◆メイドの仕事(1)

 普段ロイが農具を片付けている倉庫の裏に小さな石造りの小屋がある。

 手作り感の溢れるその小屋は使用人部屋の通用口に程近く、ミアはカンテラを持たずに慣れた様子で小屋へと向かった。


 キィと木造のドアを開ければ古びた鎖のムンとした臭いが鼻をいた。

 ミアはわずかに眉間に皺を寄せて、そっと中に入り込んだ。


 慣れた手つきでドアの隣につるされたカンテラへと手を伸ばす。

 その隣に引っ掛けてある袋からマッチを取り出して、カンテラへ火を灯した。


 狭い部屋なので、小さなカンテラひとつで部屋全体に灯りが行き届く。

 たかだか六畳ほどしかない小さな小屋だ。

 窓は愚か通風口すらないここは、倉庫としてはまるで使えない、異様な空間であった。


 手作り感が溢れる石床の中心に麻布が何重にも敷いてあり、それを囲むように赤く錆びて連なりから外れた鎖たちがそこここに落ちている。

 それも、普通の鎖ではない。

 一体何に使うのか、女性の人差し指ほどの太さを持つ強固な鎖だ。


 ドアの傍に目をやれば、昨夜まではそこにあったはずの籠がなかった。

 更に部屋の中を見回して、どこにも籠がないことを確認したミアは、心の中で「帰ってるのね」と判断した。


 そしてきっと今、役目の真っ最中なのだろう。


 小さく嘆息し、何のためらいもなく麻布の上に腰を下ろす。

 本来は床に座るなど有りえないのだが、元々この布はそのために敷いているのでミアにとっては慣れた行為だった。


 そう、慣れているのだ。

 こここそがメイドとして働いている彼女の、ファルクネスでの本来の仕事場なのだから。


 麻布の下から錆びた煙管を取り出し、その中に草を詰めてマッチで火をつける。

 そしてスウと吸い上げ、ゆっくりと燻らせた。


 元々が鉄臭いからか、この部屋には煙の臭いが付きにくい。

 ここはミアにとってあまり良い印象のない空間ではあるが、こうして何の気兼ねもなく煙管を燻らせるのはここだけなので、たまに用もないのに来ては一人でこうしていることがある。


