が枝を揺らすとメイドがキリッ、とこちらを睨みアクルの元へ走り両手で壁を作る。
「不審者、出てきなさい」
どうやら、俺の執行猶予は終わりを告げたらしい。
俺は立ち上がって回り込むとメイドの目つきが鋭くなる。
当然と言えば当然だ。
「とっ、殿方ですの!?!?」
口元をグローブで隠すように驚くアクルはマジマジと見つめてくる。
「ぷぷ。殿方」
しれっと出てきた漆がクスクス声が聞こえる。
桂子ちゃんからお兄様と言われ慣れている俺でさえ気恥ずかしさを覚える。
「……首元の来賓者カード。あなた、女子硬式野球部の監督ですね。ここはスタジアムと関係無い場所です」
「聞き覚えの有る音が聞こえたからな。それにしても、どこでそんな変化球覚えたんだ」
「あなたには関係……」
「待ちなさい、佐々木」
メイドが胸元に手を入れ何かを取り出す行為を止めたアクルは、育ちの良さを象徴するようなウォーキングで俺の前に来る。
「あなたが三上 一様ですわね」
「あぁ、そうだ」
「紹介が遅れましたわ、ワタシは有栖川 アクルでございます。以後お見知り置きをお願い致しますわ」
とスカートの端を両手で摘み膝を軽く曲げる。
何ともお嬢様らしい所作に会釈で返す。
「殿方のお話は聞きましたわ。教員会で承認した以上、殿方を歓迎したいと存じますわ」
何だ、結構話しが通じるお嬢様じゃないか。
そこで貧乏揺すりしているエース様とは大違いだ。
と感心していると、アクルの細い眉毛がキリッ、とあがる。
「ですが、ここは由緒正しい有栖川学園。殿方に慣れていない生徒も大勢いらっしゃいますわ」
だろうな。
「本来でしたらワタシの方からお尋ねする予定でしたが丁度いいですわ。……殿方には指導力を証明致してほしいですわ」
「つまり、俺が女子硬式野球部を全国へ連れていける実力が有るか、客観的な事実がほしいとでも言いたいのか」
「おっしゃるとおりですわ」
両手の腰に当て胸を張る。
確かに、他の生徒からすれば町中の男と大差ない認識だと思うし、曜日指定とは言え高い頻度でここに来るわけだし説明は必要だよな。
「それで、俺はどうすればいい」
監督としての実績は無いし、先日の練習試合も負けている。
選手としても、二年間の話。
あまり過去を言及されたくないが……。
「簡単ですわ」
アクルは佐々木からボールを受け取りナックルの握りで突き出す。
「ワタシと勝負ですわ!」
ハッキリとした勢いの有る口調で宣言する。
「勝負? お前と」
「そうですわ。聞いたところによりますと、あなたプロ野球選手に選ばれた過去がございますわよね?」
「なっ……!」
なぜ、こいつが俺の過去を。
不愉快な気持ちが胸の中を駆け巡る。
「プロ野球選手? どういうことですか、説明しやがれです」
黙って会話を聞いていた漆が身を乗り出し、俺を問いつめる。
衝撃と困惑が入り交じる表情で睨み上げる漆から目を逸らす。
隠すつもりは無かったが、そう反応されると弁解しようにも出来ない。
俺はアクルの方へ向けると間に入ったメイドの無機質な瞳と対峙する。
「横浜フェニクスベイスターズ6位指名、三上 一。堅実な守備はアマチュアトップクラス。打撃面では物足りなさを感じるが小技を駆使した粘り強さが有る。神奈川県大会決勝で打ったホームランからも将来性を感じる……あなたの担当スカウト様から譲り受けた情報です」
脳内インプットされた情報を淡々と読み上げるメイドの言葉に唾を飲む。
そう、俺は二年前、NPB《日本野球機構》に所属する球団からアマチュア選手が指名される新人選手選択会議、通称、ドラフト会議にて指名されていた。
下位指名とはいえ支配下登録選手としての契約で有るため契約金も出るし、頑張り次第では一軍に出場できる。
契約金も支配下登録も無い育成選手選択会議で指名された選手とは異なる待遇だ。
高校生、しかも二番バッターで目立った実績も無い俺が指名されることは異例中の異例だ。
「ですがあなたは拒否しましたわよね? 理由を聞かせてもらえます?」
口裏であざ笑うような口調に返す言葉が見つからない。
アクルの言うとおり、俺は入団を拒否した。
別に当時から野球を毛嫌いしていたわけではない。
むしろ、今の梨乃以上に打ち込んでいたと思うし、野球に関わる職に就くことが出きれば、と考えていた。
ドラフトで指名される為に必要なプロ志望届を書いたときも胸熱だった記憶も有る。
だが、運命の日が近づくにつれ俺の気持ちは揺れた。
本当にこれでいいのか。
俺なんかが厳しいプロの世界でやっていけるのか。
つまり、自信が無かった。
だから強豪校に進学しなかった梨乃と俺が重なったようにみえたかもしれないな。
そして、勝負の世界から逃げ、公の場で入団しない趣旨を伝えた俺は平石、嶺井に呼び出されてボコボコに殴られた。
今考えてみれば当然の報いだ。
本気でプロを目指していた二人が掴めなかったチャンスを、俺は捨てたのだから。
「……まぁ良いですわ。おおよその検討はつきましたので結構ですわ」
言葉を選びかねている俺を見かねたのか、アクルはため息をつく。
「改めてあなたに勝負を申し込みますわ。プロチームからスカウトされた実力、この目で確かめて差し上げますわ」
「分かった。受けてやるよ」
言葉の勢いに押され答えると、満足げな表情のアクルが頷く。
「勝負は一打席。ワタシが殿方を討ち取ればワタシの勝ち、殿方の出入りを禁止致しますわ……ついでに女子硬式野球部は秋山先生が復帰するまで休部ですわ」
「休部!?!? それは聞き捨てならねぇーです」
唐突な休部宣言に漆がアクルの正面に出る。
「あら、当然ですわよね? 秋山先生が復帰なさらない以上、誰が女子野球部を監督致すつもりですの?」
「生徒会長かしらねぇーですが、てめぇーが口出せる権限じゃねぇーはずです」
「そうでしょうか? ワタシは校則に乗っ取って話していますわ」
「ぐるるるる……」
喉仏を鳴らし威嚇する漆。
「そう自棄にならないでくれます? ワタシはあなた方を追いつめるつもりは有りませんよ」
アクルは俺の目の前まで歩み寄る。
「ワタシは興味が有りますの。プロに認められた殿方の……まさか、負けるようなことは有りませんわよね?」
魅惑の世界へ誘う口調にこいつの本気度を感じる。
それは一人の選手としての心意気。
無碍にするわけにはいかないな。
「……スタジアムで良いか」
「ええ、勿論ですわ」
俺は軽く頷いて回れ右し来た道を向く。
「漆。他の奴らにユニフォーム着てスタジアムに集合させて貰えないか?」
「言われなくても分かっているです」
漆は俺に背中を向ける。
「……負けたら承知しねぇーですから。それと、あの事は黙ってやるです」
「済まない」
「礼はいらねぇーです。後で覚悟してやがれです」
と言葉を投げ捨てて校舎の方へ向かった。
「ワタシも着替えて来ますので失礼いたしますわ」
と髪をかきあげて背中を向け校舎の方へ、メイドもお辞儀してアクルの後ろへついていった。
小さな背中から漂うオーラ。
あのナックルを打ち返す手段を考えながら、スタジアムへ向かった。
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