◆柔らかい響きの答え
カイゲツ・ファルクネスは、それなりに幸せな幼少期を過ごしていた。
両親仲は良かったし、三つ上の兄であるテュロルドは面倒見が良く、いつも弟をかまってくれていたのでカイゲツも彼が大好きだった。
子供にとっては少し遠い場所に居る祖母は誰よりもカイゲツに優しくしてくれた。
魔物は幼い子供には見え辛いらしい。
カイゲツは早く大人になって有能な魔物と契約し、両親の仕事を助けることが目標だった。
優しい家族に囲まれて、親の仕事を継ぎたい。
ごくごく普通の幸せな幼少期だった。
父の死と共に、ファルクネスの“役目”を聞かされるまでは。
* * *
「お兄様、お母様は何を言ってたの? 魔王とか、役目とか、封印とか……」
大人が使う言葉は難しかったが、もう直ぐ十を迎える本好きな子供が理解出来ないほどではなかった。
しかし、理解したくなかったのだ。
頭一つ分上にある、いつも優しい兄の顔を見上げる。
テュロルドの薄茶色の瞳に暖炉の炎が映ってパチリと爆ぜた。
しかしそこに感情はなく、カイゲツはいつも持ち歩いているテディベアを強く抱きしめる。
「……僕らは……」
そうとだけ呟き、テュロルドはまた黙り込んでしまった。
先ほど母が言っていたことが頭の中で反芻される。
森の奥に魔王を捕らえれいる。魔王を封印することがファルクネスの役目。
強大な力を封じ込めるその行為は、封印した者の命を削る。父は、それで死んだのだと母は言っていた。
そして、早く魔物と契約出来るようになってファルクネスを継げと。
原因は不明だが、統計として子供に魔物が視えることはまずないという。
ほとんどが、十二歳を越えてからの開眼だと聞いている。
ファルクネスは代々全員が絆術師になっているのでいつかは開眼するはずなのだが、それがいつになるのかは分からない。
十三歳のテュロルドでさえまだ視えていないのだ。
――本当に視えるようになるのだろうか。
そう不安に思った時だった。
隣に居たテュロルドが、クスリと笑ったのだ。
「お兄様……?」
普段の兄からは想像もつかない枯れた笑いを心配に思ったカイゲツが彼を下から覗き込めば、視線に気が付いたテュロルドはこちらを見下ろして口で弧を描いた。
「笑っちゃうよね。カイゲツ、どうやら僕らは死ぬために育てられたようだよ」
「え……?」
「ファルクネスは、魔王を封印するためにこの地に繋ぎ止められたんだ。おかしいと思ってたんだ。何故、お爺様も叔母様も、僕の知らないご先祖様たちも、ファルクネスの血を継ぐ者は皆こんなにも短命なのかと……。何故僕が外へ学びに出る事をこんなにも嫌がるのかもね。大切な生贄だ、逃がすわけにはいかなかったんだろうさ」
途端、テュロルドがカイゲツの手からテディベアを取り上げた。
このテディベアは五歳の誕生日にテュロルドがくれたものだ。
以来五年間、カイゲツはそれを肌身離さず持ち歩いていた。
「分かるかな、カイゲツ。お前がいくら僕を好きでも、……僕がお前をどんなに大切に思っていても、愛していても。僕はお前より先に死ぬし、その後お前も僕のように死ぬってことだよ」
パチパチと石炭が爆ぜる音がする。
テュロルドの声は耳には入るが頭に聴こえてこなかった。
「…………無意味な人生だ」
(むいみ。それはどういう意味だったっけ。ああそうか、どういう意味だったのかとかも関係がないんだ。なんだって、どうだっていいってことだ)
柔らかい響きのその単語が、そのままの柔らかさを持って心に染み入る。
テュロルドが乱暴な手つきでカイゲツにテディベアを押し付けた。
固めの布で丈夫に作ったそれは、カイゲツの腕の中で崩れずしっかりと収まる。
収まっていた、先ほどまでは。
迫り来る火に犯され、石炭が爆ぜる。
火の燃料となり、人々に暖かさをもたらすそれは、いずれ役目を終えて灰になるだろう。
――意味なんて。
カイゲツは何も考えず、テディベアを薪の中へと投げ捨てた。
「っ、何してるんだ!?」
即座に取り出そうとテュロルドが暖炉へ手を出すが、その手を掴んで止めた。
困惑したテュロルドがカイゲツを睨む。
テュロルドが何かを言う前にカイゲツの口が開かれた。
「無意味なら、最初からないのと同じなんだ。あってもなくてもいいってこと。……それなら僕は、最初から無いほうが良かった……!」
このテディベアも、そこに込められた兄の愛情も、それをもらって喜んだ自分の感情すら。
無いほうが良かった。
そしたら今この手が震えることすら無かっただろうから。
テュロルドが今、どんな顔をしているのかは知らないし、最早知る必要もないように思えた。
今からこの人生は、ファルクネスのために捧げられるのだ。
逃げ出すという選択肢すらカイゲツにはなかった。
母の天魔は失せ物を探す力を持っている。
どこへ逃げても見つけられて連れ戻されるだろう。
「きっと、逃げられないよ」
横に立つテュロルドの肩が跳ねた。
「僕が先に役目を継いでもいいよ。後とか先とか、もうどうでもいい……」
石炭ではないものが燃え、部屋の中にもうもうとした煙と灰が舞う。
煙の向こうで、テディベアがちょこんと座ってこちらを見ていた。
* * *
そう。
そうだった。
最近の自分はどうかしていた。
次の生贄を産むために迎えた小娘一人の言動に惑わされ、失ったはずの感情を揺さぶられていた。
なぜ忘れてしまっていたんだろう。
そこにあったものがどんな感情だとしても、意味なんて無いということを。
揺さぶられたところで、何かを想ったところでどうする。
生まれた子供とまともに話すこともなく死んでしまうというのに。
キャロディナを魔王に会わせるなんて些細な事だろう。
困ったことがあれば助けてやりたいだとか笑顔が見たいだとか、そんな感情も無意味だ。
どちらがどう想ったところで夫婦になり、彼女も子も残して早々とこの世を去るのだから。
見得を張る必要もなく、自分はキャロディナに惹かれている。
ただ純粋に慕って笑いかけてくる年頃の娘を憎く思うはずがない。
だが、それが何になる。
父の亡き後、会話すら出来なくなった母を思い出す。
父と母は見合い結婚ではあったが互いを想い合っていた。
だからこそ心が死んでしまったのだ。
彼女もそうなるかもしれないと思うと――。
「どうせすぐ死ぬのに人を愛せと? ――去る方も残る方も辛いばかりだ」
以前キャロディナに言ったことは正しかった。
喜びはあればあるほど辛いし、悲しみは言わずもがなだ。
これ以上この感情を揺らすことはしない。
揺らした結果、残るのはキャロディナの胸の痛みだけなのだから。
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