◇森の奥には何が居る(1)

 優しさ溢れる「いいのよ」の連呼に更なる羞恥が募るが、それよりもこの土地を人界の外だと言ったことが気になった。


「規格外?」


「そうそう規格外。こんなにも魔物に溢れる土地、他には無いんじゃないかしら」


「そんなに多いんですか。私は一度も見てないけれど……」


「普通はひとつの町に二、三体居れば多い方なの。けどこの土地はロイ意外の人間一人につき天魔が一体はついているし、森の奥にはあの子も居るからどうしても魔物隣人さんたちが寄って来ちゃうのよ」


 ようするにというかやはりというか、その口ぶりからレルアバドも絆術師のようだと察する。


「あの子?」


「そうそう、その話をあなたにしなきゃならないの。ごめんなさいねぇ脱線ばかりで。歳を取るってやあねぇ」


 どうやらサーヤの言う「あの子」こそ今回呼ばれた話の本題であり、ファルクネスの秘密の根本のようだ。

 詳しく説明しようと続けられたサーヤの言葉を、キャロディナは大きな声で遮った。


「ま、待ってください!」


 サーヤのつぶらな黒眼がぱちくりと瞬かれた。


「私、そのことはカイゲツが私を婚約者だと認めたら話してくれるように約束してるんです。だから、ここでサーヤ様に聞いてしまうことはカイゲツの信頼を裏切ることに……」


「それなら気にしなくてもいいわよ、ファルクネスのルールはあたしだもの。あたしが判断したのならあの子には逆らえないから今ここで聞いていってちょうだい?」


 こちらの誠意もあちらの心情も知ったことかと笑い飛ばすサーヤに今度はキャロディナが目を瞬く。


「でも、私はカイゲツと」


「確かに信頼は育まなきゃいけないしキャロディナさんの誠実さは素敵なものだけれど、あたしは結婚した後にこのことを教えるファルクネスのやり方はどうかと毎回思うのよねぇ。結婚して後戻りできない状況になってからようやくの告白よ。覚悟もさせてくれないだなんて、最低なことだと思うのよね。だからこれに関してあなたが誠意を見せる必要はないのよ。むしろ話さないファルクネスが不誠実なんだもの」


 と、ここまで流れるように言われて次の言葉が出てこなくなる。

 終始柔らかな印象の彼女がここまで一拍も入れずに言い切ったのだ。

 もしかしなくても、本当に聞いておかねばならないことなのだろう。


「いつもはファルクネスが短命だということすら結婚した後に聞かされるのよ。一応は有名な話だから周知の秘密ってところだけど。場合によっては子を産んだ後ということもあったわ。……カイゲツたちのお母さんがそうだったように」


 サーヤの瞳が悲しげに揺れた。

 そういえば、カイゲツの父親は短命の呪いで亡くなったとは聞いているが、母親はどこへ居るのだろうか。


「奥様は……?」


「あの子は……、ううん、こっちのことこそカイゲツ本人から聞いてちょうだい」


 キャロディナは何も言わず、ただしっかりと頷いた。


 ファルクネスのことは今知るべきだが、彼らの母親については時が来れば知るべきだということか。


 分かってはいたが、カイゲツのことを蔑ろにしているわけではなく、ファルクネスの秘密については本当に知るべきなのだと強く理解した。


「サーヤ様。私に話してくださいますか」


 カイゲツが、あんなにも自分の人生に絶望している理由を。


 一瞬で姿勢を変えたからか、サーヤは少し目をまん丸にしたあとに柔らかく笑ってくれた。


「ええ。そのためにレルアバドに呼んできてもらったんだもの。カイゲツには伝えずに」


 ……伝えずに?


