◇はじめましての隣人

 白髪を頭上で丸め、色とりどりの磨かれた石が付いた細長い鉄の棒で纏められていた。

 その棒でどうやって髪を纏めているのだろう。

 キャロディナには皆目見当も付かない。


 レルアバドもそうだが、二人とも見た目は若いのに白髪が視覚の邪魔をして年齢の判断が難しい。

 けれどひとつだけはっきりと言えることはあった。


 この人は、とてもじゃないが二人の孫を持つ祖母のようには見えないということだ。


「あなたがキャロディナさんね! 可愛いわ~、こんなに可愛い子が家族になるなんてあたし嬉しい!」


 離れようと腕に力を入れていたにもかかわらず、あっさりと抱え込まれてしまう。


「ちょっ、」


 私に触らないで! と言おうとしたところ、いつの間にかサーヤの背後に回っていたらしいレルアバドがキャロの背中から何かを掴み取った。

 どうやら蝙蝠を捕まえたらしい。


 ホッとして無意識にレルアバドの手を見たところ、そこに小さな黒い生き物の姿を見つけた。

 暴れているのでよくは見えないが、蝙蝠のような形をしている気がする。


「レ、レルアバドさんっ!?」


 思わず大きな声を出す。

 何かあったのかとサーヤがキャロディナを腕の中から解放した。


「レルアバドさん、その、右手に掴んでいる蝙蝠は……」


「あらぁ、その子がキャロディナさんが連れて来たっていう魔物ね? ……あら? キャロディナさんは魔物が視えないって聞いていたのだけれど……?」


 キャロディナはこくこくと頷く。

 確かに自分は魔物の姿を確認できないはずだ。

 これまで一度も見た事がないのだから。


「でも、その蝙蝠ちゃんって魔物よねぇ?」


 サーヤの問いにレルアバドも無言で頷く。


「キャロディナさん、視えてるわよねぇ?」


 もう一度こくこくと頷いたキャロディナを見て、サーヤはコテンと首を傾げた。


「じゃあ、もしかして、あそこに居る天魔さんも視えたりするのかしら~?」


 そう言いながらサーヤが部屋の奥を指すので、視線をそちらへと向ける。

 色あせた絨毯、古びてはいるがよく手入れされたテーブルと椅子、そしてその後ろには――。


「ひっ……!?」


 引きつった声が喉の奥から出た。

 そこにあった感情は、ただただ恐怖である。


 原因は、部屋の奥の光が差さない場所に鎮座している化物である。

 脳みそに付いたたくさんの目玉がぎょろりと一斉にキャロディナを向く。

 そろそろと近づいてくるのは、脳みそから生えた赤い蔦のような何かだ。


 身体の底から湧き出る嫌悪感に身が竦む。


「、っ……」


 思わず後ずさるが腰が抜けて力が入らず、尻から転ぶ。 

 見た事も想像したこともないような化物の姿にもはや声すら出せない。


 無意識にサーヤのスカートへと縋る。

 するとするとサーヤは「あらあら」と嬉しそうな声を出してキャロディナの頭を撫でた。


「メメちゃん、ダメよぉじっとしてらっしゃい。あなた見た目はすごく怖いんだから」


 気の抜けた制止ではあったが、メメと呼ばれた化物はピタリと歩みを止めた。

 歩むというより滑るという方がしっくり来るのだが。


 サーヤがキャロディナをギュッと抱きしめた。


「キャロディナさん、魔物が視えるのねぇ」


 温かくて柔らかな膨らみに顔を埋めているうちに少しずつ落ち着きを取り戻す。

 そっと横目でメメを見ると、先ほどのサーヤの命令通り、その場でこちらの様子を観察していた。


 ゆっくりと息を整えていると、後ろからガンと何かが割れる音がした。

 神経が過敏になっていたのでバッと振り向けば、レルアバドが捕まえていたはずの蝙蝠がキャロディナの顔に張り付いた。


「わぶっ!?」


 そのまま顔を登った蝙蝠は、キャロディナの頭上でペタリと落ち着いた。


「レルアバド?」


「…………噛まれたら上から皿が落ちた」


 レルアバドは頭を抱えていて、どうやら皿で頭を打ってしまったらしい。

 ここに来てからはあまり見なかったが、見慣れた光景にキャロディナは「ご、ごめんなさい……」と視線を逸らした。


「蝙蝠から目を離した自分が悪いのデス。謝る必要はありまセン」


「うふふふふ、レルアバドは意外とうっかりさんだものねぇ。それよりもキャロディナさん、あなたいつから視えてるのかしら?」


 サーヤに手を引かれてすんなりと立ち上がったキャロディナは、そーっと彼女を挟んでメメと距離を取った。


「分かりません……」


 魔物を視たのは恐らく今日が初めてのはずだ。

 もしかしたら視えるようになったのは今日かもしれないし、もっと前かもしれない。


どちらにしろ、こうして視えることは動きようのない事実である。


「キャロディナさんからは視えそうな感じはしないからびっくりしたわぁ。あなた強いのね」


 サーヤの言葉には脈絡がなく、キャロディナには真意を受け取ることが出来ない。


「視えそうとか視えなさそうとかあるんですか? 強いとか、強くないとか……」


「なんとなーくあるのよね、雰囲気っていうのかしら? カイゲツやミディ、ミアは典型的な絆術師だと思うわ。あの子たち、友達も多くなさそうだしねぇ」


「私も友達はミアしか居ませんが……」


 と返すと、サーヤはふふふと笑いながら手をひらひらと振った。


「あらそうなの? いっぱい居そうだけど……」


