◆輝く銀青色の宝石
朝食の時間、カイゲツはキャロディナが食事を終えるまでじっと座って待っている。
カイゲツは咀嚼の回数こそ多いのに食べるのが早いので、キャロディナはいつも後になってしまう。
自分のワガママで朝食を共にしているのだ、待たせるのはそれなりに心苦しいので急いで食べようとするのだが、その度カイゲツに「食事はゆっくり食え」と睨まれる。
だからと言って無言でいるのも気まずくて、何か話題をと思っていると珍しいことに今日はカイゲツの方から話しかけてきた。
「いつもと格好が違うな」
というのは藍色のドレスのことだろう。
チラと視線を寄越す姿を見れば、気にはなっていたらしいことが分かる。
気になっていたなら早めに聞けばいいのにとは思うが、彼の性格からしてそこまで求めるのは酷だろう。
なので話をふってくれたことを心の中で賞賛した。
「……似合うかしら?」
聞いた後にキャロディナは顔を赤くした。
知っている、似合っているのは分かっているのだ。
夜空を思わせる深い色のドレスと、胸元に散らされた白い石。
窓から入る朝の明りを受けてキラキラと光っているが、それよりも美しい二つの宝石が更に上に付いていた。
間違いなく、寸分の狂いもなく、完璧にキャロディナに似合っているのだが、それでも何故か不安になってしまったのだ。
上手く呼吸が出来ない。
肺の容量が狭まったようだ。
不思議な感覚だった。
銀色に輝く瞳をパチリと一度瞬かせ、キャロディナは焦茶色の双眸を見た。
「………………」
問われたカイゲツはたっぷりと十秒間黙り、その後勢い良くキャロディナから目を逸らして搾り出すように「似合う似合わないではなく、なぜドレスなのかと」と言った後に口の中をもごもごと動かした。
やはり似合わなかったのだろうか。
本来ならこういったドレスを着る時は髪も結い上げるべきなのだが、キャロディナは社交界はおろか親族の食事会にすら出た事がないのでどう結い上げるべきか分からなかったのだ。
なので、髪はいつもより執拗に梳くことが精いっぱいだった。
ミアに頼もうかとも思ったが、この時間は朝食の準備に忙しそうなうえ、体調が悪いのか今日の彼女は真っ白な顔をしているのだ。
「今日の朝食はいい」と進言したのだが「この仕事はただの趣味で息抜きだからやらせてよ」と断られた。
しかし今もドアの隣でげっそりとしており、無理にでも断って置けばよかったと今さらながら思う。
未だにもごもごと何事か呟いているカイゲツは放置し、ミアの負担を早めに終わらせようとキャロディナは食事に集中することにした。
怒られたくはないので急がず慌てずしっかりと食指、最後の一口を嚥下して水を飲んだ。
空になったカップにミアが水を注ぐ。
キャロディナがナプキンの端で口を拭いたのを見届け、カイゲツが立ち上がる。
今日は彼にお願いしなければならないのだ、このまま帰ってしまっては困るキャロディナは焦って彼の名前を呼んだ。
「今日は仕事はないの?」
呼ばれたカイゲツがしぶしぶといった形で足を止める。
「急な依頼がない限りは」
「それなら、頼みたいことがあるのだけれど」
面倒ごとを察知したカイゲツの眉間に早速皺が寄った。
「なんだ」と低い声で返されて、キャロディナは出来るだけなんでもない風を装って首を傾げる。
「私を森の奥へ連れて行って欲しいの」
カイゲツの目が見開かれ、分かりやすく身体を硬直させた。
ついでに、空気を読みカイゲツを着席させるべく彼のグラスへ水を注いでいたミアの動きも止まり、溢れた水がテーブルクロスに広がった。
「ミア、水っ水っ!!」
慌ててそう伝えれば、ミアはハッとしてピッチャーを立て、水がカイゲツの膝に零れる前にテーブルクロスを丸め込んだ。
そのままバタバタと出て行ったミアを目で見送りカイゲツを見た。
「これを言えばカイゲツが怒ることは分かっていたんだけれど、どうしても行かなきゃいけない気がして……」
カイゲツの目と口がぐっと引き結ばれる。
そして鼻から深く息を吸い、浅く長く吐いた後、じっと動かなくなった。
