50. 2年の歳月




 真弦が妊娠の経過を見る為に市内の病院に入院した後の土曜日、引っ越しで慌ただしさを増していた。

 光矢は娘の真弓を抱っこ紐で背負って荷物を纏めて業者に渡していた。

 ……ああ、2年間だらだらと過ごした若葉4丁目ともお別れなのかと思うと寂しい気もするが、若葉地区は高級住宅街だけあって犬が多すぎたのでむしろ清々する。

 新しくはないが、生まれ故郷の青葉町に戻れるのは嬉しい。


 光矢の母の経営する吉良美容整形クリニックの2階に生活用品が次々と運ばれて行く。3階の一室も間借りしているので、結構な家賃だと思われるが、そこは母親の泰子と同居なので大目に見てくれるのだろう。泰子の住居は3階にある。


「吉良康子様のお呼び名はどうしたら良いのでしょうか?」


 一緒に付いてきたセイヤが早速、泰子に向かって訊いている。


「んーそうねー、「泰子ちゃん」で……」


「お婆様で!」


 光矢が横槍を入れる。ちゃん付けに息子はさすがに抵抗を示した。


「お婆様は酷い! 「大奥様」で結構!」


「はい。大奥様!」


 セイヤはあっさり、泰子を「大奥様」と呼ぶ事に決めた。本当の持ち主の真琴を大奥様と呼ばないのは、本人の意思を尊重しての事だろう。


 こうして真弦がいない間の引っ越し搬入作業はスムーズに終わる。真弦がいないのでサクサク進んだといっても過言ではない。

 やったぁ! 商店街に帰って来たぞー!

