◆回る乙女と粗略な庭師
* * *
そのまま意気投合しミアとの朝食を終えたキャロは、メイドの仕事へと戻った彼女を見送り一人で屋敷を歩いていた。
そのまま図書室へ行っても良かったのだが、それよりも屋敷をしっかりと知っておくほうが大切だと思ったのだ。
キャロは玄関から自分の部屋までの、ドアを隔ててはいるが真っ直ぐの距離しか知らない。
色々と行動する上で、屋敷の構造は知っておかねばならない。
……というのは脱走を繰り返し行っていた影響で付いた本能である。
この屋敷では人目を盗み脱走をする必要はない。
それは分かっている。
しかし知っておいて損になる情報ではないし、なんとなく安心するためにも必要な作業だった。
そう自分に言い聞かせながら、歩ける廊下を全て歩いて首を傾げる。
廊下は正四角形に伸びていて、それらにぐるっと囲まれるように、それぞれの方角に四つのドアが存在する。
そう言えばロイが真ん中の部屋は全て家主達のものだと言っていた。
キャロの部屋の前のドアはカイゲツの部屋、ではあとの三つは一月に一度帰ってくるという長男と、妹のものだと理解する。
祖母は離れに住んでいると聞いているので、どうやら一部屋は余っているらしい。
それにしても、とキャロは家主達の部屋を見る。
彼らの部屋には窓という窓がないのだ。
倉庫についているような換気を目的とした小さな小窓があるのみである。
朝起きてまず陽を拝めないのだ。
陰鬱になって当然である。
なぜこうも内々へと篭ってしまうのか。
少し前までの自分と違って、彼らは何をするのもどこへ行くのも自由だというのに。
自由だけれど。
今朝のカイゲツの憤慨した顔を思い出す。
近いうちに死ぬ。
もし自分がそう言われたとして、自分はどう受け取っていたのだろう。
それが一昔前の、兄が死ぬ前のことだったらきっと受け入れていたかもしれない。
生きているだけで人に〈不幸〉を与える。
自分以外の他人にとって、自分は生きている価値がまるでなかった。
むしろ、存在していることがただただ迷惑であったのだ。
生来好奇心旺盛であったキャロの心が死ぬまでに時間はそうかからなかった。
物心が付いて最初に気付いたことが自分を見る周囲の目の冷たさだったのだから当たり前かもしれない。
好奇心旺盛であったからこそ気付いてしまう。
誰もが極力キャロに触れることなく話すことなく行動していることに。
まるで毒を避ける蟻のように。
キャロは五歳迎える頃には全てを理解していた。
皆が自分を避ける理由も、自分がどう思うべきなのかも。
――人を〈不幸〉にする自分は、一生幸せになってはいけないのだと。
誰か自分を殺してくれればいいのにと思ったのは一度のことではなかった。
夜眠って、朝目が覚めなければいいのにと。
少女にも満たない、わずか五歳の幼子が自分の人生と価値について考え、死を望んでいたのだ。
カイゲツの心は生を望んでいる。
幸福を知っているからこその反応だ。
彼は本来、人と関わることが好きで、世話を焼いてしまう性質で、色んなものごとが好きで愛しくてたまらないのだ。
だからこそ、死を目前に愛することを恐れるのだろう。
キャロが好奇心旺盛だったから色々なことに気付けたように。
いくら短命と言えどたまたまかもしれない、とキャロは最初そう思った。
たまたま祖父も叔母も父親も四十を迎えることなく死んでしまったのかもしれない。
しかしきっとそうではないだろう。
何らかの明確な理由があるのだ。
ファルクネスは代々、命を賭して何かをしている。
キャロは確信していた。
その秘密は、森のどこかにあるのだろうと。
だからと言ってこっそり森へ出るつもりは毛頭ない。
結婚すれば教えると約束したのはカイゲツだ。
約束を違える人ではないだろうと思う。
挨拶をもらったら挨拶を。
そう彼を諭したのは自分だ。
誠意は誠意で返さなければ。