「でも、カイゲツが今朝、用事が終わり次第ここへ案内してくれると言ってくれたので……レルアバドさんについてここへ来たんですけど……」


 てっきり用事が立て込んだのでレルアバドを寄越したのだと思っていたのだが。


「あら、あらあらあらあらあら……? キャロディナさん、あなたやっぱり自分が思っている以上にはカイゲツに好かれてるんじゃなあい?」


「それは……ありません。短命のことを知ると同時に、『俺を愛することは許さない』とか『俺もお前を好きにならない』とか色々言われてしまったので……」


 その時のカイゲツの冷たい瞳を思い出す。

 ショーヴルの人達や入ったばかりの使用人ですら、あのような視線を寄越してこなかった。


 そこにあったのは、ただただ全力の否定である。


 悲しげに目を伏せれば、立ち上がったサーヤが伸ばした腕に両頬を持ち上げられる。


「あるわよぉ。だって、あのおばあちゃんっ子が自らあたしのところへ案内すると言って来たのよ? 自信持って。キャロディナさんはこの家に幸せを運ぶんだから!」


 細められた目。浮かぶ涙袋。

 優しげな、それでいて幸せそうな笑顔に、キャロディナはグラーシャのことを思い出す。

 キャロディナが楽しそうに笑った時によくこんな表情を浮かべていたから。


 だからだろう、サーヤのよく分からない言い分に、呆然と頷いてしまった。


「は、い……」


「あたしとレルアバドはね、あなたのことをずぅっとずぅっと待っていたのよ。蝙蝠の姫君さん」



 すっかり温くなってしまった紅茶を、レルアバドが新しく淹れなおしたものと取り替える。

 執事らしからぬ厚い身体のわりに繊細な動きを眺めながら、キャロディナはサーヤの言葉に耳を傾けた。


「殆どの生き物には種類があって、みんなその種類ごとに同じような性質を持っているものなんだけど、魔物にはそれがないのよ。鹿は草を、栗鼠は木の実を、狼は肉を食べるけれど、魔物はその事象によって変わるのよ。とはいっても隣人さんは生きていくために食べるんじゃなくて力を使うために食べるんだけど」


 紅茶から立ち上る湯気は煙とは違い、たちまち消える。

 キャロディナは先を促すように湯気からサーヤへと焦点を合わせた。


「食べるって言い方もおかしいかしら。例えばメメちゃんは、あたしの記憶を誰かに覗かせると同時にその人の記憶をあたしに覗くようにするの。その可愛い蝙蝠さんのことはまだよく分からないけれど……。何かを人の不幸に還元しているのか、もしかしたら人の幸を吸い取って何かに使っているのかもしれないわねぇ」


 一度見つかったからか、蝙蝠はもうキャロディナの死角に入ることはせず、今は腕に登ったり手の平に収まったりと好き勝手に動いている。

 ちらりと蝙蝠を視れば、今は手の中で眠っているところだった。


 改めてじっくりと観察すれば、普通の蝙蝠とは少し違うのだなとよく分かる。

 真黒というよりも、少し赤色が混じった黒色なのだと気がついた。


「睡眠もとるんですね」


「そうねぇ。睡眠する必要があるのかとかも、もしかしたら個体によって違うかもしれないわね。普通の生物みたいに、色々と観察して統計をとったり出来ないから、はっきりとしたことは分からないのよ」


 曰く、天魔は契約した人の命令はなんでも聞くので自分の天魔を二十四時間観察することなら出来るが、姿を消せと命令すれば契約した絆術師であっても視えなくなるという。

 カイゲツやミアは常にそうしているらしいのでキャロディナには視えなかったようだ。


「同じ性質も持たないし群れもしないし、魔物同士は関わり合わないものなんだけど、そうじゃない魔物がこれまでに一体だけ確認されているの。私たち人間はその子を『魔王』と呼んでいるわ」


『魔王』。

 初めて聴く単語であるはずなのだが、耳に入れれば途端に心臓がドクリと跳ねた。


 魔物の存在だけでもキャロディナにとっては未知との遭遇なのに、更にそれらの王と呼ばれる存在が居るのだと言う。


「まおう……」


「そう。あの子の力があまりにも特殊だから、私たちがそう呼んでいるだけなのだけれどね」


「あの子」


 聞き覚えのある響きに思わず鸚鵡返しになる。

 そうだ、つい先ほどもこの単語を聞いたはずだ。



「森の奥にねぇ、居るのよ。魔王が」



 なんだって。


 息が止まった。

 というか咽た。 


 途端にぐるんぐるんと動く思考と息が苦しいのとで何も応えられずに居れば、サーヤは悠長に「魔王って響きが可愛くないのよねぇ。魔王さんって呼ぼうかしら。魔王さん、魔王くん……あら、魔王ちゃんとかも意外といいんじゃぁない?」と満足げに独り言をしていた。


「いやあの、サーヤ様……!」


「キャロディナさんは魔王ちゃんと魔王くん、どっちがいいと思う?」


 呼び名なんぞ今はどうでもいいしそれよりも説明して欲しいことがあるのだが、どうやらサーヤにとってはこちらの方がよほど大事らしい。


 このマイペースさに付き合うほどの余裕はキャロディナにはなく、助けを求めて彼女の背後に立つ男を見た。


「……レルアバドさん」


 一秒ほど目が合ったが、あからさまに視線が外された。何故だ。


 その間にもサーヤはにこにこにこにこと呼称論を喋り続けている。


「カイゲツもミアも天魔に名前を付けないのよねぇ。ミディアンヌも名前って感じの名前じゃないし。今まで見てきた絆術師もあまり天魔を名前で呼ばないのよね。付けているのは私とレルアバドくらいのものじゃないかしら? 呼び方って大切だと思うのだけれどどうかしら?」


 問いかけてくる目があまりにも純粋に輝いていて、キャロディナはなるほどと理解する。

 「自分の方がサーヤを好きだ」と豪語するレルアバドには、こんなにも楽しげな彼女を止めるという選択支など無かったのだろう。


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