61. 吉良真弦のお仕事




「そうだ! アシスタントを雇おう!」


 安易な考えだったが、4人の子供、いや5人の子供を抱えるお母さん漫画家はのっぴきならない状態だったのだった。




 締め切り前日にプロのアシスタントが吉良家にやって来る。


「ティーン向け少女漫画のアシスタントだと聞いて来たよ」


 家に来たのは寿ヤックンの男の方、大神京平の弟の星崎潤平だった。

 BL受け顔のベビーフェイスは相変わらずで、可憐な感じのイケメンだ。


「うわぁぁん、助かったー! 潤平さんお願いしますぅぅぅ!」


 真弦は少々へりくだりながらプロのアシスタントである潤平に泣きつく。


「……じゃあ、早速、少女系は得意分野なんで始めましょう!」


 潤平は自分の持ってきたリュックから自前の鉢巻を取り出してそれを真弦に渡した。白い鉢巻に『疾風列斬』と手書きで書いてある。


「それ頭に巻いて」


 真弦に注文つけると、彼女は素直に潤平の言う通り頭に鉢巻を巻いた。

 潤平の方は使い古しの黒ずんだ白い鉢巻を取り出してそれを頭に巻いた。

 そして潤平が事務所で漫画のタイトルを恥もへったくれもなく読み上げて、

 叫ぶ。


「これから『きゅん☆らぶ』の執筆を始める。気合いっダァァー!!!!」


 かなりの声量。その可憐な容姿とは相反する暑苦しい叫びだ。


「始めるぞ押忍!!」


「お、押忍……!」


「声が小さい! 押忍!」


「押忍!!」


 真弦は潤平に気合を入れられて羞恥も自尊心も取り払って精一杯叫ぶのだった。

 即座に事務机に置いてあった内線が鳴る。

 受話器を取る。


「押忍押忍うるさいわい嫁ぇ!」


 義母からの抗議の声が受話器から漏れ聞こえた。


 漫画を描く前に気合いを入れるのは潤平の儀式みたいなものらしい。可憐な容姿に相反して元応援団出身らしい。本人は後から恥ずかしそうに笑っていた。


「全然そう見えなかった。てっきり文芸部か料理部だと思ってた」


 気合を入れられて漫画を描き始めた真弦の手は不思議とスラスラ動いている。デジタル漫画なのでペンタブレットが欠かせない。人物を描いて他の作業はアシスタントの潤平に回せばいいだけだ。

 アシスタントを任された潤平は真弦の指示通りにてきぱきと動いてくれた。吾輩の尻尾の邪魔にも目もくれず黙々とタブレットとパソコンを弄っている。


「潤平さんも完全デジタルになりましたか」


「そうでもないよ。アシスタントも職業にすると何でも出来ないとね」


 作業開始からほんの数分、会話しながら作業を続けていると、潤平は既に1ページ描き上げている。次は無いのかと催促されて真弦は驚いていた。

 作画の調子はクセのある真弦に合わせてくれて線の細い物を用意してくれている。モブも少女漫画っぽく描き足されていた。


「この『ハードボイルドなおじさん』って書いてある場所はどうしたらいい?」


「好きにしてください。留美さんチックでも何でも」


「留美ネエ……か」


 数分後、潤平はささっと下書きを描いて真弦に見せる。


「ヒャッハー!! 留美さんっぽい絵だぁ!」


 オヤジ絵師と自称していた留美の絵の荒いタッチが弟の潤平によって再現されている。いかにも留美が描いたようなごっついオッサンの線の太い絵が画面から浮き出しているように見えた。


「こんなオッサンで良いの? もっと小奇麗にとか注文つけてくれても平気だよ」


 留美の絵っぽい下書きをデータ保存し、別のデータにまた違う感じのおじさんを描き始める。今度はオッサンというより、おじさんと呼称した方が良さそうな渋いナイスミドルだった。


