◆第3話◆

◇未来にあるのなら同じこと

「婚約者と住んでいるならば、朝食を共にするぐらいは義務なんじゃないかしら?」


 何の気なしに放った言葉ではあったが、カイゲツには多大なる効果があったらしい。


 ここでの暮らしも一週間目を向かえるのだが、カイゲツとの仲はこれといって進展しないままだ。

 というのも、彼があからさまにキャロを避けるせいである。


 避けられ始めて三日目の朝に、図書室で会った(正しくは待ち伏せていたのだが)カイゲツに対して言ったのが冒頭の言葉である。

 以来、カイゲツはキャロの部屋で朝食を共にとってくれるようになった。


「私たちはもう少し話し合うべきだと思うの」


 柑橘類の味がするドレッシングがかかったラディッシュを口の中に放り込みながらキャロは言う。


 非常にマナーの悪い行為ではあったが、ここでは誰も咎めない。

 というのもキャロも彼らも元々誰かと食事をする機会が少ないからである。


「何度も言っているが、君と話すことは何もない」


「カイゲツになくても私にはあるの」


「ワガママが過ぎるぞ」


 一度もこちらを見ようとしないカイゲツだが、キャロは構わず睨みつけた。


「一体どちらがワガママを言ってると思ってるの? 子供が必要だから嫁は欲しい、でも話はしたくないだなんて。他所から伝え聞いたとしたら、最低最悪な男の言葉だわ」


 遠慮なく言い切れば、カイゲツが口の端からドレッシングを垂らし、ミアが部屋の端でブフゥと噴出した。


 当初こそ猫を被っていたキャロではあったが、避けられたり逃げられたりしているうちになんだか腹が立ってきて被る猫を破り捨ててしまった次第である。


「いくら事情があるにしてもちょっと失礼すぎだと思わない? 心の関係は蔑ろにして、身体の関係だけ求めるだなんて!」


 わざとらしく下世話な言い回しを使えば、カイゲツの眉がピクピクと動く。

 もう一押しだ、とキャロは読書で培った知識を総動員させてどうにかこうにか口を開ける。


「私の想いには応えないまま利用だけしようというんだから本当に酷い男ね」


 とそこまで言い切ったところで、カイゲツが「ああもうっ」と声を荒げた。


「分かった悪かった頼むからもうそこに関しては何も言うな、自分でも分かってる!」


 かかった。

 あとは針が抜けぬようにうまく引っ掛けるだけである。


「分かってるならどうにかしようとは思わないの? 悪かったって言葉でだけの謝罪は卑怯だわ」


「君もいちいち神経を逆撫でする物言いをするのだから人のことは言えないだろう。本心を口にせず攻撃だけして相手に行動させるのは卑怯とは言わないのか」


「口にすれば叶えてくれるの?」


「場合によっては断るが出来る限りのことはしよう」


 針も抜けず糸も切れず上手く吊りあげることが出来た。

 キャロは心の中で拳を握る。


 カイゲツの本音を引き出したりお願い事をするには彼の怒らせる必要があった。

 なのでキャロはここ最近、毎日のように彼に喧嘩腰で話してばかりいるのだ。

正直、必要もなく人を不快にさせるのはキャロにとっても不快で、とても神経のを使う作業だった。


「じゃあ私を愛してください」


「却下だ」


「なぜ」


「くどいぞ」


 元から通ると思っていなかったので予想通りの反応ではあるが、それにしても間髪いれずの即答とは酷いものである。

 さすがのキャロも少し落ち込む。


「いいわ、別に。どうせ私は勝手にあなたを好きになるから」


「それも止めろ」


「自分の理性とか知覚の外で勝手にあなたを好きになってるんだもの、止めようがないわ。あなたにもそうなってもらえるように頑張るだけよ私は」


 芽生え始めの乙女心が傷つけられたのだ、このくらいの口答えは許されるだろう。

 納得したのかしていないのかは分からないが、カイゲツは何も言わなかった。


「そうはならない。なるわけはない」


「そうなってもらうために頑張るの。手始めに、ファルクネスの短命の呪いを解きたいんだけど、そろそろ秘密を話してくれないかしら?」


 ガキンと鈍い音が響いた。

 どうやらカイゲツがフォークを噛んでしまったらしい。


「怒らないでとは言わない。でも私は本気なの。誓って、冗談でこんなことは言わないわ」


 そう言ったのは、彼の瞳が怒りに震えたから。


「色々考えたんだけど、カイゲツを救うにはそれしか思いつかなかったの。あなたの心にかかっている歯止めを外すことが、私の使命なんだって、そう思ったの」


 あの鳥籠の中から出してくれたカイゲツへの恩返しがしたかった。

 何かを好きになりたいと思う感情の壁を、歯止めを、枷を外してあげたかった。

 だって、人を好きになるのはこんなにも幸せなことなのだから。


 まだ恋ではないけれど、カイゲツを愛する気持ちがキャロの中には確実にあった。

 愛する、もしくは愛したい。

 どちらでもいい。

 未来にあるのは「愛している」だ。


「教えてください。あなたの口から聞きたいの」


 怒りに震える茶色の瞳に、ふと寂しさが宿った気がした。

 同時に、堅く握られていた拳を緩める。

 怒鳴られると思っていたので、キャロは少し目を丸くした。


「………………なぜそこまでする」


 長い沈黙の後、カイゲツがボソリと問うた。

 キャロは真っ直ぐ彼を見る。


「カイゲツが私を救ってくれたから。今度は私の番なの」


「俺は何もしていない」


「そんなことない!」


 思いのほか強い言葉が出て、カイゲツもだったが自分でも吃驚した。

 一瞬息を飲んで、それでも今度は努めてゆっくりと口を開く。


「私の呪いを解いてくれたもの」


 カイゲツは訝しげに首を傾げた。きっと気付いていないのだろう。


「ふふ。あのね、人間って思いもよらないところから急に救われることもあるの。言葉があって思考があって感情があるんだもの。相手にそのつもりはなくても、ふとしたことで救われちゃうことだってあるわ」


 事実、キャロがそうだったのだから。


 彼の瞳を真っ直ぐに捉えて、キャロは次の言葉を待つ。

 別に断られたっていい。

 いずれは教えてくれると約束してくれたことを信じているから。

 ただ、自分の想いを知っておいて欲しかった。


 カイゲツの口から出たのは以外な言葉だった。


「この後、時間はあるか」


「ええ」


「こちらの用事が終わり次第、祖母のところへ連れて行く。準備しておけ」


 言うなり立ち上がったカイゲツの皿の上の料理は綺麗に無くなっている。

 今の会話のどこで食べ切るタイミングがあったのだろう、と割とどうでもいいことを一瞬本気で悩んでしまった。


「え、あの、えっ。え!?」


 脈絡も何も無い命令について行けず混乱しているうちに、カイゲツは部屋を出て行った。


「ミア……これってどういう意味だと思う……」


 ドアの隣で控えていた友人を見ると、彼女は少し考えた後にこう答えた。


「おばあちゃん大好きっ子の旦那様が自ら紹介してくれるみたいだし、進展はあったんじゃない? まぁおめでとうとだけ言っておこうかな」


 答えと同時に未来の旦那の新しい一面も知ることになった。

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