不機嫌な肖像画のように静止するカイゲツがまた動き出すのをじっと待つ。
キャロディナの為か自分の為かは分からないが、激昂をむっつりと耐えているのだ。
キャロディナに引く選択はない。
魔王に会いたいことも事実だが、それ以上に会わねばならないと思っているのだ。
レルアバドの言う〈ファルクネスの闇〉は、カイゲツの絶望は他でもない魔王から始まっているからだ。
ドアが開き、そっとミアが入ってくる。入ると同時にパチリと目を瞬きキャロディナとカイゲツを交互に見たので、きっと部屋に充満する緊張した空気に気付いたのだろう。
それでも第三者が入り少し空気が変わった。
ふと視線をミアからカイゲツに戻すと、焦茶色の双眸がキャロディナを見ていた。
「……魔物も視えないお前が行くべきところではない」
搾り出すような声にそう責められ、キャロディナはパンと両手を叩く。
場にそぐわぬ間の抜けた音に、ミアとカイゲツの肩が小さく跳ねた。
「そう、そうなの。私、隣人さんが視えるようになった……みたい?」
「はぁ!?」
重なった男女の声に、キャロディナは気まずそうに目を右往左往と泳がせながら森の小屋であったことを話した。
「サーヤ様の天魔さんに腰を抜かしちゃって初めて気付いたんだけれど、視えていたみたいなの。いつからかは分からないんだけれど……」
「蝙蝠は……?」
いつも辛うじて後ろに下がってはいるミアが、当の雇い主が「なぜだ」「どうして」「何が要員で」とぶつぶつ言うばかりで役に立たないと判断してそう訊いてきた。
「それが、どうやらこの子は私の視界に入らないようにしていたみたいで……。いつから視えたのかもさっぱり……」
ミアははくはくと口を開閉させて、カイゲツはぶつぶつと何言かを呟いている。
このままでは話が進みそうにないなと判断したキャロディナは、空気をぶった切る勢いで大きな声を出した。
「とにかく! カイゲツが駄目だって言うのなら、私一人でも行くから!」
その言葉に、カイゲツの目がはたりと定まった。
「……あそこに何をしに行く気だ」
「何って、お話しに行くの」
「話しにだと? 出来るはずがないだろう。相手は魔物だ。動物でもないモノ相手に会話などできるはずがない」
キャロディナの銀色の瞳がカイゲツを射抜いた。
どんな宝石よりも美しい、感情を灯した銀色の瞳を瞬けば、潤んだそれはきらりと青色に輝く。
真っ向から睨まれたカイゲツは目に見えて怯んだ。
「それを決めたのはあなたたち絆術師よ。魔物と会話が出来ないのなら、何故彼らは命令を聞くの? 言葉を理解しているからでしょう。この蝙蝠も、レルアバドさんに掴まれた時に凄く暴れたわ。それは嫌だと思ったからでしょう?」
キャロディナは、「手に平を向ければ」と言いながら両手で器を作った。
途端に、定位置である肩に居た蝙蝠がペタリと手の平に飛び乗る。
「何も言わなくても乗ってくれるのは、ここを好んでいるからだと思うの。……カイゲツとミアの天魔がどんな姿なのかは分からないけれど、少なくとも、感情はあるんじゃないかと……そう思うの」
言えば、カイゲツはスッと視線を下げ、ミアは理解できない目でこちらを見た。
疑わしげなミアに向かって、キャロディナは眉を下げて微笑む。
蝙蝠は手の平にくっついたまま動かない。
居心地がいいのだろうか、と思わずには居られない。
「彼らは――」
ミアが、震える声を絞り出した。
「彼らは、契約者の前に現れる時、その人間が一番強い感情を持つものの形になります。私の天魔は、」
ミアの顔の横に、頭と同じ大きさの透明な球体が現れた。
「生き物ではなく、水晶です」
カイゲツの目が見開かれた。
サーヤはミアとカイゲツの天魔は知らないと言っていたので、もしかすると彼も初めて視たのかもしれない。
水晶は回るでも左右に動くでもなく、その場にただ浮かんでいる。
「感情があるなんて、とても……」
思えない、と言うミアの声は未だに震えていて、動揺しているのがよく分かる。
本当に考えたことがないのだ、魔物に個があるだなんて。
瞬きの間に水晶が消えた。
恐らく消えろと命じたのだろう。