「キャハー! それもいい! どっちも迷う。ゲストキャラにするの勿体ない位かっこいいのとかも描いて欲しいなーなんて」


 潤平は真弦の指示を忠実に再現した。今度は劇画っぽい画風で往年のハードボイルド男優みたいな壮年の男性を描き上げる。


「真弦ちゃん、遊んでる暇無いぞ! こんな事してたらいつまでも終わらないよ」


 30分ほどオッサンの絵で真弦と遊んでいた潤平だが、我に返って真弦共々自分を注意する。

 真弦の指示通り動いていたら作業が終わらないとの事で、急遽シフトチェンジして真弦のネームを見ながら指示を出す。


「真弦ちゃんは最終ページから遡って仕上げる。俺はメインキャラを外しながらなるべくページを進ませるので四露死苦! 限界ぶっちぎりまで飛ばすぜー!」


 冷めたコーヒーを一気飲みした潤平の性格が豹変した。この人も時間に追い詰められると穏やかな性格じゃあ無くなるみたいだった。


 張りつめた空気の中仕事をつづける事6時間。昼ごはんの時間はとうに過ぎて真弦が空腹を訴え始める。


「おにぎりじゃ限界ある気がする」


 昼飯のおにぎりを食い終って1時間程しか経過していない。しかも、真弦はセイヤに大きいおにぎりを所望していた筈だ。それをぺろりと平らげ、かつバナナも食べていたような気がしたが……。その前は、昼飯前におやつも食べていた気がするが……。