 吾輩は早速、2年間開けていた自分のテリトリーを回る事にしたのだった。


 吾輩が商店街の裏口を闊歩していると、自分と似た毛皮の柄をした猫がこちらを睨み付けながら歩いてきた。


「んなーっ(おうおう、どこの猫だか知らないけど、アタイの領地踏み荒らそうってんじゃただじゃおかないよ!)」


 威勢のいいキジトラの成猫が吾輩に喧嘩を吹っかけてきた。匂いとしては去勢済みの雌猫のようだ。

 吾輩は余計な体力を使いたくない為にその猫の匂いをしばし至近距離でクンクンと嗅いでみる。

 ……なんか吾輩の匂いと似たような獣臭を感じる。


「(……お前は、吾輩の娘のタツコではないのか?)」


「フシューッ(どうしてアタイの名前を!? 何者だ貴様?)」


 狼狽しているタツコは耳を伏せてじりじりと後ずさりを始める。


「(吾輩はお前の父親の玉五郎だ)」


 はっきり名前を名乗ってやると、タツコは後ずさりをやめてその場に立ち止まった。


「(父ちゃん?)」


「(そうだ。お前の父親だ)」


 吾輩は娘との再会が嬉しく、ゆっくりとタツコに近づいて行った。


「んにゃぁあっ!(今更、どの面下げて帰って来たんだよバッキャロー!)」


 べしん! 元気なタツコは父親の吾輩に猫パンチを浴びせてきた。


「プギッ(しょうがないだろ! 飼い猫の宿命で引っ越しがあったり何だりしてやっとこの町に帰ってこれたんだからよ。一生会えない事だってあるんだぞ)」


 こうして吾輩と美容室で飼われているタツコは無事に再会を果たした。

 後でタツコに聞くと、タツコの飼い主で美容室のオーナーの如月女史はやっと結婚が出来たらしい。行き遅れなくて良かったって話だ。


 青葉ぎんざ街(別名商店街)にいる吾輩の子供はタツコの他はぶち猫のサクラがいる筈だ。

 仕切りたがりのタツコに先導され、父の吾輩は我が子の成長を喜びながらトコトコ歩いてきた。


「タツコちゃん、似た柄のオス猫やん。ボーイフレンドかいな?」


 バービッチの経営している花屋にまだ勤めていたのか御手洗の奴……。

 忘れていたが、人前に出るとあがり症の御手洗は小動物には積極的で変な奴だったりする。


「ウウーッ(違わい、ブッ細工! アタイの父ちゃんだバーロー)」


 かぶっ

 タツコは御手洗を気に入っていないのか、それとも裏表のあるなよなよした男だから嫌いなのか、奴の生白い手に噛みついた。


「あ痛ぁー!」


 人間の女にもてないだけだと思ってたら、動物のメスにも好かれていないのか。可哀そうだな御手洗の奴……。


「ぅなーん(御手洗の扱いはこうするんだ。よく見ておきなさい)」


 吾輩はタツコに目くばせすると、猫背気味の御手洗の背中を駆け上がり、彼の頭の上に乗った。

 ショーケースのガラスに映る冴えない男の頭の上に吾輩が帽子のように被さっている。猫特有の絶妙なバランスを保って御手洗に体を預けた。


「……まさか、お前は! 玉五郎君か!?」


 猫に頭頂部を占拠された御手洗はびっくりしながら体をのけ反らせた。

 吾輩はバランスを保ちながら御手洗の頭にしがみついていた。


「ニャー(よく覚えていたな)」


「間違いあらへん、このひっかき傷と首輪! 真弦さんは? 真弦さんは元気なんかなぁ~?」


「ニャー(元気だが、お前の望む姿ではないぞ)」


 何となく猫と人間の相互で会話が成り立っているかというとそうでもない。


「真弦さんのあのスイカみたいな胸! 挟まれてみたいわぁ~」


 人間の雄はみんなスケベだ。


 さて、吾輩の息子のサクラはというと……。

 御手洗の部屋を居住地にしているデブ猫へと成長していた。


「(サクラコちゃん、来たよー)」


 タツコは慣れた前脚さばきでドアを開けて中にまんじゅうかぬいぐるみのように鎮座している猫に呼びかけた。


「うにゃ~ん(いらっしゃ~い。お隣はお友達?)」


 子供時代の凛々しさは消え失せ、優しい感じの猫に育っているようだが……。今、タツコの奴、兄弟を「サクラコ」って呼んだよな? 何?


「な~ん(違うよ。アタイ達の父ちゃんだよ!)」


「うなーん(あらぁ、お父さんなの? お久しぶりね)」


 息子のサクラことチェリーはバービッチの店を根城にしているせいか、口調がすっかりオネエになっていたのだった!


「……(お前はいつからオカマになったんだ?)」


「うにゃん(去勢した後よ)」


 サクラの尻にあった筈の金玉がすっかり消え失せていた。そうか、正規で去勢するとオスは個体差があれど性格が丸くなるようだった。……良かったー吾輩はパイプカットで済んで。


「(そういや店にバービッチが見当たらないがどうしたんだ?)」


「(ママならイタリアに出張中よ。記念祭だかのお花を生けるのを頼まれたんだって)」


 バービッチは華道家として世界に羽ばたいているようだった。この2年で彼の実力は世界にまで知れ渡ったらしい。







 それから数日が過ぎ、猫の家族会は御手洗の部屋で行われる事が定例となっていた。

 家族会と言っても、吾輩とタツコとサクラだけだ。他の子供達は商店街以外で暮らしている為にまだ会っていない。


「(インド人の家に行った息子のトラオはどうしてるんだ?)」


「(5丁目のマンションの2階に住んでるって。お兄ちゃん元気そうだよ)」


「(ふむ。餌はやっぱりカレーなのかな?)」


「(カレーじゃないよ。ちゃんとカリカリと猫缶貰ってるってさ)」


「(えー? ヤギのチーズとかも出ないのかしら~?)


 吾輩達家族は、御手洗が休憩で昼寝している横で楽しく会話に花を咲かせている。

 サクラは完全な家猫で、外に出た事が無い箱入り息子である。こうして室内で集まれるのは御手洗とその家の主であるバービッチのお蔭であった。


「(美羽の家にいるタレ蔵は今どうしているんだろうな?)」


「(タレちゃんならたまに美羽に連れられて矢部さんのとこまで来るよ)」


 情報通のタツコはベラベラとよく話してくれる。『矢部さん』と言えば、吾輩もよくお世話になっていた動物病院の事である。


「(鼻炎が酷くてなかなか治らないんだって)」


「(そうか、可哀そうに)」


「(あ、そうそう。そういえば美羽のキチ兄がバナナアーティストとしてアメリカに呼ばれたって聞いたー? アタイは髪カットしてる美羽から直接聞いたよ)」


「(えー? なにそれ? いつも妹の為に百合の花を買っていくイケメンさんの事?)」


 サクラが驚く中、しばらく吾輩はタツコの話に耳を傾けた。初耳であった。

 タツコの話では、牛山礼二は『レイジー牛山』として主にバナナで彫刻するパフォーマーになったとか、アーティストになったらしいのだ。……あの使い道のないポンコツ野郎が意外な才能で開花してしまったみたいだ。


