その後の話

49. その後の真弦と玉五郎




 吉良夫婦がだらだらと真弦の実家で暮らしているせいで……あーっという間に2年の歳月が過ぎ、飼い猫の吾輩は5歳になった。

 別に2年の間にこれといった面白い話は無い。

 真弦の髪は高校生の時のように超ロングヘアに戻して、昔のようにダサくてだらしない服装をしていた。

 家は城みたいな外観だが、テレビ番組で見る一般的な金持ちや芸能人の家と変わらない筈だ。不法侵入者を殺戮できる執事ロボットがいるだけで。

 あと変化があったのは真弦の姓のみだ。結婚式とかそういうのは妊娠や育児でやっていない。吉良光矢と入籍しただけだ。

 そんな真弦には娘が一人産まれ、現在また子供、双子を身籠っている。




 吾輩が近所の散歩をして保育園の周りを散歩していると、見覚えがある保育士が園庭で園児達と遊んでいた。

 実は最近、牛山美羽が研修生として保育園に配属されたのである。


「こっちだよー」


「ねこちゃんいるよー」


 そう言って園児達は吾輩を取り囲んで毛皮を触りだした。やーめーてー。

 小さな手は残酷である。吾輩は尻尾や鼻を触られて滅茶苦茶にされている。


「みんな、猫をいじめるのは駄目っ!」


 美羽はバッテンのポーズを取ってから吾輩を抱っこした。

 ……ふむ、ショートカットの髪型の分け目は多少変わっても、子供っぽい乳や尻は成長していない。甘いお菓子みたいな体臭も美羽に間違いない。


「きゃっ……くすぐったい」


 吾輩は懐かしさで美羽の鼻を舐めた。まるで犬のようだが、再会が嬉しかったんだ。


「いいなーみうせんせい~」


 園児達がうらやましく思っていると、この保育園の園長が乳児連れの妊婦を連れて園庭にやって来た。


「こちらが園児達が遊んでいる園庭ですよ」


「はい。……あ!」


 真弦が吾輩を抱く美羽を見つけた。


 真弦と美羽はしばらく視線を合わせ、先に美羽の方から視線を外した。


「美羽……、久しぶり」


 真弦は以前の関係も考慮しながら遠慮がちに美羽と挨拶した。

 すると美羽は気後れしながら会釈をして、園児達に急かされながらそそくさと砂場へ導かれて行った。


「牛山さんとはお知り合いなのですか?」


 園長に訊かれると、真弦は笑顔で答えた。


「ええ、幼馴染で同級生です」


 真弦と美羽、二人の関係は冷えているように感じた。


「それよりも玉五郎、こんな所に遊びに来たら駄目じゃないかー」


 美羽から解放されて建物に寄って行った吾輩を、腹の大きな真弦が上から覗き込む。


「まあ、この猫ちゃんは天上院さんの子でしたの! いつも園児達を和ませてくれていますよ」


「ははは……そうですか」


 真弦は恥ずかしそうに園長に向かって笑った。連れの光矢似の娘は意味が解らず、済んだ瞳で黙ったままこちらを見ている。


「玉五郎、先に帰っててね。セイヤ君がご飯用意して待ってるよ」


「にゃー(よしきた)」


 吾輩は真弦の一言を聞くと、一目散に家路へ急いだ。住宅街で暮らす飼い猫の楽しみは基本飯しか無いのである。……幼少期を過ごした商店街にそろそろ戻りたくなる時もあるが、ここはここで平和で過ごしやすい。






 真弦が美羽と再会して1週間が過ぎた頃だろうか、


 カンコーン


 ベルに似たインターホンが鳴って、重い腹を抱える真弦に代わってセイヤが応対に玄関へ立った。今日は通常の燕尾服である。


「お久しぶりです、美羽様」


 セイヤは何年ぶりの再会なのかはわからないが、間違いなく金髪でショートカットの女性を美羽と感知したのだった。AI機能恐ろしい!


「あら、セイヤ君と会ったのは中学校以来なのに、わたしの事覚えててくれたんだ! 髪型もだいぶ違うのによく分かったね」


 美羽は嬉しそうにセイヤの冷たい手を取って再会を喜んでいた。


「僕の認証識別機能に狂いはありません。あなたは牛山美羽様です」


「嬉しいなぁ~。よく覚えててくれたね。ご褒美にシュークリームあげる」


「いいえ、僕はアンドロイドなので食べ物は必要ありません」


「そんな堅物なところも変わってないなぁ~」


 美羽はセイヤを懐かしんでいる。セイヤのソフトのバージョンアップはしていても外観は昔と何ら変わっていないようだった。


「美羽、いらっしゃい。上がって上がって」


 真弦は双子の入った一際大きな腹を抱えながらのっそりと玄関の方へ歩いてきた。

 そろそろ腹の大きさが臨月に近づいており、油断は禁物な時期なのだが、小さな子供がいてあちこち歩き回っていたりする。


「おじゃましまーす♪」


 美羽は3年前に別れた時とは違い、明るい表情と顔で真弦の実家へ上がった。







「んー、美羽のシュークリーム久々だなー。美味しい~」


 真弦は至福の表情を浮かべながらアンティークなリビングでくつろいでいる。

 美羽が差し入れてくれたシュークリームと、セイヤが支給してくれたルイボスティーを味わっている。紅茶ではないのは、ノンカフェインを意識してだ。


「真弦の為に沢山作って来たから、お腹の赤ちゃんの為にも食べてね」


 美羽は嬉しそうに真弦のシュークリームを食べる姿を見て微笑んでいる。

 ……女の友情ってこんなに修復早かったっけ?

