◇黒い人と少女

ここまで『天魔の風唄』を読んでくださりありがとうございます。

琴あるむございます。

これまで地の文では主人公を「キャロ」と表記しておりましたが、やはり「キャロディナ」という正式名称に変えることにしました。

名前が少し長めなので意を決して愛称で、と思っていたのですが、ミディアンヌが同じ六文字でも文章として違和感がなかったので…。

むしろキャロの方が違和感があったので(笑)


では、まだまだ本編に入らない物語ではありますが、三章でちょこっとだけ中心に足を踏み入れますので気長にお付き合いくださると嬉しいです。

今後ともよろしくお願い致します。


4月に花粉症薬の眠気と闘いながら

琴あるむ


―――――――――――――――



 ミアに「森は陽が当たらないから、ちょっと暖かめの服を着ておいた方がいいかもね」と助言を貰ったので、春めかしい薄着をしておいたキャロディナは少し厚めのドレスに着替えることにした。

 森を進むと聞いたので、何の装飾もない落ち着いた藍色のドレスを着る。

 これは度々ショーヴルの自室から脱走するキャロディナのためにグラーシャが縫ってくれたものだ。

 いわば脱走黙認の証である。


 装飾が多く付いたドレスは苦手だ。

 脱走した時、いとも簡単に何かが取れてしまうから。

 父親がそういった服ばかりキャロディナに送りたがったのはそれが目的だったのかもしれない。

 かもしれないというか、きっとそうなのだろう。


 キャロディナのクローゼットには、装飾のなにもない質素なドレスと、リボンやビーズで煌びやかに装飾された豪奢なドレスという両極端なものばかり入っている。

 前者は婚約者の前で着るにはあまりにも地味だし、後者はパーティにでも行くのかと思われるぐらい派手である。


 そういえばロイが欲しいものがあれば遠慮するなと言っていた。

 金なら腐るほどあると。

 カイゲツならば理由を説明すればきっと買ってくれるだろうし、男性に服が欲しいと強請ることは婚約者らしい提案かもしれない。

 

 今度お願いしてみようかしら、と考えていると、部屋のドアがノックされた。


 はて、足音は聞こえなかったが。キャロディナは首をかしげる。


 ミアははきはきとした足音がするし、カイゲツはこの部屋の前でだけ早足になるので独特なリズムになる。

 ロイはあまりここを通らないので知らないが、彼に限って無音だとは考えられない。


「はい」


 訝しみながらも応えると、外から聞きなれぬ声がした。


「サーヤのところへ案内しマス」


 低く掠れたカタコトの声だ。

 喉から空気だけを出しているような、耳に届き辛い音だった。


 キャロディナは少し警戒してドアの向こうの誰かへと問う。


「どなたですか?」


 なんとなく見当は付いてはいるのだ。

 この家に住んでいる者でまだ会ったことがないのは一人だけである。

 ロイが一度だけ名前を出したことがある。

 確か、


「レルアバド」


 ああやはり。

 キャロディナは緊張に張っていた肩をホッと下ろす。


 ドアへと近づき、それでも慎重に開けた。

 初対面の相手なので少し警戒しながら顔を確認しようと目線を上げるが、――なかなか目線がそこまでたどり着かない。


「!?」


 慌てて顔をグイッと上げれば、目一杯首を痛めた位置に目的のものを発見した。


「はじめ、まして……」


 黒い、と。

 初めて見る肌の色に、キャロディナは目を白黒させた。


 何を食べ、どう生きたらたらこうなるのだろう。

 いつか読んだ書物に、日照りの厳しい国の人間は肌が黒いと書いていた。

 肌が黒いとは言っても、ここまでのものだとは思っていなかった。

 インクのように真っ黒なのだ。

 黒いのに光を白く反射するところは、自分の髪とおそろいだな、と心の片隅でこっそり思う。


 驚くべきは肌の色のみではなく、その巨大な体躯からもだ。


 デカい。

 見たことがないくらいデカい。

 高いでも大きいでもなく、ただただデカい。

 絵でしか見たことはないが、熊というのはこんな感じなのだろうと思う。


 背を伸ばしたままでは部屋に出入りすることすら出来ないだろう体躯に慄きそのまま後ろに倒れてしまいそうになる。


 レルアバドは腰を低くしようとも顔を下げようともせず、淡いアメジストの瞳だけをこちらへ向けた。

 太い顎と首、そして厚い胸板や腰が、彼は若者ではないのだと主張している。

 執事は勿論、ショーヴル領内の農民たちでもこんなに隆々とした身体つきの者はいなかった。


 キャロディナはとてつもない重圧感を覚えながらも、それ以上に思っていた感想をポロリと零してしまう。


「綺麗……」


 キャロディナの青銀の目は、肌異常に光を反射している……いや、それどころか光を吸収して発光しているようにも見える、彼の白い髪に向けられていた。


 黒いオニキス薄紫の瞳アメジスト白い髪ダイヤモンドも、どこもかしこもピカピカと輝く彼は、まるで宝石のようだと思ってしまったのだ。

 キャロディナのクローゼットに仕舞われた絢爛豪華なドレスに施されたものたちよりもよほど美しい。


「サーヤのところへ案内しマス。来てくだサイ」


 初対面の娘に綺麗だと褒められたにも関わらず、レルアバドは何を気にした風もなく最初に言っていた言葉を繰り返した。


「サーヤとは」どなたでしょう、と続けようとしてふと思い出す。

 そういえばレルアバドはカイゲツの祖母の付き人だと言っていた。

 この屋敷でまだ会ったことがないのは、レルアバドと祖母のみである。


「カイゲツのお婆様ですね?」


 カイゲツはどうしたのだろう。

 話の流れからてっきり彼が案内してくれるものとばかり思っていたのだが。


「カイゲツは五月蝿いのであいつが居ないうちに出マス」


 どうやらこの屋敷では主人の扱いが軽くて当然らしい。

 レルアバドの黒い指がキャロディナの手首を掴む。


 そのまま歩こうとするレルアバドに、「ちょ、ちょっと待ってください!」と足を踏ん張ったキャロディナは引きずられる形になった。


「行きますっ行きますから、ちょっとだけ待ってください!」


 必死に訴えればパッと手を離されて、思わず後ろへよろめいてしまう。

 わたわたと両手を振ってバランスを取りなおしたキャロディナは、机の中から羽ペンとインク壷、そして適当な羊皮紙を小さく千切ってこう記した。


〈レルアバドさんと森の離れへ行きます キャロディナ〉


 それをテーブルの上に見やすく置いていると、レルアバドが表情を変えぬまま少しだけ首を傾げた。


「夕食は毎夜ミアと一緒なんです。突然消えたら心配させてしまうので……。お待たせしてごめんなさい。さあ、行きましょう」

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