57. 絵描きとして




 タレ蔵の話を聞いた吾輩は、花屋の二階で息子や娘達と話し合っていた。

 美羽のアナニストの件はこの物語のヒロインである真弦が直接の原因なので、幸か不幸か分からない。


「あー、お前らはまたここで集会開いてもー」


 仕事をひと段落させた御手洗が部屋に入ってくる。相変わらずこっちは恋愛のれの字の様な浮ついた話は出てこないつまらない青年だ。

 デブ猫のサクラが鎮座するグラビアの入った漫画雑誌を取りに来たのだろう、我々諸共「しっし」と追い払おうとする。


「なんやチェリー、ワイの本なんやから貸せや」


 未だにサクラは漫画雑誌の上に鎮座していた。さすがにデブ猫は神経も図太い。

 御手洗の所有物である本は、みしみし音を立てながらサクラごと移動してくる。肉球と手が引っ張り合う事で、表紙がビリリと裂けた。


「あーっ!! ワイのなゆたんがぁぁぁー!」


 顎をガックーンと落とし、マンガみたいな表情で落胆する御手洗。彼は本当に漫画に登場しそうなコミカルな顔をしている。

 今号の表紙のグラビアはメイドアイドルの黒羽なゆみだった……。グラビアは縦一直線で見事に真っ二つにされてちょっと可哀想である。


「ああっくっそ! 猫漫談でも書いたろかボケェ!」


 御手洗は三白眼に涙を浮かべながら『ネタ帳』という帳面を手にする。

 部屋にいる猫に邪魔されたくないので、背を丸めて机に向かう。カキカキと帳面に書くのは猫の生体についてみたいだ。

 吾輩が近づいて覗き込むと、「猫あるある」ネタを書いている事が判明する。


 こう見えて御手洗はお笑い芸人養成スクールを卒業した一端のお笑い芸人らしい。だが、芽は出ずにこうして住み込みで花屋の社員を続けている。

 クスリとも笑えないネタをつらつらと書き綴っているのが痛すぎる。


「っだぁーっ!! 絵が描けへんやんけ。こんなんよう伝わらんわぁ」


 御手洗の欠点は絵が壊滅的に下手で、一人で紙芝居ネタをやるのは難しかった。






 吉良真弦の家では彼女の誕生パーティーが自宅の屋上で開催されていた。

 誕生日の8月1日はあいにくの雨で、バーベQパーティが中止になり、8月の日曜日の晴れている日に友人達で集まる事になったのだ。

 バーベQパーティーを主催したのは彼女の友人の津川聡美で、聡美は夫と一緒にコンロで塊のでかい牛肉を焼いている。


「あざます、あざます!」


 真弦はシャンメリー片手に友人達に挨拶をしている。妊婦なのでアルコールは厳禁なのが毎年可哀想である。


「ついにマトさん(真弦の愛称)もサザエさんの年を越えてこっちの世界に来たか……」


「うおおっ! アラサー言うなぁぁーっ! まだ24じゃあ~!」


「アラサー言ってない言ってない」


 真弦は20歳を超えた辺りから年を重ねるのが嫌になってきている。


「30歳になるなんてあっという間だよ~。ほぅ~ら、こっちにいらっしゃい」


 バーベQコンロを囲っている30代を迎え終わっている聡美と留美が手招きしている。聡美なんか34歳で、来年はアラフォーに突入する。


 優雅なバーベQパーティーを見守る美羽と礼二は黙々とローストビーフを頬張り、真弦が漫画仲間と話している所を気後れしながら眺めている。


「ほら、美羽、サーモンの燻製だぞ」


「ありがとう、お兄ちゃん……」


 美羽は公の席になるといつも兄と一緒なので、少々恥ずかしいと思う年頃になっている。内緒にしない限り、どこに行くにも兄と一緒で息が詰まりそうなのだった。




「さあ、恒例の牛山礼二の写生大会を始めたいと思います」


 真弦は執事メイドロイドのセイヤに用意させていたスケッチブックを各自に配り始める。


「ちょ、聞いてねえぞ、糞女!」


 危機感を感じた礼二は両手で自分の身を抱いて首を横に振った。別にこの行事は毎年恒例ではないが、礼二は真弦の誕生日プレゼントを持ってこないので当然の仕打ちみたいな事になっていた。