「あ……でも私はずーっと家に閉じ込められてたから、居なくて当然かもしれません」


 もし家の外に出られて、普通の令嬢のように暮らせていたら、――自分にもたくさんの友達が作れたのだろうか。

 なんて、思ったところで仕方がないのだが。


 ふとサーヤの瞳が悲しげに潤んだ。


「あら、あらぁ、……そう。なるほどねぇ、視えるべくして視えたってことなのねぇ」


「え……?」


 それは一体どういうことなのだろう。

 問おうと口を開けるよりも先に、サーヤがキャロディナの背中を撫でた。


「ねぇ、そろそろメメちゃんには慣れたかしら? 大丈夫よぉ、魔物は自らは人を害さないもの」


 そう言えば、前にもミアがそんなことを言っていた気がする。

 生き物の命を奪う魔物は存在しないと。


 自ら、というからには他者の意思があれば奪う害することもあるのだろうか。

 それはきっと、人の意思があればそうなるのだろう。


 もはやメメの存在も恐ろしくなかった。

 見た目は確かに、これ以上恐ろしい存在はいないだろうと思うほどのものだが、自らは人を害さないとサーヤは言った。


 先ほどキャロディナを抱いたサーヤの胸は温かかった。

 キャロディナはこの温もりを知っていた。


「メメちゃんは、サーヤ様の天魔なのですよね?」


「ええ」


「なら、大丈夫です。もう恐くありません」


――それは、グラーシャと同じものだ。


「私はきっと、サーヤ様をとても好きになれますから」


 言い切れば、サーヤは目をぱちくりとさせたあとに頬を染めて笑った。


「あら、うふふふふふ、嬉しいわぁふふふふ」


 あんまりにも幸せそうな顔をしているので、同じくこちらも嬉しくなり頬を緩める。

 すると、すっかり蚊帳の外になっていたレルアバドがサーヤの目の前に手の平を出した。


 二人で笑い声を止めて目を瞬けば、レルアバドが至極真剣な声でこう言った。


「自分の方がサーヤを好いている」


 キャロディナなど全く視界に居れず、サーヤだけを真っ直ぐに見て。


* * *


「ごめんなさいねぇ、レルアバドったらあたしのこと大好きなのよ~」


 案内されたソファへと座り、紅茶を片手にサーヤが心の底から嬉しそうに笑った。

 彼女の背後の控えるメメに視線を持っていかないように、キャロディナは可能な限りサーヤを見た。


 それにしてもよく笑う人だ。

 本当にカイゲツやミディアンヌと血が繋がっているのだろうか。

 対極のような性格に、ファルクネスの者は感情の在り方がいささか偏っているように思えた。


 ようやく落ち着いてきた目で見るこの一軒屋は、思いのほか生活環境の整った空間だった。

 滑らかに削られた木のテーブルと同じ素材の椅子、皮でしっかりと作られた座り心地の良いソファ。

 そして簡単な流し台、部屋の端にはベッドと、キッチンも寝室も居間も一緒くたになったような造りである。

 屋敷でしか暮らしたことのないキャロディナにはとても不思議な場所ではあったが、思いのほか居心地が良かった。

 何より、壁一面が本棚というところが良い。


 じっと本棚を見つめていたからだろう、サーヤが恥ずかしそうに「歳を取ってしまうと、趣味が読書くらいしかなくなるのよね」と教えてくれた。


「そんな……、お孫さんがいらっしゃるとは思えないくらいお若いですよ?」


 口調も表情も若いので外見から年齢の判断がし辛いが、どう見てもいって四十くらいのものである。

 

 孫が三人も居るようにはとても見えない。


「そんなことどうでもいいのよ。そうじゃなくてね、今日キャロディナさんを呼んだのはお話しなきゃいけないことがあるからなの」


「お話?」


「そう。なんと、」


 サーヤが、それはそれは楽しげに両手を上げて言った。


「カイゲツが渋って話さないファルクネスの秘密を教えちゃいまーす!」


 後ろに立つレルアバドも同様に腕を上げて「ババーン」と効果音を付ける。

 いや、効果音なんてどうでもいい。

 レルアバドの人物像がここへ来てぐらんぐらんとわけのわからない事になっているだとか、そんなことはどうでもいい。

 そうではなくて。


「教え……?」


「そうそう。実はねぇ、この家の人達、皆短命なんだけど」


「あ、はい。それは知ってます」


 頷けば、意外そうに目を丸められた。


「あら……。七日目でカイゲツがそこまで話すだなんて。カイゲツ、貴女とのことがまんざらでもないのね。意外と上手くいってるの?」


「いえ、…………ここへ着いた次の日にカイゲツを捕まえて吐かせました……。それに今朝は」


 まさか早朝から孫の部屋の前で出待しただなんて口が裂けてもいえない。

 キャロディナはそっと目を逸らした。

 完全にこちらの一方通行で上手くはいっていないと公言してしまい、非常に情けない気持ちでいっぱいになる。


「意外と上手くやってるのねぇ」


 社交界に顔を出したこともない引きこもり(強制)ではあるが一応は令嬢がそのような行動に出ることは、一応は恥だということは分かっているので思わず表情が硬くなる。

 それを察してだろう、サーヤは気にした風もなく「顔を上げて」と言ってくれた。


「いいのよ、ここは人界とは違う規格外なところだから、好きに行動してくれてもいいのよ」

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