金曜日の追憶 - Sylvie Leclair (1)
「余計なことをしてくれたな、何でも屋」
開口一番、吐き捨てるような言葉を投げかけてくる背広姿の女に、シスルはやれやれ、と肩を竦めることしかできなかった。外周で見るには珍しい顔が、阿呆な男どもに絡まれているところを見かけてつい声をかけてしまったのだが、それにしてはあんまりな言い草ではないか。
シスルの姿を見るなり逃げ出してしまった、軟弱な……ある意味では幸運な男どもの背中をちらりと見送って。すぐに女に視線を戻して冗談交じりに言ってやる。
「美しいお嬢さんのピンチに駆けつけてこそのヒーロー、ってやつだ」
すると、女の表情が更に厳しいものになった。元より鋭さを伴っている青い瞳が、突き刺すようにシスルを睨めつけた。
「不必要だ、と言っている。わからないのか」
「わかるさ。本音を言えば、絡んでた方が危なかったから止めたんだけどな。放っといたらアンタ、連中にその腰のもん突き刺してただろ」
女は肯定も否定もせず、無言でシスルを見据えていた。その瞳には、シスルが妙な行動を起こした瞬間にその腕を刈り取ってやる、という意志がはっきりと見えていた。実際、彼女の片手は腰の辺りにあり、すぐにでもそこに隠しているはずの暗器を引き抜ける体勢であることを示している。
気難しいお嬢さんだ、と内心で嘆息する。目の前の女が、本気を出せばシスルの首を取れる程度の腕であることはよく知っているし、本来ならば、関わり合いになるべきでない相手であることも事実。それをわかっていてついつい構ってしまうのは、シスルの悪い癖であった。
そして、もたげてくる好奇心にすぐ負けてしまうのも、悪い癖の一つ。
「で、塔の仕事人が、こんな辺鄙な場所に何の用だ?」
女は、むっとした表情のまま、ぼそりと言った。
「……それを貴様に言う必要があるのか、何でも屋」
「無い。ただ、後ろ暗いこの身としては、塔のこわーい人がうろついていると思うだけで、怖くて夜も眠れなくなる」
「嘘をつけ、嘘を」
「あながち嘘でもないぞ。私だけじゃない、この辺には塔の関係者を恐れ、嫌う奴も多い。用が無いなら立ち去ってほしいし、あるならあるで、用件をはっきりさせてもらった方が、お互いにぎすぎすしなくて済むってことだ」
なるほど、と女は鋭い視線はそのままであったが、少しだけシスルの話を聞く気になったのだろう、顎に手を当てて瞼を伏せた。
しばし、居心地の悪い沈黙が流れ、やがて女はぽつりと言葉を落とす。
「ここにいるのは塔の命令ではない。あくまで、私事だ」
「私事ぉ?」
シスルは思わず大げさな声を上げてしまった。目の前の女と、「私事」という言葉が全く結びつかなかったからだ。
女はそんなシスルの反応にも不服そうな表情を浮かべる。
「何だ、悪いか」
「あ、いやー……塔の仕事人にも、プライベートってもんがあったんだなーと」
「当然だろう。何を言ってるんだ」
女は無表情ながら微かな呆れを言葉の端に滲ませる。
だが、塔の仕事人――正確には代行者、いわゆる「暗部」と呼ばれる者たち――に、シスルが考えるような自由があるとは思えない。その生涯を塔に捧げ、両の手を血に染め、表舞台に立つことを許されない彼らは、いわば「首輪をつけられた獣」であり、その首輪がひとたび外れてしまえば、塔に牙を向ける可能性だってある。そんな彼らに自由などあるはずもない。
ただ、その反面、彼らは「獣」でありながら「人間」でもある。人として生まれた以上、いくつもの枷はかけられているにせよ、人として最低限の権利は与えられるのかもしれない。
塔の人間でないシスルからしてみれば、できるのは想像を膨らませることだけで、それで正しい答えを得られるわけではなかったが。
「別に、ここの住民に用があるわけでもないし、貴様の邪魔をする気もない。だから、さっさと行かせてくれ」
「どこに」
言う必要はない、と言わんばかりに、女はつんとシスルから視線を外し、背を向けて歩き出した。塔とは正反対の方角に向けて。
何とはなしに、女が何を求めているのか気になって、シスルは自然と女の背中を追って歩き出していた。咎められれば、すぐにでも立ち去るくらいの、軽い気持ちで。しかし、女は一瞬こちらを見たが、別段咎めはしなかった。言っても無駄と思ったのか……とにかく、咎めないということは、見られて困るようなことでもないのだろう。
女の足取りに迷いはない。シスルにとっては見慣れた町並みを、肩で風を切って進む。道の隅にたむろしていた宿無したちが、女の姿を見て何かを囁きあうのが見て取れる。背筋を伸ばして颯爽と歩く女は、この貧民街では悪目立ちもいいところで、これにはシスルの方がひやひやしてしまう。
それでも、今度は妙な連中に絡まれることもなく、むしろ遠巻きにされながら女は歩いていく。早足に。
そして、移り変わる風景を見ているうちに、気づいた。
女が、一体どこを目指しているのか。
「――どうして」
シスルは反射的に声を上げてしまったが、女は答えない。まるで、シスルの存在を忘れてしまっているかのように、黙々と歩き続ける。ただ、その足取りは、先ほどよりもゆっくりになっていた。
いや……ただゆっくりになった、わけではない。女の肩はふらつき、どうも真っ直ぐに進めていない。
何かがおかしい。
それに気づいた途端、ぐらり、と。女の体が傾いだ。
「お、おいっ」
慌てて駆け寄って、腕を伸ばす。ぎりぎりのところで、女の体はシスルの腕の中に収まった。
そうして、初めて気づく。
女の体が、尋常ではない熱を帯びていることに。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
肩を揺すり、女に声をかける。だが、女は先ほどまでの威勢もどこへやら、シスルに腕に体重を預けたまま、苦しげに息をつく。
「……、……て……」
先ほどまで凛とシスルを睨みつけていた瞳は潤み、焦点が合っていない。目こそ開いているが、意識はほとんど無いのだろう、うわごとのように何かを呟いている。
そんな女を抱いた姿勢のまま、シスルはただただ、途方に暮れることしかできなかった。
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