◆ここで貰ったものを

 屋敷へ着くと、 ロイとミアに盛大に怒られた。

 主にカイゲツが。


 戻らないなら戻らないと伝えてくれねば食材が全て無駄になるし、起きて主が居ないとなれば心配しないわけがないのだ。


 元はと言えば原因はキャロディナにあるのだが、なぜカイゲツが怒られたのかというと、伝える術があるのにそれを怠ったからに他ならない。


 理由があって帰れぬこともたまにはあるだろう。

 それらは急な事態が引き起こすのだから仕方はないが、カイゲツに限っては天魔の力さえ使えばいつでもそのことを伝えることが出来たのだ。


「罰として今朝の食事は抜きです。欲しければ厨房に、旦那様のために用意したはいいけれどすっかり冷めてしまったオムレツと湿気たトーストが残っておりますのでご自分で取りに行ってご自分で食器を戻してください」


 如何にショーヴル家の裏権力を握っていたとしてもグラーシャには出来ない仕打ちにキャロディナは思わず顔を真っ青にした。

 カイゲツは自分を抱えていたせいで疲れて寝てしまったのだ、連絡を忘れもするだろう。

 そのことを伝えようと口を開けば、ミアの眼光によって遮られた。


「キャロは黙ってな。あたしは旦那様と話してるんだよ」と、普段カイゲツの前では辛うじて敬語を使い「キャロ様」と呼んでいたミアが言葉を崩したので、キャロディナには何も言えなくなった。

 いつの間にそこまで仲良くなったのか、とカイゲツが目を丸くしていたのは言うまでもない。


 ミアの説教は終わる気配がなかったので、助け舟を出すようにロイが話をまとめた。


「とにかく、旦那様はもっと、自分を心配する者が居るということを自覚してくださいよ。いいですか、あんたはファルクネスの当主です。どんな理由があってどれだけ卑屈で面倒な男だとしても、俺らはあんたを嫌いじゃないし好きだから、心配もすれば怒りもするんですよ。自覚、してくださいね」


