◆赤毛の少女
キャロの身体を押しのけてズカズカと玄関まで行き、少し進入していた令嬢たちを一人ひとり人差し指で指して行った。
「ドアよりこちら側へ入って来ている無礼者は帰りなさい。その後ろの先着五人以外も帰れ。そんでその先着に選ばれた内の先頭三人、陽が沈みきる前から居ましたね、ルール違反ですすぐ帰れ」
帰れと命じられた令嬢たちの顔が悲壮に歪む。
皆一様に、流れない涙を目に浮かべてしくしくと泣き始めた。
「あのね、身内でも知り合いでも、ましてや殿方でもないあたしが無感情な涙を見て心を動かすと思います? あなた方の顔は覚えました。これ以上見苦しい姿を見せるのなら二度とファルクネス屋敷へ足を踏み入らせないから」
呆れた声でミディアンヌが脅すと、令嬢たちは今度こそ本当の涙を流してゆっくりと玄関から離れていく。
その背中に、ミディアンヌは「さっさとなさい! 早く帰って目を冷やさないと夜会までに目の腫れが取れませんよ!」と怒鳴った。
すると令嬢は泡を食ったように早足になり、いつの間にか玄関先に並んでいたらしい馬車にそれぞれ乗り込んで行った。
馬のいなな嘶きとわだち轍の音を見送ったミディアンヌは、「で?」とキャロを睨みつける。
「今帰らなかったあなたはもう二度と客として受け入れません。今すぐ帰れ」
「ち、違うんですミディアンヌ様! 私はあなたの兄上様の婚約者で……!」
婚約者、と聞きミディアンヌの瞳から敵意が消える。
どうやら分かってくれたらしい。キャロは今しかないと畳み掛けるように名乗った。
「キャロディナ・ショーヴルと申します」
スカートの両端をつまんで腰を下げるキャロだったが、ミディアンヌの目から敵意と同時に興味の色まで失せたことを確認して心の中で頭を抱えた。
「ああ、新しい人。行っておくけど婚約者だからって無料で仕事は請けないし贔屓もしません。あたし忙しいのでまた今度ね、次もあなたがここに居るならですけれど。ごめんあそばせ」
ああ、まただ。
この家にとって婚約者とは、すぐに去っていく邪魔者に過ぎないのだ。
なんだか腹が立って来た。
キャロは自然と背中にスッと芯を通し、顎を引いてミディを見据えた。
「私は実家へは戻りません。ファルクネスに骨を埋める覚悟でここへ来ました。――ミディアンヌ様。以後、よろしくお願いいたします」
開かれた玄関から風が入り、オイルランプがゆらりと光を動かす。
ミディアンヌを映す青銀の真摯な双眸が煌いた。
対する琥珀の瞳は気圧されるように縮んだ。
しかしすぐに気を取り直してキャロから視線を外し、後ろに控える五人の令嬢たちの更に後ろに並んでいた、選ばれなかったらしい女性達を見る。
「……そこのあなた、今夜はあなたが特別枠です。おいでなさい」
指名されたのは、令嬢たちに後ろへと追いやられていた、ドレスすら着ていないいかにもな庶民の少女だった。
すると、その前に並んでいた令嬢たちが目を向いて抗議する。
「この庶民は一番最後に並んでいましたのよ!」
「あたくしの方が早くここへ着いていたわ! ミディアンヌ様!」
ミディアンヌはかしましく騒ぐ女性達を睨む。
「五月蝿い。ここではあたしがルールです。従えない客に用はありません」
「わっ、……わたくしは侯爵家の娘ですのよ、一声皆様にお声をかければここへ来る客なんて、」
「居なくなるとお思いですか?」
侯爵令嬢を名乗る女性が言い切る前にぶった切る。
ドンと壁を作られ、彼女は何も言えずに口をぱくぱくと動かした。
先ほどキャロがされた手口だ。
「女性の美に対する執着がどれほどのものなのか、あなたは知ってるかしら? ――ファルクネス家への夜の訪問は、あたしが死ぬまで終わりません」
不機嫌から一転、初めて聞く笑声に、令嬢はふるふると震えた後に踵を返し、門へと向かった。
すると、その後を追うようにほかの女性達もしぶしぶ馬車へと戻っていく。
それを見届けたミディアンヌはやれやれとこちらを振り向き、キャロの姿を確認して「まだ居たのですか」と言った。
死んだ目はしていない。頭も良いし口も切れる。
そして、敵意を向けることと向けられることに慣れている、カイゲツの妹君。
なんだか、キャロはミディアンヌに対して並々ならぬ興味が出てきてしまった。
「ミディアンヌ様、お願いがあるのですけれど」
一体何? とミディアンヌが顔を顰める。
「ミディアンヌ様のお仕事を拝見してもよろしいでしょうか?」
「はぁ? ……邪魔をしないのならいいですけど」
どうやら受け入れてくれたようだ。
人付き合いも嫌いではないらしい。
「ありがとうございます!」
ミディアンヌは変な物を見る目でキャロを見た後、応接室へと入って行く。
その後ろを五人の令嬢と一人の少女がついていった。
一番最後に入ったキャロは、静かに応接室のドアを閉めた。
* * *
応接室というには質素な部屋だった。
しかし天井には廊下のものよりも立派なオイルランプがあり、キャロは眩しさに目を瞬いた。
部屋にあるのは長いテーブルと椅子が十ほど、辛うじてあるとも言える飾りは、白い壁を観葉植物と絵画が花を添えているぐらいである。
絵画には花瓶に挿された花が描かれている、というよくあるものを適当に飾ってみました感がありありと分かった。
中心の椅子にミディアンヌが座る。
促された令嬢たちも、次々にミディアンヌの周りに座った。
キャロはドアの横に立ち、ミディアンヌたちの邪魔をしないようにする。
ミディアンヌはテーブルの上にあったランプに火を灯して令嬢たちの前に置いた。
熱が伝わるのではないかと思うほど近いので、キャロは内心慌ててしまう。
しかし皆嬉しそうに顔を輝かせていて、問題はないのだなと安心した。
「皆さんちゃんと野菜を食べてます?」
数分間眺め続けてようやく口を開いたかと思えば、ミディアンヌは呆れた顔で彼女達を睨んだ。
「果物だけじゃダメです。野菜も食べなきゃ意味がないです」
こうして客観的に見ていると、ミディアンヌの話し方は独特だな、と思う。
まるで敬語に慣れていないような。
誰も彼女に丁寧な言葉の使い方を教えなかったのだろうか。
カイゲツに対するロイの口調は、敬語こそ使っているがとても軽い。
心情としてはキャロに話しかけている時とそう変わらない気がする。
ミアもよく敬語を崩しているが、使うべくはちゃんと使っているように見える。
しかしミディアンヌの敬語はかなりあやふやで、使うか使わないかも決めあぐねているようにも思える。
「あたしを頼る前に、やるべき努力があったはずですよ。それさえ守ればここへ来る必要もなかったでしょう」
ミディアンヌは厳しい口調ながらも、一人ひとりに生活態度を正すように命令した。
「パーティを楽しむのはいいけれど、野菜と果物と水をちゃんと摂って太陽と共に起きて眠る生活を一週間でもいいから続けなさい。十年は若返るはずです。殿方と遊ぶのは週一度、本命のみに抑え、あとは自分を高めるために使いなさい」
女性達が気まずげに顔を見合わせる。
「好きな殿方と触れ合うことは、美しさを保つためにも大切です。悪い事ではありません。どうでもいい男性と一晩だけのお遊びをして、結果残るものはなんです。荒れた肌と痛んだ身体だけでしょう」
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