◆不幸と蝙蝠

 連れて行ってくれる辺り面倒見が良いのだが、なぜこうも対人が苦手なのだろうか。なにが彼をここまで歪めたのだろう。


 全ては“短命”という言葉が鍵を握っている気がしてならない。

 まだ、キャロには教えてもらえない部分だ。


 そう意識し、キャロは綺麗に笑った。


「ええ、明日にでも是非」


 今は「明日」の約束が出来ることを嬉しく思おう。

 きっと、今の特殊な婚約者という立場を使わねばその約束すらくれない男だっただろう。

 それに、キャロもカイゲツと出会うことなんてなかった。


「で、ここからが軽く本題なんですが」


「ここからが……本題?」


「ええ。カイゲツは昨日、私に蝙蝠の魔物がくっついていると言っていましたね」


 カイゲツがこともなげに「ああ」と頷く。


「その蝙蝠は、まだ私に付いていますか?」


 喉が震える。

 ここからは、彼の話ではなく自分の話になる。


「ああ、付いているな。この辺りでは蝙蝠の魔物を見かけたことがないから、お前に付いてきたのだろう」


 私が連れてきた。

 きっと、私の生まれた土地から。


 キャロは、自分のことを話すのはあまり得意ではない。

 というか、得意かどうかも分からない。

 これまで周りに居た人間は、物心がつく前から自分を見知った人間だったから。


「あの、父から私のことをあらかたお聞きになったんですよね」


 そこまで言われて、キャロが何を聞きたいのか気付いたのだろう。

 カイゲツがああ、と眉を上げる。

 こっそりと、眉を上げる表情筋があったことに驚いたが今はそれどころではない。


 口を開けようとしたカイゲツを見て、キャロは「あ、まっ、」と彼を止める。

 気になったのはミアの存在だ。


「おい。少し込み入った話をする。片付けはしておくから出てくれるか」


 よくよく細やかな気を配れる人である。


 出来ればこのことは誰にも伝えたくない。

 知ってしまえば、皆自分を避けるだろう。

 誰だって、謂れのない不幸になど見舞われたくない。当たり前だ。

 

 カイゲツの対応が自分の思いに呼応しすぎていて、逆にハッとした。


「いえ、いいんですミアさん。どうせここに嫁ぐのなら、あなたの為にも聞いてもらわなければいけないの。お願い、どうかそこに居て」


 ドアノブに手をかけていたミアを振り返り、そう嘆願する。

 ミアは「はい」と短く応え、静かにキャロの斜め後ろへと戻る。


 あのままぬくぬくとショーヴル屋敷に居れば不幸を撒き散らすことなく一生を終えることが出来た。

 他者のことを思うのなら、一生閉じ込められてればよかったのだ。

――キャロは、自分の人生の幸せを取ったのだ。


 だから自分は、避けられるのも嫌われるのも、受け入れなければならない。


 これは、キャロの覚悟だ。


 強い瞳で、カイゲツに先を言えと促す。


「……触れた者に不幸を与える、だったか。十中八九、いや確実にその蝙蝠の力だろうな」


 言いながら、突然身を乗り出したカイゲツが、キャロの腰辺りを触った。


 普段決して人に触れられない場所なので、キャロの身体は「ひゃっ!?」と敏感に反応する。


 なんだこれ。

 腰を触られるのってもの凄くこそばゆい。


「わ、悪い」


 カイゲツはびっくりしたように、腰から手を離した。

 もごもごと「女性の身体に許可なく触れるなどと」と言っている辺り、どうやらキャロの反応ではなく自分の行動に驚いたらしい。


「いえ、私も人に触られることに全然慣れてないので……」


 と、カイゲツが座り直したその時、椅子の足が壊れてカイゲツの姿がテーブルの向こう側へと消えた。


「カイゲツ!?」


 急いで彼の元へ駆け寄り、手の平を向ける。

――が、すぐにその手を自分の胸元へ戻した。

 彼は自分に触れて〈不幸〉にも転んでしまったのだ。

 自分が手助けしても新しい〈不幸が〉起こるだけである。


 それを察してだろう、カイゲツは右手をキャロに差し出して「引っ張れ」と言った。


 そんなこと出来るはずがない。

 おろおろと視線を彷徨わせていると、ミアと目が合う。


「ミアさん、カイゲツを……」


「大丈夫だ。今はお前の手の辺りには居ない。何も起こらない」


 差し出された手をまじまじと見ると、人差し指意の横腹に小さなふたつの穴が空いていた。


「どうやらそれはお前の周りの者を不幸にするわけではなく、お前に触れた者に噛み付きちょっとした幸福を吸い取っているらしい。噛まれなければどうということはないが、普通は見えない魔物を避けることは出来ない。幸福を喰わねば生きていけないのだろうな。力を振るうことは呼吸みたいなものなんだ。魔物とはそういう風に出来ている」


 キャロがなかなか手を差し出さなかったので、カイゲツはとうとう自分で立ち上がった。

 新しい椅子を用意しなければと思っていると、いつの間にやら傍らに立っていたミアが椅子に触れた。


 すると、椅子が見る見るうちに元に戻った。

 壊れる前の、元の姿に。

 キャロはあまりにもの光景に口をぱっかりと開けた。


 視線に気付いたミアが魅惑的に目を細める。

 緩く弧を描く唇がなんとも色っぽくて、キャロは少し頬を染めた。


「私が契約しております天魔の力です」


「天魔」


 聞き慣れない言葉を反芻すると、ミアが補足してくれた。


「人と契約した魔物のことを別称して天魔と呼びます」


 初めて知った。

 当たり前だ、少し前まで絆術師の存在すら信じていなかったのだから。


「ミアも絆術師という者なの?」


「そうです。私の天魔は“時間”から生じたモノ。ものの数分の間ではありますが、何かの時間を進めて戻すことができます」


「凄い……!」


 ということは、キャロの影響でこれまで壊されたアレやアレやアレ等、彼女さえいれば直すことが出来たのだ。キャロにとってミアの力は天が与えしもののように思えた。


 カイゲツが、極めて乱暴にミアが直した椅子に座った。


「とはいえ数分だ。時間が経てば直したものも壊れる。かなり希少な力ではあるが、使い勝手が悪すぎる」


 不機嫌な低い声にキャロは心の中でクビを傾げた。

 さきほどまでは確かに普通だったので転んで不機嫌というわけではない。

 今の会話のどこにへそを曲げる要素があったのだろうか。


 理由が分からずミアを見ると、彼女はひどく上機嫌にカイゲツを見ながら笑みを深くした。 

 いったい何だというんだ。


「なら、今カイゲツが座っている椅子もすぐに壊れちゃうんじゃ……」


「それはありません、お嬢様。魔物によって壊されたものならば、時間は進みません」


「そうなの! 凄い、本当に凄わね!」


 これまでの自分の人生にミアが一緒に居てくれればよかったのに。

 本気でそう思ってミアを見上げれば、彼女は堪えきれないとでも言いたげに「あーーっはっはっはっ」と笑った。


 突然の爆笑に、――というかメイドが主人の前でバンバンと机を叩きながら爆笑する姿に本気で仰天した。

 怒りで顔を歪めたカイゲツが、これでもかとばかりに大きな舌打ちを鳴らす。


 なんだこの主従。


「ふぅ、失礼しました。では私は控えております」


 そして爆笑直後のこのすまし顔。

 どうやら彼女もかなりの変人らしい。

 まだ三人目ではあるが、この家はそんな奴ばっかりか。


「控えるな、出て行け」


「部屋の主であるお嬢様が出て行けとおっしゃるならば」


「俺はこの屋敷の主だ」


 カイゲツは軽く殺意を込めて睨んだが、どうやら慣れているらしいミアは知らん不利で壁を背に立ち、無視した。


 空気が重い。


「あー……、あの、カイゲツの天魔も凄い力を持ってるんですよね!」


 気まずい空気に慣れていないキャロは、どうにか話題をひねり出す。


「遠くの人に声を届けられるってロイに聞いたわ。それって素晴らしいと思わない? 私にその力があれば、いつでもグラーシャに声を届けられるのに!」


 そう。今、あの屋敷で、唯一キャロを心配しているであろうグラーシャに。


「……今ようやく知れた私の〈不幸〉の秘密も、彼女に伝えることが出来るんだわ」

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