「(だが、礼二の奴美羽が付いてこないならアメリカに行かないんじゃないのか?)」


「(フフフ、そうかもね)」


 こうして吾輩家族は居眠りしている御手洗が起きて驚くまでコミュニケーションを静かに深めて行った。





 家に帰って来てもご主人様の真弦は産婦人科に入院していて、いない。

 いるのは乳児の真弓と執事メイドロイドのセイヤだけだ。夜になると光矢が帰ってきたり、泰子がいたりして賑やかになるが寂しい……。


「玉五郎さん、奥様が恋しいのですね?」


 セイヤは真弓をあやしながらちょくちょく吾輩の心を読んでくる。


「(最近、インクと乳の匂いがしないからな)」


「またまたー、匂いというよりぬくもりと乳圧じゃあないですか」


 このアンドロイドは動物の言葉も読める高性能ぶりを発揮している。

 人間共には驚かれたら困るので、動物と会話が出来るのは秘密にして貰っている。

 セイヤは常に無表情で、真弓の感情育成上困るベビーシッターであるが、猫の吾輩がいる事により緩和されている。猫にだって表情はあるのだよ。


 吾輩の吉良家での会話はセイヤしか出来ない。意思疎通などは人間の真弦達と出来るので何の問題もなく生活に満足はしている。

 今のところ引っ越しが多いのは満足していないけどな……。


「真弓様、『ママといっしょ』が始まりましたよ」


 セイヤは毎日同じ時間になると、テレビをつけて教育番組にチャンネルを合わせる。

 真弓はまだ1歳だからテレビに夢中になる事は無いのだが……。


『みんなーげんき体操の時間だよー』


「うっうー♪」


 体操のイケメンのお兄さんを見ると集中するのだった。


 そして教育番組が終わると、セイヤは録画していた日曜の番組を真弓に見せてやるのが日課になっていた。


『時空警察ポリスファイブ!! みんな、テレビを見る時は離れて観ような』


 1歳児が既に夢中になっているのは戦隊モノの番組であった。


 真弓は1歳児の癖に『時空警察ポリスファイブ』が大好きである。

 ちゃんとセイヤに抱っこされて暴れずにじいっと見ているのである。


 物語の中でも、超イケメンのグリーンポリスに夢中になっている。

 

『英知の緑、グリーンポリス!』


「……フン!」


 だが、変身後のグリーンポリスには夢中にはならない。要するに変身前の中の人が重要なのである。

 グリーンポリスのルイス・緑澤を演じる俳優の畝田薫に真弓は齢1歳にして叶わぬ恋をしていた。

 昔、真弦にホモだホモだと騒がれていた真正のホモの高校生だった男はモデル兼、俳優に成長していたのだ。……多分、彼が恋した俳優の羽瀬和成を追いかけてこの職業になったのだろうな。


「きゃっきゃっ♪」


 真弓はグリーンポリスことルイス・緑澤が現れると喜ぶ。

 あっという間に話が集結して、エンディングテーマが流れた。


 そして、録画そのまんまのお約束のコマーシャルが流れる。


『今日もあたしスタイルを貫こう~♪』


 未だに日本でトップモデル快走中の雪華が最近歌手デビューしたらしく、ニューシングルの宣伝がちょくちょく入っている。


 雪華はホワイトとピンクのツーブロック髪と派手でポップな色合いの服でテレビ画面を鮮やかに彩っていた。あんまり歌は上手くないけど、今が旬なんだろうな。


 たった2年の経過でも時代が動いているのをしみじみと感じ取れる。

 そういや、引っ越し当日に光矢の友達と真弦の漫画仲間が好意で手伝いに来てくれたのだが、仮面ライダー野郎のつくねが30㎏のダイエットに成功していたな……。時間が過ぎるのって早いなぁ。




 光矢が家に帰ってくるのは遅い。

 義母の真琴から副社長の座を直々に指名された光矢は日本を拠点に表面はアパレル業を営んでいる。裏の顔はよく知らないが、新エネルギーを動かしてるとかなんとか……。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 執事姿のセイヤが無言の光矢から鞄を受け取る。

