◆第4話◆
◆二人の朝
はるか頭上から小鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
窓辺からなら分かるが、なぜ真上から聞こえるのだろう。
ふとした疑問と共に意識が覚醒したキャロディナは、自分の身体がひどく温まっていることに気が付く。
そして自分以外の何かが温かいというか、柔らかいというか、がっしりと堅いというか……、間違いなくベッドではないところに居る。
というか緑の匂いと小鳥の声の響き方からして、室内ですらない。
そもそも寝転んですらいないことに気づき、キャロディナはカッと目を見開いた。
覚醒の早いキャロディナが事態を把握するまで、そう時間はかからなかった。
朝の音がする割に光は少ないのだが、見えないほどの暗さではない。
目の前にあるのは、白いシャツと同じく白のボタン。
そして草の生える地面に真っ直ぐ置かれている黒いズボン。
間違いない。
自分は誰かに抱かれて眠っている。
そっと顔を上げてみれば、そこにあったのはしまりのないカイゲツの寝顔である。
常に下へ真ん中へと寄せられている眉が今ばっかりは八の字に下がっているし、いつもは引き結ばれている口元にも力が入っていないことが分かる。
本来の、後ろ向きな感情がないカイゲツの顔だ。
柔らかな表情をつかの間見つめたあと、キャロディナはじわじわと顔を紅潮させた。
顔だけではない。
全身がとても熱い。
なぜ自分は今、カイゲツの胸に身体を預けているのか――?
確か昨日は屋敷へと戻る途中でカイゲツに抱え上げられて、……。
駄目だ。
ここまでしか思い出せない。
どうやら自分は、抱えられた瞬間に寝入ってしまったらしい。
きっとカイゲツは重さに耐えかねて休んでいるうちに寝てしまったのだろう。
だとしたらとても疲れているはずで、キャロディナ一人の体重を支えることも辛いだろう。
なんとか退こうと思いはしたが、一体どこに力を入れれば彼を起こさずに済むのかが分からなかった。
どこに力を入れれば、と脳をフル回転しているうちに自分とカイゲツのどこがどう密着しているのかが分かってしまい、キャロディナは完全に混乱に陥ってしまう。
なぜ自分の手がカイゲツの胸板に添えられているのかとか、自分の身体がカイゲツの足の間に納まっていることだとか、どうやらこちらから見えない右足は何かを守るために立てられているらしいとか、その何かが何かというとキャロディナの右肩に添えられた彼の右手からしてどうやら自分らしいだとかなんとか……。
もうだめだ、頭が沸騰しておかしくなりそうだ。
恥ずかしくて顔を隠してしまいたいが動くことすら叶わない。
大声を出してじたばたしたい。
幼子のようにじたばた暴れてしまいたい。
せめて視界だけはと目を閉じてみれば、カイゲツの胸板にぴったりとつけた左耳がその心音をキャロディナに届けた。
耳の内側から、彼の血の巡りが自分のソレとともにドクンドクンドックンドックンと響く。
自分の心音が彼のものに比べてあんまりも大きいものだからカイゲツが起きてしまうのではないかと心配になったキャロディナは何故か分からないがグッと息を止めることにした。
しかし止めたところで心音が更に大きく早くなるばかりで、苦しくなったうえに結局ぜえぜえと息を荒げるという無駄な展開になってしまった。
自分は馬鹿か。
そうじゃなく、もっとこの状況を良くする策はないのかとぐるぐるしていると、突然上から細い息が下りて来た。
「ふ、……っ!」
声に反応してぱっと見上げれば、そこには先ほどとは打って変わって、眉間に皺を寄せて口元が引き結ばれた、いつものカイゲツの顔があった。
どうやら起きていたらしいと悟ったキャロディナは、喉の奥から震える声を出した。
「いつから……?」
するとカイゲツの瞼が開かれ、とろけるようなチョコレート色の瞳になんとも心もとない表情をしたキャロディナの見上げる顔が映った。
「お前の身体がぬくくなったくらいだ」
どうやら最初から起きていたらしい。
あまりにもの恥ずかしさに、キャロディナはさっと顔を俯かせてしまった。
彼の声は寝起きだというのにいつもより僅かに跳ねていて、どうやら上機嫌らしいということがありありと分かる。
恥ずかしいものは恥ずかしいが、いつももっとそれくらいの声で対応してくれたら嬉しいなぁ、と心の隅で思う。
起きているのならばもう気を使う必要はないだろうと彼の肩へ手を置き立ち上がろうとすれば、どうやら糸に気付いたらしいカイゲツが座ったままキャロディナを抱き上げ、足からそっと地面に下ろしてくれた。
屋敷ではミディアンヌに次いで小柄なほうではあるが、それでも座ったまま持ち上げられるほどキャロディナの身体は軽くない。
どうやら思っていた以上にカイゲツの身体は逞しいらしく、キャロディナの体温がまた少し上がった。
「……ありがとう」
絞るように礼を言うが、カイゲツからの返事はない。
なんとなくムッとしたキャロディナは、未だ座ったままのカイゲツを見下ろした。
「カイゲツ」
呼ばれた名前に反応して顔を上げたカイゲツの瞳に、いつものような警戒の色がないことに気が付いた。
そういえば先ほどもそうだった。
堅くない。
梢の間から降る朝日をやわらかく受け止めて、光をとろけさせた甘い色だ。
初めて彼から向けられる色が嬉しくて、キャロディナは感情のまま柔らかく微笑んで「おはよう」と言った。
初日の朝、挨拶を返す返さないで争って以来カイゲツはこの挨拶にだけは必ず応えてくれるのだ。
途端にカイゲツの瞳に厳しい色が混じり、分かりやすい変化に思わず笑みが深まった。
一層低くなった声が「……おはよう」と搾り出され、キャロディナは楽しそうにくすくすと笑う。
「笑うな」
「あら、失礼。でも馬鹿にしてるわけじゃないのよ」
「じゃあ何だというんだ」
言われてふむと考え込む。
確かに、馬鹿にしているわけでなければなんなのだろう。
面白いわけではないのだ。
ただ、すこし楽しくてとても嬉しくて、そう思うことがむず痒くて。
……そしてほんのりと甘い。
この感情は一体なんなのだろう。
カイゲツを見たまま小首を傾げれば、彼の眉間の皺が少し深くなった。
「何かしら。……もし分かったら、真っ先にあなたに教えるわね」
何故だろう、先ほどから笑顔になるのを止められない。
楽しくて仕方ないのだ。
この感情がカイゲツにも伝わればいいのに。
共に笑顔を交わし合うことが出来れば……。
なんて思ったところで、緩む気配のない眉間の皺を見ながら、今はまだ無理だろうなと苦笑する。
でもいつかは、という希望と共に。
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