◆美しさは何処から

 自らの性欲に怠けた心を美しさの引き合いに出され、令嬢たちは何も言えないようだった。

 頷けば自らの淫らさを肯定することとなるし、否定してもミディアンヌの舌禍に真実を引き当てられるのみだと察しているのだろう。


「お代はもらうから仕事はするけど、普段から自分を大切にしていればこうはならないはずです。分かってますね」


 なんだかまるで教師みたいだなぁ。


 キャロは目を丸くしてミディアンヌを観察する。

 言い方は厳しいが、しかし全て令嬢たちのためを思った言葉だった。


 壁を作り拒絶することを得意をしながら、初対面の他人を思いやり厳しく当たることができる。

 カイゲツと同じだ。

 ただ、何かが彼女を頑なにしているだけで、カイゲツと同じ善人だ。


 きっと慣れているのだろう、ミディアンヌはてこでも反応しない令嬢たちに向かってそれ以上何も言わずに手の平を向けた。


「カミサマ、お願いします……」


 ミディアンヌが右手をかざす。

 すると、桃色のドレスの裾から一匹の蛇がスルリと伸びた。

 ミディアンヌと同じ琥珀色の目をした、純白の蛇。光の層を幾重にも幾重にも重ねたような、内側からほんのりと光を発しているかのような美しさである。


「えっ……へ」

「び」と続けようとすると、ミディアンヌが左手の人差し指を口の前で立てた。

 促されるまま口を閉ざす。


 目を丸くするキャロとは違い、お嬢様方は何も言わずにミディアンヌを見ている。

 突然目前に蛇が現れたのだ。

 普通なら叫び声をあげてもおかしくないはずなのに。

 何かがおかしい。


 先が二股に分かれた赤い舌をさっと出し入れした蛇は、琥珀の目で令嬢たちを眺めた後、袖から抜け出て床へと落ちた。

 そしてそのまま、スルスルとこちらへ向かってくる。

 思わずぎょっと後ずさった。


 よく実家周辺の森を散策していたので蛇には慣れているが、野生の蛇が人間に向かってくることなどなかったので身構えてしまう。

 蛇はキャロの足元で動きを止め、こちらを見上げた。

 しかし飛び掛ってくる様子もなく、ただただキャロを見つめるだけだった。


 なんだか変だ。

 野生の動物が、こうも無防備に他の生物と目を合わせるものだろうか。

 森へ出かけるようになったキャロに、グラーシャは口をすっぱくして言ったものだ。


「良いですか、キャロディナ様。動物を餌とする野生動物とは決して目を合わせてはいけませんよ」と。


 初めてこんなに近くで見る蛇の切れ長の瞳孔に、ゴクリと生唾を飲み込んだ。


 などと悶々考えていると、令嬢たちがキャアと黄色い声をあげ、全神経を蛇へと集中させていたキャロは飛び上がって驚いてしまう。


「すべすべですわ……!」

「ああ、わたくしの肌が輝いてますわ!」

「姪のほっぺみたいに光ってる……」


 どうやら手鏡に映る自分の肌に対する歓喜の声だったようだ。

 ほっと息をなでおろし足元を見るとそこに白蛇の姿は無かった。

 視界の端でミディアンヌの足もに白い何かが消える。

 どうやら元の場所へ帰ったらしい。

――というか、ミディアンヌは服の内で蛇を飼っているのだろうか……。

 さすがに理解に苦しむ。


「あたしに出来るのは応急処置だけ。刹那的なものです。保って二日かそこらです。維持するには、さっきあたしが言ったことを実践しなさい」


「はい!」と声を揃える女性たちに、ミディアンヌは少しだけ目を細めた。

 吊りあがった一重に少しだけ優しさが宿る。


「いいこね。ほら、早く行きなさい。晩餐会に間に合わないですよ」


 拙い敬語が、彼女たちの心にスルリと入り込む。

 皆返事と感謝を口にして、早々に屋敷を後にした。


 そして残されたのは、最後に選ばれた庶民の娘だけだ。

