51. 因幡さん家のできごと
いきなり大学院生になった光矢は、和菓子を持って恩師である因幡シメノの家へ向かう。
吾輩も自分の娘の成長が気になり、光矢に付いて行った。
ウサギと稲穂が祀られている美空神社の境内を通り、社務所脇の母屋のインターホンを押す。
ピンポーン♪
インターホンを鳴らしてから出てきたのは、背の高いナイスミドルなあの宮司だった。
「ようこそ、吉良君」
「あ、どうも因幡さん。シメノ教授のお加減はいかがでしょうか?」
「今日は機嫌が良いみたいだ。良かったら上がりなさい」
黒猫のナガトが因幡の足元にいて、こちらの様子を伺っている。
「おじゃまします」
光矢が靴を脱いで因幡家に上がると、吾輩もキャリーバックから出された。
「(いらっしゃい、パパ)」
吾輩はナガトに迎え入れられ、早速純和風な勝手口と土間がある台所へと導かれて行った。
境内ではよくナガトに会うが、宮司の家の中までは初めてだった。
ナガトは自分が飲んでいた猫用ミルクを吾輩に差し出してきた。
「(そっか、パパの飼い主さんはシメノさんのお見舞いに来たのね)」
ナガトはあまりニャーとは鳴かない猫だ。無言のテレパシーで会話が伝わってくる。
因幡シメノは現在、産休に入っており、第三子を身ごもって容体が安定していないようだ。世間体ではそう噂されている。
タタタッ
吾輩とナガトの前に因幡シメノと思しき低身長の浴衣の髪の長い女が駆けてきた。
あれ? 腹が膨れてない。
やっぱり因幡シメノが宇宙人という生徒達の噂は本当だったのだろうか……。
上を見上げると、低い鼻と黒目がちの大きな瞳の女がこちらをじぃっと興味津々に見下ろしている。やっぱり容姿は宇宙人のグレイに似ていた。
「?」
「(この子はシメノさんの長女の
吾輩が疑問符を浮かべてると、ナガトが説明してくれる。
だいたい130センチ位だし、普通の小学生と大差ない身長をしている。……この子の母親が低身長(因幡シメノの公式ホームページのプロフィールでは身長が133㎝)だからうっかり錯覚してしまったようだ。
夏海は吾輩がミルクを飲む姿をしばらくじっとして見ると、仲間を呼んだ。
「
呼ばれて来たのはシメノそっくりと言うか、夏海そっくりと言うか、二人に生き写しの刈り上げ頭の男の子だった。男の子用の甚平を着ていた。
こちらは夏海よりも少し背が低く、内向的な性格を表すように内股でこっちに歩み寄ってきた。
グレイそっくりな姉弟は吾輩を舐めまわすように見た。
「かか様のごはんじゃろか?」
「とと様の生贄じゃろか?」
「猫鍋が楽しみじゃな」
「から揚げも好きじゃ」
何だか怪しくて物騒で浮世離れした事を言い始めた子供達である……! 彼らの黒目がちな瞳は光を反射して怯える吾輩を映し出している。
「(違うわよ二人とも。この猫はお客さんよ)」
ナガトは姉弟に威嚇する事もなく、静かにテレパシーで説明している。
人間(?)に猫語の念話なんて伝わるのかよ?
「なんじゃー、つまらんな」
子供の二人にナガトのテレパシーが伝わったようで、急に踵を返して台所から姉弟が出て行った。
「(おい、ナガト、あいつら吾輩をご飯とか生贄とか怖えな)」
「(パパは知らなくていいのよ……)」
ナガトはミステリアスに言い放つと、それきり姉弟について何も言わなくなった。
因幡家には何か知られてはいけない秘密があるらしい。
そして、光矢が因幡家にお邪魔して1時間が経過しただろうか……。
「うーん、うーん……!」
考古学教授の因幡シメノに陣痛が起こったのは。
和風の寝巻姿のシメノは和風の布団に横になったまま、玉の様な汗をかいて苦しそうに呻いている。
「因幡さん! タクシー呼びますから保険証と入院グッズを!」
既に3人の子供がいる光矢の対応はきびきびとしていた。
が、対する因幡は頭を振った。
「いいや、産婆が来るまでここで大人しく待つ。湯を沸かしてくるから待っておれシメノよ!」
「いつの間に助産師に連絡を? あ、行っちゃった……」
自宅出産に慣れているのだろう因幡は湯を沸かしに台所へ消えて行った。
「わっちの為にせっかく来てくれたのに済まぬのう。わっちは大丈夫じゃからそなたは帰りゃんせ」
陣痛が切れたシメノは独特のイントネーションで光矢に優しく話し掛けた。
花魁の話し言葉に似たような話し方の教授は、光矢の居残って手伝いをする申し出も断った。
んーやっぱり、赤の他人の男性だもんな。出産の立ち会いはちょっとなー……。
そんな訳で、光矢は追い出されるようにして因幡家を出たのだった。
猫の吾輩を置き忘れた形で……。
取り残された吾輩は、人間(?)の出産とはどういうものなのか謎を究明する為に、ナガトと一緒にシメノの寝室を覗き込んだ。
「もうよい」
光矢と入れ違いでやって来たウサギみたいな顔の助産師がシメノの枕元に立った途端急に煙になる。
因幡の手から3つの呪符が飛んだ。
ピシャン!