 ハッと目を見張ったカイゲツはきょろきょろと視線を彷徨わせ、少し唸ったあとにいつものように眉間に皺を寄せて「分かった」と呟いた。


「ミア、ロイ。心配かけた」


 面倒な主人から久々に出た素直な言葉に二人は唖然としたあとに、顔を見合わせて苦笑したのだった。


* * *


「で、何があったんだい?」


 来客があるからと早々に去って行ったカイゲツを見届けた後、ロイとミアが、作りたての温かい朝食をとるキャロディナのテーブルに同席して楽しそうにそう聞いてきた。


 先ほどまで当主を叱っていたかと思えば次はその婚約者の部屋で屯し始めるのだからこの屋敷の教育はどうなっているのだろう本当に。

 ショーヴルの屋敷では絶対になかった光景である。


「ミア、あなたさっきは聞いてもくれなかったのに」


「理由があろうとなかろうと、あの人はたまぁに怒ってあげないといけないのさ。それより、何かあったんだろう?」


「そうだぜ。あの捻くれ男があんなに捻くれてないことを言うなんて、子供ん頃以来だからな」


 ミアが来たのはわりと最近らしいが、ロイは正真正銘の古参である。

 なんたってカイゲツの兄を愛称で呼ぶくらいなのだ。


「何って、普通に寝てただけなんだけど……」


 と正直に話せば、聞いたミアがキャロの両肩を掴んだ。


「あんた始めてを外で経験しちゃったのか! あの童貞はなんて手荒な真似を! 大丈夫? どこも痛くないかい?」


 気遣うように身体を触るミアに、キャロディナは顔を真っ赤にして否定した。


「ミア違う、そんなんじゃないッ! 私たち本当に寝ていただけで」


「だから寝たんだろう?」


 なぜこの単語でイコールそちらへ行ってしまうのか。

 さすがは元娼婦と言うべきだろうか。

 ミアの言葉は純情なキャロディナには刺激が強くてたまに聞いていられない時がある。


「そうじゃないの、睡眠ッッ! 睡眠してただけ!」


 ようやく正しく伝わったのか、ミアはほっと息を吐き、いつの間にか立ち上がり部屋を出ようとしたロイは「なんだそうか」とドアノブを離した。


「良かった、もうちょっとでちょっくら旦那様を殴りに行くところだったぜ」


 旦那様はちょっくらで殴るものではないのではないかと思うがその常識はこの場において意味はないのだろうとキャロディナは言葉を飲み込んだ。


 そうして昨夜あったことを話して聞かせれば、二人は「誰だそれは」「タマなし」「甲斐性なし」だの好きなことを言ってのける。

 「寝た」という言葉を誤解して殴りに行こうとしていた者の発言とは思えない。


 二人のあけすけな罵倒に顔を赤くしたキャロディナだが、「とにかく、カイゲツは全然これっぽっちも悪くないから!」と締める。


 そしてこれだけは言っておかねばならないと思い、真剣な面持ちで二人を見据えた。

 キャロディナの空気が変わったことをいち早く察知したミアが、未だボケようとしているロイの口を塞ぐ。


「サーヤ様にね。ファルクネスの秘密を教えていただいたの」


 その言葉に、不服そうにミアを睨み手を退けようとしていたロイの動きが止まる。

 ミアはそっとロイの口から手を外した。


「……そう」


 そう言った、ミアの悲しそうな微笑に、キャロディナはふと、ミアは魔王の存在に気付いているのではないかと思った。


* * * 


 一人になった部屋で、キャロディナはベッドに倒れて天井を眺めた。

 何の遊び心のない無地の白壁は、考え事をするには丁度良い。

 昨夜あったこと、話したことが、壁に映っては消えて行く。


 このまま結婚すれば、キャロディナは立場としてカイゲツたちの家族になる。

 そう思ったとたん、家族ってなんだろう、とぼんやり考えてしまった。


 キャロディナにとっての家族とは、自分を忌避する存在のことだ。


 月に一度会話するかしないか程度の、歳の離れた兄と姉。

 自分を部屋に閉じ込めた父。

 末娘の存在すら無視していた、会話をしたこともない母。


 立場としても心としても、本当に家族と呼べたのは、五つ上の兄フレンだけだった。


 血は同じはずなのに人として扱われていなかった、持っていても無駄なだけだと判断して感情を手放し、思考すら放棄して畜生以下になっていたキャロディナを、部屋から連れ出して同じ人間なのだと教えてくれたのは、存在を肯定し続けてくれたのはフレンだけだった。


 その兄も、もう死んでしまってこの世には居ない。


 フレンが死んでから、グラーシャが代わりのようにキャロディナを愛してくれた。

 もしグラーシャが居なければ、フレンという支柱を失ったキャロディナは今度こそ人間ではなくなっていただろう。


 ふと、森の奥に居るという魔王のことを考える。

 自分にとっての兄やグラーシャのような存在が、魔王に居るのだろうか。

 キャロディナには想像も付かないほどの長い時を生きる魔王に。


 キャロディナの中に産まれたのは同情の念だ。

 それも、ただの他人事ではない。

 想像するだけで背筋に嫌なものが這い上がった。


 あんなにも真っ黒な森で、たった一人で。

 何十年も、もしかすれば何百年も独りなのだとしたら。

 稀に現れる人間は、自分に同属を殺す事を強要してくるとしたら。

 もしそれが、自分だったとしたら。


 きっとキャロディナの精神なんて簡単に狂ってしまうだろう。


 魔王は今どうなっている。

 生きているのか。

――生きていると言える状態なのか?


 誕生と共に人間に囚われ、行動すら制限された生き物に、生はあるのだろうか。

 あの頃の自分に、生はあっただろうか。


 キャロディナにはフレンが居た。

 屋敷から連れ出し、愛を与えてくれるフレンとグラーシャが居た。

 それでも、――辛かった。

 どうしようもなく。


 あのままあの狭い部屋で何の変化もなく、兄とグラーシャ意外の誰とも関わることなく、生きて、老いて、死ぬのだと毎日そう思っていたから。


 だからよく、空想に思いを馳せたのだ。

 自分を女性として愛してくれる男性に。

 そうして、その男性を思い切り愛する自分に。


 キャロディナは幸運だ。

 だって、ファルクネスが拾ってくれたから。

 事情を知ってもキャロディナに優しくしてくれる人たちに拾ってもらえた。


 正にこれは夢にまで見た世界だった。

 嬉しかった。

 生まれ変わった心地だった。

 自分の人生はここから始まるんだと本気でそう思っている。


 しかし、そのファルクネスが、キャロディナよりももっとずっと残酷な悲劇を生み出している。


 ごろんと横向きになったキャロディナは、昨夜ミアが取り替えてくれた皺ひとつないシーツをギュウと握る。


 そのまま目を閉じれば、サーヤの声が蘇った。


「あなたはここで、自分の好きに動いてちょうだいね。何にも縛られないで。誰の許しも要らないの」


 ――好きに動いてもいいのなら。サーヤ様。私は、魔王を孤独から助けたいです。カイゲツがそうしてくれたように。ファルクネスに貰った優しさを、ファルクネスに貰えなかった魔王へ。私があげたい……!


 きっと、そうなる為に私はここへ来たのだ、と思った。


 思い込みではない。


 こんな感覚は初めてだった。


 五感を超越した第六感が、本能に囁くのだ。


 魔王を救え、と。

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