 ミディアンヌは手の甲に顎を乗せて少女を上から下まで眺めた。


 栗色の髪をおさげにした、くすんだ色の服を着た少女は、そわそわと隈の上で黒い瞳を彷徨わせる。

 皮の浮いた鼻や頬、皺だらけの荒れた唇。

 忙しなく動かされる指は大小の傷でボロボロで、とても少女のものだとは思えないぐらい白く皺が浮いていた。


 キャロや先ほどの令嬢とはまるで違う。

 今日を明日を生きていくために酷使していることがよく分かる姿だ。


 少女の頬が赤く染まる。

 みっともない自分を見られたことに対して。


「名前は?」


「……アンです……」


「では、アン。アンはあたしにどうして欲しい?」


 問うミディアンヌの声は先ほどより少し高く、もしかして機嫌が良いのだろうかとキャロは思った。


 アンは小さな声で、しかしはっきりと望みを声にする。


「綺麗に、なりたいんです」


「なぜ?」


「人生で一度だけでいいから、綺麗になりたいんです」


“人生”という言葉をかけるには、アンは幼すぎた。

 歳は15,6くらいか。

 キャロよりも若いことは確かだ。

 たった十数年しか生きていないというのに、アンの言葉は真に迫っていた。


 箱入り娘どころか監禁までされていたキャロには、なぜこうも彼女が駆け足なのかが分からない。

 しかしミディアンヌは納得したように頷いた。


「分かったわ。あんたしに任せなさい。アンの髪と肌に最高の美しさを与えます」


 そしてまた先ほどのように手をかざす。

 白蛇がひょいと姿を現した。


「カミサマ、アンに人生で最高の美しさをあげてください。……あたしは倒れてもいいから」


 そして起こった光景に、キャロは我が目を疑った。


 何がどうしてそうなったのか。

 じわじわと、ランプを反射してアンの肌が光る。

 唇や頬は血色の良い桃色に。

 おさげのままの髪が、あるで水を滴らせているかのように潤った。

 睫毛が伸びて、彼女の丸くつややかな頬に影を落とす。


 胸の前で組まれた手から白や赤のひび割れや皺が消え、白百合の花びらのような滑らかさを宿した。

 先ほどの、肌が少し輝いたくらいだった令嬢たちよりも格段に美しい。


 ホウとその様子を眺めていると、突然ミディアンヌが咳き込んだ。


「ミディアンヌ様!?」


 すぐさま駆け寄り、ぜえぜえと肩で息をするミディアンヌの小さな両肩を掴む。

 しかしミディアンヌはのろのろと右手を上げてキャロの手を拒んだ。


「疲れただけです」


 制した手を懐へ入れ、手鏡を取り出したミディアンヌはそれアンに渡した。

 震える手で受け取ったアンはおそるおそる鏡を覗き込む。


――そして、黒い瞳をカッと見開いた。


「あの、これ……」


 鏡の中の己から視線を話せぬまま呟けば、間髪入れずミディアンヌが「何の変哲もない手鏡です。間違いなくそれはあなたです」と返す。

 アンの舌瞼に涙が溜まった。


「目が腫れますよ」


 未だ肩で息をするミディアンヌの額には汗の玉が浮かんでいる。

 アンは強く目を瞬き涙を払った。


「ありがとうございます、ミディアンヌ様……! 私、今日の自分を一生の思い出にして生きて行きます!」


 そう言って笑うアンは本当に美しかった。

 いくら天魔の力を借りたとしても、持って生まれた顔の形はどうにもならない。

 アンは下の地味なままの顔だ。

 しかし、彼女が浮かべる笑みは同性のキャロでも見惚れるぐらい、本当に美しかった。


 きっと、アンの内側から溢れる自信がそうさせるのだ。

 先ほどの、心苦しげに視線を彷徨わせていた彼女とは違う。

 はっきりと素直な喜びの感情を表に出す少女は、なんて綺麗なんだろう。

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