急に障子が閉じて吾輩の鼻を掠めた。
「まだ部外者がおったようだな」
因幡の低い声が障子越しに漏れてくる。
「(今飛ばしたの何? 何アレ?)」
「(式神と結界よ。パパ、命が惜しかったら鳴いて)
吾輩はナガトに言われるまま「ニャー」と一緒に鳴いた。
「なんだ、猫か。ナガト以外にもいるようだが、人語を話せるわけでもなし。放っておくが良いか?」
障子から因幡がシメノに同意を促すよう話している。
近所の噂で因幡は陰陽師だという話が出ていたが本当のようだった。
前足で障子を触るとバチッと火花が散った。
この世のものとは思えない結界の力が吾輩の行く手を阻む。
とてつもなく嫌な予感しかしない!
シメノの出産前に一瞬帰ろうと思ったのだが、結界の所為で体が痺れてその場から動けなくなってしまっていた。
程なく、シメノが産気づきはじめる。
「この子は外で生まれ出でたいと申しておる。戸を開けてくりゃんせ」
そう言うと、障子から見える小さな女の影はすっくと立ち上がった。
すらっ……。戸が開くと、因幡シメノは肌蹴た寝間着姿でこちらへゆっくり歩いてきて通り過ぎる。
全く妊婦に見えない幼女のような痩躯がよたよたと庭へ出てサンダルを突っ掛ける。
刹那、
ごぽぽっ!
急にシメノの人間だった筈の脚が液状化を始める。やはり、シメノは人ならざるものなのか。
「なに、せっかちなお子じゃな」
脚がスライム状なったシメノ(?)は脚部を見下ろしながら腹を撫でた。
ごぽっごぽぽっ! 水が激しくはじける音がしてシメノの全身が融解し始める。
うじゅるうじゅる……。シメノ(?)が地面を這いずって体を庭園の茂みへと隠そうと蠢いて移動している。
見たくないものを見てしまった!
早くこの金縛りみたいな呪縛解けないかな?
と、思ってたら何の事は無い、吾輩は動けるようになってシメノが隠れた茂みへと進んでみた。一体何が始まるのかやっぱり見たかったからだ。
「ぅるろろろろぅぅぅぅあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」
人語でも何語でもない叫び声が地面から響き渡って来た。
周囲は暗く、草むらで何が起こってるかはまだよく分からない。
あと2メートル!
ガサッ
吾輩は只ならぬものを見てしまった。
シメノだと思っていた上半身が人型のスライムが、自分とは別の四肢を下半身から生み出してばらばらに動かしていた。
続いて、桃色の腸が下半身から飛び出し、収縮しながら蠢いている。
そして、肌色の脳みそが下から生み出されると、眼球が脳から飛び出してきた。
何かが生成されて生まれているのは間違いなかった。
だが、それは生物の出産風景とは全く違ったものだった。
「にゃーん」
吾輩は黒猫のナガトのひと鳴きで目を覚ました。
「!(はっ! ここは?)」
「(私のベッドよ、パパ。マタタビが強かったみたいね)」
「(はうっ……)」
何故か頭がくらくらしている。
吾輩はナガトのベッドで酩酊を繰り返していたようだった。
マタタビは食った覚えが無いのだが、どうしてか酔いがまだ全身に残っていた。
「おぎゅあーおぎゅあーっ!」
元気な赤ん坊の声が向こうの部屋の奥から聞こえてきている。
因幡シメノは無事に自宅で出産したようだ。
吾輩が寝てる部屋では旦那の因幡がニコニコしながら子供達と赤ちゃんの道具を柔らかい布で磨いているのが見える。
吾輩達が赤ん坊のいる部屋に行こうとすると、子供達に邪魔をされて行けない。
「(赤ん坊は……赤ん坊はどんなモンスターなんだ?)」
「(何を言ってるの? 普通の赤ちゃんよ)」
吾輩とナガトが話していると、助産師のウサギみたいな顔の女が因幡に挨拶して出て行くところだった。
煙になった訳では無かったのか?
吾輩が疑問符を浮かべていると、吐き気が襲ってきてゲロリと胃の中の内容物を吐いた。
「たいへーん! 吉良家の猫が吐いたー」
夏海が吾輩の異変に気が付くと、因幡が駆け寄ってきてゲロを片づけてくれた。
「マタタビ入りのミルクをやりすぎたようだ。すまない」
吾輩はすぐさまいつもの動物病院、矢部さんへと搬送される事になったのだった。
……宇宙人妻の因幡シメノの衝撃的出産風景は幻だったのか?
矢部さんには相変わらず子●店長みたいな杉野森がいたのだが、動物管理不行き届きの光矢がこっぴどく叱られていた。
因幡家の怪奇現象を目撃(?)した後、吾輩は因幡シメノに関わると不思議な現象に遭遇するようになったのだが、それはまだちょっと先の話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます