◆メイドと少女の約束
しまった。
思った時にはもう遅かった。
知っていたはずなのに。
あの目はキャロ自身も何度も向けられてきたものだったのに。
知っていたのに。
向けた方も向けられた方も嫌になる、同情の目。
浮かべるしかなかったのだ。
だって、彼はあんなにも心底から、人を愛したいと叫んでいた。
愛されたいと。
「去る方も残る方も辛いばかり」
想像したことがなければあのような言葉は出て来ない。
カイゲツはキャロのように、愛し合う幸せな想像に浸れたことすらないのだ。
そう思うと、同情せずには居られなかった。
彼もキャロが同情せざるを得ない言葉を選択していた。
だからこそ笑ったのだ。
自嘲気味に、「ざまあみろ」と。
――そんな悲しいことをなぜ。
きっと、好意を見せたからこそ突き放されたのだろうとキャロは思う。
キャロが押し黙っていると、凜とした声が部屋に響いた。
「お嬢様には必ず旦那様と結婚していただかなくては。全力で応援致します」
はっと焦点を現実に戻せば、部屋に控えたままだったミアと目が会った。
切れ長の魅惑的な黒い瞳に同じ女でありながらなぜか頬が熱くなる。
限られた空間で限られた人間と話し、本しか読んでこなかったキャロは色香をまともに受け取ってしまうのだ。
身の置き所に困って目を逸らした。
「でも、彼にとって一番言われたくないことを言ってしまったわ……」
逸らした目をそのまま伏せる。
ミアはこともなげに応えた。
「そのことでしたらお気になさらないでもかまいません。どうであれ、会って二日目で旦那様に強い感情を持たせたのです。自信を持ってください」
優しい声色に顔を上げる。
ミアの瞳は柔らかに細められていて、嘘を語っていないことが分かる。
「それに旦那様は、きっと貴女のことを少し好いておられますよ。愛玩動物程度には」
「愛玩動物……って、一体どのくらいなのかしら?」
「私の天魔を褒められて嫉妬する程度には?」
なるほどと納得する。
ミアの力を褒めた時に不機嫌な顔をしたのは嫉妬していたからなのか。
謎がひとつ解けたところで、「どうして私と結婚して欲しいんですか?」と聞いてみる。
「お嬢様と会話なさる旦那様がたいへん面白おかしかったので」
「面白おかしかったって……誰にとって?」
「私めでございます」
なんて色っぽく答えてくるから思わず「何言ってんだあんた」という顔になる。
「旦那様は本来とてもお静かで、来客のない時は日に五回以上言葉を発せればマシなぐらい声を出すのがお嫌いです。人と関わることを避けられます。朝日が昇れば『眩しい』と引きこもり、風が吹けば『煩わしい』と閉じこもり、花が咲けば『臭い』と窓を閉める陰気なだけのつまらない男です。あら失礼本音が」
本当に全力で失礼だが、今の話が真実なのだとしたらカイゲツは本当に心が捻くれ曲がっているのだろうと思う。
しかし反面、面倒見が良いことも事実だ。
「カイゲツは本当に人と関わることが嫌いなのかしら?」
無意識に心の声が口から出てしまう。
「お嬢様はいかがお思いですか? ――きっとそれが答えです」
涼しい声でそう言われ、キャロは目を細めて微笑んだ。
『短命』。その言葉が彼をここまで曲げてしまったのだ。
どうせもうすぐ死ぬのだから。
そう思うと、誰とも親しくなれないのだろう。
きっと、死んで行く自分自身よりも残してしまう相手のことを考えて。
キャロには彼の気持ちが良く分かるのだ。
自分も過去に、固定観念の絶望に囚われていたから。
今でも全てが過ちの観念だったとは思えないぐらいの。
だとすると。
「彼の絶望は、とても深いのね」
果たしてキャロがそこに踏み込むことは出来るのだろうか。
キャロは、実の兄にだって入らせなかったのだから。
彼が命を落とすまで。
「…………必ずカイゲツの心を拾い上げます。私のちっぽけの命を賭けてでも」
手に力を入れる。
目が、自然と前を向いた。
少し目を見張ったミアだが、フッと細い息を吐いて口角を上げた。
「それがどんなものであっても、命は命です。何者にも、魔物にだって左右されない、絶対的な価値があるです」
一体どういうことだろう。
首を傾げると、ミアは続けて説明してくれた。
「生命を奪う力だけは、まだ一度も見つかっていないのです」
それを聞いてキャロは少し嬉しくなる。
「そう……私、魔物のことも好きになれる気がするわ。いえ、もう大好きよ」
ミアが少し眉を上げる。
キャロの言ったことが理解出来なかったのだろう。
キャロには賢い彼女がなぜ理解出来ていないのか分からない。
こんなにも簡単なことなのに。
「だって、魔物は生命を愛しているから奪わないのでしょう?」
ミアの瞳孔が開かれる。
愕然、という言葉がよく似合う表情だった。
ミアがくれたヒントをごくごくシンプルに考えて出た答えだったのに。
どうしてそんなに驚く必要があるのだろう。
「ミアさん?」
いつまでも動かないことに心配し声をかけると、意識を取り戻したらしいミアの真っ黒な瞳が真摯に輝いた。
「キャロ様、とお呼びしても?」
「いえ、別に様は要らないし、もっとくだけて話してくださって結構ですよ。ロイも最初から敬語なんて使わなかったし」
「あいつはまた……。じゃああたしのこともミアと呼んで楽に話してちょうだいよ」
そういう彼女の口調はとてもさっぱりしたもので、ミアの本来の姿なのだと思うととても嬉しくなる。
「ミア、これからよろしくね」
「あたしはキャロに必ず彼と結婚してもらうからね。末永く、よろしく頼むよ」
そして、しっかと手を握り締められる。
一瞬とても驚いたが、強気に笑うミアを見る限り蝙蝠の影響は受けないのだと悟る。
キャロは、ゆっくりと手を握りなおした。
「うん。……うん。よろしくね、末永く。きっとよ!」
ミアの手が、更に強く握って応える。
びりびりと神経に電流が走った。
キャロは本日何度目かの涙を流した。
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