ミアの顔は先ほどよりずっと蒼白で、それは不調だからか水晶を見たからか――恐らく両方だろう。
人間の感情というのは楽観よりも悲観が強く出やすい。
サーヤは「こんな恐ろしい生物がいじめっ子を食べてくれたら」と思っていたのがメメだと言っていた。
カイゲツもミアも天魔を表に出したがらないのは、きっとそういう事なのだろう。
「お嬢様はこれでも天魔に感情があると思いますか」
問いかけるミアの黒い瞳は揺れていて、キャロディナはぐっと声を詰まらせた。
蝙蝠は生き物の形をしている上に命令がなくとも好き勝手に動き回るが、あの水晶にはそんな意思すらあるようには思えなかった。
もしかして、自分の考えは間違っているのだろうか。
きゅっと唇を噛み締めると、手の中の蝙蝠が小さく動いた。
よちよちと両翼を動かして、ごそごそ体勢を変えている。
それが居心地の良い場所を探しているように見えて、キャロディナは顔を上げてミアを見た。
「その水晶さんのことは分からないけれども、この蝙蝠を見ていれば分かるわ」
ミアに向けて両手を差し出す。
意図を察したミアがキャロディナに近づき手を伸ばすが、それに気付いた蝙蝠がカッと口を開けて警戒した。
驚いて引かれた手を見て、蝙蝠はやれやれとばかりにペタリと手の平にくっつきなおした。
「感情を持っていればなんだと言うんだ。あいつを逃がすか? そんな事をしてみろ、何が起こるのか誰にも分からんぞ」
唐突に吐かれた低い声に、今度はキャロディナは顔を跳ね上げた。
カイゲツの目を見て、じわりと目頭が熱くなる。
その目が、「俺を愛するな」と言った時と同じくらい冷たくなっていたから。
自分でも、なぜ彼のこの瞳を見るとこんなに悲しいのかが分からない。
――ここで泣いても意味がない。
キャロディナは強く瞼を閉じて熱を飲み込み、カイゲツの視線を真っ向から受け入れた。
話が込み入ってきたからか、ミアがそっと部屋を出る。
扉が空間を閉じる軽い音と共に、キャロディナは口を開いた。
「感情があるにしろないにしろ、私は魔王の所へ行くわ。森の奥に独りじゃ可哀想よ。可哀想だと、私は思ったの。……じっとしてなんて居られないわ」
それは、何の含みも穢れもないまっさらな感情だった。
子猫が可哀想だからと拾う子供のような、とても自分勝手な同情だ。
カイゲツの瞳が怪訝に揺れる。
「魔物として産まれた瞬間に捕らえられて、それからずっとあの森に独りで居ると聞いたわ。だから私が、友達になってあげられればと思ったの」
「友達? あれと?」
カイゲツの口に嘲笑が浮かぶ。
ああ、笑顔は見たいけれど、その顔は見たくなかったなとキャロディナはまた悲しくなり、その感情を微笑みに回した。
無理に笑ったせいか瞳に暗い炎が宿った。
しかし、キャロディナの実家の者には決して見つける事は出来ないほどの小さな変化だ。
誰にも見つかった事がなかったキャロディナは油断して誤魔化すことをしなかった。
しかし、歪んでいたカイゲツの口が真一文字に引き結ばれた。
気付かれた……?
動揺したキャロディナは浮かべていた微笑を崩してしまった。
我ながら妙な顔をしていたと思う。
どんな顔なのかは知らないが、カイゲツが結んでいた口を開ける位には可笑しな表情なのだろう。
ハッと息を吸ったカイゲツが続ける言葉を遮り、キャロディナは顔に入れていた力を全て抜いた。
……なつかしい感覚だ、と思った。
「自分のために孤独を選んできたあなたには分からないわ」
真の孤独の辛さを。
どんな暴力よりも痛いその感情を。
あんなに悲しい痛みは、もう誰にも感じて欲しくないけれど。
「お願いカイゲツ。私を森の奥まで連れて行って」
キャロディナの瞳に涙が溜まる。
目尻が引きつり、瞳全体が潤んで光った。
情けない、心の弱い女だとは思われたくない。
泣いているところなんて見られたくない。
――それでも、眼は逸らすな。逸らさせるな。絶対に。
数秒の後に、カイゲツは諦めたような溜息を吐いたのだった。
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