第7話:真夜中の取引

 ペンタム・シティ三十三番外。正式には第四区三十三番街。その夜……。

 この街の最外画にあり、治安の悪さでは他の街区と比較して群を抜いている。

 ここにいる者は、犯罪者、訳あり者……まあ、ロクなもんじゃない。

「しかしまあ、ここに車で乗り込むなんて勇気あるわね……」

 車はここ二年で爆発的に普及して今や馬車を見かける事の方が珍しくなったが、決して安い物ではない。

 そんなものでここに乗り付けるなんて、襲ってくれと言っているものである。

「大丈夫よ、それなりに準備はしてるから……っと、さっそくお出ましか」

 エリナの声に、あたしは前を見た。すると、いかにもならず者という感じが全身からあふれている男が数名、こちらに向かって巨大な剣を持って近寄ってきていた。

「マール、そこの赤いボタン押して!!」

 あたしの正面の板(ダッシュボードと言うらしい)には、意味深な赤いボタンがある。

「押していいの?」

 どうにも嫌な予感がして、あたしは念のためエリナに聞いた。

「早く。ぶっ飛ばすわよ!!」

 言われるままに、あたしはボタンを押した。

 瞬間、魔道エンジンの甲高い音が爆発的に跳ね上がり車が猛然と加速した。そのままこちらに迫っていたならず者たちを跳ね飛ばし、車はさらに加速を続ける。

「ひゃっほー、退け退け~!!」

 時折、ゴンとかガンといったどうも嫌な音を立てつつ、エリナの操る車は細い角をいくつも抜けて行く。カーブを曲がる度に車の片側が跳ね上がるので、反射的に浮いた側に体を傾けてしまう。

「ちょっと、エリナ。さすがに無茶だって!!」

 あたしがそう言うと、エリナは涼しい顔で返してきた。

「大丈夫よ。まだこの車にしてみたら、こんなの準備運動みたいなものだから」

 エリナが勘違いした答えを返してくる。

「だから、そうじゃなくて……」

 あたしが言いかけた時だった。車が急に止まった。

「着いたわ。約束の時間十分前ってところね」

 エリナが車を止めたのは、薄汚い建物に四方を囲まれたちょっとした空き地だった。さて、何が出てくるやら……。

 しばらく待っていると、黒塗りの大きな車が空き地に入ってきた。おいおい、なんかこの展開ヤバくないか? エリナのヤツ一体誰と賭けをしていたんだか……。あたしはそっと拳銃を腰の後ろから抜いて膝の上においた。その間にも、黒塗りの車はあたしたちの車に横付けした。

「約束のブツは持ってきたな?」

 相手の後部座席の窓が開き、乗っていた黒スーツにひげ面という、いかにも裏社会の方々だなぁという人が短く問いかけてきた。

「もちろん、あたしを誰だと思ってるの……よいしょっと」

 エリナは虚空に『穴』を開き、中から巨大なオーブを少しだけ覗かせて見せた。全部取り出して見せるには、オーブがあまりにも大きすぎるのだ。

「よし、いいだろう。取引に入ろう」

 男がそう言うと、車から三人の屈強な男が降り立つ。黒スーツを着ているが、かなりのマッチョさんである事は見れば分かる。

「よし、あたしたちも行くわよ」

 エリナはそう言って車を降りた。本来エリナだけの問題だが、ここは昔からのよしみで協力してもいいだろう。貸しはいくつあっても損はない。

 エリナが先に車を降り、続いてあたしとセシルが車を降りる。なんとなく気分で、あたしはサングラスを着用した。気がつけば、ちゃっかりセシルもサングラスを着用している。

「オーブを地面に置け」

 車から降りた男の一人がそう言った。

「ど素人ね。オーブは割れやすいのよ。そっちの車に直接積むわ」

 男から発する危ない空気に負けずエリナがそう言い返す。

「分かった。魔道具はあんたの専門だからな」

 そう言って、男は車のトランクを開けた。中からジャラジャラと香ばしい音がする、大きな袋を取り出す。

「一千万クローネだ。オーブをここに入れろ」

 男がトランクを指差してそう言う。

「はいはい、急かさないの」

 エリナが『穴』からオーブを取り出しトランクの中にそっと置くと、男は車のトランクをそっと閉めた。ついでに、あの大きな袋を肩に担ぎ、ヨロヨロとこちらに歩いてくる。

「はい、とりあえず報酬の一千万クローネ。あとの五百万はちょっと待ってね」

 あたしの足下にドサリと袋を置き、エリナはため息を1つついた。

「ここで渡されても……」

 とりあえず、エリナの車に積もうとしたのだが、トランクには入らず後部座席に何とか詰め込む。そんな作業をしている時だった。シャランと音を立て、セシルが剣を抜いた。

 何事かと確認するまでもなく、立て続けに派手な銃声が聞こえた。見ると、先ほど車から降りた三人がこちらに向かって発砲して来ている。その動きはよく見え無かったが、どうやらエリスがこちらに当たりそうな弾丸を全て斬っているようだった。

 ……ガス灯に照らされているとはいえ、夜の闇であんまり見えないのにエリス凄すぎ。

 じゃなかった、ほらヤバいヤツらだった!!