「お兄ちゃーん、今日プレゼントしたTシャツだけど、美羽に返してくれないかな?」


 真弦はにっこりと礼二に向ってわざとらしく微笑んだ。

 美羽が今日プレゼントしたらしき黄色いTシャツには「まっちょ」と黒い文字がプリントされている。貧相な体には似合わない文字だ。


「なにおう! 美羽から折角貰ったのに美羽に返せるかバカヤロー死ね」


 礼二はぶち切れながら真弦に唾を飛ばしてブーブー文句を言っている。


「お兄ちゃん、今日は真弦の誕生日パーティーだからさ、大人しく脱いであげようよ? 今年もプレゼント買い忘れたでしょ」


 美羽は兄を諭しながら、真弦に「仕方ないな」と視線を送っている。


「おい、まさか脱いだ俺をあいつに差し出すつもりでは無いだろうな? あの女には旦那がいるんだぞ?」


 礼二は狼狽しながら周囲を見渡す。

 真弦の夫の光矢を見つけるが、彼はカメラを持ったままニッコリしている。


「構わん。ケツ向けて来いよ」


 光矢はさすがに真弦の夫なだけある、BLに耐性が付いているので、人差し指でクイクイと引き寄せるように招いた。


「ヒャッハー、パパ懐が広いねェ。礼二貰っていいんだね?」


 真弦は光矢と腕を絡めていちゃいちゃしながら礼二の尻を狙った。




 花瓶を右手に、股間を左手で隠した裸の礼二はスケッチブックを持った大人達に囲まれていた。屋上のウッドデッキに脱いだパンツは10代の頃から変わらず白ブリーフだ。

 いつの間にか特設ステージが設けられ、光矢のカメラのシャッター音も唸っている。


 真弦の誕生日恒例の行事になりつつある、牛山礼二のヌードモデル。


「こら……そんな低いアングルから描くんじゃねえ! 蹴り殺すぞ」


 何人かの同人女性が低いアングルを選んで礼二の股間を狙っている。生の人間をモデルにして絵を描く機会が少ないので、貴重な体験であるのは間違いない。


「礼二さん、より芸術的にしたいのでその花瓶の花を尻の穴に移動させてくれませんか?」


 中学生に成長した佐藤が真剣な表情で礼二に注文を付ける。

 年少者佐藤の容赦のない一言に周囲がわっと盛り上がり始める。


「うう、ギブ……!」


 礼二は真弦の誕生日プレゼントを忘れた事に毎年後悔している。だが、来年になるとまた忘れてこうしてヌードモデルにされるのだろう。


 スケッチブックを持った各人のイラストが完成し始める。


「さあさ、描きあがったら真弦先生の所に提出して下さいな」


 真弦は美術教師の様な表情でパンパンと手を叩いて絵の提出を促している。


 続々と礼二の絵が描かれいているスケッチブックが真弦のテーブルに集まってくる。

 やはり、真弦の友人達だけあり、絵の上手い者ばかりである。

 今年は真弦の長女の真弓も参加して賑やかになった。


「ん? どした?」


「礼二にーたんがかあいそう」


 真弓は毎年大惨事に遭遇している礼二に同情しているようだ。幼児は礼二を慰める為に礼二に絵をあげるよう母の真弦に提案した。


「礼二、喜べ! ウチのかわい子ちゃんがお前にくれてやるってよ」


 真弦は愛娘の描いた礼二らしきぐちゃぐちゃの絵を礼二に差し出した。

 受け取る礼二はわなわなと震えだした。

 茶色と緑のクレヨンでウンコみたいな形の円を一生懸命沢山描いた絵だ。そして、真弦の字で「れいじはしね」ととどめに赤マジックで書かれていた。プレゼントをくれないのを根に持っているらしい。


