土曜日の郵送 - Anemone Carteiro (3)
**裾の町より東に三十キロ、第十三番隔壁にて**
「いたっ! しーたん!」
「久しぶりだな。どうした」
小洒落た色の石畳を敷き詰めた広場の真ん中で、シスルは呼び止められた。相変わらずの明るい声で、彼女は続ける。
「しーたんにお手紙。どこいるか知らないから、あちこち回っちゃった」
「それは、ご苦労さんだったな」
「はい、どーぞ」
シスルは、彼女から受け取った手紙を見て、ほとんど呆れたように笑った。送り主には、見知った名前。それも、あまりお目にかかりたいとは思えない字面だった。
――実に、仕事熱心な娘だ。
「配達料、しっかり取ったか?」
「うん。金あんでしょ、あの人?」
「だろうな。……それならいいんだ」
シスルは、言って即座に背後を銃で撃った。
「大きなおまけ付きだ、さぞかしいい買い物だったろうよ」
それを合図に、広場に面した住宅の屋根に十人ほどの人影が湧いた。いずれもシスルと同じく黒い装束に身をやつし、明らかに鋭利そうな刃物を携えている。
「死の商人ならぬ、死の配達人ってとこか」
「仕事終わったから、逃げていーい?」
「逃げられるならな」
「冗談きっついね。エイプリル・フールは終わったよ?」
「残念だ。……当たるなよ」
「努力する」
規則的に屋根を蹴る音が続き、容赦なく第一波が迫る。七、という数をまともに頭で処理するよりも先に、体が動く。銃を下に打ち捨てて、即座に体内から引き出したナイフですべての刃を弾いた。背後にアネモネがいることを意識して、後ろに流れないようにとだけ気を遣った。乾いた音を立てて、叩き落としたナイフが石の上を滑る。ついでに先ほどの銃を、アネモネの方に蹴り飛ばした。
アネモネが意図を理解したのだろう、拾って安全装置を外す音がする。シスルはじりじりと体の向きをずらし、そちらに彼女を保護するためのナイフを向けながらアネモネを見た。
覚悟していたらしく、彼女の眼に怯えはない。
「行け」
最小限に開いた唇で、鋭く言葉を投げる。
間合いを測る襲撃者たちの輪を抜けて、葡萄色の髪が振り向くことなく揺れて行った。
どっちだ、とシスルは半ば自問した。私の命を取りたいのか、それとも単にシスルの力を測りたいのか。
しかし、次の瞬間にはその疑問を取り消す。いずれにせよ本気で掛かれと言われているはずだ、気を抜けば殺されても文句は言えない。その程度の力だと思われれば、ひねり潰されてもおかしくはないのだ。
胸に突きつけられようとする刃を一足飛びに、常人ではそうかなわない高さまで避ける。淀んだ空から、暫時この広場の状況を俯瞰した。ちょうど十人、七人は力押しで正面から、そして三人は臨機応変に動くタイプらしい。厄介なのは後者だ。
規律の取れた七人の襲撃をギリギリでいなしながら、シスルは靴底から小さな金属製の筒を取り出した。決められた順序と角度で五指を何パターンかに動かし、それから筒に込められた栓を抜いた。
シスルが《それ》を石畳に叩きつけた途端、暗殺者たちの動作が一変した。あるものはぐらりと突然倒れ込み、あるものは視界を衝動的に押さえる。
その武器の名は《曲光筒》――シスルには詳しいことはわからないが、急激に拡散する物質によって光の反射する角度が激しく歪み、視界に影響を与えるもの、らしい。十数秒で三半規管にも影響するため、どうにか動けたとしてもバランスを崩す。
あまり数は作れないからな、とドクター・ガラノフから念を押されているため、決しておいそれとは使えない代物だ。とはいえ、周囲に人のいない状況での一対多、しかも仕事の帰り道なら、使わない手はなかった。
《曲光筒》とともに与えられた内蔵機能で、視界を赤外線入力に切り替えておいたシスルは、何事もなかったかのように、涼しい顔でその場を去っていく。一人一人の首を掻き切るのは恐らく造作なかったが、こういった部隊の場合は近寄った途端にどんな反応をされるか分かったものではない。
その代わりに、きっと彼らには見えなかったであろうが、軽くべっと舌を出しておいた。
人の誕生日にとんでもない贈り物をしてきやがったのだから、それくらいしてやったって、失礼にはならないだろう。
「しーたん、悪役ばりの道具主義だね」
逃げ込んだ狭い道では、アネモネが待っていた。行き止まりの路地。彼女の後ろには排水溝が一つきりだ。
「使えるものは、使えるときに使う。じゃなきゃ人間が道具を作った意味がない」
「説得力あるような気もしないでもないけど。でもやっぱりどうなのよー、主人公として」
「誰が主人公だ、誰が。……お話みたいにうまくいけば、何の苦労もないんだけどな」
シスルは言って、アネモネに向けて銃口を突きつけた。
「役者不足かもしれないけど、あたしがヒロインやってあげる。だから、主人公ポジションはしーたんが持ってきなよ。あ……確か、あったよねえ」
「何がだ?」
「いつまでも成長できない子供たちが主人公でさ――」
「ああ、あれかな。……うん」
「それで、死にたがりの上官のヒロインを最後に銃で撃ち殺しちゃう、飛行機乗りの話」
シスルは、口をぽかんと開けた。
もし、もしも仮にそんな機能がシスルの身体にあれば、シスルは顔を真っ青にしていたに違いない。
「そ――それ、私まだ全部読んでない!」
「えっ。あ、ご、ごめん」
アネモネは軽く口を押さえ、視線を地面に逸らす。だがシスルのショックは並々ならぬものだった。
「ひどい、ハッピーエンドだって信じてたのに!」