そう心に決めているとなんとなく身体が熱くなってしまったので、風に当たりながら花でも見て落ち着こうと庭へ出る。
春の風がビュウと吹き、キャロの黒髪を押し上げた。
ショーヴルでは乙女が髪を纏めることを善しとされなかったので当たり前のように下していたのだが、ここでは纏めても誰も気にしないのではないかと思いつく。
現にミアの黒髪は肩より短い。
カイゲツはあまりそういったことに興味がなさそうだ。
ドレスの袖口に結んである茶色のリボンをひとつほどき、なんとなくで後ろで纏める。
髪を梳くことしか知らないキャロには、後頭部でリボンを結ぶことは少し難しい作業である。
よいしょよいしょと髪を収めていると、奥から出て来た足音の主に変な目で見られた。
「おはよう。何してんの?」
そこには長靴を履き、クワや熊手を担いだロイの姿。
キャロは溜息と共にリボンをほどき、ピロピロと風にはためかせた。
「おはようロイ。髪をね、結んだことがなかったから……結んでみようと挑戦してみた結果があれだったの」
どうやら自分にはそういったセンスがないらしい。
だって誰もキャロの髪など触らなかったし、自分でも梳くぐらいしか考えたことがなかったのだ。
「つくづく自分が、女らしさなんてものを考えてなかったなぁって知らされてるところ……」
担いでいた器具をドスンと地面に置き、ロイがじろじろとこちらを見る。
「そんな難しいもんかぁ?」
「後頭部ってすごく心もとないんだもん。何すればいいのかわかんないのよ」
首を捻る彼の後頭部には薄茶色の髪がしっぽのように揺れている。
「別に後ろで結ばなくてもいいんじゃね? ほら、よくさ、庶民のねーちゃんらが顔の横で結んでるじゃん」
なるほど。庶民は天才か。
目から鱗を落としたキャロはさっそく言われたまま横に流して纏める。
すると先ほどまでの苦闘はなんだったのか、すぐにすっきりと収まった。
「おお、いいじゃんいいじゃん」
ニコニコ言われる感想を聞き終わる前に、キャロは庭へと駆け出した。
まっすぐ突っ切りくるんと回る。
何度か振り返ったり走ったりを繰り返し、喜びに目を輝かせた。
そしてもと居た位置へと走って帰った。
「なんだよ急におい。どうかしたか?」
あまりにも嬉しそうに笑うキャロを、ロイは不可解な面持ちで見る。
キャロは押えきれない爽快感を、両手を広げて訴えた。
「動きやすいの、すっごーーーーく! 髪が顔にかからないって素晴らしいわね、ミアの気持ちが良く分かるわ!」
「ああなるほどそういうことか。ミアが髪切った最初の理由は動きやすいからって訳じゃなねぇんだけどな。でも切り続けてるってことはそういうことなのかもなぁ」
女って面倒だなぁ切っちまえば済む話なのにと素直に言うロイにデリカシーなんて言葉は存在しない。
きっとこういった率直なところが彼の魅力なのだと思う。
「最初の理由?」
ロイはけろりと言葉を続ける。
「ミアは元娼婦なんだよ。絆術師ってんでルドに買われてここに来たの」
しょうふ。とは。
馴染みのない単語に首を傾げる。
それに気付いたロイが、「あ~……」と言葉を詰まらせながら説明してくれた。
「金を対価に男と一夜限り身体を重ねて暮らしてたんだよ。いやまさか知らないとは。あんたも良い所のお嬢さんなんだなぁ」
ようやく意味を理解して、キャロは顔を真っ赤に染めた。
本で読み知っていたし理解もしている単語だったはずだ。
いや、知ってはいたのだが、まさかこんなに身近に存在している者達だとは思ってもみなかった。
初恋も済んでいないキャロにとっては、まるでグリフォンやペガサスと同等の、絵空事のことだったから。
「この屋敷で長期間働けるやつはワケアリなんだよ。立ち話も何だし、俺の本業がある場所まで来てくれよ。幸い話しながら出来る仕事だしな。そんで、あんたの話も聞かせてくれ」
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