 とは言え今夜はずっと一人というわけではない。

 夜が明ける前にはここへやってくるであろう人物を待っているからだ。

 いつ来るのかはまったく分からないが早くして欲しいな、とだけ思う。

 明日も早朝から手のかかる三人の朝食を準備しなければならないのだから。

 そう思えば明日を生きる気力が沸いてくる。

 メイドという仕事は、ミアにとっての生きる糧だった。


「あれぇ、珍しいね。ミアが笑ってるなんて」


 そうしていると、聴こえてきたのはいやに軽やかな男性の声だ。


 カンテラを付けるために開けられたドアの向こうに、ミアが待っていた人が立っていた。

 思っていたよりも大分早い登場だ。


 途端に不機嫌な顔になったミアは、溜息を吐きながら、煙管を指にトントンと当てて溜まった灰を皿へと落とした。


「別に吸っててもいいのに」


「もう終わりかけでしたので。それに、お体にも障りますし」


 言いつつミアが目線を上げれば、そこにあるのは皮肉げな笑顔である。


「……今さらだよ」


 小屋の中に入ってきた男の髪が、カンテラの明りを受けてキラリと茶色に輝いた。

 はちみつ色の優しい瞳には力がなく、目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。

 顔色が、見る度に白く青くなっている気がしてミアは心を痛くした。


 簡素な白いシャツと茶色のズボンを着込んだ身体は妙に細い。

 昔はもっと、……そう、カイゲツのようにしっかりと鍛えられた体躯のはずだったのに。


 入ってきた男は、ようやくといった表情で持っていた籠をガチャリと床に下ろした。

 その拍子に、彼の肩に植物の綿毛が乗っていることに気が付いたミアは、「綿毛、ついてますよ」と自分の肩を叩きながら指摘した。


「そこで自ら取ってくれないのがミアだよねぇ。僕、一応は君の雇い主なのにさ」


「私の雇い主はテュロルド様ではありません、カイゲツ様です」


「その君を見つけてここまで連れて来たのは僕だ」


「給金を支払ってくださってるのは?」


「ぐ、……カイゲツだけどぉ~……」


 テュロルドと呼ばれた男は、痛いところを突かれて年甲斐もなく唇を突き出す。

 とはいえ彼はミアより数歳ほど若く、確か二十四歳だったはずだ。


「これ、今月の分。またよろしくね。今日のも、いつもあんがら見事だったよ。いつもありがとう」


 これというのは籠の中身だ。

 部屋に散らばっているものとは違う、繋がっている錆びた鎖。


 立ち上がったミアはすぐに籠の中身を確認し、いつもながらボロボロになった鎖にげっそりと瞼を落とした。


「大変だろうけど頑張ってね~。やりたくなければやらなくてもいいよ。新しい鎖のストックはまだあるはずだし」


「いえ、…………仕事ですので」


「本来の、ね」


 この鎖はその太さにふさわしく、相当な重量を持っている。

 森の奥からそれを持ってきたのだ、テュロルドはグリンと右腕を回した。


「ミアはメイドの真似事みたいな面洞なことしなくていいんだよ? ここの奴らは自分のことは自分で出来るし」


「これを直し終えれば次の仕事が来るまでだらだらと過ごせとおっしゃるなら、それこそ私にとっては負担ですので」


「ふぅん。まぁ、枚のご飯は美味しいから僕は嬉しいんだけどね」


 二言目に「どうでもいいけど」と続いても違和感のない軽い言葉に、ミアは「お褒め頂きありがとうございます」とこちらも心のこもらない冷めた声で応えた。


 少しだけ沈黙が落ちた小屋で、先に口を開いたのはテュロルドだ。


「ねぇミア、そろそろカイゲツと結婚しない? ファルクネスは出来るだけ長期的にミアを失いたくないし、絆術師の嫁はもらえるし、カイゲツもミアのことは嫌いじゃないよね? 一石三鳥で不満はないでしょ」


 ひぃふぅみぃと業とらしく指を折るテュロルドを、ミアはじろりとねめつけた。


「三鳥とも私には関係がありませんし、そこに私の感情すらないことが不満です」


「カイゲツのことは嫌いじゃないでしょ?」


「嫌いではありませんが、夫にするかどうかは別です」


 言外にあんな男は嫌だと主張すれば、テュロルドは面倒くさそうに上に向けた手の平をこちらへ向けた。


「え~、いいじゃんも~~。二、三人子供さえ生んでくれれば後は好きにしていいんだよ? 一生お金に困らない生活は約束するよ?」


 あまりにもの無神経さに、この男はどこか感情の回路が壊れているのではないかと疑問に思う。

 いや、きっと壊れているのだろう。

 手を上げた弾みに見えた手首は最早ミアよりも細い。


 彼の言動はわざとこちらの神経を逆撫でしているようでいちいち頭に来るが、それでも心の底から嫌いになれないのは同情してしまっているからだろう。


「お断りします。それに、テュロルド様はご存知ないでしょうが、旦那様はこの度新しく来た婚約者様ととても仲睦まじくいらっしゃるので私の出る幕はないかと」


 とっとと断ってこの話は二度としないようにしてしまおう。

 手っ取り早くキャロディナの話を出せば、予想通りというか予想以上というか、テュロルドの時が止まった。

……動かない。

 本当に止まってしまったのだろうか。

 ビュウと高く細い音とともにドアから風が入って来る。

 ミアは揺れた彼の髪を見て、時は止まってないことを確認した。


 たっぷりとした沈黙。


 そういえば小屋は通風口がないから滅多に風は通らないのだが、とミアが思っていると、「え」とテュロルドの困惑した声が耳に届いた。


「なにそれ僕は聞いてない」


 そりゃそうだ。


「ふらふらほっつき歩いてるから……」


 礼儀も敬語も、ついでに遠慮もなくしてそう言えば、テュロルドが焦ったように首を振った。


「いやだって、もうそろそろ死ぬんだし、その前に見たかったもん見ておきたいじゃん! ミアも同じ状況になったらそうするって!」


 もうすぐ死ぬとか、そんな特異な状況には死んでもなりたくないがさすがにそれを声に出すことはできなかった。


「ってそれはどうでもよくて、」


 どうでもいいのか。


「新しい婚約者来たの? 僕の知らない間に? そんでカイゲツと仲が良いとか、そんなにミアはカイゲツと結婚するの嫌なの?」


 これまでの婚約者は、ほぼ全員テュロルドによって連れてこられた令嬢たちだ。

 カイゲツにはない社会性と意思疎通力をもってして……とまでは行かずとも、彼が笑顔でファルクネスの名を教えれば、我娘をと望む親は少なくなかった。

 当たり前だ、ファルクネスは財力面でもそうだが、貴族ですら持ち得ない権利をこの国では得ているのだから。


 これまで連れてこられた生贄たちの顔を、もはや霞がかって消えかけている令嬢たちの顔を思い浮かべながら、ミアはゆっくりと首を振る。


「嘘をついているわけではありません。旦那様はお嬢様を大奥様に紹介していらっしゃいましたし、帰りが遅ければ迎えに行くくらいには……一言で申し上げるなら、あれはもうゾッコンです」

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