第7話



 藤波透吾は見積書に視線を走らせながら、ぼんやりとポケットを探っていた。

 頼まれていたイベントの準備に、どうにも気が乗らない。カラクサ葬祭が恒例としている供養祭までまだ三ヶ月あるが、いくつかの業者に業務を割り振っているため早くからの準備が必要だった。大々的に死者を追善するその日のことを考えると、つい顔をしかめたくなってしまう。盂蘭盆会を初めとして葬儀会社に勤める以上どうしても無視するわけにはいかない催しはいくつかあるが、何度それを経験したところで好きにはなれないし、慣れそうにもない。

 溜息を零しながらそんなことを考えていると、指先にひやりとした硬い金属が触れた。覚えのない感触に首を傾げながら、引っ張り出してみる。


「ライター、か」


 先日、絵を燃やすのに使ったものだ。

 ポケットに突っ込んだまま、忘れていた。いくら子供に指摘されるほど上の空だったとはいえ、スーツのチェックまで怠るとはいよいよ自分らしくない。

 これは自覚しているより重症だな――と思いながら、ライターをデスクの上に置く。と、その音に気付いたのだろう。

 隣の席に座っていた女が、興味深げに視線をよこしてきた。


「藤波さん、煙草吸いましたっけ?」

「いいや、吸わないよ。この間、ゴミを燃やすのに使ってそのままにしていたんだ」


 透吾は淀みなく答える。

 おかしなことを言ったつもりはなかったのだが、女は首を傾げている。


「でも、珍しいですよね。煙草を吸わない人がオイルライターを持っているなんて」

「……そうだね」


 そういえば、それを購入したのはいつのことだったか――透吾は薄気味悪く思いながら、手の中のライターをまじまじと眺めた。

 ファッションの一部と言い訳するにも不自然な安物だ。使い捨てタイプの簡易ライターでこそないものの、大量生産品には違いないだろう。 


「まあ、俺でも衝動買いをすることはあるさ」


 腑に落ちない――何かが胸のあたりに引っかかっているような心地で呟く。まるで言い訳をしているようで気分はよくなかったが、同僚が不審がった様子はなかった。


「そうですね。きっと、急に必要なことがあったんですよ。かといって百円ライターはイメージと違う気もしますし。ほら、藤波さんってコンビニや百均なんかには行かなそうなので」

「言っておくけど、俺だってコンビニで買い物くらいはするよ?」

「本当に? 高級店の料理か彼女の手料理しか食べないって感じじゃないですか」

「じゃないですかって言われても。そもそも毎日高い店に入れるような給料じゃないだろう、うちは。手料理を食べさせてくれるような恋人もいないからね」

「代表は?」


 何気ない風を装った問いだが、女の目には探るような光があった。

 透吾は苦笑いしながらかぶりを振った。


「ないない。美千留さんは俺にとって、保護者のようなものだよ」

「そういえば、前代表とは親しくされていたんでしたっけ?」

「ああ。まあね」


 詮索好きな女性には辟易だな、と思いながらも今度は頷く。

 女はまだ何か訊きたげに見えるが、このあたりでとめておいた方がいいだろう。


「――鈴原君、このライターいるかい? 俺はもう使いそうにないんだけど」


 やんわりと話題を変えながら、ライターを差し出す。

 なんとも気の利かないプレゼントだが、嫌われるということもあるまい。女は少し迷うようなそぶりを見せつつも、ややあって控えめに手を伸ばしてきた。


「今度、使い方を教えてもらってもいいですか?」


 その誘いは、想像通りだ。透吾はこっそり苦笑した。


「いいよ。休憩中にでも、なんなら休みの日にでも」

「……じゃあ、その、休日に」

「オーケイ。あとで空いている日を教えてくれよ」


 そんな言葉で締めくくって、透吾は視線を紙面に戻した。

 女の方も、また事務仕事に戻ったようだった。ほころんだ女の横顔とデスクの上に飾られたライターを密かに眺めながら、透吾は喉のあたりまで迫り上がっていた苦いものを呑み込んだ。

(まったく、なんだってんだ?)

 憂鬱に息を吐く。胸に渦巻く正体不明の靄は、どうにも拭えそうにない。

 

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