 一家の大黒柱になった光矢はすっかり企業を動かす紳士となり、出会った頃のようなチャラチャラしたイメージを払拭させて地味なおっさんになりかけている。


「ふー、疲れた」


 家の廊下を歩きながら背広を脱ぐ姿は亭主関白の男の理想像に見える。

 セイヤは背広とネクタイを光矢から受け取りながら後ろを付いて歩いている。


「ご飯になさいますか、お風呂になさいますか」


 光矢は不機嫌そうにセイヤの話を聞き流している。

 慣れない激務が続いて疲れ切っているのだろう、Yシャツを緩めながらダイニングルームへ先に行こうとする。


「それとも、僕?」


 セイヤは光矢の前に回り込み、素早い動作で自分の着ていた燕尾服の前を肌蹴て艶っぽい表情をし始めた。


「風呂入ってから飯にする」


 妻の真弦と自分の母親のBL好きに耐性がある光矢は変な風に仕込まれた執事メイドロイドのセイヤを無視してダイニングルームを覗いた。


「お、今日はビーフカレーか。大盛りで頼むぜ」


 光矢はそう言うと、夕食を楽しみにしながらバスルームへと急いで行った。


 取り残されたセイヤは獣の吾輩に話し掛けてくる。


「奥様の夫はこんなつまらない男で良かったのでしょうか……」


 知らねえよ! 猫に訊くんじゃねえよ生物と相反する無機生命体がよ。


 夕食を終えた光矢は娘の真弓が寝るまで一緒にブロック玩具で城を作って遊びながら過ごしている。

 家に帰れば光矢は意外と子煩悩なパパなのである。


 真弓の就寝時間になると、


「……又、長時間の利用を避け、電源が入ったままにしないで下さい」


 なぜか家電の取り扱い説明書を一生懸命読み聞かせていた。

 と、いうのも、妻の真弦がパソコン意外は家電音痴でよく壊すからなのである。無論、家電扱いのセイヤも何回も壊れている。

 父親の願いは通じ、娘の真弓はその取扱説明書を聞いてすやすやと寝ていた。


「…………こちとら命が幾つあっても足りない仕事なんだ。何かあった時は母さんを頼むな、真弓」


 光矢は優しい笑みを浮かべながら真弓のふわふわの髪の毛を撫でた。

 この「命が幾つあっても~」って言うのは、社長の真琴が男にだらしなすぎて仕事がおろそかになり、光矢にしわ寄せが来てるから寿命が確実に縮まっているという事態にある。

 今回の真琴のロマンスの相手は東欧の企業家らしい。義母・真琴の恋でうまいビジネスチャンスが生まれるのはありがたいが、婿の休みがどんどん無くなって行くのは悲しい事である。


「あー、シメノ教授の所に戻りたいぜ……」


 光矢は学生時代、因幡ゼミで考古学を専攻していたのだ。真弦との婚約、結婚で研究職を断念したのであった。

 

「まあいいや、あげた猫の様子も気になるし連絡しとこ」


 光矢はノートパソコンを開くと、スカイプに繋いで相手と通話し始める。

 パソコン画面の向こうの女は夜会用の仮面を被って骨付き肉を持っていた。完全に向こうはパーティームード全開である。


「教授~、研究職の枠一つ空いてませんかね? 今の仕事辛くて辛くて……」


 パソコンの向こうに家業の悩みをぶちまける光矢は迷える子羊のようだ。

 画面の向こうの仮面の女は優しく淡々と諭し、「大学院を出たら枠がある」ような事をはっきりと伝えてきたのだった。


「よしっ!」


 光矢は何か吹っ切れたように立ち上がった。






 我が家の大黒柱である光矢が吹っ切れてから数か月が過ぎただろうか、産婦人科に入院していた真弦が産気づいて大騒動になっていたから誰も何も気が付かなかった。

 この春、光矢が仕事を長期で休んで若草大学の院生になった事を……。


 真弦が無事出産を終えた男児の双子はそれぞれ、光男(みつお)と光太(こうた)と名付けられた。容姿は真弦にそっくりである。皮肉な事に、真弦から奪われた長男よりも次男や三男が従姉の真澄にもよく似ていた。双子はシンメトリーな一卵性双生児みたいだ。

 名前に光矢の『光』を入れたのは真澄そっくりな息子達が天上院家に奪われないように念を込めているらしい。


 現在2ヶ月の猿みたいな二人の赤子はお互いに足を動かして蹴り合っていた。

 お姉さんになった真弓は双子の弟を済んだ瞳でじーっと見つめたり、めくれたバスタオルを元に戻したりと小さいながらに世話を焼いていた。



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