「あー、セイヤ君セイヤ君、スパゲティタコス作って来て」


 内線に向かって食品を所望している。内線が体内に直接埋め込まれているセイヤはその場で「YES」と答えていた。

 外はしとしとと雨が降っており、吾輩の散歩は不可能なようだった。真弦のつまんねえ漫画の実況を続けるしかないのか。

 窓から見える青葉町の空は曇天に包まれて遠くで稲光を放出している。


「真弦ちゃん、食べるか描くかどっちかにしないと作業効率が落ちるぞ!」


「はふっもふっ……サーセン、もぐっ」


 出来立てのスパゲティタコスを左手を使って頬張る真弦の顔周りはトマトソースでオレンジ色に染まっている。まるで大道芸をするピエロみたいだ。

 呑気な作業を好むマトリョーシカ弦(真弦)先生にペースを合わせてくれている潤平は何度もため息をついていた。


「よく食うな……」


「妊婦だからこまめに食わないと胎児に吸われるんだもん」


 スパゲティタコスを平らげた真弦は顔を拭きもせず、今度はプレッツェルを摘まんでいる。


「に、妊婦ー!?」


 真弦の体の状態を聞かされてなかった潤平は今更驚いていた。真弦のロケットみたいなおっぱいが妊婦腹よりも出ているのだから分からなくても仕方ないか。






 夕飯は真弓のリクエストで親子丼だった。

 飯休憩の時に真弦はぼそりと呟く。


「親子丼は好ですか?」


 真弦は神妙な顔つきで、どんぶりをがっついている潤平に質問する。


「まあ、好きかな……」


「ぬふっ」


 真弦は潤平を見ながらニヤニヤとにやけるのだった。


「どういう意味でそんな顔をしているんだ?」


 妙な危機感を感じた潤平は壊れかけている真弦に尋ねる。


「例えば、俳優の羽瀬和彦と羽瀬和成に受けが挟まれるんですよ。あ、攻めでも良いかな。イケメンが美しい親子に挟まれて酒池肉林とか潤平さん的にどうなんですか?」


 真弦がBL同人作家出身だという事は潤平も知っているのであえて引かない。

 だが、女性としてどうなのかは品格を疑っている様子である。


「完全な3次元映像は無しだけど、2次元に起こせば平気だなぁ……うん」


 真弦に対して割と無難に答えていた。むしろ、BLに理解のあるプロの男アシスタントで良かったなと思う。

 親子丼を先に食べ終えた潤平は腐っている真弦など相手にせずに、さっさと自分の机に戻った。


「……3次元も有りだと思うけどなー。男3P妄想楽しいなー」


 真の腐は3次元だろうが何だろうがBL妄想が美味しかったらしい。潤平の様子を見ながら親子丼を食べ終え、二人分の丼を廊下に出した。

 ……はあ、今日も変わりなく平和だなぁ。と、真弦と長く暮らすうちにそう思うようになっていた。


 吾輩が家の中を行ったり来たり、真弦の仕事場に出たり入ったりを繰り返していると、仕事を終えた光矢が帰ってきた。

 光矢の職業は現在考古学研究室の博士研究員である。


「たっだいまー!」


 今日は上機嫌な様子で、玄関に上がって来た。


「さ、皆さん入って入って」


 傘を折り畳んだグローバルな客がぞろぞろと玄関から廊下に向かって入って来る。


「お邪魔します」


 などと言う人間が4人ほど。褐色から黄色、赤色、白色と揃っている。褐色の人は白人の血が混じってるらしく鼻がすごく高い。黄色の人間は日本人か外国人かよく分からないが、他は明らかに外国人だった。


「セイヤ君、アレ用意してくれた?」


「はい、旦那様。晩餐の支度が出来ております」


 セイヤは恭しく光矢にお辞儀をする。そんな姿を外国人たちが「オーウ」と見ている。フィギュアみたいに綺麗な機械人形が滑らかに動いているのに感心していた。

 光矢は英語で「これは天上院財閥が開発した汎用メイドアンドロイドである」と手短に説明していた。


 わいわいがやがやとリビングルームが騒がしくなる。

 オープンキッチンを囲んでホームパーティーが始まる。


 赤色人が持ってきた巨大なエビを光矢がフライパンで炙っている。白色人が持ってきたワインをフライパンにぶちまけて炎を上げていた。


 バタン!