 個人の恋愛事情はまるで無かった事のように二人の仲は元の親友に戻っていた。


「研修中も見てたけど、お腹普通より大きいね。双子?」


「うん、そう。それで、来週入院して経過を見るんだってさ」


「保育園はあそこで決まったの?」


「うん。美羽に頼もうかなーなーんて」


「わたし、研修終わってただの大学生になっちゃったよ。来年はあそこの保育園受けて働くね!」


 おおう、美羽さん、さざなみ保育園に就職する気満々になってるぞ。……まさかとは思うが、真弦の事をまだ諦めてないとかそんな片鱗さえ見えてくる。


「真弦の娘ちゃんって真弓まゆみちゃんで良いのかな?」


 真弦は美羽に頷く。

「セイヤ、真弓を連れてきてよ」


  子供の名前の由来はあの商店街の裏にあったアパートのまゆみ荘にちなんでいるのは間違いない事実である。美羽は気が付いているのだろうか? 否、気が付いたとしても光矢に憎悪と殺意が湧いてくるんじゃないかと吾輩は危惧するしかないが。


「かしこまりました、奥様」


 セイヤは玩具で遊んでいた真弓を優しく抱っこして真弦の元へ連れてきた。

 真弓は天然パーマで顔も父親似で間違いなく吉良光矢が生産者の一人だと完璧にわかる乳幼児であった。

 まだ喋れない真弓は来客の美羽の顔を済んだ瞳でじーっと見つめている。


「真弦って奥様って呼ばれるようになったんだ」


「まあね、一応呼ぶように設定したんだよ。本当はうちの母さんが『奥様』なのにいつまでも嫌がってるから私が呼ばれるようにしたんだ。で、光矢は『旦那様』って訳。マスオさん状態なのにおかしいよね」


 真弦はのろけながら笑っている。

 その向かいにいる美羽の心情は未だ腸が煮えくり返っているのだろうが、表情は穏やかに笑っていた。……女ってわからねえ。


「そうだ、真弦、真弓ちゃん抱っこさせてよ」


「ん、いいよ」


 真弦は何も考えずに美羽に真弓を抱かせた。


「美羽お姉ちゃんですよ~」


 美羽は真弓のむちむちもっちりな頬に自分の頬を近づけて頬ずりをした。


「うきゃっきゃっきゃ!」


 真弓はくすぐったくて笑っている。この子は生来人懐っこいので初対面の人間に対しても泣いたりはしないのだ。


「そこは、『美羽おばさん』だろ」


 真弦は適切に突っ込みを入れた。いつから真弦は細かい事をしっかりと気にするようになったのか……。


「だって、わたしまだ大学生だよ」


「……だい……がくせい……。私はどうしたらいい、…………ん一直線だよ」


 真弦は美羽との落差に勝手に落ち込んでいた。何を言っているのかは可哀そうなので察してやって欲しい。


 美羽が来訪してから一度もあの時の別れの話を一切していない。

 二人とも傷は癒えたのかどうかは解らないが、避けているようだった。


「そういえば真弦、高校生の時に住んでいたアパートあったでしょ」


「うん」


「あそこ、美容整形外科になったの知ってた?」


「知ってる」


 真弦ははっきりと答えた。何故か落ち着いているようだった。


「え? 先週オープンしてたのに知ってたの?」


「うん、だって、下の階で開業したの光矢の母さんだもん」


「えーっ?」


「で、上の階には私達が間借りする事になったんだ」


「うそー? 真弦の実家で充分広いじゃないの」


「スーパーに行くのも車使わないと死んじゃう距離に住んでるのも辛いんだよ。コンビニも歩いていくのしんどいし。私まだ車の免許持ってないからホントに大変で……」


 実は一軒家が密集する住宅街ってスーパー環境が何もない田舎同然なのだ。


「子供も急に3人に増えるし、スーパーが近い所が良いかなって思ったんだ」


「セイヤ君に買い物行かせたりしないの?」


「あいつは特殊AIがあっても言われた物しか買ってこないから緊急の時しかお使いに出さないよ」


 真弦ファミリーの引っ越しの理由はまあ、そんなところだった。

 子供が3人にもなると、車が必要になってくる。主婦の真弦は考えた末に光矢の母に頼んでテナントにする筈だった2階を住居に改装させてもらったのである。


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