「ごごごごごめん! ごめんったら!」
「あ、アネモネなんか大嫌いだ! 絶交だからな!」
「しししししーたん!?」
「伏せろ!」
アネモネの背後の下水から飛び上がった影を、即座に撃つ。さすがに装甲が厚かったのだろう、弾丸は跳ねて明後日の方向に向かう。跳弾の危険性と利便性とを秤にかける間もなく、すぐに銃を捨ててナイフを引き抜いた。向かってきた影を地を蹴って避ける。
空に留まるうちに、視界の端で下水溝を覗くアネモネと目が合った。アネモネは顔の前で手を横に振る。着地の瞬間に再び大腿筋に鞭打って壁を蹴り上がり、仕掛けておいた撒き菱に気付いて一瞬立ち竦む襲撃者のうなじを目がけて踵を突き落とした。あまり聞きなれたくはない音がして、いとも簡単に人影が崩れた。
踏み抜いてそのまま背後に回り込み、頭髪から首を持ち上げ、後ろ手に抜いたナイフをまっすぐ横に引いた。頸動脈から規則的に落ちる血を後目に、ナイフの束を支点にして手早く両手首を逆方向に曲げ、脚の腱には、より厚手のナイフで切れ目を入れた。
「ぶらーぼー。何だか、動物でも解体するみたいだね」
震えかけの声で、精一杯の気丈さでアネモネがコメントする。シスルは淡々と手袋でナイフを拭った。
「――終わりか?」
「多分ね、あたしは数までは知らないから」
「まだ町に用があるってのに。性格の悪い野郎だ」
「そこも含めて、なんじゃない? 全部計算してそう」
「……バイク。後ろに乗せろ」
シスルが言うと、アネモネは「え?」と首を傾げた。
「精神的苦痛に対する賠償」
「……しーたんって、意外と根に持つんだあ」
「本については例外だ例外! 仮にも情報産業従事者なら、ネタバレには気を遣え!」
もっと自由に涙腺がコントロールできるなら今すぐにも泣き出したい気分でシスルは言った。
アネモネはもう一度「ごめんね」と謝罪して、彼女の鞄を開けた。
――その中から出てきた真っ赤な大型バイクに跨って、二人は町を駆け抜けて行く。
ようやく正気を取り戻したらしい広場の十人が、曇天の夜空を華麗に駆ける赤い車体を、呆然と見上げていた。
**中央隔壁、通称・裾の町にて**
「 親愛なるアネモネ・カルテーロさま
ああ、いざ書き出すと、何だか気羞ずかしいな。
これを読んでくれているということは、きっともう、ドクター・ガラノフから事情は聞いているんだろうと思う。
まずは、一年後まで無事でいてくれたことを、心から嬉しく思うよ。……時制がめちゃくちゃだな。ええと――「遅すぎた至急報」だったかな、そんな不思議な表現が当てはまりそうなくらい。
これは、アンタへの手紙だ。最初で、最後の。
いろいろ立場は難しかっだろうに、これまで私の依頼に付き合ってくれて、ありがとう。
でも、最後にもう一つだけ頼みたいことがある。
実はドクターに、金をいくらか預けてある。ずっと前に、アイツの母親から受け取ったのと同じだけの額だ。それを、アイツに届けてやってほしい。アイツが将来やりたいって言っていたことの、助けになるだろうから。
前に一度だけ腕を見せてもらったんだが、本当によく勉強しているし、仕事、続けてほしいんだ。本当は自分で置いていくつもりだったんだけど、私が直接渡したら、アイツは受け取ろうとしないだろうから。
……いや、直接じゃなくても怒るかもしれないね。そのときは、老後のための投資だ、とでも言ってやればいい。まあ、もしどうしても嫌だって言われたら、アンタが懐に収めたって構わないさ。老後のためにとっときな。
それから一つ、謝っておかなきゃならないことがある。
もうずいぶん前になるが、アンタに手紙を頼む前に、アンタの母さんについて調べさせて貰った。その上で頼んでた、って言ったら、アンタは私を恨むかもしれないな。
でも、だからこそ最後に言っておくよ。
もしもアンタが裾の町を離れたいと考えるなら、アンタの母さんのことは考えなくていい。アンタが思っている以上に、奴らはあれが壊れることを恐れている。私には研究上の難しいことはよくわからないが、アンタがもし町を離れたところで、アンタの母さんに危害が及ぶことはないよ。だから、迷わずに逃げな。
……アンタの母さんのような人間を、私はこれまでに何人か見てきた。あれ自体にそんなに詳しいわけじゃないが、あれを背負わされた人間の生き筋と、奴らとの関係についてなら、幸か不幸か、よく知っているから。
本当はアンタがそうしたいと思ったとき、頼ってもらえるなら良かったけど、私はもう町には帰れないだろうから――これ以上は、アンタが自分の力でどうにかしてほしいと思う。
せめて少しでも、アンタの未来がアンタの思う形の幸せであるようにって、私はいつだってこの機械の心臓ぜんぶで、願っているよ。何の足しにもならないかもしれないけど。
――じゃあね、アネモネ。
シスル 」
シスルはペンを便せんからそっと離した。そして……最後の署名に一度ペンを近づけ、逡巡した挙句、小さく首を振る。
代わりにその隣に、今はもう失われた花の、拙い図像を描き出す。それはよほど解読力がないといったい何の花だかわからない、不思議な線の集合ではあったが、シスルはそれにむしろ満足して軽く肩を回し、ペンを脇に置くと便せんを畳んだ。
それを、宛名のない封筒に仕舞うと、慣れた調子でシーリングだけを加える。
普段にも増して整然とした卓上にそれだけを残して、光度の低い電灯を消し、シスルは寝台へと横になった。
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