「エリナ、誰と賭けしたのよ!?」

 防御魔術を展開し、その陰から手にした銃で応戦しつつ、あたしはエリナに怒鳴った。

「アンドラス商会よ。まあ、裏じゃアンドラス・ファミリーって呼ばれてるけど」

 エリナも自慢のガトリング砲を『穴』から取り出し、それを乱射しながら叫ぶ。

「アホかぁぁぁ!!」

 叫びながら撃ったあたしの魔道弾は一人の男を倒した。

 アンドラス商会とはこの街で一、二を争う巨大商会である。表向きの顔はだたの商会だが裏の顔は法を犯す事もいとわず、金目の物はなんでも扱うなかなかに危険な連中である。

「だって暇だったんだもん!!」

 エリナが叫んだ時、黒塗りの車が急発進した。それに気を取られたらしく、残り二人が目線を変えた瞬間、あたしが連発した拳銃の弾がその二人を直撃した。かくて、突如始まった深夜の銃撃戦は、終わりもまた突然だった。

「ったく、どーしてくれるのよこの有様……」

 この街区で「変死体」が見つかる事など当たり前だし、警備隊すらまともに立ち入れないエリアなので、その点は問題ない。その辺をうろついている「掃除屋」が、勝手に始末してくれる。あたしが言いたいのは、そんな事じゃなかった。穏便に取引が出来なかった以上、それなりのペナルティーを科すのが商売というものである。

「……どうするもこうするもないわよ。銃撃戦の約束まではしてなかったからねぇ」

 そう言って、エリナがニヤリと笑う。どうやら、あたしと同じ気持ちだとわかり、ホッとする。

「盗むわよ。あのオーブ。こんな事もあろうかと、ちゃんと発信器付けといたし」

 そう言って、エリナはゴッテリとした機械を取り出した。両手で持つとちょうどいいサイズで、画面に赤い点が表示されている。

「あっ、そうだ。さっきの袋の中身確認しておいた方がいいわよ。すっかり忘れていたけど……」

 エリナに言われ、あたしははっと気がついた。こんなだまし討ちまでしてくる相手である。全うに一千万クローネが入っているとは思えない。車の後部座席に詰め込んだばかりの袋を取り出し、中身を地面にぶちまけた。これが本当にクローネ金貨なら、こんな豪儀な話は無かったのだが……。

「鉛……」

 恐らく確認された時のためであろう。ほんのわずかにクローネ金貨が入っていたが、残りはご丁寧にコインサイズに加工された鉛だった。

「あーあ、やられたわね」

 エリナがそうつぶやく。まるで他人事であるが。

「あのねぇ、あたしが契約した相手はエリナよ。どんな事があっても、千五百万クローネは払って貰いますからね」

 あたしがそう言うと、エリナは小さく笑みを浮かべた。

「いっしょに盗んじゃえばいいじゃん。アンドラス商会ならしこたま稼いでいるだろうし、有り金全部持って行っちゃえばいいわ」

 とんでもない事を言い出すエリナ。ちょっと待て。

「危うく乗る所だったけど、これは別契約よ。アンドラス商会を相手にするなら、お友達割引でも倍額は貰わないと割に合わないわよ!!」

 あたしは思わずそう怒鳴った。冗談じゃない。このペンタム・シティの闇を牛耳っている組織と事を構えるなら、それくらいでも安いくらいだ。

「わかったわかった。じゃあ、早速追跡に入るわよ」

 手をパタパタ振りながら、エリナは懐から見覚えのある赤と白に塗り分けられた小箱を出し、中から細い紙巻きの何かを一本取り出してあたしに差し出してきた。

 あたしがそれを受け取ると、ライターで火をつけてくれる。一回むせているので、もう吸い方は分かっている。渋みのある煙が体にしみる。

「さっ、行くわよ。オーブが手が届かない場所に行く前にね」

 そう言って、エリナは車の運転席に乗る。あたしは助手席でセシルは後部座席だ。

 かくて、オーブと三千万クローネを巡る戦いは始まったのだった。

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