「こんなモンいらねえーっ」


 ビリィーッ! 真弓のウンコみたいな絵は礼二の骨みたいな細腕に引き裂かれた。


「びやああぁーっ」


 自分の絵を即拒絶された真弓は号泣した。

 そんなこんなで真弦の誕生日は楽しく過ぎて行くのだった。




 バーベQパーティーが終わって片づけを始めた頃だろうか、インターホンが鳴ったらしく、セイヤが応対しに玄関へ出て行った。


 しばらくして、御手洗が屋上に連れてこられた。


「忙しい時にすんまへん! ワイに絵を教えて下さい!」


 妊婦なので荷物持ちをしなくていい真弦が椅子に座っており、御手洗の話を聞いた。

 事情が分かった真弦は二つ返事で快諾する。


「それならまず、あそこで片づけサボってる男をモデルに絵を描いて下さいな」


「承知です……。ううっ行き辛いわ」


 額に「肉」と墨で書かれている礼二は屋上の掃除をサボってイライラしながら座っていた。美羽が傍におらず、皿洗いに台所へ行ってしまったからだ。

 陽が暮れてライトが庭を照らし、礼二の不機嫌な顔も照らしている。


「あ、あのぅ……。遠巻きでよろしいでひょか?」


 かなりテンパり気味の御手洗が、痩躯で明らかにひ弱そうな礼二にも怯えている。人間が苦手な御手洗は威力のなさそうな礼二のひと睨みでも足がすくんでいた。

 スケッチブックを渡されて挙動不審な動作で右往左往している。


「とにかく御手洗さん、絵を描かないと実力が分からないんで」


 真弦は真剣な表情で御手洗に言い放つ。

 観念した御手洗は立ちながらスケッチブックを片手にマジックで礼二の似顔絵を描き始めた。


 そして10分以上が経過した頃だろうか……。

 人間が破たんしたような形相の礼二の似顔絵が出来上がった。筆圧は滅茶苦茶で上手くはないが、なかなか味のある絵だ。


「……なるほど。礼二の特徴を掴んでいる」


 真弦は頷くと、スケッチブックを御手洗に返した。


「私に言う事は何もありません。このまま精進すれば立派に漫画が描けるでしょう」


「せやから漫画では無いんですって!」


 御手洗は芸人人生に関わると思い、引き下がらずに真弦に詰め寄っていた。昔憧れていた美少女にも臆さない様子だ。

 そしてついには真弦が笑いに対する熱意で折れた。




 パーティーの片づけ作業が終わった真弦の友人一同がリビングに集う。

 作画に困った御手洗をU字型に囲って立つ。


「さあ、好きな絵描きを選ぼう」


 御手洗の周りにずらりと囲む同人漫画描きは、人間が苦手な御手洗を完全に威圧していた。御手洗の三白眼がグルグルと回る。


「この人で……」


 よろけながら指を刺したのは可愛らしいイラストの描いてあるスケッチブックを持った美羽だった。


「俺の妹を指名するな、死ね!」


 礼二がキッと御手洗を睨む。


「ヒィッ! すんまへん……」


 御手洗が怒りの形相の礼二を見て完全に委縮してしまった。

 それを見た友人の聡美が彼を可哀想に思い、真弦に耳打ちする。


「彼、アドリブでノリ突込みも出来ないみたいだからやめましょうよ」


「うん、そーっすね。あれでお笑い芸人だって言うんだから世の中分からないわぁ」


 ぼそぼそと話しているんだが、御手洗にちゃんと聞こえるように話している。

 御手洗は目に涙を浮かべて赤面している。


「ワイは……ワイはそれでもお笑いが好きなんや」


 本来の職業を否定されてさめざめと泣き始めた。男なのに情けない奴だ。


「あ……、なんかごめん」


 真弦達は気まずくなって葬式みたいな雰囲気になった御手洗を慰めるのだった。