 真弦の仕事部屋のドアが開く。


「……うっ……くぅ…………っ!」


 真弦はペンタブのペンを握りしめて物凄い形相で睨んでいた。


「どうした真弦ー? お前もこっち来るか?」


 楽しそうな真弦の夫の光矢。コイツはもう、学生の延長気分でプライベートを楽しんでいた。数年前のアパレルの副社長時代とは大違いの嬉し楽しそうな表情である。


「うるっさい黙れ! こちとら修羅場中なんだよっっ!」


 文句を吐き捨てる。が、焼いたエビの美味しそうな匂いに釣られてドアを閉められないでいる。

 黄色人が皿にエビを盛り付けるのを見ている真弦の腹からグゥーっと音が鳴った。


 夫と外国人達に見つめられて居たたまれなくなった真弦が取った行動は、小さいエビを咥えた吾輩を伴って静かにドアを閉める事だけだった。


 吾輩は早速、褐色人から貰ったエビを貪る事にする。

 そのむさぼってるエビを真弦はじぃーっと見ていた。


「先生! 仕事仕事!」


 アシスタントの潤平が仕事しろと振り向かずに急かす。

 真弦はしぶしぶ机に向かうが、リビングルームのワイワイガヤガヤやってる音声にやられて作業が進まない。


「あんな奴と結婚しなきゃ良かった! 男って嫁ほっぽり出してみんなああなの?」


 怨念が付きまとう筆さばきを見せる真弦が潤平に質問する。


「さあ……どうでしょうね」


 無茶に振られて、潤平は大人な解答をしてはぐらかすしか出来ないでいる。


「私の原稿料とあいつの稼ぎで家計が精いっぱいすぎて別れられないのが辛いっ! いつか原稿料が上がったら離婚してやるっ!」


 真弦は苦手なヘッドフォンをしながら作業に没頭する事にしたのだった。

 潤平との会話はパソコンのメールでやり取りしている。アシスタントの順平が隣にいるのに真弦はお喋りすら放棄したのだった。それ位怒りで我を忘れていた。


 真弦と潤平はヘッドフォンしてそれぞれ作業してるし、仕事部屋からはペンタブを擦る音しか聞こえてこない。

 部屋の外からは光矢と外人達が英語で談笑して、たまに笑っているのが大音量で聞こえてきていた。


 コンコン。


 ドアをノックされるが、真弦も潤平も気が付かないで漫画を仕上げるのに没頭している。

 吾輩の耳がピクリと動くが、猫が出て行っていいものか迷う。


 コンコンコンコン。

 何度かドアをノックされ、反応が無かった為に向こうからドアが開いた。


 急に魚介類の美味しそうな匂いがプーンと漂ってきて、真弦が勢い良く振り向いた。


「光矢の馬鹿ーっ!」


 ドアに向かって叫んだが、ドアノブを握っていたのは別の人だった。褐色に肌を焼いた快活そうな鼻の高い外国の男だ。茶色い髪のてっぺんにぴょこんと短い触角が生えているのが特徴的である。


「キミタチもパーティーに参加シナイカ?」


 褐色の肌の男は流暢な日本語で話して微笑んだ。

 真弦は目頭に涙を溜めながらフルフルと首を横に振った。楽しそうだけど、仕事に追い詰められていてそっちに行けないでいるのだ。


「たまにはイキヌキも必要だよ。タノシイヨ?」


 真弦は外国人にそう言われると、ぶわっっと涙を流した。

 行きたくても行けない。


「ボクはシャーマン・ゲリクソン。コウヤ研究員の同僚だからコワクナイです」


 何か名前が日本的に考えるとちょっとアレな男だが、根はいい人そうだなゲリクソン! 彼は一生懸命真弦と潤平をホームパーティーに誘っていた。


「俺、ちょっと煙草休憩してきます」


 さっきまでずっと煙草を吸っている様子を見せなかった潤平が重い腰を上げた。

 そして、ホームパーティーにあえて招かれて魚介類をもしゃもしゃと食べ始めたのだった。美味しそうな匂いに我慢できなかったんだな。

 それを見た真弦はブルブルと震えている。


「さあ、キミも参加シヨウ! 食事はみんなで楽シンダ方がイイ」


「おーい、シャーマン! そんな奴放っといて飯にしようぜ」


 頑なに誘いに動かなかった真弦を早々に諦める光矢がゲリクソンを呼ぶ。光矢は鬼だなとたまに思う事がある。


「みんな死ねばいい!」


 そう呪いながら真弦はみんなの食事を奪いに行った。


 ハプニングは多少あったが、真弦のストーリー漫画の連載の原稿は無事に仕上がった。

 夜が明け、昼の陽射しが窓に入って東の方向に傾く前に無事にデータを出版社に送る事が出来た。


「ま……間に合った」


 真弦は青息吐息で椅子にもたれ掛るのだった。


「お疲れ様です」


 潤平はそう言うと、鉢巻を外してさっさと荷物を纏め始める。リュックに筆記用具を入れ終ると、腕時計を見た。


「……ふむ。次のアシスタントまで3時間あるか」


「じゅ潤平さん、次のアシスタントって?」


「チャンクロードで連載してる鬼頭先生のアシスタントもやってるんだよ。泊まり込みで今週は3日ぐらいかな」


「ま、マジかー!?」


 プロのアシスタントは仕事を掛け持ちしていたのだった。今更事情を知った真弦は驚いている。少女漫画とヤンキー漫画はジャンルが違い過ぎている事にも。


 スケジュールをチェックした潤平は肩を鳴らすとすっくと立ち上がった。


「まだ3時間もあるし、お茶飲んでく?」


「いや、風呂に入りたいし一旦帰るよ」


 潤平は真弦の申し出を断ると、乗って来た大型バイクを走らせて帰って行った。


 真弦は潤平を見送ると、玄関で倒れるように横になった。


「主婦が一人で30ページは無謀だった……! 臨時でアシスタントが来てくれなかったらどうなっていたか……!」


 一人で漫画を描く辛さが身に染みていた真弦は、アシスタントのありがたさを金を通して実感したのだった。次回はそんなに描かなくて良くなるらしいが、真弦のプロとしての構えは甘すぎたようだ。


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