 それから御手洗は真弦の家でイラストを習う事になった。

 真弦のイラストスクールは近所で有名で、生徒は古株の佐藤と新入りの御手洗を含めて12人になった。

 その12人だが、自宅に全員が入りきらないので曜日制にして通わせているのだった。


 日曜日は佐藤と女子大生、御手洗の三人がイラストを教わっている。

 真弦の子供達はセイヤと義母の泰子、たまに夫の光矢が面倒を見ているから全く心配はない。


「んで、佐藤、受験は大丈夫なのか?」


 真弦は漫画を教える傍らで自分の原稿のネームを仕上げている。


「ここにいる田中さんの教えもあって大丈夫ですよ。塾も通わされているし抜かりはないですね」


「またまたー、私と一緒にこっそり漫画描いてるくせにー」


「おいお~い、高校受験大丈夫かよ?」


「私がいるから合格間違いないよね、博文君!」


「……はい」


 佐藤の含みのある返事。

 佐藤は田中に家庭教師を頼んでいるらしかった。そんな二人の仲はちょっとどころかかなり親密でなんか怪しい。勉強と漫画以外に佐藤が何か教わっているような気がしてならない。

 真弦は佐藤と田中の仲については深く追及してなかった。自分にも若い頃はあったと寛大な気持ちで見守る事にしているのだ。


 そんな何かがモヤモヤする漫画イラストスクールで異彩を放っているのが御手洗である。

 現在、沈黙を守りながらゆるいキャラクターの模写をしている。

 ……なんというか、御手洗の絵は相も変わらずド下手糞だ。数あるゆるキャラがただのクリーチャーと化して紙を席巻している。


「御手洗さん、出来た?」


 御手洗は無言でイラストを提出して顔を両手で覆った。自分の絵が下手なのは自分で理解している。


「ああ、コレ、とんがってる部分は誇張して丸い部分は大げさに丸くするんです。線はためらわずに思いっきり引く」


 真弦が赤ペンでキュキュッと御手洗の絵を添削した。


 漫画イラストスクールは90分で終わるらしいが、昔から利用してくれる佐藤の為に120分ぐらいのサービスしていた。

 それぞれ好きな飲み物を飲みながら楽しく話して絵を描いている。それだけのカルチャースクールだ。


「真弦先生……」


 御手洗はコーヒーを飲んで一息ついて決心をしたように話し出した。


「もしワイが売れっ子になったら、フリップの絵を簡単でいいから頼めないでしょうか? 料金は弾みますんで……」


 絵に自信が無い御手洗はビジネスの話を真弦に持ちかけてきた。


「お笑いで一発当てたら絵を描く時間が無いと思います。ネタを送るんでその通りに絵を描いて……」


「バカモーン!」


 真弦はテーブルを叩いて怒鳴った。


「アンタは何の為に私のイラストスクールに通ってるんだ? 絵が上手くなりたいからじゃないのか?」


 真弦の逆鱗に触れた御手洗は彼女の怒鳴り声で椅子をひっくり返して佐藤の後ろに隠れた。


「私なんか子育てで時間無い中でやりくりして隙間時間見つけてるんだよ! はした金与えるから時間削って絵を描いてくれなんてお断りだね!」


「ううう……」


「絵が上手くなりたいなら絵を描きまくるしか無いんだよ!」


 ガーン! っと擬音が浮かびそうな表情になった御手洗は硬直してすぐに椅子を立て直して座った。

 真弦の恫喝で真面目にお笑いをやる気になったらしかった。


 そしてあっという間にイラストスクールの時間は終わり、御手洗は今日を境に来なくなった。御手洗の奴、絵は諦めたようだな。




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